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第七十六話 危険区域へ




後宮・宮中における宦官の登場には、古い歴史がある。

その誕生には諸説あり、『敵の捕虜を奴隷とし、その血を残さないために行われた。』というのが無難な見解であろう。

しかし実際は、女人のみの場所に、皇帝以外の男の存在を否定するためでもあった。

例えば始皇帝の母は、宦官の一人と通じてその間に子をなし、始皇帝の怒りを買い、愛人とその子は処刑された。

これは単に、母を取られた始皇帝の怒りによって起こされたものではない。

自分のみが性活動が出来る場所で、自分以外の男が性活動を行ったことへの見せしめでもあった。それが、母の恋人であろうとも容赦しないという皇帝としての威厳だったように思える。

ゆえに後宮では、性の混乱を防ぐために、限られた身内以外は「男性の象徴を除去する」という約束でその存在を許されたのである。

こうして、皇帝以外の男子が、後宮に入ることは出来なくなったのだ。


「・・・・・・そう習ったはずだったんだけどな。」


高価な荷物を抱えながら、小さく青年はつぶやく。

彼の名は安林山。

恋人を追って、都までやってきた武術の心得のある良識ある男子であった。


「こちらが、その品でございます。」

「・・・ほぉ。これはまた、なかなか・・・!」


彼の目の前では、きっちりと正装した男と身分の高そうな宦官が小声で話していた。


「よい品であるな・・・?」

「それはもう、しょう様にもお楽しみいただける品物にございます。・・・いかがでしょう?」

「こやつ!わしに売りつけるつもりか~?」

「ご冗談を!私が申したいのは、いつもご贔屓にしていただいております鐘様への、ほんのご挨拶代わりにと・・・!」


そう言ってにやりと笑うと、恭しく小さな木箱を宦官の袖に入れる男。


温烈おんれつよりの、ささやかなお気持ちと思っていただければ嬉しゅうございます。」


(温『烈』ね・・・。)


大嫌いな宦官に媚びる温烈こと凌義烈の姿に、林山は不快感を覚える。

それと同時に、改めてこの男のすごさを実感していたのだ。

『百面夜叉』の異名を持つ侠客の大親分。凌義烈は、林山を星蓮に会わせるという名目で、花街へと連れ出した。そこで仲間の一人だという鳳玉蘭と対面させられ、熱烈な歓迎を受けた林山。

紹介が終わるなり、義烈の用意していた服に着替えさせられ、店を出た足で向かった先というのが――――


「後宮では、なにかと我々は、疑われやすうございますゆえ。」


男子禁制の後宮だった。




「これに着替えろ。」


そう言って義烈が放り投げたのは、商人の服だった。


「・・・これにか?」


見慣れた衣装に、林山は相手を目だけで見る。


「そうだ。お前には商人見習いって役をしてもらう。」

「商人見習い?」

「俺は商人役をやる。それも、お前の上司という設定だ。」

「はぁあ!?」


なんのために!?


そう問おうとした時、義烈は部屋の窓を開けた。そこから見える景色の一点指差しながら告げた。


「あそこに行くためにゃ、多少の変装はしなきゃならねぇからな。」


彼が指差した先は、都で一番の栄華と権力を誇る場所。




「きゅ、宮中!?」




指された一点を見て、思わず声をあげる林山。

同時に、相手の考えていることを察した。


「へぇ~わかるのか?ここからじゃ、結構離れてるんだけどな~」

「茶化すな!お前まさかー・・・・俺と星・・妹を会わせると言ったが・・・・!?」

「そうさ。」


林山の問いに臆すことなく、無邪気な笑みで彼は答えた。



「助けるための下見なんだから、あそこに俺らが入るのは当然だろう?」


「は、入るだと!?」



ニヤリと口の端を上げながら言う侠客。これには、声を上げずに入られなかった。


「まさか、たった三人で宮中に行くというのか!?」

「いいや。俺の部下も連れて行く。」

「あなたの部下をか?」

「ああ、二人ほど連れて行くから心配ない。」

「てっ!?二人だけかよ!?俺達を合わせても五人じゃないか!?」

「あら、嬉しい。ちゃ~んと、私も頭数にいいれてくれてるのね?」

「ちょ!?そこ喜ぶところですか!?」

「そうだぞ、玉蘭!浮かれてるんじゃねぇ。」

「だって・・・今までの人は、私を仲間はずれにしてばかりだったから。」

「今までって玉蘭さん―――!?・・・もしかして以前も、宮中に忍び込んだことがあるのですか・・・!?」

「勘違いするな、星影。コソコソ忍び込んだりしたら、捕まっちまうだろう?」


林山の偽名を呼びながら義烈は朗らかに言う。


「堂々と胸張って、正面から入ってたんだ。」

「そっちの方が危ないだろう!?」


あまりにも常識のない答えに、非難の上げる林山。


「黙って聞いていれば、なんて無茶苦茶なことを言うんだ!あんたらは!?宮中がどういう場所か知らないのか!?」



「「皇帝以外の男子禁制の女性の聖地。」」



「わかっていて正面から入るって言うのか!?」


声を合わせて言う男女に、林山は額に青筋を浮かべる。


行く場所が、気軽に入れる場所なら、ここまで怒ることもない。

気軽に入れない場所だったら、当の昔に自分も、親友と共に入っている。


(それができないからこそ俺は、親友兼義理の姉を身代わりにして、潜入してもらってるんだぞ!?)


それを正面から堂々と簡単に、入れるわけないじゃないか!


(できるわけがない!!)


「なんでもかんでも否定することないだろう?」

「否定しかできないことだろう!?」

「そう熱くなるなよ、星影。」


気炎をあげる林山に対し、なだめるように語り掛ける義烈。


「心配しなくても、捕まるようなヘマはしねぇさ。」

「そういう問題か!?」

「結論から言やぁそうだろう?お前さんが一番危惧してる危険ってのはよ?捕まっちまえば、妹は助けらんねぇ。それどころか、テメーの命もなくなる。それが心配なんだろう?」

「わかっているなら、何故―――!?」

「おお、わかってるとも!つまり俺が言いてぇのはな、星影・・・本当にダメかどうかは、俺の話を最後まで聞いてから決めても、遅くはねぇんじゃねぇかってことだよ。」

「むぅ・・・。」


言われてみれば、義烈の言う通りだった。自分は、話の最初のところしか、まだ聞かされていない。『正面から入る』としか聞かされていない。


「お前さんの否定だけの答えも、当然って言やぁ当然の反応だ。けど、焦って機会をふいにするのもどうかと思うぜ?」

「・・・機会だと?」

「お前が妹に会えるって機会さ。俺はその手助けをする立場だぜ?わざわざ、お前を危険にさらす方法を紹介したりするか?」

「それは――――」

「安全な方法しか、させねぇよ。場所が場所だからな?」


ニヤリと笑うと、数歩林山に近づきながら言った。


「まぁ・・・ある程度のお膳立てはするが、会えるかどうかはお前さん次第。そのためにも星影――――お前にもきちんと協力してもらうぜ?」

「・・・何をしろと言うんだ?」

「簡単だ。俺の書いた筋書き通りに動けばいいのさ、商人見習い。」

「しょ、商人見習い~!?」

「・・・そうだ。俺は宮中でも数少ない、出入りを許されている大商人・『恩烈』だ。そしてお前は、俺の元で、一人前の商人になるための修業をしている商人見習いの『華雲』だ。」

「か、かうん!?」

「お前の名前だ!本名の劉星影を名乗るわけにもいかねぇだろう?偽名ってことよ。」


(すでに、劉星影という偽名を使っているのだが・・・)


ニヤニヤする相手に、本名を隠している青年は内心冷や冷やした。


「そういうわけだから、今からお前は『華雲かうん』だ。お前も俺のことは『恩烈様』と呼べ。そして、俺を主人として扱え。」

「主人って・・・。」

「主人である俺には、お前以外に小間使い役が二人いる。」

「小間使い二人?」

「それは俺の部下がする。お前が下手な芝居をしても、そいつらが上手くやってくれるから、変に緊張すんなよ。以上!」

「え!?い、以上って・・・!?」


(まさか、それで説明は終わりなのか・・・?)


聞いても聞かなくても大差ないような話に、戸惑う林山。


「待ってくれ、義烈!いくら出入りを許されている商人だと名乗っても、場所が場所ならば、俺たち自身が隅々まで調べられるんじゃ―――!?」

「大丈夫よ。」


そう言ったのは、悩ましい瞳の鳳玉蘭だった。


「私達は、宮中御用達の『夜の大商人・温烈様一行』という肩書きを使って、正面から堂々と入ることができるのだから。」

「・・・はぃ?」


(夜の大商人って・・・どんな肩書きだよ?)


美女が口にした言葉に、眉間にしわを寄せて相手を見る。すると玉蘭は、クスクス笑いながら林山を見て、義烈へと視線を移した。それを受け、苦笑しながら義烈がまとめた。


「まぁ、意味は後々わかるさ。今は考えるんじゃなくて、実行するのみだ。心配すんな!今までしくじったことはねぇからよ。」

「なっ・・・!?なんて安易なことを言ってるんだ!?今までが大丈夫だったから、これからも大丈夫なんてことはな―――――!?」

「――――大きな声はだめよ、ボウヤ?」


林山の口に人差し指を当てながら片目を閉じる美女。突然の行為に驚きつつも、少しだけ頬を染め、声を潜めながら林山は反論を続けた。


「ボ、ボウヤはやめてください・・・!絶対大丈夫という保証はないでしょう?それにそんなことをすれば、俺達全員、法を犯した罪で処刑されてしまいますよ?」

「何度も言ってるだろう?斬り殺されるようなヘマはしねぇって!」

「しかし義烈!」

「心配しなくても今日は下見だけだ、華雲。」

「そうよ、華雲。戦いなんて乱暴なことはしないから。」

「誰が華雲だっ!?あんたら、俺をからかっているのか!?」

「ひどいわね。私達、大真面目なんだから。」


綺麗に化粧された顔を近づけながら玉蘭は言った。


「ダメよ、ボウヤ。真面目に建前なんか気にしてちゃぁ。細か過ぎると、世の中渡って行けないわよ?」

「建前って!」

「確かに後宮は男子禁制よ。でもね、それと対になっているのが宮中の女子禁制よ。」

「だからなんです?」

「宮中に女性は出入りできないと思われてるけど、そうでもないのよ。」

「はあ?」

「一般女性・・・というよりも、私のような同業者は、着替えてしょっちゅう出入りしてるんだから。」

「き、着替える・・・?」

「妓女で遊びたい殿方や元・殿方が、私達を男の姿にして連れ込んでいるのよ・・・!」

「・・・・・・・・・・・・はい?」


玉蘭の言葉で林山の目が点になる。


「・・・・・・・・・遊ぶ・・・・・?」

「だから後宮でも、逆の場合もあるのよ。男が女の姿になることも・・・!」


妓女である鳳玉蘭の言葉に思わず聞き返せば、艶のある笑みを浮かべながら笑う彼女。


「だから、あなたには女装してもらった方がいいかもしれないわね?」

「ぇええ!?」

「本気にすんな、馬~鹿!」


真っ赤になる林山の後頭部を、軽くはたきながら義烈は言う。


「馬鹿アマ!つまんねぇ冗談ばっかり言いやがると、どこぞの貴族の妾にすんぞ!」

「それなら、できるだけお金を持ってる人を紹介してね。それが皇族ならなおさらいいわ。」

「夢見てんじゃねぇぞ、物欲女!星影をからかうんじゃねぇ!」

「だって・・・可愛かったから。」


小さく笑い続ける美女に、林山はどうしていいかわからす、顔を染めるしかなかった。

星影とも星蓮とも、それまで出会った女性達とも、まったく違った性質を持つ玉蘭にどう対応していいかわからないというのが正直なところ。

そんな林山の思いを察した義烈は、玉蘭を睨みながらぶっきらぼうに言った。


「お前な、無駄口たたく間には、下見に備えてその口を休ませとけ!無駄遣いすんじゃねぇ!」

「まぁ、怖い怖い。」

「星影もだ!玉蘭の冗談を真に受けんじゃねぇよ!」

「え・・!?あ、なんだ・・・。冗談か・・・!」

「たりめぇだろ~が?」


安堵する林山に、思わず苦笑いする義烈。


「お前に女装なんかさせねぇよ。星影が女顔で、そういう体だったから考えたが、そりゃ無理だ!こんなに骨格のしっかりした女は後宮じゃ目立つ。だから、大商人ご一行をするんだよ!」

「そ、そうなのか・・・?」

「そうだよ、ボケ!お前はちと、真面目すぎるんだ。」


呆れた声でそう言うと、林山の首に腕を回す義烈。


「いいか。こういう女狐の話は、話半分で聞いとけ。純な男で遊ぶのが趣味な女だからよ。」

「あら。私が狐なら、あなたも狐でしょう?同じ穴のムジナがなにを言うのやら・・・。」

「いいから、オメーは自分の仕事のことだけ考えてろ!何度も言わせんなっ!手はず通りにしろよ!自分の役割は、わかってるだろうな・・・?」

「もちろん。兵達を引き付ける役でしょう?」

「兵を引き付けるって・・・あなたが!?」

「ええ。こう見えても私、結構上手いのよ・・・?」


クスクスと声を漏らしながら、睨むような流し目をしながら楽しそうに林山に告げる。


「華雲様こそ、恩烈様について、よく学ばれてくださいませ。」

「え?」

「そういうことだ。商人見習いとして、私に恥をかかせるなよ・・・華雲?」

「え!?」


それまでとは一変した、安定した綺麗な言葉遣いになる義烈。


(こいつら!もう役柄に入ってるのか!?)


そんな彼の内心を見透かすように、ニヤリと笑いかける侠客の大親分。そして最後にもう一度だけ、凌義烈として口を開いた。


「大事な愛妹を取り戻すためだ。一度しか言わねぇから覚えろよ・・・?」

「あ、ああ!もちろんだ・・・!」


凄みを利かせながら言う相手に、負けじと思わず返事をした林山。

こうして、まったくの打ち合わせがない、行き当たりばったりの状態で大商人・温烈と華雲として後宮へと入ることになった安林山。

義烈は大商人の温烈として。林山は見習い商人の華雲として。

そして玉蘭は――――



「こりゃまた、美人の寵童になっちまったなぁ~玉蘭?」

「ええ、その手のお偉い様に、惚れられないように気をつけるわ。」


からかう侠客を茶化す妓女。そこには、控えめな書生の衣装に身を包んだ、男装姿も絵になる玉蘭の姿があった。下ろしていた髪を上で一つにまとめ、化粧などの女性らしい装飾品をはずしていたが、それでもその美しさはかすんでいなかった。からかう侠客に対し、書生に化けた美女は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。


「それに温烈様、私の名前は玉山なので、間違えないようにしてくださいね?」

「おお!これは失敬!わかっておるぞ、書生の玉山よ。そうだろう、雲華?」

「え!?・・・ええ。」


(美人なのは、事実だし。)


二人のやり取りを聞きながら、星蓮とは違った美しさを持つ大人の女性に林山は正直な感想を漏らすのだった。



こうして、義烈や玉蘭、義烈の部下二名と共に宮中へ向かった林山。

本当に、お抱え商人として宮中に入れるか心配だったが、それは杞憂という形で終わった。


「よし、通れ。」


義烈が門番に手形のようなものを見せると、彼らはあっさりと通してくれた。

手形というよりも、『温烈』という名によって。


「温烈・・・だと!?」

「はい、温烈でございます。」

「もしや、『あの方』からお呼びが・・・!?」

「はい。あなた様がおっしゃる『あの方』なるお方からのお呼びがかかり、参上いたしました次第です。」

「これは・・・失礼した!どうぞ、お通りくだされ。」

「ありがとうございます。お役目ご苦労様でございます。」


これで、厳しい表情だった門番の表情が緩んだ。

緩むというよりもへつらうような笑い・・・愛想笑いだった。

こちらの様子を伺うように優しい言葉をかけてから、その道をあけてくれたのだ。

その後も、義烈が『温烈』と名乗れば、すぐに門番は通してくれた。

面白いように通ることが出来たのである。

そして――――


「おお!今宵も来たか、温烈!?」

「はい。ご拝顔麗しいようで、鐘様。」


その途中で、『鐘竹民しょうちくみん』に出会ったのだ。

義烈の話では、この宦官は、宦官の中でも大宦官になるらしく、とにかく金などの物欲に目がないらしい。

だから、品物と金さえ与えれば、検索などは一切しないらしい。

もちろん、恭しくこびへつらえば、なお更良いそうだ。


(・・・・やはり宦官は、薄汚い・・・!)


婚約者のためとは言え、義烈と共に宦官のご機嫌取りをする自分が嫌だった。

嫌だったが、愛する人を思えば、それも我慢できたし、我慢した。


(すべては、星蓮のためだ・・・・!)


そんな一途な想いを胸に、彼は無言で義烈に従っていたのだ。

そして現在に至るのである。


「私どもと致しましては、無害であるとご理解いただければ、それ以上は望みませぬ。」

「フッフッ!お前達が善良な承認であることは、この鐘竹民が保障しよう。」

「ありがとうございます。」

「礼などよい!それよりも――――玉山。」


義烈や自分の後ろに控えていた美人へと視線を移しながら、肥えた宦官は言った。


「玉山、今日も可愛いのぉ~?」

「おやめくださいませ、竹民様。私の主人の前で、そのような―――・・・・」

「そういうお前こそ、わしを字で呼んでいるではないかぁ~?」

「あっ!やだ・・・どうしよぅ・・・」

「いかんのぉ~お互い!グッフッフッ!」

「竹民様ったら・・・!」


鐘竹民の指摘に、男装の麗人は恥ずかしそうに袖で顔を隠した。それをニヤニヤしながら、宦官は見つめる。


「どうじゃ、温烈?阿玉を―――!」

「仕事中でございますよ、竹民様。」


宦官の言葉を遮るように玉蘭は言う。


「阿玉~・・・!」

「お察しくださいませ、竹民様。ねぇ・・・?」


わかりやすい色目を使う書生に、相手もそれ以上は言わなかった。


「ご心配なく、鐘様。ちゃんとのちほど・・・!」

「むぅ・・・そうか。わかった。」


不機嫌そうに言うと、そっぽを向く宦官。その姿に林山は変な気持ちになった。


(なんだ、この男!?宦官の癖に、女性を口説くような真似をするなんて・・・!)


そう考えていた林山の鼻先を、上品な蘭の香りがくすぐった。


(玉蘭さん!?)


見れば、玉蘭が自分の横を通り過ぎ、鐘竹民の真横に陣取っていた。


「そんなお顔をなさらないでくださいまし、ねぇ?」


すねるような口調で言いながら、そのよく肥えた腹の上を人差し指でくるくると円を書きながら撫でていた。


「え・・・?」


いやいやいや!玉蘭さん、それってちょっと・・・!?


(色仕掛けじゃないですか――――――!?)


「まったく・・・お前という奴は・・・!」


困った奴だと言わんばかり、その手を両手で何度もさする鐘竹民。それで機嫌を直してしまった。そして、そうなるのを見届けてから義烈は口を開いたのだ。


「それでは、そろそろいかねばなりませぬので・・・!」

「うんうん。励めよ!」


デレデレと玉蘭を見つめながら言う宦官。

そんな相手に、恭しく頭を下げる義烈。それに合わせて、林山達も頭を下げた。

そして、その宦官の横を通り過ぎる際、再び義烈は相手の袖に何かを入れた。


「日が昇る前に戻るように。いつも通りにすればよいからな!」


後ろから、上機嫌な男の声を受けながら、林山は確信した。


(・・・・・・袖の下を使った。それも二度も。)


不正行為を目の当たりにし、義憤が沸き起こる青年。

賄賂を使うことは、珍しいことではないが、やはり納得ができない行為ではあった。

武術の師である厳師匠でさえ、『賄賂』という行いには顔をしかめていた。


“まあ、相手のお節介から逃れるのには、最上の策といえば最上の策だがな・・・。”


完全否定はしないにせよ、歯切れが悪そうに語っていた。


(・・・今の現状を思えば、金目のものを渡すことで余計な詮索をされないのなら、賄賂という行為を納得するしかない・・・か。とにかく、これで第一関門は―――)



「第一関門は突破したな?」


林山の心の声に合わせるように、いつもの口調でいつもよりも小さめの声で温烈こと凌義烈は言った。


「賄賂は楽でいいな~?特に今回は、テメーの懐を痛めてないからなぁ?」

「・・・私がご用意したものですからね、温烈様?」

「それを使う段取りをしたのは私だぞ、華雲?どうだ、難なく入ることができただろう?」

「ああ・・・信じられないよ。」


嫌味で言った商人見習い役の言葉を、主人らしい口調で返す男。

それを林山は、ぶっきらぼうに言い返した。


「肩書き一つで、こんなに簡単に入れるなんて・・・。」

「言っただろう?えり好みしなけりゃ、入る方法はたくさんあるんだよ。――――宮中お抱え商人っていう肩書きを使えばな?」


歩みを緩め、自分と肩を合わせるように歩きなおしながら義烈は目を細めながら笑う。

義烈の言葉は、侠客の大親分の作戦は成功した。

そして思い知らされた。


(こんなに簡単に、宮中に入れるなんて・・・・!)


えり好みというわけではないが、身代わり以外にも、宮中に入り込む方法はあった。

宮中のお抱え商人に成りすますというのも、一応は考えていた。

しかし、あの時の自分達にそれは出来なかった。

いくら大商家と言っても、宮中で取引するほど家柄でもなければ、そういった「つて」もない。

ましてや、両家の両親の反対を押し切って都に来ていたのだ。

下手なことをすれば、『家の恥』として無理やり連れ戻されるだろう。


(・・・思いつかなかったわけじゃないが、実行できる状況ではなかったんだ・・・。)


本家本元の大商人の息子である自分が、商人見習いを演じるのはたやすい。

それは星影も同じである。

この方法を使えば、星影に自分の身代わりで後宮に行ってもらう必要もなかったかもしれない。

大事な友達を身代わりにするという危険な方法はとらなかった。

実行可能であればそうしていた。


(でも―――――――それはできなかった。)


星蓮の正確な居場所がわかっていればいいが、中の様子がまったくわからない場所へ行くのだ。

調べようにも調べられない場所へ乗り込もうと思った時、一か八かの短期的な作戦で星蓮を奪回するなどできない。

時間はかかるが、長期的な作戦で取り戻すのが無難だと結論付けたのである。

星影が自分と入れ替わろうと提案したのは、その場の思い付きで間違いない。

思い付きではあるが、最も確実な方法であったのは確かである。

なによりも、たった二人で行える策といえば、入れ替わり以外はなかったのだ。

それしか方法がなかったから、そうしたまでなのである。


(義烈ともっと早く会うことができていたら、星影に俺の身代わりなんてさせなかったんだが・・・。)


「運命とは、つくづく皮肉だ。」

「皮肉でもなんでもいいさ。これが、俺の商売だからよ。」


思わず口にした林山の言葉、軽くせせら笑いながら義烈が答える。


「覚えておきなさい、華雲。宮中には、一般人の出入りは禁止されてはいるが、限られた一部の人間・・・・そう、我々のような選ばれた商人は立ち入りを許可されているのですよ。」


周囲に悟られぬよう、商人らしい口調で語る大侠客。


「ぎ・・・温烈、様。」

「お前も、高貴な方々に重宝されるような商人を目指すのなら、心づけぐらいは心得ておきなさい。」

「はぁ・・・」


なんちゃって商人の言葉に、遠目で頷く林山。


(父上はどうしていたのだろう・・・。)


大商家の跡取りとして、今までさまざまな取引を任されてきた。その中で一つだけ、いまだにやったことのない仕事があった。それが、賄賂を扱うというものであった。

なんとなくではあったが、安家でも商売上、賄賂は使っていたと思う。

しかし林山の父は、息子に賄賂の使いかを教えてはいなかった。

むしろ、そういう汚い仕事はさせないようにしていた節があった。


(・・・元々賄賂を好まない方だからな、父上は。)


袖の下とは、きってもきれない縁を持つ商人。

それは、星影や星蓮のところでも同じである。

言ってしまえば、賄賂は商売につきものであり、当たり前の行為でもあった。

だから、義烈の行為にいちいち目くじら立てることはない。

そんな必要はないのだが・・・。


(そうは言っても、心を込めて品物を作ってくれた者達のことを考えれば、賄賂などというものは使いたくない・・・。)


だからかもしれない。

自分がいまだに、父から賄賂を使うという仕事を任されないのは。


そんなことを考える林山の目に、一人の男の姿が映る。


「あれは・・・?」


宦官だった。

見知らぬ宦官が、こちらを見ながらやってきていた。

これまで、何人かの宦官とすれ違ったが、みな、自分達を見ることなく素通りしていた。

それがここにきてはじめて、自分達を見ながら近づいてきたのである。

さも、こちらに用があるという顔をしながら。


「・・・鐘様の側近の方ですよ。」


ひどく丁寧な声でつぶやくと、足早に自分の横から離れる義烈。

そして、先ほどのように恭しく頭を下げてからその宦官と話し始めた。


(なにを話しているんだ・・・?)


「仕事の話しでございます、華雲様。」


そう耳元でささやいたのは、書生に化けた玉蘭だった。

突然の接近に、驚いて声の主を見る林山。

そこには、かすかな明かりに照らされ、見事な陰影を作り出した綺麗な顔があった。


「――玉ら、」

「玉山です、華雲様。」


有無を言わさぬ笑みを浮かべながら微笑む美女。そして意味ありげな言葉を口にした。


「・・・そろそろ、お仕事のようですわ。どうか、あまり方にお力を入れすぎませぬように。」

「それは―――――」


(星蓮に近づくということか!?)


目だけで問えば、相手は目を細めて小さく頷いた。


(会える!やっと星蓮に会えるということか!?)


胸に沸き起こる興奮を抑えようと、自分の主役の男を見る。当の本人は、宦官と二言三言交わすと、こちらを振り返りながら告げた。


「華雲、玉山、ついて来なさい。」

「え!?」

「――――はい、温烈様。」


戸惑う林山とは対照的に、即答する玉蘭。


「さぁ、華雲様。」


そして、先に進むよう林山を促したのだ。それを受けて林山も、止めていた歩みを進め始めた。


「では・・・。」


二人が動き出したのを確認すると、温烈は宦官と共に歩き出す。先頭を歩く宦官は満足げに懐に何かを入れていた。その動作に、林山は内心ムッとした。


(義烈の奴、こいつにも賄賂を渡したのか・・・。)


いつの間に?という気持ちもあったが、これ以上その行為について考えないことにした。

気にすれば気にしないし、大事な仕事の前に冷静さを失うようなことはしたくなかった。

しばらく歩くと、宦官は庭に面したある部屋の前で止まった。




「こちらでございます。」




案内された部屋は、ある程度の広さのあるよい場所だった。

高級な調度品が飾られており、つくづく、ここで宮中であると実感させらるほどの造りとなっていた。


「では、こちらでお待ちください。」


宦官は案内を済ませると、義烈にまた何か言ってからそそくさと部屋から出て行ってしまった。

完全に立ち去ったのを確認してから、最初に動いたのは玉蘭だった。





「さぁ、急いで。」





自分達だけになると、持って来た行李(こうり)から服を取り出す。

この日のために用意した黒衣の衣装。それを林山と義烈に渡しながら言った。



「ホント、あの物欲太りに誘われた時は、どうしようかとハラしたわ。」

「誘ったって!?やはりあれは――――――」

「口説いてたのさ!いやだね~スケベは。」

「ええ!?」



玉蘭の代わりに、茶化しながら義烈が答える。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!口説くって―――」


その言葉で林山は混乱した。


「あの鐘竹民という男は・・・宦官なんですよね・・・?」

「見ての通りだ。女官にでも見えたか?」

「見えるか!そうじゃなく、義烈!だって、宦官だろう・・・?宦官は――――」





「女を抱けない。」





笑いを含んだ声で玉蘭が言った。


「そう・・・一般的には、竿も玉もない宦官が、女を抱くなんてできないわ。」

「ちょ!?玉蘭さ・・!?」

「玉山です、華雲様?」


自分の過激な発言で赤面する若者に、妓女は笑みを作りながら告げる。


「いろいろ説明している間はないけど、これだけはいっておくわ。ここは、外の常識が通じない場所。外界から閉ざされた別の世界。」

「常識が通じない・・・別の世界??」

「そうよ。割り切らなきゃダメってこと。」


そう言いながら、顔を隠すための布を差し出す。


「今夜は、あなたにとって未知の連続だと思うけど、くれぐれも平常心と冷静さを失わないでね。何が起ころうとも。」

「玉蘭さん・・・。」

「玉山よ。私に何が起ころうとも・・・いいですね?」


にらむような目で語りかける相手に、かすかな殺気を感じる。思わず相手の顔を見れば、すでに殺伐とした気配は消えていた。


「とにかく着替えてくださいな。覗いたりしませんから。」

「・・・玉山・・・。」

「おーおー!やっと名前覚えたか?よくできましたっ!」


からかうように後ろから、義烈が林山の頭をグリグリとなでた。


「義烈・・・!?」

「まだ『温烈』だぞ?その名前は部屋を出てからな。ほら、着替えるぜ。」


そう言いながら、服を脱ぎ始める相手に、あわてて林山も腰紐を解いた。

横目で玉蘭を見れば、二人から見えない位置に移動していた。

義烈の部下は、しきりに外の様子を伺い、見張ってくれていた。

色合いの良い服から、漆黒の衣へと着替える林山と義烈。

腰に剣を下げてから、服と同じ色の布で鼻から口元を覆った。

互いの顔が隠れたところ、侠客の親分はくぐもった声で作戦について語った。


「じゃあ、後は手はず通りにするぜ。俺と星影は『月仙宮』に行く。超と袁はここに残り、周囲を巻くごまかしてくれ。」

「へい!」

「お任せください、お頭。」

「玉蘭は、いつも通り動いてくれりゃあいい。鐘のジジィも、上手くかわせよ。」

「もちろんよ。義烈こそ、ドジ踏まないで頂戴ね。」

「へっ!テメーに言い聞かせとけ!」


仲間の言葉に不適に答えると、義烈は林山に言った。


「いいか。何が起きても見ても、俺の言う通りに動けよ。妹が大事なら、今夜は俺に従え!いいなぁ・・・?」

「不本意だが、そのつもりだ。」

「テメッ!?」

「あら、よくわかってるってことじゃない?」

「一言多いんだよ、オメーは!」

「はいはい、ごめんね。せいぜい・・・・・怪我しないようにしてね、義烈?」

「・・・玉蘭こそ気をつけな。」

「星影も、無茶しちゃダメよ?」

「え!?あ、はい。大丈夫です。玉蘭さん達も、どうかご無事で。」

「フフフ・・・ありがとう。あなたの武運、祈ってるわ。」


片目を閉じながら、妖艶に言う美女。その姿に、林山はドギマギし、義烈はニヤニヤ笑う。


「おいおい。俺への対応と、ずいぶん差があるなぁ~?」

「だってこの子、スレてないもの?義烈なんて、擦り切れてるからね?」

「ホント口の減らねぇアマだな?行こうぜ、星影。」


苦笑すると、林山に声をかける義烈。


「ああ。」


こうして二人は、音を立てないように闇の広がる部屋の外へと出たのだった。









最後まで読んでいただき、ありがとうございます・・・!!




今更ではありますが、新年あけましておめでとうございます。

やっと、立ち直れました(大汗)


年を越してからのアップとなってしまいました。

おそらく今年も、マイペースで更新すると思いますが、それでも読んでいただけるという方、よろしくお付き合いしていただけると嬉しいです・・・(平伏)



小説の話として、林山・義烈・玉蘭が宮中に侵入しました。

今後の3人の行動にご期待ください。



※誤字・脱字がありましたら、お知らせください・・・!!ヘタレですみません・・・(土下座)

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