第七十一話 あの人がだんな様
修羅場に現れた武人は部屋の中を見渡すと、迷わず宦官の前へと移動した。
視界の中で、男がつけているマントがゆるやかに揺れる。
耳には、甲冑のきしむ音がした。
その姿に。
思いがけない人物の登場に。
星影の胸は高鳴った。
(衛青将軍・・・またお会いできた・・・!)
何か言おうと思ったが、突然のことに言葉が出ない。
そんな迷う星影をよそに、彼は再度口を開いた。
「一体なにをしているのですか?」
「え、衛青将軍!」
「あなた!」
大将軍の言葉に星影と平陽公主は同時に叫び、互いの声に二人は顔を見合わせた。
「な、なんで・・・!?」
「宦官風情が、何故わが夫の顔を知っているのじゃ!?」
「・・・・・・・・え?」
おっと?
オット?
良人?
・・・・夫?
「お・・・・?」
今なんて?
この人、夫って言わなかった?
え?夫って、あの夫?
その夫?
このおっ・・・・!?
おっとっとっとっ―――――――――!
もうちょっとで転びかけ・・・・・!
(じゃなくってっ!!)
混乱する自分に喝を入れると、大声で叫んだ。
「お、お、お、夫ぉぉぉぉ――――――――!!?」
夫って!!?
(ちょっと待って!まさか平陽公主の旦那様って――――――!?)
「衛青将軍だったんですか・・・!?平陽公主様の夫は・・・!?」
今までにない、これまで経験したことのない大きな衝撃が星影を襲う。
(そんな!衛青将軍が結婚してるんなんて!)
い、いやいや!
仮にも大将軍だし、結婚してて当然だとは思ってたけど―――――――
だからって!だからって・!!
(だからって、こんなオバサンとたくましい若者が夫婦ぅ!?)
聞き間違いじゃないよね・・・・!?
見るからに親子ほどの違いがある男女。
信じられない現実に、星影を場違いな金縛りが襲う。
「知らなかったのかい、林山?」
聞きなれた声と共に、見知った姿が目に飛び込んできた。
「琥珀っ!?」
友である王琥珀が星影の隣にいたのだ。
「おまっ!?どうして?いつの間に!?」
「間に合ってよかったよ。君が殺されていないか冷や冷やした。」
そう言って笑った琥珀の額は、汗で光っていた。
それで、急いで駆けつけてくれたことがわかった。
「いや・・・殺されてはいないけど、殺されかけてたよ。」
「それならこれ以上、無礼な発言は慎んだ方がいい。」
「私は別に―――――」
「そして、覚えておきなさい。平陽公主様と衛青大将軍がご夫婦であることを。」
「ふっ、夫婦って・・・・」
釘を刺しながら言う琥珀に、たじろぎながら星影は聞いた。
「あの夫婦か・・・?」
「夫婦にあれもこれもないと思うが?またまた、知らなかったみたいだね?」
お約束といわんばかりの呆れ顔。
そんな友に対して、小声で星影は問うた。
「それじゃあつまり―――――――夫婦なのか?」
「夫婦だよ。」
「それじゃあつまり―――――――初婚同士なのか?」
「いや・・・衛青大将軍は・・・初婚だが、平陽公主様は・・・・二度目でいらっしゃる。」
「衛青将軍が初婚で、平陽公主様は二度目!?」
「声が大きい!」
星影より声を潜めながら答える琥珀。
「最初は・・・高祖の信頼する家臣である曹参様の御愛孫(孫)でいらっしゃる曹時様に降嫁されたんだ。ところが・・・」
「死んじゃったの?曹時様?」
「生きてるよ。」
勝手に殺さないでくれ、と言いながら説明する琥珀。
「曹時様は、生きてらっしゃる。ただ・・・元々お体が弱くてね。それが原因なんだよ。」
「つまり・・・体が弱くて子が作れなかったから離縁されたとか?」
「そうじゃない!・・・お子には恵まれた。嫡子である曹襄様がいらっしゃる。」
「じゃあ、なんで?」
「曹時様が・・・重い病気にかかったんだ。」
「重い病気?」
「不治の病だよ。」
「不治の病・・・・!?」
衝撃な事実を知らされ、狼狽する星影。
「不治ってことは――――!?」
「・・・ああ、治らない。だから、離縁なさるしかなかった。その後、平陽公主様にふさわしい地位と力と容貌を兼ね備えた衛青大将軍と再婚されたのだ。」
「それは・・・平陽公主様のご意思で?」
「・・・そうらしい。事が事だから、仕方ないと思うよ。」
不治の病に犯された夫。
弱いとされる男と結婚し、離縁した平陽公主。
「それって――――――」
琥珀の説明を受け、星影は思った。
(病気の夫を、見捨てたってことじゃない・・・?)
自分が接してきた元・皇女の印象から、そう判断した星影。
(その上で、若くてたくましくて丈夫な夫に乗り換えたってか!?)
誰が決めた結婚かは知らないが、病人を見捨てるなんてどうかしてる!
(治らないから、ポイ捨てして『さよらなら』したってことじゃない!)
それを思うと、今まで体験したことのない気持ちが星影の胸に広がった。
「・・・・可愛そうだな。離縁なんて・・・・」
「林山・・・。」
「考えれば考えるほど、お気の毒だ。別れるしかなかったなんて・・・。」
曹時様が。
「・・・仕方がないよ、林山。平陽公主様もおつらかったと思うが・・・。曹時様も、平陽公主様のことを思って、納得されたことだし。」
そりゃあ、納得もするさ。
相手は皇族の娘。
逆らえば、身分はおろか、命さえも奪われる。
(つーか、私が同情してるのは曹時様であって、平陽公主じゃない!)
自分の言葉に、勘違いして返事をする琥珀に冷ややかな視線を送る。
そして、改めて問題の女を見た。
星影の眼に映った平陽公主は、宦官をかばうようにして立つ自分の伴侶を見つめていた。
元・皇女は、夫である衛青大将軍から、その肩越しから見える星影へと移った。
「・・・そうじゃ。衛青は、私の夫である。」
先ほど漏らした星影のつぶやきに答える平陽公主。
自慢げに笑うその姿が、星影の癪に触った。
琥珀からの、妻からの言葉を聞いても、納得できなかった星影は再度問いかけた。
「平陽公主様と、衛青大将軍は・・・ご夫婦だったんですか・・・?」
「聞いていなかったのか?衛青はわらわの夫であり、わらわは衛青の妻である。」
「あ、あの・・・本当に夫婦なのですか・・・・?」
信じられなくて、思わず口にする星影。
それを聞いた途端、平陽公主は真っ赤な声で怒鳴りつけた。
「な・・・無礼な!夫婦でなければなんだというのだ!?」
親子にしか見えません。
と、心の中で言う星影。
さすがに口に出しては言えない。
その行為に、星影の本能が危険信号を出したからだ。
「いえ・・・なにも。」
思わず視線をそらす。そんな星影の心が読めたのだろう。平陽公主は大声で言った。
「誰か!誰かおらんのか!?すぐにこのものの首を刎ねなさい!!」
「え!?」
「平陽公主様!?」
だから約束が違うじゃん!?
「待ってください!それでは本当に約束が違いますよ!?」
「なにが約束じゃ!無礼者をわらわが許すと思ったか?」
「あんまりですわ、平陽公主様・・・・!いつも平陽公主様は、そんなお方ではないのに!あまりの変わりようですわ!」
(いや、あの皇帝の姉だから元々こういう性格・・・つーか、これが本性だろう。)
嘆く玲春の側で、そんなことを考える星影。
「旦那様も、そう思いませんか!?」
その少女の言葉を受け、夫である衛青は再び口を開いた。
「玲春の申す通り、安林山殿を城門に首だけでさらすことはできません。」
「なんじゃと?」
「・・・いくらあなたが、彼を殺すと言ってもそれは不可能だからです。」
「不可能?」
「ええ。この安林山殿は、陛下の覚えもよく、とても優秀な人材です。それゆえ、彼の処刑など、あなたの弟君が許すはずがありません。」
「では・・・・夫君が、許さぬというのはどういう了見で?」
「ある程度の話は聞かせていただきました。・・・・茶器とは消耗品。割れたのでしたら、私が代わりの物を用意させましょう。もし、私の紹介や見立てで不満のようでしたら、あなたがお好きなようにお選びください。幸い、今回の戦で出た褒賞がありますので、あなたの好きなものをお選びになってください。」
「まぁ!?つまり夫君は、妻であるわらわが侮辱を受けたというのに、それを我慢しろとおっしゃるのかしら?大事な茶器を壊され、傷ついているわらわを慰めもせずに、宦官風情の味方をすると?」
不快を露にした表情と声を出す平陽公主。しかしその目は、どこか困惑していた。
「・・・あなたが、傷ついているのはわかります。だからこそ、無意味な行為をして、人の命を奪わないでほしいのです。」
「安林山を殺すことが無意味だと?」
「無意味です。それは、私の知るあなたではない!」
それまでの口調とは一変し、きつい口調で断言する。
「あなたが、どうしても安林山を殺すというのならば、私は全力で彼を守るだけです。」
「あなた!?」
「衛青将軍!?」
「旦那様!」
「そもそも、一度は許すと言いながら、虎をけしかけて戦わせるなど、気高い皇女のすることではありません。」
「あら?なぁ〜に?私に落胆したとでも?」
「悲しいだけです。」
真顔で答える大将軍に、平陽公主をはじめ、星影も意表をつかれた。
「落胆よりも悲しい。私の知っている人ではないので、悲しい・・・・ただ、それだけです。」
(・・・この人は、本音で話してる。)
嘘を言っていない。
本気で悲しんでいる。
妻がしたことを。
「あなた・・・どうして!?この者は私が大切にしていた茶器を割ったのですよ!?」
「壊れた茶器よりよい品を選べるようにしましょう。茶器だけでなく、着物や耳飾、首飾りにかんざし、なんでもあなたの望むものを贈りましょう。」
「あなた・・・は!」
怒るような、慌てるような声。その表情はどこかもどかしそうなものだった。
「どうして・・・なんでこんな宦官を庇うのじゃ!?」
「あなたこそ。何故、そこまで彼にこだわるんですか?」
「別にわらわは―――!」
「意地になっているだけじゃないんですか?」
衛青将軍の言葉に彼女は黙り込む。
それまで高慢だった平陽公主だったが、夫である衛青将軍の登場によって事態は一変する。
「・・・あなたは、この者が安林山だから、陛下のお気に入りだから庇うのでしょう?」
「相手が誰であるからと庇うというわけではありません。私は、あなたを卑怯者にしたくないだけです。」
「卑怯者!?わらわが!?」
「仮にも、皇帝の姉ともあろうお方が、平気で約束を破るなど、人の道で最もしてはいけないことです。」
「無礼な!」
「そう言われてもかまいません。あなたは、怒りに心を支配されているだけ。ここは私に免じて、2人を許しておあげなさい。」
「下賎の癖に、わらわに指図する気かっ!?」
「え?」
下賎?
星影が漏らした言葉を、怒り狂う女主人は聞き逃さなかった。
宦官を見つめながら、あざ笑うように言った。
「そうじゃ!この男は――――――元は、酪農をして暮らしていた奴隷!下賎中の下賎であり、姉が弟の皇后になったからこそ、わらわと結婚し、今の地位を得られたような者!わらわとて・・・弟の、皇帝の命でなければ、このような汚らわしい男を夫になどしない!」
「なっ!?」
「まぁ・・下賎は下賎同士、馬が合うのじゃろう・・・!成り上がり者の癖に、わらわに大口たたくなど、身のほど知らずもそっくりじゃ!」
ブチッ。
「――――――――――何てこというんだ!?」
我を忘れたとは、このことを言うのだろう。
「あんた・・・!何てこと言うんだよ!?」
なんで!?
「あ、安様!?」
「貴様・・・!わらわに、ようもそんな口・・・」
「皇族だからって、誰でも頭下げると思うなよ!皇族なら、みんなのお手本になるのが普通だろう!?」
なんで、そんなひどいことを平気で言えるんだ!?
「安様!おやめください!」
「お手本が聞いて呆れるわ!あんたのしてることは、悪い手本以外の何者でもない!なんで、そんなひどいことが言えるんだよ!?」
みんなの見てる前で、自分の夫を侮辱できる!?
「馬鹿か貴様?貴様に言ったのではないのに、なにを怒っている・・・下賎殿?」
「怒るさ!本人でない他人が聞いてひどいと思うんだ!本人が傷つかないわけがないだろう!?なんで、そんなこともわからないんだよっ!!」
人を傷つける言葉を平気で言えるんだ!?
叫んだと同時に、近くにあった手すりにこぶしを当てる。
手加減なしで、力任せにたたく。
辺りに嫌な音が響いた。
「ひっ!?」
「きゃ!?」
馬瞭華や玲春、他の女性達の悲鳴で我に返る。
「あ・・・。」
見れば、元・手すりらしい残骸があたりに散らばっていた。
(ヤバイ・・・・。)
いろんな意味で、自分が失態を演じたことを知る星影。
そっと、言い争っていた相手に目をやれば、見開いた両目を自分に向けていた。
「貴様・・・!一度ならず、二度も三度も・・・」
「平陽公主様にたてつく気ですか!?」
興奮気味に、ねえやが問いかける。それに、なんとか場を取り繕うと星影は口を開く。
「いえ!たてつくとか、逆らうとかではなく、何でそんなひどいことをおっしゃるのかと・・・・!」
「事実を申して何が悪い?」
星影の問いに、悪びれた様子もなく即答する平陽公主。
「下賎生まれは、どんなに出世しても下賎の風格は変わらん。わらわは、そう述べただけであって、傷つく言葉など一言も言っておらん。」
「なんですって・・・!?」
「それをお前は安林山・・・なにを聞いてるのじゃぁ?馬〜鹿かぁ?」
わざと心配そうな声で言うと、声を立てて笑う女。
――――――――――――――――このババア!!
(殺してぇ・・・!)
腹の底から熱い何かがこみ上げてきた。
あの時と、郭勇武に本物の安林山を馬鹿にされた時と同じ気持ちになる。
そんな状態で、一歩前に踏み出した時だった。
「ええ、あなたのおっしゃる通りです。」
「え!?」
その声で、胸に渦巻く熱い怒りが消える。
「衛青将軍!?」
いつの間にか、隣に立っていた男。彼は、目だけで星影を見ると、視線を自分の妻に向けながら言った。
「あまり、からかわれないでください。彼は、まだ宮中に来て日も浅いのです。あなたのお戯れに戸惑うしかありませんよ。」
戸惑うって!?
(私は怒ってるんですけど!?)
そう思って衛青を見れば、彼は星影を見ていた。顔をこちらに向けながら口を動かした。
「彼女の申す通り、私は生まれながらの下賎・下級の者。それを知らないというのは・・・少し驚きましたよ?」
(笑った・・・?)
自分を見る目が、かつて見たものと同じだった。無表情に近い表情の中で、目だけが柔らかく笑ったように星影には見えた。
「え?いえ・・・あの・・・」
「ですが、そんな下級層ですら、道理の良し悪しはわかります。」
彼がそう述べた時、その視線は元・皇女へと戻っていた。
「なんじゃと・・・?」
「私を夫に迎えなざる得なかった、あなたの苦悩は理解しています。ですが、今の問題はそこではない。私は、夫として妻であるあなたに、約束を守っていただきたいだけ。それだけなのです。」
顔色を変えることなく、変わらぬ口調で告げる。
誰が聞いても、怒るはずの言葉に、穏やかな口調で返す男。
「それに、あなたが許さないと言っても、安林山と徐玲春の罪は許されます。」
「どういうことじゃ・・・?」
「間もなくこちらに、いらっしゃるからです。」
「いらっしゃる?」
誰が?と、聞こうとした時だった。衛青将軍の背後が騒がしくなる。
「林山!」
ここでの自分の名を呼ぶ慌しい声。それに重なる足音。
衛青将軍の後ろの兵が一斉に左右に分かれる。中央に道を明けた。
その道を通って現れたのは―――――――
「林ざぁ――――――――――ん!!」
高貴な服装を乱しながら、駆け寄ってくる最高権力者。
「へ、陛下ぁ!?」
(こ、昏主がきた―――――――――――!!?)
星影の苦手な漢帝国七代目皇帝・劉徹だった。
※最後まで読んでくださり、ありがとうございます・・・・!!
衛青と平陽公主の馴れ初めって、結構単純だったりします。
平陽公主の再婚相手を選ぶ際、皇帝の姉であるので、慎重に相手選びをしました。
その際基準とされたのが、【身分があり、人間的に優れた、知名度の高い男】というもの。
結果、選ばれてしまったのが『衛青』でした。
平陽公主からすれば、衛青は自分の家にいた『衛』という召使女の息子。
召使の子供を旦那にする。おまけに年も、自分よりかなり年下。
実際、二人がどういう夫婦関係だったのかはわかりませんが、衛青の性格を考えれば、敬意を払って大事にしていたと思います。
ある個人サイトさんでは、
『自分の家の召使の息子をだんなに迎えた平陽公主だが、そんなにイヤではなかったと思う。衛青の姉は美人だったので、その弟である彼も美男であったと思うから、年下の美男子を婿にできのだから嬉しくないはずはない。なんせ平陽公主は、病弱な夫がイヤで離縁していたので、若くたくましい新しい夫に満足していた思う。』
という会見を出されていました。
それを拝見し、私も強くそう思いました(笑)
ただ・・・個人的には、皇帝の命令で、拒否権なしで結婚させられた衛青が可哀想だと思ってたりします(苦笑)
※誤字・脱字がありましたら、お知らせください・・・!!ヘタレですみません・・・(土下座)