第四十二話 星影の過去
抜いたかんざしを髪に挿しながら、喬夫人は語りかけるように言った。
「鬼畜男に、『娘を渡さない限り、お前達の平穏は来ない』と脅され続けましたわ。それは、言葉だけでは終わりませんでした・・・。仕事の邪魔をされ、取引の荷を盗まれ、我が家の使用人達に乱暴をふるいましたの。」
「おかげで、使用人や取引先が逃げたそうですな?」
「・・・ええ。相手が山賊という職業の方でしたので、一般の方々は恐れおののき、私達から逃げていきました。」
「手がつけられずに、ずぐにお手上げ状態になったんでしたかね?」
「そうでもないのですよ?最初の頃は、武芸者の方を護衛として雇ったり、役所に訴えて、鬼畜男達に対応しましたわ・・・。」
「しかし、武芸者も役人も役には立たなかった。武芸者はことごとく倒され、なかには殺された者もいたそうですな?それは、役人に対しても同じ・・・。もっとも、役人の場合は、殺される前に、劉家から手を引いたそうですが・・・。」
「護衛として雇った方には、本当に申し訳ないことをしました・・・。私達のせいで、命まで奪われてしまうなんて・・・!お役人の方に、死者が出なかったのは、唯一の救いでしたわ。」
「出なかったのではなく、出さないように鬼畜男が指示したんでしょう?無頼者の武芸者を血祭り上げれば、それとなく、役人でもかなわないと印象付けられますからな。」
「・・・飛龍先生は、そう思われるのですか。」
「わしはそう考えますよ。見せしめで殺せるものを、殺さずに生かしておいたんですよ、山賊共は。それは、奴らのその後の動きを見ればわかると思いますぞ?」
「そうかもしれませんね・・・。」
「奴らの汚いところは、公的な機関の助けがないと、見せ付けた上で、抵抗した劉家に対して報復活動を行ったことです。劉家とは無関係の人間に危害を加えるという・・・薄汚い手段を使ってね・・・・!」
飛龍の言葉に、寂しそうに喬夫人は呟いた。
「・・・正直に申し上げますと、娘を手に入れるために、無関係な藍田の方々に危害を加えるとは思っていませんでした。・・・まさか・・・お役人にまで、暴行を加えるとは思いもしませんでしたから・・・。」
「お役人だけではないでしょう?星影の婚約者であった関の若様にも、八つ当たりをしたじゃないですか。・・・家を焼いたそうですな?」
「・・・別宅の方を、放火したそうです。証拠はなにも見つかりませんでしたが、関家からの使者の方から、そういうご指摘を受けましたから・・・。」
「その結果、星影は婚約を解消されてしまったんでしたね・・・・。」
低い声で言う飛龍に、喬夫人も同じような声音で答えた。
「本当に関家には、ご迷惑をかけてしまいました。元々・・・身分的な違いがありましたし・・・今では、縁がなかったのだと思っております。」
「そうでしょうかね?単に、面倒に巻き込まれたくなかったんじゃないですか?星影の婚約者の家柄は、家柄や名誉を大事にされるお家だったんでしょう?」
「それは・・・。」
「情けない話だ・・・!婚約者一人守れずに、見捨ててしまうなど、情けない男だ!そんな弱虫とは、縁がなかったと考える方が正しいでしょう。」
「飛龍先生・・・。」
「しかし、もっと情けないのは、あなた方被害者の見方をする人間が、藍田にいなかったということだ!」
大きめの声で叫ぶと、部屋の中を見渡しながら飛龍は言った。
「劉家に非がないにもかかわらず、気づけば藍田の人間があなた方の敵になっていた・・・!人々はこぞって、『劉家の娘が、山賊の嫁にならないのが悪い。』と、非難するようになったんでしたな・・・!?」
「・・・仕方ありませんわ。劉家で雇った武芸者でも、歯が立たなかった相手です・・・。お役人の方々でさえ、あの獣共を捕らえようとして大怪我を負ったのですよ?私達のせいで、みなさんにご迷惑をおかけしたのですから・・・。」
「だからと言って、鬼畜男共に尻尾をふるなど、こんな馬鹿な話はない!可愛い娘のために、どんな嫌がらせに耐え、星影達を守り続けるあなた方を悪者扱いするなど・・・・馬鹿もいいところだ!」
「ですが・・・」
「相手が諦めることを信じて、我慢している人間に対して、これ以上の嫌がらせはないでしょう?とばっちりを食らうからと言って、被害者である劉家の人々を悪く言うのはおかしい!」
「飛龍先生・・・!」
「いくら勝てないからと言って、庶民を守るはずの役人まで、一緒になって山賊の味方とは・・・!誰が賊か、まったくわかりませんなぁ〜!?ここにも、いらっしゃる何人かは、特に身に覚えがあるんじゃないですかね!?」
皮肉る飛龍の声が部屋に響く。彼の言葉で、部屋はさらに気まずい雰囲気になる。
「ハッハッ・・・とんだ傑作ですな?役人でもかなわないとわかると、藍田の人間は、獣達に味方するようになったんですからねぇ・・・!」
「おやめください、飛龍先生!事情はどうあれ、誰彼かまわず危害を加える相手に、立ち向かう人などいませんわ・・・。危険を顧みてまで、私達を助けてくれる方なんて――――――いえ・・・いるにはいましたが―――――・・・・。」
「いたるにはいたが・・・到底、あの賊共に勝てるほどではなかった、でしょう?・・・当時の林山の力でも、あの連中は、少々荷が重すぎたと思いますぞ?」
飛龍の言葉に、かすかに丁夫人が反応する。そんな林山の母を彼は見なかった。見なくても、どういう顔をしているかはわかった。
「・・・今思えば・・・林山が、星蓮殿を好きだったのは、あの頃からだったんでしょうね・・・。」
「いつから惚れておったのか知りませんが、好きだったのは確かでしょう?結局は負けて、ボロキレ状態で放り出されたんですからね〜」
唇をかみ締めながら言う丁夫人。そのの言葉を、クックッと、声を立てて笑いながら聞く厳飛龍。息子の師匠の態度に、丁夫人は殺気立ったが、彼は知らん顔をする。そして、気にすることなく話し続けたのだ。
「びっくりしましたよ〜道の真ん中で、若者が傷だらけで倒れていて、その両脇に美少女が二人もいたんですからな!あの時は、若者の傷の手当てよりも、美少女二人をなだめるのに苦労しました。」
「ええ・・・。飛龍先生が、星影達を助けてくださったおかげで、娘二人は、鬼畜男の元へと行かずにすみましたわ・・・。」
「いやいや!困っている娘を見捨てるわけにもいかんでしょう?まぁ・・・最初は、かなり驚きましたよ。『獣を倒したいので、武術を教えて下さい。』と、頼まれた時は。いのししでも仕留めたいのかと思いましたぞ。」
「私も驚きましたわ・・・。飛龍先生が、本当に武術を教えてくださった時は。」
「とんでもない!衣食住を保障され、もてなしを受ければ、無碍にも出来んでしょう?もっとも、短期間で武術を習得した星影に、わしが驚かされましたがね?」
「飛龍先生の教えを受け、山賊とあの子は戦い、みごとに勝ったのですから。」
「あれはびっくりしましたな〜役人ですらてこずる獣達を、十四の娘が叩きのめして、捕まえてしまったんですからね。」
「はい・・・。おかげで、藍田の悪は一掃され、薄汚い者達に、娘を奪われることなく、すみました。」
「・・・その代わり星影は、山賊と戦って勝ったこと女傑として有名になったんでしたな?」
優しい声で飛龍が言えば、喬夫人は声を震わせながら言った。
「・・・星影には・・・かわいそうなことをしてしまいました・・・!あの子の手を汚してしまったんですから・・・!」
「遅かれ早かれ、汚れ物になる運命だったんですぞ?貞操を守り、悪漢達を追い払ったのですから、星影のやったことは立派ですよ。」
「ですが・・・親として、子を守ってやることができませんでした!おかげで星影は、藍田でも一人、浮いた存在になってしまってしまいました・・・!」
「英雄とは、人から理解されにくいものです。星影は、そういう星の下に生まれた子でしょう。」
「英雄って、飛龍先生・・・あの子は女の子ですよ!?男ではなく、女の子です!」
「いいじゃないですか、女の英雄というのも。」
「いいことばかりじゃありません!山賊を倒した怪力女として、あの子は、縁遠くなってしまったんですよ!?」
「まぁまぁ。先は長いんですから。長期戦で行きましょう。きっと、星影にもいい相手が見つかりますよ。」
「長期戦って・・・!あの子はもう十七ですよ!?あと5年以内に、相手が見つかると言うのですか!?」
喬夫人の言葉に、飛龍は困った笑みを浮かべる。当時の中国での女性の結婚適齢期は、七〜二十二歳とされていた。つまり、七〜二十二歳の間に婚約・結婚をしない女性は、【身体的な問題がある。】とされ、差別の対象となったのだ。また、婚約中に相手の男性が死亡した場合は、肉体的なつながりの有無に関わらず、【未亡人】とみなされ、女性としての価値が下げられたりしたのだ。
「山賊を倒してから、あの子宛に届いた話といえば・・・皇族からのお誘いくらいです!!」
「え!?皇族から!?」
目を丸して言う飛龍に、喬夫人は渋い顔をしながら言った。
「そうです・・・!皇族の方から、星影の話を聞き、是非我が家に来て欲しいという申し出を受けました。」
「初耳ですな!?いつの話ですか!?」
「・・・忘れました。お断りをしたお話ですから・・・!」
「断った!?なぜですか!?皇族なら、それなりの生活が出来ますぞ?あ!もしかして・・・正妻としてのお話ではなかったからですか?」
「・・・違います。」
「あ、それもそうですな・・・。皇族が、商家の娘を貰いたいといえば、良くて側室でしょうね〜!?」
「側室ではありません。」
「あ、そうです・・・。と、いうことは〜妾としてのお話だったんですか?そりゃ、お断りしますよね。皇族とはいえ、大商家の娘を妾になど・・・!」
「妾でもありません。」
「あ、そうなんですか?そうなると・・・侍女として来てくれとかですか?子供の世話係りとして入れて、何年か経って、息子が気に入れば、その側室にしようとかいう・・・!」
「まったく違います。」
「・・・では、なんと?」
すべての可能性を否定され、返事に困る飛龍。そんな彼の側に、小走りで星影の父が近づくと言った。
「飛龍殿・・・皇族の方から、星影を貰い受けたいという話が来たのは事実です。」
「では・・・何故、お断りしたのですか?いやいや、それも気になりますが・・・やけに喬夫人の機嫌が悪くありませんか・・・?」
「悪くもなるでしょう・・・結婚話ではなかったんですから・・・。」
「結婚話ではない?」
劉家主人の言葉に、きょとんとする飛龍。そんな相手に、星影の父は深いため息と共に言った。
「星影に来た誘いは、側室に、妾に、侍女にともいうものではありません。」
「・・・なんの誘いだったんですか?」
「その皇族の方の、『妻女の女護衛として貰い受けたい』というお話だったんです・・・!」
「護衛っ!?」
「豪遊無双の娘の話を聞き、是非とも貰い受けたいと・・・!」
「・・・つまり、美貌ではなく、武力を買われたと・・・?」
「買われておりません!そのお話はお断りしたんですから!!」
飛龍の呟きに、涙を浮かべながら喬夫人は言った。
「悪く言えば、用心棒の誘いだったんです!!『給金は、男の護衛と同じ額だけ出す。死んだ時は、見舞金もしっかり出すし、葬儀もこちらがすべて出すから。』と・・・!こんな馬鹿な話がありますか!?」
「星影が聞いたら喜びそうですな。」
「そうでしょうとも!ですから、あの子の耳に入れておりません!!」
そう言うと、わっと、声を上げてなく星影の母。
「こんなことなら・・・!鬼畜男達の退治を、飛龍先生にお任せしていれば・・・!」
「いや、わしはやる気だったんですが・・・星影がねぇ・・・。」
「星影が自分で倒すと言った時、もっと反対していればよかった・・・!」
「ちょっと、難しいと思いますぞ。」
「藍田以外から・・・都の方に人をやって、腕の立つ用心棒を探すという手もありましたのに・・・!」
「それは金と命の無駄でしょう。藍田の用心棒でも歯が立たなかったんだ。いくら都が優れた場所と言っても、必ず優れた者ばかりとは限らんよ。」
「そうかもしれませんが――――・・・!」
「それに、星蓮は無事に婚約できたじゃないですか?」
「・・・婚約は出来ましたが、あの子は林山殿と一緒にはなれませんでした・・・。林山殿が婿になってくださった時、私も娘もどんなにありがたかったか・・・!」
「桜華さん・・・!」
声を押し殺す喬夫人に、戸惑い気味に丁夫人は声をかけた。そんな相手に、少しだけ口元を緩めながら星影の母は言った。
「す・・・すみません・・・取り乱してしまって・・・!皇族からのお話を思い出したら、つい・・・心がかき乱されてしまって・・・。」
「いいんだよ、桜華。傷ついたのは、お前だけじゃない。私も同じだよ。」
「そうですぞ。可愛い娘を用心棒にと言われ、死ぬことを前提で誘われれば、どんな親でも怒りますよ?」
「飛龍先生・・・。」
「飛龍殿の言う通りだ。いくら皇族の方でも、言って良いことと悪いことがあるからな。」
「そうですわ、桜華さん。気になさらないで。」
「星影殿は、悪くありませんよ。大商家の娘を捕まえて、用心棒など・・・言う方がひどいです。」
夫や、安家夫婦から優しい言葉もあり、涙を拭きながら言った。
「ありがとうございます、みなさん。本当に、申し訳ありません・・・!」
そう言って、謝る姿はいつもの喬夫人だった。彼女は身だしなみを整えると、林山の母である丁夫人を見ながら言った。
「丁夫人・・・。同じ母として、あなたのお気持ちはわかります。ですが私は・・・話も聞かずに、飛龍先生を悪とは思えません・・・!」
「桜華さん・・・。」
「藍田の人間が全員敵になり、娘を人柱として要求された時、私達は死を選ぼうとまで思いましたの。そこへ、飛龍先生が現れたのです・・・!」
「でもね、桜華さん、」
「あの時星影は、飛龍先生から武術を習って、自分で続を倒したいと言い張りました・・・。私や旦那様が反対しても聞かず、飛龍先生が『脅迫』してもそれに屈せず・・・!」
「桜華さん。」
「すみません、喬夫人。『説得した』と、言っていただけませんか?」
「結局・・・星影のわがままを、飛龍先生が聞き入れ、あの子が飛龍先生の代わりに賊と戦ったのです。そして、あの子は勝負に勝ち、自分と妹の操と藍田の平和を守ったのです。」
「ちょ・・・喬夫人。わしの話、聞いてますか?」
「・・・ええ、もちろんです。だから私、今回のことと三年まえのことは・・・同じではないかと思うのです・・・。」
「同じ・・・ですか?」
不思議そうに尋ねる丁夫人に、喬夫人は顔を上げながら言った。
「あの時飛龍先生は、星影のわがままを聞いてくれました。あの子に良いように、便宜を図ってくださいましたわ。だから今回のことも――――――」
「今回のことも?」
「なんらかの便宜を図ってくださった、と・・・私は信じております。」
「桜華さん・・・!」
「桜華。」
「喬夫人・・・。」
「飛龍先生・・・私にとって、先生は神とも思える存在なのです。それは、今も昔も変わりませんわ。」
「神などと・・・わしは、変わり者の人間ですぞ?そうやって、褒めていただいたところで・・・・お宅のご息女をお返しすることは出来ませんが?」
「お戯れを。娘はいつも申していました。『厳師匠は、変わり者は変わり者でも、常識を持って生きている変わり者!』だと・・・。」
「常識を持つ変わり者・・・?」
「あの子が、どういう意味で言っていたのかわかりません。ですか、飛龍先生が、あの子の人生を変えたお方であること確かですわ。」
「ま、まぁ・・・女武人にしてしまいましたからね・・・。」
「星影が信用し、信じているお方ですよ、飛龍先生は。だから私も・・・・飛龍先生を悪く思うことは出来ませんわ。・・・・私は今回のことで、飛龍先生を信じていますから・・・・!」
そう言って、まっすぐな目で厳師匠を見る星影の母。彼女の言葉に、弾かれたように丁夫人が反応した。
「―――――待ってください!では桜華さんは・・・この男を、厳先生をかばわれるのですか!?」
「かばう、かばわないではなく、真実を知りたいだけです・・・私は。」
「桜華・・・!」
「喬夫人・・・。」
驚く周囲を気にすることなく、はっきりとした声で言う喬夫人。
(なるほど・・・こういう展開だったのか。)
どうなることかと母親達の話を聞いていた自分。
どうやら、丁夫人は厳飛龍を信じない、喬夫人は厳飛龍を信じる、という立場をとっているということを強調したらしい。確かにこのまま、劉家・安家の両家が、厳飛龍を悪と決めたままにすれば、どちらかの身内が役所に訴える可能性があった。訴えないにしても、なんらかの罪をでっち上げて消そうとするかもしれない。
・・・自分達の当主に、取り入るための手段として。
そうならないためにも、両家のうちの誰かが、厳飛龍の味方である必要があった。
(普段の行いも考え、わしに味方しそうな喬夫人を味方役に選んだということか・・・。)
驚いたな。そこまで考えて、筋書きを書くとは。一体、どちらの親が考えたのやら・・・。
驚きつつも、話の展開の良さに感心する厳飛龍。しかし彼が驚いたのは、話の流れだけではなかった。
(まさか、喬夫人が三年前の話を出すとは・・・な。)
星影の母が、昔話を出したことにも驚いていた。
初めて星影と出会ったのは三年前・・・・・・・旅の途中だった。
山道を歩いていた時、上の方から女性の泣き叫ぶ声が耳に届いた。
『この辺りは山賊が出る』と、立ち寄った店で言われていたので、剣の柄を持つと、迷わず声のする方へと走った。
女性が、山賊に襲われていると思ったのだ。
ところがそこにいたのは、傷だらけの少年と、少年の両脇で泣いている美少女二人だった。
賊がいないことに安堵し、近づいて声をかければ、美少女二人が大声で威嚇し始めた。
自分を警戒する二人をなだめ、名前を名乗ってわけを聞けば、彼女達は泣きながらこれまでの経緯を話してくれた。
役人が手を焼く山賊に、無理やり求婚されていること。
町の人間も役人も、被害縮小のため、姉妹に山賊の頭の元へ輿入れするようにと、町ぐるみで強引に迫っていること。
さらに、傷だらけの少年は、二人の姉妹を助けようと山賊に立ち向かい、返り討ちにあってしまったということ。
この話を聞いた時、わしの侠客として血が騒いだ。
薄情な周囲の人間に対する怒りと、無法の限りをつく山賊共を一掃しようと思った。
なによりも、哀れな二人の姉妹を助けたいと思った。
そんなわしに、姉妹の姉がとんでもない頼みをしてきたのだ。
「お願いでございます!どうか私に、武術をお教えください!!ここにいる林山の敵を取り、大事な妹を守りたいのです!」
・・・・え?
「だ〜か〜ら!山賊をぶち殺したいから、協力してください!!あいつらのせいで、婚約者まで逃げちゃったのよ!!おかげで、女の面子が丸つぶれなの!!絶対に、牢屋にぶち込んで、斬首にさせなきゃ気がすまない!!」
ぶち殺したいって・・・。わしに、代理で頼むんじゃなくて?
「私の問題を、他人任せにするなんておかしいじゃない!?他人を巻き込んで、怪我をさせたら申しわけないでしょう!?ですから、武術を私に教えてください・・・!!」
いやいやいや・・・!気持ちはわかるけど、無理だと思うよ。教えるにしても、時間がないと思うから、ここはおじさんが代わりに〜
「やる前から、決め付けないでください!!あなたが私に家に来て、付きっ切りで武術を教えてくれれば大丈夫よ!?それとも、他にあなたを先約してる人がいるの!?」
いや・・・気ままな旅なので、先約とかそういうのはないけど・・・。ほら、金銭的な問題もあるからさ、住み込みで教えるとなると、お金がねぇ〜・・・
「問題ないわ!私の家は、藍田でも有数の名士をしている大商家よ!!お金はきっちり払いますから!!だから私に武術を教えてよ!!絶対に、短期間で豪傑になるから!!」
そう言われても、一朝一夕で強くなれるもんじゃ――――・・・!
「嫌なの・・・?嫌だって言うの!?断る気!?可愛い美少女二人と、傷だらけの美少年が頼んでもダメ!?だったら、この場で死んででやるっ!!」
え?え・・?ちょっと!?えぇ!?お嬢様?ええ!?
「ここであなたが、私の申し出を断るなら、あなたの名前を体に刻んで死ぬ・・・・!!」
・・・・・なにを・・・手伝えばよろしいのでしょうか・・・?
「私に、鬼畜男共を、倒せるだけの武術をご教授くださいませ・・・!厳飛龍様・・・?」
・・・・・・・。
(・・・今思えば、あいつの男勝りな一面は、元々あったものなんだろうな・・・。)
猫を被ってたんだろうなー・・・
昔を思い出し、少しだけ黄昏る厳飛龍。
その一方で、途切れていた会話は、業を煮やした丁夫人によって再会された。彼女は、小さく咳払いをすると沈痛な面持ちで言った。
「桜華さんのお気持ちは、わかりました・・・。厳先生への質問が少し・・・悪かったみたいですね。」
「鳳娘さん?」
「丁夫人。」
「まあ・・・十歩譲って、厳先生だけが悪いという言い方は、少しよくなかったでしょうね。少しだけ変えましょう。」
(十歩しか譲れねぇーのかよ・・・。)
どれだけ、心が狭いんだ?
咳払いをする丁夫人に、無言の圧力をかける飛龍。林山の母は、そんな師匠を無視すると声を整えながら言った。
「それでは、桜華さん・・・いえ、劉家の方々は、厳飛龍を信じるということで良しとしましょう。劉家は、厳飛龍を信じる・・・ということで。」
「劉家は・・・?」
「ど、どういうことですか?丁夫人・・・!?」
戸惑う劉家夫婦に綺麗な笑みを浮かべると、ひどく明るい声で丁夫人は言った。
「安家は・・・絶っっっ対に!!厳飛龍師匠・・・・あなたを信用・し・ま・せ・んっ!!!」
「鳳娘さん!?」
「鳳娘!?」
「丁夫人!?」
「私は・・・!安家は絶対に、この男を信用しません!!」
そう言うと、フンと、鼻を鳴らしてそっぽを向く安家の正妻。そんな彼女に、劉家の正妻は上ずった声で聞いた。
「何故ですか、鳳娘さん!?どうしてそんなに・・・頑ななのです!?」
「・・・桜華さんには悪いですが、私には私の考えがあります!仮に、桜華さんが言うように、この男が便宜を図っていたとしても、林山は宦官にされたのですよ!?」
「それは・・・!」
「この書類が何よりの証拠です!厳飛龍のおかげで、林山は玉無しにされたんですよ!?尼と違って、伸びて元に戻るというわけではないのですよ!!?」
そう言って、役所から取り寄せた、安林山の宦官証明書の複写を見せる丁鳳娘。彼女の目は、怒りの炎で燃えていた。
「こんなものまでご丁寧に作って・・・・!どこまで安家を侮辱し、笑い者にすれば、気がすむというのですか!?厳飛龍っ!?」
「て、丁夫人、どうか怒りを静めてください!お気持ちはわかりますが―――――」
「そうですわね!伯孝殿!!同じ男として、切り取られる痛みを想像することぐらいは出来るでしょう!?」
「丁夫人・・・!」
「今まで、伯孝殿に気を使ってあえてなにも言わないでいましたが・・・今日という今日は言わせていただきます!!」
「お・・・おい、鳳娘!いい加減に――――――」
「――――――あなたは黙っていてくださいっ!!!」
本日、二度目のダメだしを夫にする丁夫人。そして、息子の師匠に向かって、小馬鹿にするような口調で言い放った。
「いくら、武勇に優れた指導者であっても、人間的にダメな人間はダメということです!!そんな人間が教える武術など、三流にしかなりません!!」
(『三流』だぁ・・・?)
丁夫人の言葉に、厳飛龍の目つきが鋭くなった。
演技とは言え、自分の教える武術が三流だと言われたことが彼の癪に障った。
武術を第一に考え、それを磨くために各地を修行してきた飛龍。それを三流扱いされたことが許せなかった。
いくら芝居で言ったことだとしても、武術を磨いてきた彼からすれば、それは冗談などには聞こえない。我慢しがたい言葉だったが――――――
(入れ替わり強奪作戦を、二人の両親は我慢して許したんだ・・・。わしがここで、短気を起こして怒るわけにはいくまい・・・!)
屈辱ではあったが、その暴言に彼は耐えた。そんな武術の師匠の心を知らない丁夫人は、それまで以上に怒り散らした。
「一所に腰がすえられない人間なんて、ろくな人物じゃありません!いくら周りが親切に仕事や住む場所を提供したって、こんな風に恩をあだで返されるんですよ!?今回のことが良い例です!!」
「鳳娘さん、それはいくらなんでも言いすぎでは・・・?」
「桜華さんからすれば、私の言い方は言いすぎだと思いますよ!ですがね、宦官の末路というのは惨めなもの!!私は林山に、宦官だけにはなってほしくありませんでした!!」
「鳳娘・・・!」
「いいえ!宦官という言葉自体、林山には無縁と思っていました!!それを〜・・・この三流武人がぁ・・・!!」
「なんということを言うんだ、鳳娘!厳師匠に失礼だぞ!?彼は仮にも――――!」
「『藍田を救った劉星影殿の師匠』!!そう、仰いたいのでしょう!?」
「わかっているならお前・・・!」
「ですから言わせていただくのです!!これ以上は私の我慢が――――!!ああっ!も〜う、腹立たしくて言葉にもならないっ!!」
「わ、わかった!わかったから落ち着いてくれ、鳳娘!!」
「そうですわ。落ちついいてください、丁夫人・・・!」
「鳳娘さん、少し休みましょう!?ね?ね?」
興奮する丁夫人を、部屋に集まっていた女性陣がなだめる。彼女達が、安家の正妻を抑えているうちに、安家の当主は冷や汗をかきながら弁護し始めた。
「誤解しないでください、厳師匠!私達はあなたのことを尊敬しています。だからこそ、息子の林山を先生の門下生にしていただいたのです。だから、先生のやり方に不満はありませんでしたが―――――・・・・」
「・・・今はそれがあると?」
「・・・。厳師匠が、あの子達に、正道ではなく邪道を教えましたので・・・。」
「わしが邪道を?」
「林山が、星蓮殿を深く愛していたことは知っています。男を捨ててまで、彼女に義理立てする気持ちはわからないこともありませんが――――・・・」
「お父上は、納得できないと・・・?」
「後宮に入ることは、女性にとって最高の名誉です。相手の幸せを思い、身を引くことも、一つの方法だったと思います・・・。」
「方法ですか・・・。」
安家当主・安癒遜の言葉に、厳師匠は顎鬚に手をやる。そんな相手に気にすることなく、安癒遜は話を続けた。
「林山が、桂蓮殿との婚約を破棄したいと言ってきた時、私達は反対しました。星蓮殿を認められないからではありません。道理に反すると思ったからです。」
「それを言うなら、星蓮の姉の行いも、道理に反すると思われたのでは?」
「た、確かに、星影殿は・・・・お転婆だとは思いました・・・。しかし、いろいろあって、その考えも変わりました。」
「でしょうな。ご両親が決めた婚約者が、ならず者を使って、邪魔な恋敵を消そうとしたのですから・・・!」
「飛龍殿!?」
「事実でしょう、星影の父君?もっとも・・・あれぐらいの襲撃でやられるほど、わしの自慢の弟子はやわではない!」
「あ、あの、なにもこの場で仰らなくても―――――!」
「遠慮することはないでしょう?この場に、自分の借金を帳消しにする代わりに、金貸しの一人娘と安家の跡取りの縁結びをした者達の身内がいたとしてもね〜!?」
「ひ、飛龍殿!」
慌てて、暴言を吐いた男の口を押さえる劉家当主。しかし、口を閉ざされても、その男の挑発はやまなかった。ハハァン!と、鼻を大きく鳴らすと、問題の人々へ、蔑む視線を送る厳飛龍。
(人の縁も、金で決める腐れ商人共が・・・!)
演技抜きで、この侠客は問題の一族をにらみつけた。林山と星蓮の婚約が決まってから、彼らは丁夫人から、縁を切られていた。そんな恥知らずが、この大事な親族会議に来ているということは、なにかしら裏があると彼は考えていた。言葉巧みに取り入り、丁夫人のご機嫌を取ろうとしているのだと。
(陪臣の種め・・・!貴様らが、この場にいるだけで穢れるわい!!)
口には出せないので、出さなかったが、そんなことを思いながら、軽蔑のまなざしを向ける侠客。この厳飛龍の動きに気づき、急いで顔ごと向きを変える劉伯孝。
しかし、劉家当主の心遣いもむなしく、部屋の中は険悪な空気で深まるのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
小説について、少し解説させてください。
主人公・劉星影の父が劉伯孝、母が喬桜華となっております。それに対して、親友の安林山の父が安癒遜、母が丁鳳娘となっております。一応、二人の親達が【厳飛龍】を呼ぶときの呼び方も微妙に違います。星影の父・劉伯孝が『飛龍殿』、星影の母・喬桜華が『飛龍先生』、林山の父・安癒遜『厳師匠』、林山の母・丁鳳娘『厳先生』と呼んでおります。
中国では生まれた子供は、父親の姓を名乗ることとなっているそうです。ちなみに、お隣の韓国でも、子供は父親の方の姓を名乗るそうですよ。