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第四十話 弟子が弟子なら、師匠も師匠

星影の父・(りゅう)(はく)(こう)の言葉に、その人物が答えることはなかった。そんな相手に、再度、劉家の当主は声をかけた。



「どういうことですか・・・厳飛(げんひ)(りゅう)殿?」



そこにいたのは、星影と林山の武術の師匠・厳飛龍だった。星影の父・(りゅう)(はく)(こう)の二度目の問いに、彼は閉じていた目を開ける。しかし、あいかわらず口を開こうとはしない。


「厳先生!一体どういうことですの!?林山に、私達の息子に、宦官の手術をしたのですか・・・!?」


林山の母・(てい)鳳娘(ほうじょう)の問いにも、この武人は黙ったままだった。なにも言わない厳飛龍の代わりに、星影の母・(きょう)(おう)()が答えた。


「残念ながら本当ですわ、鳳娘さん・・・。役所に行って調べてきましたので、間違いありません。」

「我々も、うっかりしていましたよ・・・。飛龍殿は武術だけでなく、医術にも()けた方だということのを―――――――忘れていました・・・!」


娘と息子の行動をとめようと、両親達は藍田にあるすべての尼寺と宦官手術専門の医者の元へ人をやった。事を(おおやけ)にしたくないため、秘密(ひみつ)()に張り込みを行った。当初は、すぐに見つかると楽観していた子供達の捜索。ところが、いつまで待っても星影と林山は見つからない。そして、時間だけが無駄に過ぎていった。焦りと不安に耐えた両家だったが、とうとう、星影の母である喬夫人の我慢が限界に達する。ただでさえ、娘の一人を誘拐同然で強引に奪われたうえに、残された娘まで一方的にいなくなってしまったのだ。不安定な母心は、焦りと心配の狭間(はざま)で、追い詰められてしまったのである。


「お願いします、あなた!星影の行方を、お役人の方に調べていただきましょう!」

「お前の気持ちはわかっているよ、桜華。だが、そんなことをすれば、我が家だけでなく、安家にもご迷―――――」

「私がすべての責任をとります!!安家の方への非難は、私が受けますから・・・!」

「桜華、少し落ち着きなさい。」

「落ち着いております!これが精一杯なのです!!」

「桜華・・・。」

「だからどうか・・・!どうか、私が(くる)う前に・・・!!・・・星影を、あなた・・・!!」

「・・・・わかったよ、桜華・・・。」


こうして、妻・喬夫人の訴えを、夫である劉伯孝が聞き入れ、役所に届け出たのだ。

この劉家の行動に対して、安家から非難の声は()がらなかった。何故なら、林山の母である丁夫人も、一人息子のことを思い、夜も眠れない状態だったからだ。【大商家】の家名ゆえに、騒ぎ立てるようなことをしたくなかった丁夫人。ただでさえ、息子の婚約者が二度も変わっているうえに、二度目の婚約者である劉星蓮が後宮に召しだされてしまったのだ。それだけでも、安家の面子は丸つぶれである。それに加え、『安家の息子は、婚約者を奪われたことで、宦官になろうとしている。』と、噂されれば、末代までの恥となる。この状態で、『親心』と『名家の妻』という立場の選択肢を迫られれば―――――・・・・・・安家正妻・丁鳳娘の答えは決まっていた。人一倍、自尊心と誇りの強い彼女は、『名家の妻』としての役割を果たさなければならない。手間や金銭的な費用がかかっても、公の場所に届け出ることはしなかった。どんなに息子のことが心配でも、家を守るためなら、つらい気持ちを押し殺して動かなかったのである。

だから劉家から、『責任はこちらで持つので、役所に届けさせてほしい。』という申し出をされた時、大歓迎のうちに受けたのだ。もちろん、丁鳳娘がそんな気持ちを、口にも態度にも出さなかったのは言うまでもないが・・・。



「娘の劉星影が、行方不明になったので探してほしい。」



林山が行方不明であることを伏せ、劉家は役所に捜索(そうさく)を依頼した。安林山の捜索を頼まなかったのは、星影の側に必ず林山がいると確信していたからだ。両家の両親は、二人が同時にいなくなったことから、星影と林山が事前に計画して姿を消したのだと考えていた。つまり、星影を通して探せば、芋づる式に林山も見つかると判断したのである。


その結果、役所に届け出たその日に、二人の行方はすぐに判明した。

両親達の予想通り、林山の行方も、星影を通してわかった。

しかし・・・ある点を除けば、予想通りではなかった。


「星影の失踪を役所に訴えましたところ、すぐにその行方を教えてくださいましたよ。あの子は、林山殿と一緒にいると・・・!」

「その事実(・・)をお聞きした時・・・あまりのことに、生きた心地がしませんでしたわ・・・。」


役人から聞かされたとんでもない【真実】

それは、劉家夫婦の、両家の予想にかなり反したものだった。



「『劉家の星影お嬢様は、安家のご子息と一緒に、都へ行かれたみたいですよ。』と・・・!」



林山が行方知れずになっていることは、公には伏せていた。それにかかわらず、その話をしてくれた人物は、林山が安家にいないことを知っていた。驚く劉家夫婦に、普段から交流のあるその高官の役人は、【安林山が宦官手術を受けた】という話をしたのだ。



「しかも、婿ど―――・・・いや、林山殿の手術を行ったのが、厳飛龍殿・・・・あなただと教えられたのですよ!?」



この話を聞いた劉家夫婦は、最初は信じられなかった。そんな夫婦に、話をしてくれた高官の役人が、あるものを見せた。それは、厳飛龍直筆の安林山の宦官手術を行ったという内容の書類だった。それを見て、ようやく現実を受け止めた星影の両親。大慌てで役所を後にし、その足で安家へと駆け込んだのだ。

知らせを待っていた安家夫婦は、この報告に狂乱(きょうらん)状態(じょうたい)となる。叫び狂う丁夫人を、喬夫人がなだめ、放心状態になった安家の当主を劉家の当主が介抱した。そして、なんとか動ける劉家夫婦の指揮の(もと)、厳飛龍を劉家に呼び寄せ、今に(いた)るのであった。


「飛龍先生、お答えください。何故、私達に知らせてくれなかったのですか・・・!?」

「そうですぞ!親である我々に無断でなんということを・・・!」


劉家夫婦の言葉に、厳飛龍は沈黙を守り続けた。そんな彼に、次第に周囲も苛立(いらだ)ちはじめる。ことのほか、丁夫人の苛立ちは激しかった。厳飛龍の前まで来ると、(にら)みつけながら言い放った。



「黙ってないで、なんとか言ったらどうですの!?」



丁夫人が怒るのも無理はなかった。大事に育てた一人息子を、よりによって宦官にされてしまったのだ。


「星影殿はまだいいでしょう!尼寺から出れば、いいだけなのですから!でも・・・林山はそうもいきません!!」


女性は、髪を切ることで尼になる。だから尼になっても、髪を伸ばせば、普通の女性に戻ることは出来た。しかし、宦官になった男子は、普通の男子には戻れない。大事な部分を切ってしまっているからだ。肉体的な問題から、普通の男性に戻ることは出来ないのである。


「私は、息子を大商家の跡取りとして育てました!宦官にするために育てたのではありませんっ!!それを―――――血筋(ちすじ)()やす宦官などに・・・・!!」


宦官になるということは、子孫を絶やすという問題もあるが、それだけではない。

宦官に限らず、後宮に入った者は、二度と後宮から外へは出られないのだ。それは、皇帝・皇族に関わる宮中での出来事を、外部に漏らさないための対策だった。秘密を守るために、生きて外に出すことはしないのだ。そのため、一度宮中に入った者は、原則として家族とは二度と会えない。つまり、永遠に会えなくなるということだった。


「あなたのおかげで、私達夫婦は、永遠に息子に会えなくなったのですよ!?どうしてくれるのですか!!?」


怒りを(あら)わにする丁夫人に、厳飛龍はようやく重い口を開いた。


「・・・本人の意思です。いくら親だからといっても、あの子達の人生をとやかく言う権利はないでしょう?」


冷ややかな口調で言う厳飛龍。それは、丁夫人を怒らせるのには十分な態度だった。


「人事みたいに(おっしゃ)らないでください!!(わた)(もの)のあなたと、私の息子は違うのですよ!?あの子は、安家の大事な跡取(あとと)りなのです!!」

「跡取りである前に、一人の人間でもあるのですよ、お母上殿。恋に生きる純朴(じゅんぼく)な男です、林山は。」

「あなたに、あの子のなにがわかるというのですか!?」

「各地を渡り歩いてきたからこそ、はっきりとわかります。・・・彼が、お母上で、かなり苦労としていることもね?」


からかい口調で言う厳師匠に、周囲の人間は固まる。


「苦労ぅ・・・!?わ・た・く・し・でぇ〜!!?」

「わしから見ても、そう見えますぞ。怖いぐらいに、息子への執着心が強くないですか?」

「ちょ・・・!厳先生!?」

「な、なんてことを・・・!」

「本当でしょう?いや〜藍田のご婦人は、いろいろと怖いですなぁ〜」


丁夫人を刺激する態度に、全員が凍りつく。気性の激しい彼女を怒られるとどうなるか、ここにいる人間はよく知っていた。だから、厳飛龍の行為は、火に油を(そそ)いだと言っていい。


「さすが・・侠客なだけありますわねっ!!なんて無責任で、お気楽な、いい加減な男なのでしょう!!?」

「ほ、鳳娘!?お前、なんてこ――――――!」



「――――――あなたは黙っていてくださいっ!!!」



丁夫人の一言・・・(ひと)(にら)みで、安家の主人は黙り込む。


「厳先生のような・・・・あなたのような、その日暮らしの人間と、大商家の跡取り息子では、身分が違うのですよ!!」


周囲の予想通り、激怒する丁夫人。その姿に、どうしたものかと、互いに顔を見合わせる一同。そんな中、怒られている厳飛龍だけは、自分の姿勢(しせい)(くず)さなかった。


「そうですな〜年齢も、生まれた場所も違いますね。暮らしも、林山の方が、好待遇でしょう。いやいや、丁夫人の(おっしゃ)ることはもっともだぁ〜」


のん気に背伸びをすると、丁夫人の言葉に(うなず)いてみせる厳飛龍。彼の態度に、林山の母は顔を引きつかせた。


「でしたら・・・!なぜ、林山達をとめてくださらなかったのですか・・・!?」

「だからこそ、とめなかったんですよ。わしのような流れ者と、大商家の林山とでは、ものの考え方が違うでしょう?」

「常識で考えても、宦官になりたがるなんておかしいでしょう!?」

「女が男に(みさお)をたてるように、林山は男として、星蓮に(みさお)をたてたんでしょう?いい話じゃありませんかぁ〜?」

「悪いでしょう!?個人ではいい話かもしれませんが、名家としては不名誉な話です!!」


真っ赤な舌を見せながら言う丁夫人。そして、歯ぎしりをしながら息子の師匠に尋ねた。


「・・・それで?いくらあの子から貰ったのです!?」

「と、申されると?」

「とぼけないでください!!宦官の手術費用として、林山からいくら巻き上げたのですか!!?」

「巻き上げたなど、人聞きが悪い。むしろ、こっちが金をやったんですがね・・・。」

「なっ・・・!?二人に金子を渡したのですか!!?」

「違います。やったのは、林山だけです。」

「なにを考えているのですか!?それではあなたは、二人に余計なお金を渡したのですね!!?」

「違います。あなたのご子息だけです。」

「意味的には同じでしょう!?そんなお金があれば、藍田を出ることなど、簡単ではありませんか!!?」

「いいえ、意味的には違います。林山にしか渡していないので、星影が使えるはずはありません。」

「誰に渡す、渡さないにこだわらないでください!!問題はそこではないのですよ!?」

「いや、そういうことは、きっちりしておかねば。」

屁理屈(へりくつ)はもういいです!!仮に一人だけに渡したとしても、二人で使うのは目に見えています!!!」

「それは、林山次第でしょう?とにかく、こちらが得をするようなことはしておりませんよ。」


丁夫人の言葉に、困ったように微笑む厳師匠。


「大体ねぇ〜師匠が、弟子から金品をむしりとるようなことはしません。これでも私は、筋の通った侠客ですよ?」

「知っていますよ!あなたが、物騒な侠客であることぐらいは!!」

「物騒とはひどいですな〜?」

「ひどいのはあなたですわ!大事な息子の大事なところを切り落として、安家を根絶やしにしたのですからね!?」

「あきらめるのはまだ早い!今からでも遅くはありませんぞ・・・!(はげ)めば、来年にも第二子の誕生を望めます。」

「問題を作っておいて、よく前向きな意見が言えますわね!!?馬鹿にしているのですか!?あなた、私達を馬鹿にしているのですか!!?」

「お(なぐさ)めしているだけですが?」

「とてもそう聞こえませんが!?」

「あ!それも、そうですなぁ・・・。同じ慰めるでも、ご主人の方がよろしいですよね?」

「っ!?」

「一番いいのは、寝床で夫婦仲良く過ごすことでしょうなぁ〜?ハハハ!!なんちゃって!」



「――――――――馬鹿にしているのですかぁぁぁ―――――――!!!?」



爆笑する厳飛龍を、真っ赤な顔で怒鳴りつける丁夫人。彼女は、持っていた布を引き裂くと、それを厳飛龍めがけて投げつけた。


「あなたが資金提供をしたせいで、二人は藍田から出て行ったのですよっ!?都へ宦官になるために、林山は出て行ったのですよぉ!!?」

「あーあ・・・。絹の布を引き裂くなど、なんともったいないことを・・・。」

「絹がなんですか!?息子と比べれば、たいした価値はありません!!今は、そういう問題ではありませんでしょう!!?」

「大有りですよ、丁夫人。大商家の子供の小遣いと、しがない武術師範の生活費と・・・どちらが都まで行く資金になるか、普通に考えればわかることでしょう?」

「待ってください!我が安家では、息子にそれほどの大金は渡してはおりませんが・・・!?」


厳師匠の言葉に、それまで黙っていた安家の主人が口を開いた。


「いくら大事な跡継ぎとは言っても、湯水(ゆみず)のごとく与えてはいません!決まった金額の中で、やりくりをするようにさせています。」

「ほぉ〜そうなんですか?」

「そうですよ!金銭的にだらしなくなっては困りますので・・・!なぁ、鳳娘?」

「旦那様の仰る通りですわ。我が安家はそうしています!もっとも・・・劉家では、どうされているか知りませんけど・・・!?」


八つ当たりをこめて皮肉る丁夫人に、星影の母は不機嫌そうに言った。


「劉家でもそうですわ、鳳娘さん!星影にお金を渡す時は、その使い方を聞いてから渡しています。」

「妻の言う通りです。用途(ようと)に問題があれば、渡すようなことは絶対にしません。」


劉家夫婦の言葉に、失礼しました、と声をかける安家の主人。


「しかしそうなると・・・二人はどこから、都への旅費を準備したのやら・・・?」

「そんなのわかりきったことですわ、旦那様!義理人情を重んじる侠客の先生が、協力したに決まっています・・・!!」

「鳳娘。」

「では・・・丁夫人は、飛龍殿が金銭的に援助したと?」

「やめてくだされ、丁夫人。わしのような収入の少ない者が、協力できるわけないでしょう?」

「侠客は、損得なしで動くと聞きますが!!?」

「そりゃぁ、金があれば用立(ようだ)てますよ?」

「つまり、あの子達のために、金子を作って用立てたということですか!!?」

「あのですね〜」


嫌みったらしく言う丁夫人に、厳飛龍はため息混じりに言った。


「あなた方お金持ちと、下級層であるわしを一緒にしないでくださらんかね。見るからに違うでしょう?」

「なにが違うんですの?同じではありませんか!?」

「違いますよ、丁夫人。身に着けている物からして、すべて違います。」

「身に着け・・・服のことですか?」

「あと、剣とかですね。庶民は、特注品とか身につけませんよ。・・・特に、漢では手に入らない、外との貿易で得た生地で、服を作ったりしませんからね〜?」


後半の言葉を、強調しながら厳飛龍。その言葉で、ばつの悪そうな顔をする劉家夫婦。それは安家夫婦も同じだった。中でも、丁夫人は悔しそうに唇をかんでいた。武術の師匠は知っていたのだ。林山の服は、彼の母の強い勧めで作られた、他国の生地を使ったものであることを。嫌味をこめて言ってみれば、その意味に気づいた母親が、恨めしそうに彼を見た。


(睨んだところで、事実だろうが・・・。)


そんな丁夫人を無視すると、少し明るい口調で厳飛龍は言った。


「まぁ・・・都までは、かなりの費用がかかりますからな。親からの小遣いや、わしからの金子では足りんでしょう。そうなると、身につけている物を売ってしのいだんじゃないでしょうかね〜?」

「売った!?」

「私の林山が、そのようなみっともない真似をしたというのですか!?」

「物の価値を、わかっている子らですぞ。足りないと思えば、どうやって資金を作るか考える子達です。自分達の持ち物を処分したと考えるのが普通でしょう?」

「た、確かに・・・!」

「商売人の子なので、取引の仕方は得意ですし・・・!」

「そういうことなので、厳飛龍の懐から出た金で、二人が都に行ったなどという、迷惑な言いがかりはつけないでいただきたい。」


鼻で笑う厳師匠に、なにも言えなくなる一同。しかし、林山の母は黙らなかった。


「何度もいいますが、今の問題は、金銭感覚ではありません!!あなたが、息子と星影殿をそそのかしたという点でしょう!!?」

「わしが星影と林山をそそのかした〜?」

「そうに決まっているでしょう!?ねぇ、みなさん!!?」


そう言って、周囲に同意を求める丁夫人。


(つーか、わしがそそのかされたんだが・・・。)


あんたの息子に。

ちなみに、その息子をそそのかしたのが、息子の婚約者の姉なんだが。


「林山が、自分で言い出すはずがありません!!」


そうでもないぞ。


『俺は・・・星蓮を愛しています。俺の妻は、星蓮だけと心に決めております。だから星連を連れ戻します―――。お願いします・・・お力お貸しください・・・!』


と、寝ぼけたことをぬかしやがったぞ?


(だからこそ、星蓮奪回作戦に、わしも協力したんじゃないか・・・・。)


怒る丁夫人を尻目(しりめ)に、小さな息を吐く厳飛龍。そんな武術の師匠の脳裏に、一つの記憶がよみがえる。それは、星影と最後に言葉を交わした時のことだった。

「この作戦を両親に伝える?」

「はい!」

「お前は馬鹿か。」

「厳師匠には、言われたくないです。」

「どういう意味だ!?」


星影と林山が藍田を出発する前のことだった。わしと最後の打ち合わせをした時、星影が耳打ちしてきたのだ。


「林山の奴が、両親に嘘をついたことをいつまでも気にしてるんですよ。」

「お前は気にならないのか?」

「気になるようならしませんよ。いや、そうじゃなくて・・・!この作戦に、少しでも迷いがあれば、失敗する可能性があるじゃないですか?」

「それも・・・そうだが。」


弟子の言葉すべてに、納得する師匠。

気にするようでは、こんな大胆な行動を星影は起こさない。作戦が完璧でも、実行者に躊躇(ためら)いがあれば、失敗に終わってしまう。


「だからこそ、私や林山の両親に、この作戦について書簡で知らせようと思うのです。」


(・・・なにを覚えてきたんだ、こいつは。)


星影の話を聞いた時、わしは頭痛を覚えた。戦においてもそうだが、証拠になるような内容を書き残せば、必ず見つかってしまう。場合によっては、それが動かぬ証拠となり、殺されたという例が多い。星影達がしようとしていることは、間違いなく犯罪だ。その犯罪内容を記した書簡を、身内に送りつけるなど言語道断。『捕まえてください』と言っているようなもんである。



【バレて困るようなことは、文字として残してはいけない。】



口が酸っぱくなるほど教えてきたのに、この弟子はもう忘れてしまったというのか!?



「師匠、忘れているわけではありません。最後まで聞いてください。」

「・・・続きがあるのか?」


師匠の様子から、その変化を感じ取った星影が、からかい口調で言った。それに対して、言ってみろという態度で(のぞ)む厳飛龍。


「私が行く後宮は、一度入れば、二度と出れない場所でしょう?だから入る直前に、作戦を書いた書簡を藍田へ送ればいいんですよ。」

「直前・・・にか?」

「ええ。私の父母や、林山の両親が真実を知る頃には、計画は実行されているのですよ?とめることなど出来ません。」

「確かに・・・後宮は、自由に出入りできる場所ではないからな・・・。」

「そうでしょう!?無理して連れ戻すよりも、天に祈りながら私達の帰りを待つ方が利口ですから!」

「お前・・・親に対して、罪悪感はないのか?」

「ありますよ。でも、これとそれとは別です。割りきりが大事ですから。」

「つまり・・・割り切れずに、考え込んでいる林山のために、危険な行動をとろうというのか?」


わしが最後に見た林山は、難しそうな顔で黙り込んでいた。それを思い出しながら問えば、星影は綺麗な笑みを浮かべる。


「失敗につながる芽は、事前に()んでおきませんとね?」

「星影・・・お前、本当にふてぶてしいな・・・?」

「いえいえ。お師匠様ほどではありません・・・?」


互いに顔を見合わせ、クックッと、声を震わせて笑う師弟。それはまさに、悪童(あくどう)同士(どうし)のやり取りと言える姿だった。

そこまで思い出すと、一人で楽しげな笑みを浮かべる厳飛龍。



(あんな面白い弟子は、生涯に一度きりであろうな・・・・。)



今まで、さまざまな土地で、いろんな若者に武術を教えてきた。その中でも、星影の才能は飛びぬけていた。女性でありながら、男性に後れを取らない武才。よく()く機転と、とどまることのない話術。情が深く、理性で物事を考える。厳飛龍が教えた弟子の中で、星影が一番出来のいい子だった。




(この先、星影のような弟子とは、二度と出会えないだろう・・・。)




もっとも、女の弟子は、星影一人きりだが・・・。

そんな弟子のためにも、今日は、自分が汚れ役をしなければならない。


(弟子達のご両親も、必死で演じているのだからな・・・。)


今日、この場に自分を呼び出したのも、本当に林山が宦官に、星影が尼になったと、親族達に思わせるため作戦だと厳飛龍は考えていた。すべては、星影が知らせた真実を隠すための猿芝居。武術の師匠はそう思っていた。だからこそ、丁夫人などから発せられる罵声を、【愚痴(ぐち)】として受け止めていたのである。【息子が宦官になったと、一時的にでも思わせた罪の(つぐな)い】として・・・。


(さすが、わしの弟子のご両親だ。白熱した演技をするじゃないか・・・!)


これなら、一族の者達も信じるだろう。これだけ見せれば、二人が本当に宦官と尼になったと思わせるのに十分だ。


(わしも、負けずに悪い師匠を演じなければな!!)


しかし、彼は知らなかった。星影が、入れ替わり奪回作戦について(しる)した書簡を、親達に送っていないことを。親達が、二人の入れ替わりを知らないことを。双方とも、真実を知らずにいたのだ。



(さっさと一族への偽装を終わらせて、内密に今後のことをご両親と話し合わねばな!)



星影のうっかりを知らない厳飛龍。そして、一人で盛り上がり、一人で無意味な気合を入れる侠客兼武術の師匠。そんな彼の態度が、この後、さらなる修羅場を生むのだった。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!

星影&林山の師匠と星影&林山の両親のやり取りを書いてみました(どちらかと言うと、厳師匠と林山の母になりますが;)厳飛龍が、星影の師匠ということで、少しふてぶてしい人になっております。なにも知らないお師匠様の今後を、お楽しみいただけると嬉しいです(苦笑)

ちょっとした小話なのですが、この時代の医学とは、今と同じ医学という感覚ではなかったそうです。病気になったら、まじないや祈祷で治すのが基本的な考えでしたので、医学は導師や占い師と同じカテゴリーにあったそうですよ(汗)今では考えられませんが、専門職としては()下的(げてき)なものだったらしいです・・・。当時は、学んでいても、あまり評価されにくかったみたいですよ(大汗)現代的な考えで見ると、ちょっと怖いですね(苦笑)

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