第三十六話 狐と狸の馬鹿試合(後編)
私・・・安林山が宦官になった理由を、皇帝が聞いてくることは予想していた。自分で言うのもなんだが、武才ある人間が、武官ではなく宦官になるということは、普通に考えてもおかしいことだ。琥珀や空飛ですら、不思議そうにしていたのである。陛下が疑問を持たないはずがない。そう思い、万が一に備えて、懐に『偽物の涙』を忍ばせていたのだが―――――
「すまなかった、林山・・・!」
「どうかそのように、恐れ多いことを仰らないでください!陛下を苦しめたとあっては、その罪の深さに・・・・私は耐えられません・・・!」
「お主が苦しむことはない!林山は悪くないのだぞ!?」
「陛下・・・!」
「だから林山、これ以上悲しい顔をしないでくれ・・・。さあ、元気を出すのじゃ!」
自分のホラ話を信じ、謝罪し、励ます皇帝・劉徹。そんな相手に、星影は罪悪感などまったくなかった。琥珀同様、騙して悪いという気持ちにはなれなかったのだ。
なぜなら――――
(お前が、変な勅命を出したおかげで、私達は苦労してるんだぞ!)
妹・星蓮を奪った郭勇武同様、皇帝に対しても、良い感情など星影は持っていなかったからだ。韓媛の話を聞いた時点で、今まで彼女が抱いていた【皇帝像】に亀裂が入ってしまった。さらに、自分を救ってくれた衛青将軍を軽蔑していると聞き、激しい怒りを感じていたのだ。もはや星影の中で、皇帝・劉徹への失望は修復不能であった。
「林山、自分を責めてはいけないぞ!お主の気持ち、朕は痛いほどわかったからな。」
「返す言葉もありません、皇帝陛下・・・!そのお気持ちだけで、私は十分でございます。」
(賊の疑いさえ晴れれば、星蓮を探すのに十分ですから・・・!)
下級宦官から高級宦官への昇格は、星蓮を奪い返すうえで、天が与えた絶好の機会だった。陛下の好色にさえ気をつければ、妹を探すのも簡単である。さいわい、陛下には李延年という一番のお気に入りがいる。しかもこの男寵は、安林山(私)を敵視している。陛下の下心と、延年の嫉妬心を利用すれば、自分がその手の対象になることはない。賊の嫌疑が晴れ、安林山の身元調査が中止された今、星蓮を探すための障害はなくなったのだ。
(こんなに上手くいくなんて・・・やはり天は、私達の味方ね!)
勝利の喜びをかみしめる星影。しかし、その余韻も長くは続かなかった。
「林山、つらいことを聞いて悪かったな。」
「いいえ。賊ではないと、わかっていただけただけで、私は満足でございます。」
「光には朕から、林山の身元調査の打ち切りを伝えておく。もちろん、お主が宦官になった経緯は誰にも他言せぬ。」
「はい、どうか私達だけの秘密に・・・・!」
「ああ、朕と林山だけの秘密じゃ・・・・!」
皇帝が、自分を抱きしめる力が強くなる。星影がその異変に気づいた時、彼女は完全な金縛り状態にされていた。そう・・・・・
「・・・・・陛下?」
目の前にいる最高権力者によって――――――!
「もう、林山に辛い思いはさせん・・・!朕も林山のことを思っているぞ・・・!」
そう言って、星影を抱き寄せる劉徹。その目は、獲物を見つけた狼そのものだった。劉徹の態度に、本能的に危険を感じる星影。
「あ、あの!そろそろ放していただけませんか・・・?」
笑みを浮かべながら、後ろへ体を引く星影。その動きにあわせて、劉徹も前かがみになる。
「なんですか、陛下!?・・・この動きは・・・!?」
「安心しろ・・・・・ここには誰も来ない。」
「はい・・・?」
意味ありげな言葉を口にする皇帝。その言葉に目を見張る星影。
「林山・・・!」
「へ、陛下?」
「あの庭で会った時から、ずっとお主に焦がれていた・・・。そなたも朕と同じ思いでいてくれたとは・・・!」
「はぁ?」
「怖がることはない・・・朕にすべてを任せよ―――――――!」
言ったと同時に、林山の首に自分の唇を押し付ける劉徹。突然のことに、星影の口から変な声が出た。
「うきゃ!?」
「おお・・・!なんという滑らかな肌じゃ・・・!まるで女子のように―――――」
「馬っ――――・・・!!な、なに言ってるんですか!?やめてください、陛下!!」
「なにを言う?誘ったのはお主ではないか、林山。」
「誘ったぁぁぁ!?」
劉徹の行動で、相手がなにをしようとしているのか理解する星影。
(い、いか――――――ん!)
熱演しすぎた!?このままでは犯される!というか、操が奪われる前に正体がバレる。
「誤解です!陛下!!おやめくださ―――――――――い!!」
必死で抵抗した星影だったが、反り返った姿勢のため、上手く動くことができない。それに加えて、不安定な星影の体を劉徹が素早く支えたのだ。
「こ、困ります!陛下!お許しを!!」
「その反応・・・まだ男を知らぬか・・・!?」
「本当になに言ってるんですか!?ちょっと、本気でやめてください!」
恐れていた事態に戸惑う星影。うろたえつつも、この状況を打開するための策を考えた。
(前回のように、殴り飛ばしてしまおうか?いや、上半身が自由に動かないからそれは無理!ならば、下半身を使って急所に蹴りを入れれば―――――!)
膝に力を入れる星影だったが、その脚力が皇帝に向けられることはなかった。
(――――――だめだ!確かに股間を蹴れば、こいつの動きは封じられるけど・・・・!)
相手は仮にも皇帝である。前回は、知らなかったということで許されたが、今回はそうもいかない。皇帝陛下相手に暴力行為・・・そんな無礼が二度も許されるはずがない。
四苦八苦悩み、暴れる星影に、皇帝は楽しそうに言った。
「怖がることはない、林山・・・!よかろう、朕が手取り足取りその喜びを教えて―――!!」
「きゃあぁぁぁ――――――――!?」
勢いよく、星影を押し倒そうとする劉徹。させまいと、必死で背骨と両足で踏ん張る星影。そんな星影に、愛い、愛い、と言いながら、首やら頬やらに口付けてくる皇帝。劉徹の攻撃から、首を左右に振りながら、本気でよける星影だったが―――――――
(いやぁぁぁ!!駄目ぇぇぇ―――――――――――!!?)
不安定な体勢で、相手の体重をかけられ、星影の体は限界だった。彼女の体は、床へと確実に近づいていた。
こんなことなら、腹筋や背骨を鍛える修行をしとけばよかった!!
(誰か助けてぇぇぇぇぇ―――――――――――――!!)
星影がそう思った時だった。
「失礼します。」
声と共に入り口に二つの影が立つ。その声に、劉徹の動きが止まる。それと同時に、自分を掴む力が弱まった。
(―――――――――今だ!!)
素早く、皇帝を押しのけると、その体からすり抜ける星影。その動きに劉徹は、あっ、と叫ぶものの、
「失礼いたします、陛下。入ってもよろしいでしょうか?」
自分を呼ぶ声に、彼は小さく舌打ちをする。
「誰だ!?邪魔をしおって・・・!」
(よかった・・・誰だかわからないけど、助かった・・・・!)
天の声とも言える声に、安堵する星影だったが――――――
「よくも無粋な真似を・・・!追い返してくれる!」
劉徹の言葉で、彼女の安堵は吹き飛んだ。
(冗談じゃな――――い!!)
せっかく助かったのに!なに言ってんだ、このおっさんは!?
キッと相手を睨みつければ、同じような顔で入り口を睨む男の姿。そして、大きく口を開けていた。その姿を見て、星影は凍りついた。
(ヤバイ!本当に追い返す気だ!!)
「朕は今忙しい!要件なら後に―――――――――!!」
「――――――してはいけませんっ!!!」
皇帝の言葉をかき消すように、大声で叫ぶ星影。その声を聞き、驚いた表情で声の主を見る劉徹。
「なんじゃ林山!?朕に指図する気か・・・!?」
「あ、いえ・・・だって―――――・・・・!」
あからまさまに、不機嫌になる皇帝。そんな相手をなだめるように、星影は猫撫で声で言った。
「陛下、今はご公務のお時間です!それを疎かになさってはいけません!」
「しかし、林山、」
「それに――――――私見たいのです・・・・。」
そう言って、陛下の小指を素早くつまむ星影。
「り、林山!?」
「私・・・陛下がご公務に熱心な姿――――――見たいです・・・!」
「ね、熱心とな・・・?」
「皆様、仰っていました。歴代皇帝の中でも、陛下が一番ご公務に熱心だと!」
「皆が?」
「だから私、楽しみにしていたのです!陛下のお側で、そのすばらしい手腕を拝見できると!」
「それなら、いつでも見せてやる!それよりもじゃ・・・!今は、林山と二人で―――――」
そう言って、自分の小指を掴む手を握ろうとする劉徹。それを察して、素早く手を離す星影。
「お戯れは終わりです!日の明るいうちから、これ以上私をからかわないでください!」
「なにを言う!朕は本―――」
「こういうことを本気でされるのは、殷の周王のごとき者がすることです!陛下のような立派な方が、するはずがありません!私をからかったんでしょう!?」
「なっ、いや・・・その・・・!」
「やっぱり!私の反応を見て、面白がっていたんですね!?おかしいと思いましたよ〜昼間から体を求めるなど、悪名高い殷王と同じではすからね。あ〜びっくりした・・・・!」
「う、うぅ・・うむ・・・!」
暴君の例を出され、首を縦に動かす劉徹。その姿を見届けると、相手に擦り寄りながら甘い声を出す星影。
「もぉ〜本当に陛下は、お噂通り、ひどいお遊びをされますね〜?あまりに真剣なので、騙されるところでしたよ!?」
「いや、だから、遊びなどでは―――――!」
「私が泣いて陛下を困らせたので、仕返しでされたのでしょう?」
「し、仕返しなど、そんな――――――」
「フフフ・・・わかっていますよ。」
返事に困る劉徹に、意味ありげな眼で星影は言った。
「私を元気付けるために、ひょうきんなことをなさったことぐらい、わかっていますから!」
「ひょうきん!?」
「陛下が、私を賊でないとわかっていただけただけで十分なのに・・・。それどころか、尊い御身を道化のごとく変え、殷王のごとき振る舞いまでされるとは・・・!」
「朕が道化・・・?」
「それほどまでに、私のようなものに気をかけてくださるなんて――――・・・陛下って、本当にお優しい!・・・いいえ、単に優しいというだけではありません。海のように深い思いやりを持っていらっしゃいます!」
「海・・・?」
呆気にとられる皇帝に、極上の笑みを見せながら星影は告げる。
「私、日輪のごとき輝きと暖かさを持つ、陛下のことが好きです・・・!」
言ったと同時に、皇帝の首に抱きつく星影。
「林山!?」
しかしそれは、一瞬の出来事だった。驚く皇帝の声にあわせて、その体から離れる星影。大胆な星影の行動に固まる劉徹。そんな相手に星影は、今度こそ、とどめをさしにかかった。
「陛下!今、声をおかけになられた方は、ご政務に関することでいらしてるんですよね!?」
「え?いや、それは―――」
声をかけた人間が、どういう用件で来たのか星影は知らない。
「隠さないでください!お願いでございますよ〜!私に、陛下がお仕事をされているお姿を見せてください。」
「ち、朕の仕事を?」
政務に関することで来ているかなど、星影にわかるはずがない。
「追い返すようなことを、なさらないでください!せっかく、陛下の凛々(りり)しいお姿が見れるよい機会なのですよ?私にとっては・・・!」
「・・・凛々しい、とな?」
それでも、彼女はそう言いきった。
「はい!お願いでございます、陛下・・・!早く、お部屋にお招きください!!」
言い切る理由はただ一つ。
「歴代皇帝の中でも、真のご政務をされるという、陛下のお姿を見せてください!私・・・そんな陛下を見るのが、ずっと夢だったんです!!」
自分の操を守り、目的を果たすため。
「・・・。」
目を輝かせて頼む星影に、劉徹は無言で下を向く。
(・・・・あれ?あからさますぎたかな?)
口から出任せ(?)を言った星影だったが、静かになる皇帝を見ながら不安を覚える。
(そう言えば陛下は、媚びへつらう人が嫌いだとは聞いていたが・・・。)
少し、褒めすぎたかもしれない。いや、媚びる態度を取りすぎたかもしれない。というか、どこまでが、媚びる姿になるのだろう?私の感覚では、かなり褒めすぎたと思うんだけど・・・。
(褒め称えることと、媚びることの違いの基準て・・・・どこだろう・・・?)
自分の発言を思い返しながら、不安な気持ちで次の言葉を待つ星影だったが――――――
「よし!早く入れっ!!」
入り口に向かって、元気よく叫ぶ皇帝。その言葉で、星影の不安は消滅した。
「陛下!」
「可愛い林山の頼みじゃ。それに・・・朕が『公職』よりに『好色』をとると、勘違いされたくないからの〜?」
「ご心配にはおよびません、陛下!私――――・・・わかっていますから・・・!」
(あんたが好色だってこと。)
そして、どちらともなく、笑顔を浮かべる劉徹と星影。その心のうちを、互いが知ることはなかったが、
(陛下の側では、常に嘘をまとっていなければいけないのか・・・・。)
嘘をつくのは好きじゃないが、自分の貞操と正体が露見しないためにも、道化師の真似をしなければいけないらしい。
(今日から私が、どんな嘘をついたか、書き記しておこう・・・。)
後で、つじつまがあわなくならないように。
上機嫌な劉徹の横で、今後について画策する星影。そんな彼女の前に、二つの影は足早にやって来た。
「遅くなって申し訳ありませんでした。」
(あれ・・・?)
その声を聞いて、星影は首を傾げる。聞き覚えのある声。彼女の脳裏に、その声を持つ人物の姿が浮かびあがった。
「挨拶はよい。面を上げよ!」
「はい。」
皇帝の命令に、目の前の二人が顔をあげた。
「あ!?」
その顔を見て、星影は思わず声を上げる。
「・・・琥珀!?空飛!?」
そこには、安林山(星影)の友である王琥珀と張空飛がいた。驚く星影に、劉徹は楽しそうに言った。
「黄藩から聞いたぞ、昨日の騒ぎを。」
「昨日の騒ぎ?なにかあったんですか?」
聞き返す星影に、劉徹は笑いながら言った。
「やれやれ。当事者がなにも知らんのか?昨日、お主の沙汰について決定を下した後、黄藩ともめただろう?」
「え・・・?まさか、あのことがですか!?」
「聞いたぞ〜?朕に会いに行くと言って、黄藩と引き合い(・・・・)をしたそうじゃないか!?」
「いや、引き合いと言うか・・・。」
「正確には、『黄藩に引きずられた』と言った方がいいかの〜?」
ニヤニヤしながら言う劉徹。
(・・・もう陛下の耳に入ったのか。)
「黄藩さ・・殿がそう仰られたのですか?」
「黄藩だけではない。他の者が何人か言いに来た。あんまりにも常識外れのことだったからな。」
(そんなに目立ってたの!?)
少し恥ずかしくなった星影は、頭を下げながら言った。
「申し訳ございません!!以後・・・気をつけます!」
「まあ、そう照れるな。お前も寂しかったんだろう?」
「え?」
「そこまで思われると・・・朕も嬉しいぞ?」
「ええ?」
「朕に会いたかったのだろう?」
(・・・別に、そういうわけじゃないんだけど。)
ニコニコする劉徹に、星影は乾いた笑みを浮かべる。
「まあ、惚気はここまでにして・・・。友と別れたくないという林山の気持ち、朕はよくわかった。だからこそ、二人がお主の近くで仕事ができるようにしておいた!」
「え?それはつまり・・・・。」
「朕が言っているのは、二人とも林山と同じ高級宦官にしたということじゃ。」
「え!?と、言うことは――――――!」
「王琥珀と張空飛も、今日から林山と同じ高級宦官として朕の側で働いてもらう。」
「本当ですか!?」
「朕が嘘をついているように見えるか?」
大きく左右に首を振る星影に、皇帝は満足そうに頷く。
「林山が寂しいと言うのならば仕方がないが、無理なお願いを叶えてやったのだ。その分しっかり働いてもらうぞ。」
「はい!安林山、精一杯ご奉公させていただきます!」
(よかった、これで琥珀の動きが観察できる!空飛のことも、側にいた方がいじめから守ることができる!)
勢いよく頭を下げる星影。その後に、続くように琥珀と空飛も頭を下げる。
「恐れ多くも身に余る光栄、感謝いたします、皇帝陛下。」
「せ、せ、せい誠心誠意でお仕えいたします!ハイ!!」
皇帝を前にして緊張したのか、空飛の方は声がかなり上擦っていた。
「うむ、頼むぞ。雑務の他に、林山の話し相手になってくれ。」
「心得ました。」
「も、もちろんです!ハイ!!」
二人の様子に、劉徹は目を細めながら言った。
「林山・・・お主は良い友を持ったな?」
「はい!私にとっては最高の友です!!」
即答する星影に劉徹は苦笑する。
「まったく!やけるわい。」
劉徹が声をたてて笑った時だった。
(―――人の気配?)
自分達以外の、人の気配を感じとる星影。ほどなくして、入り口近くから一人の男が姿を現した。
「陛下、よろしいでしょうか?」
「おお、延年か!?入れ!!」
晴れ晴れとした顔で、手招きをする劉徹。そこには、昨日、自分を賊だと疑った男であり、皇帝の恋人である李延年の姿があった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
サブタイトルを『狐と狸の馬鹿試合』としたのですが、『馬鹿試合』は『化かしあい』の間違いではありません。意識して、『化かしあい』を『馬鹿試合』にしました。理由は、星影と皇帝・劉徹のやり取りの内容が、化かしあいであることに、変わりないからです。星影は、妹を奪い返すつもりで宮中に乗り込みました。彼女的には、戦いに行ったわけです。その意味を込めて、化かしあいの『しあい』を『試合』にしました。ですから、化かしあいの『化か』を『馬鹿』にしたのも、星影と皇帝・劉徹のやり取りが、ちょっとお馬鹿な内容だということでそうしました。だから今回は、ちょっとした言葉遊び感覚で題名を決めております(笑)
あと、小説に関する話ですが、琥珀と空飛も高級宦官に昇格しました。以上です(苦笑)今後の展開が気になる方、興味のある方、是非続けて読んでやってください・・・!!よろしくお願いします(照)