第三十二話 それぞれの夜〜老人の嘆き〜
豪華な調度品が並ぶ一室。
そこに漢帝国七代目皇帝・劉徹の姿があった。
寝台に寝転がりながら、劉徹は書物に目を通していた。
「陛下。」
呼ばれて、書物から顔を離せば、一人の男が立っていた。
「珍しいな。その方が朕の室まで来るとは?」
「お戯れを。私がなにを申し上げたいか、ご存知のはずでしょう?」
その言葉に、劉徹は首をすくめる。
「えー・・・安林山のことか?」
「それ以外にございますか?」
「漢帝国の知恵袋、董仲舒のお説教はいつもキツイな。」
そう言って笑う皇帝・劉徹に、董仲舒は困ったような笑みを浮かべた。
董仲舒―――若い時から『儒学』について深く研究し、六代皇帝・景帝の時に博士となった人物。
劉徹の父・景帝の死後、息子である劉徹が即位した際は、董仲舒の人柄を見込んで、すぐに自分の元へ召し出している。
それだけ皇帝・劉徹は董仲舒を信用していた。
わがままな皇帝も、董仲舒からの進言であれば素直に言うことを聞いたので、諫言をすることが多かった。
そのため退官後も、朝廷で問題が起こると、皇帝・劉徹は御史大夫である張湯を派遣して董仲舒に公平な意見を求め続けた。
つまり董仲舒とは、七代皇帝・劉徹の頼もしい重臣であり、皇帝に諫言を出来る数少ない家臣の一人であったのだ。
そんな『諫言師』・董仲舒が、わざわざ劉徹の元へやってきたということは、諫言をする時と決まっている。
「陛下・・・陛下の好みに文句は言いませんが、少し控えていただけませんか?」
「控えておるぞ。だからこそ、昼間もお前の諫言を聞いたのではないか。」
「でしたら、あの者をお側に置くのはやめてください。」
「何故じゃ?林山はあの通り―――」
「『腕が立つ』と、言うことはお聞きしております。ですから、安林山のことは諦めてください。」
今の二人の話の中心は、他でもない、劉星影こと、安林山のことだった。
劉徹が安林山に好感を持っているのとは対照的に、董仲舒は安林山をあまり快く思ってはいなかった。
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最初に董仲舒が、安林山の話を聞いたのは真夜中だった。
従者が騒ぎ立てるので、寝台から起き上がれば、『陛下が刺客に襲われた』と聞き、大慌てで宮中に駆けつけたのだ。
従者からの話では、『宮廷兵の多くが殺され、陛下も(・)大変な(・)こと(・・)になっている』とまで聞かされ、生きた心地がしなかった。
(陛下にもしものことがあれば―――・・・!!)
最悪の事態を想像し、董仲舒は全身から血の気が引いた。
急いで身支度を整えると、皇帝のいる宮中へと向かう董仲舒。
主君の安否だけを願いながら、劉徹がいる部屋に駆け込む董仲舒。
他の重臣達が集まる中、そこで彼が見たものは―――
「美少年だ!美少年!!背の高い、少し口の悪い美少年だった!!」
「へ・・・・・・・!?」
「艶のある黒髪、女子のような赤い唇、細身でしなやかな体をした美少年だぁぁぁ!!」
「・・・・・・・陛下・・・・・・・?」
大変なことになっているという陛下は、ピンピンしており、とても元気だった。
元気というよりは―――――
「へ、陛下落ち着いてください!」
「美少年じゃ!美少年!!早く探し出せ!!!」
「落ち着いてください。どうか、陛下!」
「朕は落ち着いておる!だから早く、あの美少年を探さぬかぁ!!」
変な風に興奮していた。
よく見れば、他の家臣達が、必死で陛下を抑えてつけている。
それを振り払いながら、子供のように駄々(だだ)をこねる皇帝・劉徹。
「お前らが行かぬのなら、朕自ら探しに行く!」
「おやめください、陛下!危のうございます!!」
「まだ刺客がいるかもしれません!」
「うるさい!朕に指図する気か!?」
「陛下・・・・・・?」
呆気に取られている董仲舒。
そんな彼に気がついたのは、
「―――――仲舒殿ではありませんか!?」
「仲卿殿・・・・これは一体・・・!?」
皇后の弟、衛青大将軍だった。
衛青の言葉に、ようやく周りも彼の存在に気づく。
「おお、仲舒ではないか!?わざわざ来てくれたのか!?」
「陛下、一体なにがあったのですか?陛下に大事がありと聞き、参ったのですが・・・。」
改めて陛下を見たが、怪我などしていない。
「お怪我は、されていらっしゃらないようですが・・・・。」
(ご乱心か?)
怪我はしていないが、確かに大変な(・)状態になっていた。
冷めた目で言う董仲舒に、衛青が側まで行く。
「詳しいことは、私からお話いたします。」
こちらへ、と言いながら、董仲舒を部屋の外へと連れ出す。
「大将軍、一体何事じゃ?」
「はい。それが・・・陛下が刺客に襲われまして。」
「それは聞いておる!刺客に襲われたわりには、やけに陛下の機嫌が良いではないか!?」
「それが・・・陛下をお助けした者がいるのです。」
「どういうことだ?宮廷兵はやられたのではなかったのか!?」
「はい、陛下を守った宮廷兵は全滅です。」
「では、武官がお助けしたのか!?」
「いえ、助けたのは武官ではありません。」
(武官ではない?)
衛青の言葉に、董仲舒は眉をひそめる。
「それでは、誰が陛下のお命をお助けしたというのだ!?」
「・・・宦官です。」
「宦官!?」
控えめに言う衛青に、董仲舒は間の抜けた声を出す。
「仲卿殿・・・生真面目なあなたが、なんの冗談ですか?」
「事実です。」
「なっ・・・ありえぬ!宮廷の護衛兵を倒すような敵を、男を捨てた宦官が―――」
「倒したのです。」
「・・・・信じられん・・・・!!」
(戦うことを目的に訓練された武官よりも強い宦官?)
「何者だ・・・・その宦官は!?」
「わかりません。陛下が申すには、陛下をお救いしたあと、名も告げずに去って行ったそうです。」
「名乗らずに去っただと!?」
「我々が、騒ぎを聞きつけて駆けつけた時にはもういませんでした。」
そう言って、うつむく衛青に董仲舒も呆気にとられる。
二人が驚くのも無理はなかった。
それは、宦官に対する認識が関係していた。
宦官は男性器を切り落としているため、体格的にも精神的にも男女の中間という存在であった。
また、宮中における奴隷ということもあり、ほとんどの者が軽視していた。
嫌う理由としては、性欲をなくした宦官の、それを代償するかのような物欲な面を忌み嫌っていたからだ。
そのため董仲舒も、陛下を助けた宦官の行動に戸惑いを感じていた。
(見返りを求める宦官が、礼を要求せずに、去っていった?名も告げずに?いや、それよりも―――)
「その宦官は、武術の腕が立つということか・・・?」
「・・・陛下が申される限り、武官にしても申し分ない(・・・・・)と。」
顔を上げた衛青の表情は険しかった。
「これは、私個人の考えなのですが・・・賊にしても、その宦官にしても、只者ではないと思います。」
「確かに・・・。賊はどこに忍び込んだのだ?」
「『桃花園』に・・・。」
「後宮の中心部ではないか!?」
「警備の者が、怠っていたとは思えません。むしろ、陛下の行動と性格を知ったうえでの犯行だとしかいえません。」
「・・・内部犯か?」
無言で頷く衛青に、董仲舒も険しい表情になる。
「賊の手がかりは、なにも残っていませんでした。皆、毒をあおって自害を・・・。」
「素人ではないな。」
以前から、陛下が暗殺されかけたことは何度もあった。
主犯を探し出しては、密かに始末させていた。
公にしては、国の面子にも関わる。
「では、いつも通り―――」
―――――――――見つけ出し、二度と陛下に手を出せないように。―――――――――
そう言いかけた董仲舒の言葉を衛青が遮った。
「それが―――・・・出来そうもないのです。」
「出来ない?」
「ええ・・・。陛下が、お許しにならないのです。」
「陛下が!?」
目を丸くする董仲舒の元に、噂の人物が上機嫌でやってきた。
「仲舒、仲卿、話は終わったか?」
「陛下!」
「いや、何度も刺客に襲われたが、今回のようなことは初めてだ!あのような若者がいるとは!!」
「若者?」
聞き返す董仲舒に、劉徹は楽しそうに言った。
「朕を助けた若者のことじゃ。宦官の身なりをしておったが、あの武術の腕は武官顔負けだ!すぐさま探し出して、朕の側近にしたい!」
「側近!?」
思いがけない言葉に、董仲舒は再度聞き返す。
「そうじゃ!朕の命を助けてくれた者なのじゃぞ!?仲舒、すぐに探してくれ!」
「その者をですか!?」
「当たり前じゃ!朕の命の恩人じゃぞ!朕が声をかけたら、照れて逃げてしまってなぁ〜なかなか可愛かったぞぉ!!」
(つまり・・・あなた様の命の恩人は、あなた様好みだったと!?)
「仲舒、すぐに調べてくれ!あの美少年を探し出すのだ!」
目を輝かせながら言う劉徹に、董仲舒は無言で衛青を見る。
その視線を受けて、彼は無言で首を横に振る。
その後、皇帝よりの勅命により、武人のような宦官探しは行われ、安林山という一人の美少年(!?)にたどり着いたのだった。
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「林山はあの通り、可愛いではないか?なにが問題なのだ?」
「あなた様が、外見で人を判断されるところです。」
厳しく言う董仲舒に、気にすることもなく劉徹は言った。
「林山は、見た目だけでなく、中身もしっかりしている。」
「確かに、肝が据わっておりましたな。」
宦官とは思えません、と皮肉を言う董仲舒。
「意地の悪いことを言うでない!宦官の一人や二人、増えてところでどうということもあるまい?」
「そうおっしゃられますが、先週も新しい宦官をお側に置いたばかりではありませんか?これ以上増えれば・・・。」
「うむ、延年が怒りそうだな。」
皇帝の呑気な言葉は、董仲舒の怒りを煽ることとなった。
「そういうことではありません!私はもう少し、危機感を持っていただきたいと申し上げているのです!!」
「仲舒〜」
「耳障りだと言うことは重々(じゅうじゅう)承知していますが、言わせていただきます!!陛下・・・陛下のお側仕えの宦官は、慎重に選ばなくてはならないのですよ!!陛下のお命はお一人だけの命ではないのですぞ!?」
「それぐらい朕とてわかっている。だがな、そのことについてはお前も納得はしたじゃないか。」
「それはそうですが・・・。」
「わからんな・・・仲卿はわかってくれたというのに。どうしてお前達は、あんな愛らしい者を危険に思うのか。」
陛下の言う通り、仲卿殿が、安林山の存在を許したのは以外だったが・・・。
(衛青(あの男)も、周りに気を配りすぎるところもあるしな・・・。)
董仲舒がそう思った時だった。
「叔父兄上には、叔父兄上なりのお考えがあってのことでございます。」
その声に、二人の視線がそちらへ向けられる。
「光ではないか?どういしたんだいきなり。」
そこには、一人の若い男性が立っていた。
若者は、劉徹と董仲舒に頭を下げたまま、穏やかな口調で言った。
「衛青大将軍には、大将軍としての考えがあったのでございましょう。」
霍光の言葉に、困ったような口調で董仲舒は言った。
「やれやれ・・・立ち聞きをされたのかな、霍光?」
「無礼をお許しください、陛下、仲舒様。お察しの通り、お聞きいたしました。」
そう言って霍光は、ゆっくりと頭を上げた。
わずかな微笑を作ってはいたが、その目には鋭い光を宿していた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
小説とは関係ない、個人的な感想なのですが、実際の衛青仲卿と霍去病は、本当に対照的な人物でした。一言で言えば、「謙虚で控えめな衛青仲卿と、豪快で派手な霍去病。」です(汗)でも、二人共後世での英雄像はかなりの評判です。
それを裏付ける話として、三国志の英雄・曹操の四男・曹彰は、小さい時に、父・曹操から「どんな大人になりたい?」と、聞かれた時「衛青や霍去病のような将軍になる!!」と、言って爆笑させたとか(笑)その後も、二人の(どちらかというと霍去病の)真似をするよう行動・公言をしたそうですよ、この息子は。曹操も、「馬鹿の子ほどかわいい。」敵な感じで、この息子に対応したとか。これを聞いてわかるように、衛青仲卿と霍去病は、「みんなのヒーロー」・「子供達の憧れの的」の代名詞だと思われます。ただし、霍去病の方がちやほやされましたが(汗)
霍去病が衛青仲卿より有名になったのは、彼の実力ももちろんですが、武帝に気に入られたことも関係したと思います。また、若くして死んでしまったことも「英雄・霍去病を美化させる」のに、十分だったと私は思います。霍去病について、小説か小話で、また後ほど書こうと思います(苦笑)
ただ・・・「衛青仲卿と霍去病の違いはなに?」と、聞かれたら、「『苦労』を知っているかどうかという点です。」と、私は答えます。二人の人性と性格形成を見る限り、『苦労』をしているかどうかで、人生も人間性も大きくわかれてしまったと思いますので。
それで、小説とは関係ない余談ですが、曹操の息子曹彰は四男だそうです!最近私も知ったのですが、曹操の身代わりで死んだ曹昂の上に、お兄さんがいたそうです。だから、長男と次男(曹昂)が劉夫人の子で、三男(曹丕)・四男(曹彰)・五男(曹植)・六男(曹熊)が卞夫人の子になるそうです。
あと、本当に関係ないですが、映画「レッドクリフ」見てみたいです(苦笑)