第三十話 それぞれの夜〜若き将軍の話(前編)〜
現・皇帝劉徹の恋愛事情を聞き、完全な金縛り状態になる安林山こと、劉星影。
「林山・・・。」
放心状態の林山(星影)を、心配そうに見る空飛と琥珀。
「純情にもほどがあるね・・・林山は。」
「本当に・・・なんで宦官になったのでしょうか?」
二人のヒソヒソ声は、星影に届くことはなかった。
彼女の頭の中は、自分のことだけでいっぱいだった。
(どうしよう・・・!)
琥珀と空飛の話が事実とわかった以上、陛下の側にいることはかなり危険だった。
いつ襲われて、女だとバレるかわからないからだ。
見た目や身の上話を誤魔化せても、体のつくりまでは誤魔化しきれない。
(そもそも、手がかりがないしな・・・。)
高級に来て得た情報と言えば、陛下の妻が『宝仙宮』にいるということ。
そこに星蓮がいるかもしれないということのみ。
(おそらく・・・星蓮を見つける一番早い方法は、郭勇武に近づくことだろう。)
そうは思ったが、その方法は無理に思えた。
昼間のやり取りで、郭勇武が自分を馬鹿にしているのはあきらかだった。
しかも、星蓮を強奪し、林山に怪我をさせ、自分を宦官にしたにくい相手である。
そんな男に、媚を売ってまで仲良くするという器用なことを星影はできない。
第一、衛青の口添えがなかったら、星影は郭勇武を殴り倒していた。
衛青将軍がいなければ、自分の命は間違いなくなかった。
それどころか、賊として処分されていた可能性も高い。
(衛青・・・仲卿様かぁ・・・・。)
星影の中で、衛青の姿が浮かぶ。
無表情ではあったが、かなりの男前であった。
表情に変化がない男だったが、それはそれで影があって渋い印象を与えた。
(今まで・・・私の周りにいなかった男性だったなぁ・・・。)
瞳の大きさの変化で、安林山の無実を証明してくれた男。
自分を見つめる瞳を思い出し、思わず口元を緩める星影。
(陛下のおかげで、貴重な体験ができたわけだよね〜)
衛青が最後に、自分に笑い(?)かけた顔を思い出し、嬉しくなる星影。
(かっこよかったなぁ〜衛青将軍・・・!)
そのまま、物思いにふける星影だったのだが――――――
「林山、元気出してください。」
「えっ!?」
「物事には順序があります!いくら今上でも、無理やり乱暴をすることはありませんよ。」
声と共に、肩に軽い衝撃を感じる星影。
見れば、空飛が星影の肩に手を置いて励ましていたのだ。
「今上は、李延年様が一番のお気に入りです。だから・・・強引に林山に手を出すようなことはありませんよ。」
「空飛・・・。」
「空飛の言う通りだよ、林山。李様の性格を考えれば、お側仕えになってもしばらくは清い関係は間違いないね。」
そう言って微笑する琥珀。
そんな琥珀の言葉に、裏があると感じるとる星影。
それは、言葉となって琥珀に向けられた。
「琥珀が言う『しばらく』て、何ヶ月ぐらい?」
「『何日』と、聞くべきじゃないかな、林山?」
「安全保障期間は日数単位かよ!?」
「好色だからね、皇帝陛下は。」
「期待させるようなことを言うな!!」
そのまま、険悪なムードに突入する二人。
それに待ったをかけたのは空飛だった。
なんとか、その空気を良くしようと空飛が話題を変えた。
「やめましょう、二人共! 今上のお話も、ここまでにしましょうよ!」
「空飛。」
「それより林山、私あなたにお聞きしたいことがあるんですが〜!」
「聞きたいことぉ〜?」
張り詰めた空気を和ませようと、陽気な声で空飛は言った。
「実際の衛青大将軍って、どんなお方でしたか?」
「え?」
「私は話でしか聞いたことありませんが・・・あなたはお目にかかったのでしょう?」
笑顔で尋ねる空飛に、星影は再度、衛青の顔を思い浮かべると言った。
「良い人だったよ。」
感想を述べる星影に、それを聞いていた琥珀は笑い声を上げる。
「なにがおかしい、琥珀?」
「いや・・・ずいぶん短い感想だと思ってね。」
「じゃあ琥珀は、衛青将軍がどんなお方か知っているのか!?」
しかめっ面になる星影を見ながら琥珀は言った。
「お目にかかったことはないが、宮中では知らないものはいないよ。なんせ、はじめて匈奴を倒した漢帝国の大将軍だからね。」
「匈奴を?」
「付け加えれば衛皇后の弟だ。」
「皇后の弟!?」
「・・・知らなかったのか?」
どこまで世間知らずなんだ・・・と、呟く琥珀。そして、星影にわかりやすいように話しはじめた。
「衛大将軍は、『衛皇后の弟』ということで宮中に召され、建章監侍中になられたお方だよ。」
「皇后様の?」
「早い話が、姉の寵愛で出世する機会を得たということさ。」
「出世って・・・!」
「琥珀、その言い方は違いますよ!また林山が誤解するじゃないですか!?」
琥珀の言葉に、空飛が異議を唱えた。
「今上にお近づきになったきっかけはそうでしたが、現在の地位に上りつめたのは、衛青大将軍の実力です。」
「そうなの?」
「そうですよ!だけど・・・同じ衛皇后様のご親族でも、私は霍去病様の方が素晴らしいと思います・・・!」
「霍去病?」
聞き覚えのある名前だった。思い出そうとする星影の頭の中で、ある人物の言葉が響く。
“お主を見ていると・・・・霍去病を思い出す。いや・・・去病の再来か・・・。”
「どうしたの、林山?霍去病将軍がどうかしましたか?」
優しい口調で尋ねる空飛に、星影は遠慮がちに言った。
「あ、ああ・・・。昼間、陛下も言っていたんだけど・・・」
「『けど』、なんだい?」
「実は・・・・陛下が『霍去病』って人と、私が似ているといっていたんだけど・・・。」
陛下が自分に向けて言ったこと台詞。
賊の疑いが晴れた直後、陛下が自分に向けて言った言葉。
「皇帝陛下が?」
「林山と『霍去病』様を似ていると仰ったんですか!?」
「そうなんだよ・・・。」
呟くようなかすかな声で言った陛下。
その言葉に、文武官すべての態度がおかしくなった。
無表情な衛青将軍ですら、険しい表情になったのだ。
「その『霍去病』様も、李延年や韓媛のような陛下の男寵だったの・・・?」
これまでの話の流れから、『霍去病』も陛下の男寵相手だと思った星影。
しかし、二人の口から出た答えは星影の予想に反していた。
「なにを言っているんだ、君は!?」
「そうですよ、林山!違いますよ!」
「え?違うの!?」
「違いますよ!!霍去病様ですよ!?有名な将軍ですよ!?」
「え?将軍なの!?」
「林山!?あなたまさか―――――霍去病将軍を、あの方のことを知らないのですか!?」
「え?ああ・・・知らないけど・・・なんで?」
「なんてことだ・・・!あきれてものが言えないよ!」
多少の怒気を含ませながらも、彼らは星影に告げた。
「霍去病様といえば、衛皇后の妹君のご子息、衛青大将軍の甥、驃騎将軍・霍去病様ですよ!」
「衛青大将軍や皇后の親族!?」
「それだけじゃありません!戦の大天才で、匈奴の折蘭王・盧侯王を倒し、渾邪王を漢に投降させて匈奴を衰退させた人物です!」
「へぇえ〜・・・凄い人なんだ。」
「はい!貴人の気質を備え、見目麗しい若き将軍でした・・・!この国で霍去病様を知らない人なんていないんですよ!容姿端麗、文武両道、才色兼備、快刀乱麻、頭脳明晰、まさに霍去病様のためにあるような言葉ですから!!」
「空飛は・・・霍去病様に憧れてるの?」
(というか、よくそこまで褒め言葉が出るよなぁ・・・。)
「もちろんです!あの方はこの国の英雄ですよ!衛青将軍も軍事の才がありますが、霍去病様はそれ以上・・・ゆえに、今上も寵愛されました・・・!!」
うっとりとしながら話す空飛に星影は苦笑した。
(本人は興奮して忘れてるみたいだけど、匈奴の血を引く琥珀の前で、匈奴に対して悪い話をしなくてもいいだろうに・・・。)
そんなことを考えながら、横目で琥珀を見る星影。
しかし問題の琥珀は、いつもと変わらぬ口調で言った。
「確かに驃騎将軍は、軍事の天才と言われているね。」
そう言った琥珀の表情は、穏やかなものだった。
(こいつ・・・ちょっとやそっとのことじゃ、動じないのか?)
琥珀の態度に驚きつつも、感心する星影。
熱烈に霍去病を褒める空飛に、琥珀は静かな声で言った。
「空飛には悪いが、私は同じ匈奴討伐将軍でも、衛大将軍の方が好きだね。」
「ええ!?どうしてですか!?霍去病将軍の方がカッコいいじゃないですか!?」
「空飛!」
(馬鹿!琥珀は匈奴関係者だぞ!!)
咎めるような星影の口調で、ようやく自分のうかつな発言に気づく空飛。赤く染まっていた顔色が青く変わる。
それを見て、小さくため息をつく星影。
(やっと、琥珀が匈奴の者だと思い出したか・・・。)
「ごめんなさい、琥珀・・・!私なんて無神経なことを・・・!!」
そう言って謝る空飛に、琥珀は困ったように言った。
「謝られても・・・人の好みはそれぞれじゃないか。」
「そうではありません!私、琥珀が匈奴の出身だということを―――」
空飛のその言葉に、ああ、と短く答える琥珀。
「そんなことか。気にすることはないよ。」
「でも――」
「私は漢帝国に仕える人間だよ。それに、先に討伐をされたのは衛大将軍の方だよ?」
「「あ。」」
「そういうこと。気にする方がどうかしている。」
「で、でも!ご・・・ごめんさい・・・!」
そう言って笑う琥珀に、空飛は何度も頭を下げた。
しかし星影から見れば、琥珀の態度は不自然すぎた。
(まるで自分が、匈奴の人間じゃないみたいな口ぶりな・・・。)
「まあ・・・結論から言えば、衛青将軍も霍将軍も立派な方ってことだよね?」
「そうだね。」
「そうですね。」
その言葉を最後に、三人の会話が途切れた。
星影、琥珀、空飛の間になんともいえない空気が流れた。
「それで・・・霍将軍はどうなの?」
最初に口を開いたのは、沈痛な空気に耐えられなくなった星影だった。
「・・・・どうとは?」
「なにがですか?」
「だから〜霍将軍は、今も匈奴と戦っておられるのか?」
何気なく聞いた星影の問いに、陰気な空気は消滅した。
「「ええ!!?」」
否、消滅したと言うよりも、吹き飛んだと言った方が正しい。
二人同時に絶叫したかと思うと、まじまじと星影を見つめる。
「林山・・・あなたなにを言っているのですか!?」
「驃騎将軍・霍去病様は、二年前に亡くなられただろう!?」
「亡くなった!?」
この答えには、今度は星影が絶叫した。
「な、なんで死んじゃったの!?」
「死因は病死です・・・!お歳も、二十三歳とまだまだこれからでしたのに・・・。霍去病様が亡くなられた時の、陛下の嘆きようと言ったら大変なもので、しばらく食事も摂られなかったのですよ・・・!」
―――――――――――――――― 夭折 ――――――――――――――――――
星影の頭にその二文字が浮かぶ。この時になって星影はやっと思い出した。
二年前、匈奴討伐に活躍した若き将軍が亡くなり、都はもとより中国各地で彼のために祈りをささげ、その死を惜しんだことを。
当時の自分は、己の境遇、女性の弱い立場を恨むことに気をとられ、英雄の死を惜しむことも、考えることもなかった。
むしろ皆からちやほやされ、奉られる若き優秀な将軍に、殺意さえ抱いていた。
(―――なんで男ばっかり―――!!)
女というだけで、家という籠に閉じ込められる自分達。
それに比べて男たちは好き勝手なことばかりして!!
女のどこが男に劣るというんだ!?
私達のおかげで子孫を残していけるというのに。
不公平だ!!
一心に、そんなことだけを思い、日々を過ごしていた私。
男に対して、激しい妬みを抱いていた自分。
今考えると、昔の私は自分のことしか考えていなかった。
「ごめんなさい・・・。」
神妙な面持ちで言う星影。
それは、琥珀や空飛に向けて言ったものではなかった。
(申し訳ありません・・・霍去病将軍・・・。)
天界にいるであろう、英雄に向けて謝罪の念を込めて祈ったのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
いまさらなのですが、小説の中で空飛が呼ぶ「今上」とは、皇帝を意味する呼び方です。ただ、使用できるのは、在位中の天皇に対してのみです。ですから、この小説を使って説明しますと、七代目皇帝である劉徹(武帝)を今上と呼ぶのに問題はありません。しかし、6代目皇帝である劉啓(景帝)に使うのはおかしいです。今を生きているお上に対して、「今上」と、使うのが正しいそうなので(笑)要は、【生きている時限定】で使える呼び方だそうです(苦笑)だから、武帝が死んだら、今上とは呼ばれません。その後を継いだ子供が今上になりますので。