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夏に包む手(前編)

「あ、わりい」

「いや」

 始まりは、些細なことだったと思う。階段の手摺りに手をかけていたら後ろを歩いていたその人が偶然におれの手の甲に指を重ねていた。

振り向くと、既に手は引っ込まれていた。白い、無表情な顔。咄嗟におれから謝ってしまい、なんでおれが、とちょっと嫌悪。

古い恋愛ドラマのようなワンシーンも、相手が相手なだけにただの日常風景。短いやり取りの後に、急いでいたのか(だから手が重なったんだろう)おれを越してそいつは三階へ上がっていった。

 冷たくて、細い指だった。

 男には珍しいよな・・・。夏の校舎、周りは首にタオルをかけたり髪を汗で濡らしているのに、そいつだけは違う、まるで秋の終りにでも佇んでいるような。ひんやりとした指がそれを増長させていた。なんとなく印象に残り、指先のまるい感触が甲にまだあったのでさすってみた。



「プールプールーっ!」

 岡野が机の上にタオルと水着を投げ出し女子に非難を浴びる。

 ・・・・・・そこお前の机じゃないからね。

「はいはい更衣室いこ」

 首根っこを掴み、今にも脱ぎ出しそうな岡野を引っ張りおれも水着やタオルの入ったナイロンバッグを持ち教室を出た。夏の体育はプール授業。男子と女子は週交代で行うから一緒になることはない。岡野や他の連中はものすごく残念がっていた。

 体育はクラス合同で、隣の奴らも交じって授業。つっても、準備運動が終われば後は自由だから丸々二時間遊べるんだけど。

 そんなわけでおれと岡野、その他諸々は持参していたビーチボールを膨らませ水球をやっていた。ぎらぎらと照り付ける太陽が頭を焦がす。冷たい水が振り上げた腕で撥ね、卵でも焼けるんじゃないかってくらい照り付いた脳天をじゅわりと冷やした。ビーチボールが高く跳ぶ。まとう水にきらきら光の粒子が反射し、球体に合わせまるく輪郭をつくる。太陽に被せると逆光で調度ふたつ――になる。

 なんてごめんだ、ただでさえこんなに茹だる。

「阿佐ーっ!」

「うぉっワリイ!」

 ぼんやりしてた!  瞬時に指先を伸ばすとからかうみたいに跳ね返った。取り損ねたボールは軽やかにおれを通り過ぎプールサイドに転がっていく。責任持って取りにいきます。って、プールから上がり水の跡をアスファルトにつけながらボールを追ってったら行き着いたのは赤く焼けた白い脚の下。

「わりーっす」

 拾ってくれてもいいんじゃないのか。声をかけても反応がない。中腰のまま追いかけたのでボールを拾い上げてからようやく顔を上げて誰に話しかけたか確かめた。

 ――ああ、朝の。細い指。そんな形容で目の前の男を例え、無愛想に興味は無い。騒ぎが更にうるさくなったあの水の中に戻ろうと思ったのだけど。その時だけはどうしてか、普段はしないお節介心が鎌首をもたげて。

「あんた、大丈夫?」

 ベンチに座り、頭からバスタオルを被って俯いたその様はとても健康的な高校生とは思えない。影をつくり隠れた顔がちらりと見え、それがあまりに青かったから具合でも悪いのかと思ったのだ。

「プール入っとけば、ここより暑くないけど」

 熱射病かと思い忠告してやったけど反応は無い。タオルに隠れて顔が見えた時はちゃんと目は開いていた。うろんそうに、どこかを見つめて。なんか・・・・・・危ないヤツ。背後では「阿佐ー!早くー!」と岡野が叫んでいる。

 「今行く!」 叫び返し、陰気臭いそれに背を向けまた戻ろうとした。・・・のだけど。末端の冷えたあの指が、おれの手首を掴んでいたから、おれまでこんな炎天下で背筋が冷える。

 こいつ、人間だよな。おれにだけ見える幽霊とかじゃないよな、だって、隣クラスにこんな奴見たことない。げ・・・・・・、と内心で漏らし平静を装って「なに」と、問うとまた無言。

 なにがしたいんだか。腕を払い今度こそサヨナラ。水の滴っていた体は既に渇きつつある。こんな日はサカナみたいに水がなきゃしんじゃう。陸で干からびてるお前とは違うのよ。

 待って、と小さく聞こえた気がしたけど、知らないふりをした。なんだってんだ。こんなにカンカン照りなのに、ここだけ冷たい。これ以上関わりたくなかった。太陽を遮る雲のような空気が薄く纏わり付くのを感じ、その場から離れた。


 嫌なことは重なるものだ。


水球にも飽き、プールから引き上げ膝下だけを水中に突っ込みゆらゆら掻き交ぜ遊ばせながら談笑していた。

「なーおれさっき変な奴と会ってさ」

「変な奴? って」

 話のネタにはなるだろうと先程のことを持ち出したら交じって遊んでいた隣のクラスの奴が身を乗り出してくる。たいした話じゃねえんだけど、って、聞かせたら心あたりがあるらしく苦笑した。

「あーそれたぶんさ・・・・・・」

 なにかを含んだ言葉。事情があるのだろうか、少し興味を持った。その気になる名前は、怒鳴り声に掻き消される。

「雪谷が倒れたー!!」

 なになに! と、岡野、おれ、うちのクラスの連中は興味津々といったように大声の元を辿る。白い肢体がベンチの近くに投げ出されていた。死体みたいだ、とぼんやり眺めていたら隣で「あれじゃん?」と隣クラの奴がおれに確かめる。

「あれっすねえ」

「体よえーからしょっちゅう倒れてんの。うちのクラスの奴みてみ」

 言われた通りプールコートを見回してみる。うちのクラス連中は騒然としているけどそれ以外の男供はまたか、と顔を見合わせて互い互いに水遊びや談笑を再開する。みんな一様に同じ反応。

「わー、はは」

 心配しないんすね。・・・・・・てか、さっき腕掴んだのってこれってこと?具合わりいって?

「出席日数ヤバイから最近来てんだけどさあ、迷惑じゃん」

「迷惑て」

 いや、おれのクラスいたらおんなじこと思うかもだけど。そう露骨にする・・・・・・のか? 普通?

「だってあれ、困んね?」

 要するにあいつは浮いてる。いくら倒れる頻度が高い、つったって多少なりとツレがいれば気を遣ってそんな反応はないはず。

「まあ、たしかに」

 釈然としなかったけど、適当に合わせておく。そんなもんなんだろう。

「保健委員ー、C組の保健委員どこ行った?!」

 胸毛キモい体育のセンセがプール周りをうろうろしてる。ギャランドゥーやべえってこっそり耳打ちしたら爆笑。

「つうかお前が連れてけってハナシだよな」

 笑いながらそう零したら隣の岡野が硬直していた。肘で小突かれ、ようやくわかるおれにできていた影の正体。

「阿佐、お前たしかDの保健委員だったよな」

「げ」

 見上げれば、濃過ぎる面のオッサンセンセが青筋立てておれの背後に立っていた。きも・・・・・・間近で見るもんじゃねえな。

「雪谷連れてってやれ」

「えー、水着で? 着替えどうすりゃいいんすか。つかセンセが行くんじゃないすかフツー」

 隣の奴がプ、と噴出する。それが引き金になったのか頭の上には怒声。

「着替えも持っていけ! 監視の後にすぐ会議あるんだオレは!」

 隣と顔を見合わせると口パクで「めんどくさいだけ」と言っていた。ドンマイ、と肩を叩かれ重い腰をあげておれは本日三回目――雪谷、と対面する羽目になったのだ。

 センセーは着替え持ってけっつったけど、授業中とはいえ校舎を水着で歩くのはさすがにナシだ。意識を少しだけ取り戻し、ふらつく雪谷を連れてプールサイドから出た後はプール入口の更衣室で無理にでも着替えてもらい、おれも制服に替えた。具合悪い奴に何悠長にしてんだって怒られそうだけど高校生には体裁の方が大事なんだ。

 こいつには悪いけど、友達いないなら、おれの人として悪いトコが広まるのもなさそうだし。

 意識あんなら大丈夫だろって思っていたけど、雪谷は本当に歩くのも辛そうだったので肩に腕を回させ引きずるように歩いた。

 授業中の廊下はしいんとして、噛み合わない歩調が二人分響く。

それにしてもこいつ・・・・・・ほんとに生きてんのか。朝のあんなやり取りでさえ今になると人間くさいなんて思ってしまう。

 こういう奴は苦手だ。雪谷・・・・・・なんて、ほんとにまんまな見た目。白い、相当に。首に時々触れる、回された半袖の腕から伝わる太陽に焼かれたあたたかさだけが生きてるってのを証明してる。陽射しは刺激が強いのか腕が赤くなっていて痛々しい。

 プールで、おれの腕を引いたのはエス・オー・エスのサインだったんだろうか。一瞬考えてわからなくなる。なんでそんなことを思ったのか。

 第一、一体何に? ゆっくりゆっくり、亀の歩調で保健室まで進む。途中、雪谷がまた気を失ったのでおれは肩を支えるのが困難になった。思い付きで――そうだ、それしかない。背中におぶってみた雪谷は、信じられないくらい軽かった。最初からこうすればよかった、こっちのが早い。

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