11 追う者も馬を潰してはいけない
帳場の横の小部屋を借りる。
ランプに火が入る。机は小さいが、書くには足りる。ジェイは上着を脱がず、すぐ紙を取った。
「私はフェンウィックへ」
「私はエルフォードへ書くわ」
「内容は」
「兄さんへ。ヘンリーは眠っているか確認して。乳母を増やして。シャーリーン様の部屋を封じて。持ち出されたものを調べる。特に宝石、現金、子供部屋の銀製品、父の形見」
言いながら、自分でも嫌になる。いくつあるのか。どれだけ持ち出しているのか。
「それから、白鹿亭の馬車を回収。修道院跡の緑の馬車も、フェンウィック家のものか確認して」
「緑の馬車は貸馬車でしょう。こちらで調べます」
「では、兄さんにはロムジーでヘンリーの銀のがらがらを回収したことも書くわ」
本当は書きたくない。だが書かないわけにいかない。兄は怒るだろうか。
怒ってくれればいい。泣くより、少しはましだ。
ジェイは自分の紙に、迷いなく書き始めている。
字は整っている。大きすぎず、小さすぎず。必要なことが、必要な順に並んでいく。
「何を書いているの」
「父へ。兄がシャーリーン様と出奔。フェンウィック家の名を使って移動している可能性あり。家の信用で金品を受け取らせないよう、主な宿と駅馬車に先触れを出すこと。兄の部屋を封じること。兄名義の手形を止めること」
「早いわね」
「兄は、そういうところを使います」
「自分の家の信用?」
「はい」
彼はペン先をインクに浸ける。
「それから、父に判断を求めます。兄が帰還しない場合、長男としての権利停止。必要なら勘当の書面を準備するように」
「そこまで書くの」
「書きます」
手は止まらない。
「兄は自分の手紙で『ジェイなら代わりを務められる』と書きました」
「ええ」
「《《なら、務めます》》」
その声は静かだ。
怒鳴らない。震えない。ただ、紙の上に決めたことを置いていく。
こういう人なのだ。
私は自分の紙を見る。インクが乾く前に、次を書き足す。
――兄さんは家から出ないで。
――ヘンリーの側にいて。
――泣くなら、部屋の鍵を掛けて泣いて。
――でも食べて。
――スープだけでも飲んで。
――これは私の命令。
書いてから、少し迷う。命令。
まあいい。今の兄にはこのくらいでちょうどいい。
「アマンダ嬢」
「何」
「ウィリアム様へ、こちらからも一文添えてよろしいですか」
「ジェイ様が?」
「はい」
少し考えて、紙を渡す。
「どうぞ」
彼は私の手紙の端に、数行だけ書く。
――フェンウィック家の者として、今回の件は必ず正式に処理いたします。
――ウィリアム様が今なさるべきことは、ヘンリー様の父であることです。
――追跡と手続きはこちらで進めます。
最後に署名する。ジェイ・フェンウィック。
胸のあたりが、少しだけ落ち着く。
「ありがとう」
「いえ」
「兄さんは、そう言われた方が動けると思う」
「ならよかった」
その返事も短い。けれど、さっきより少し近い。
◇
二通の手紙を封じ、早馬に持たせる。さらに、ジェイは町の駅馬車屋へも短い書付を出した。
金髪の女性と、茶色い髪の若い男がフェンウィック伯爵家およびエルフォード子爵家の名を使う場合は、確認なく便宜を図らないこと。
必要なら代金は後から正式に払うが、金品を預かるな。
実務だ。本当に、実務が速い。
私は銀のがらがらを布に包み直す。小さく鳴らないよう、しっかり包む。
帳場の男が、恐る恐る声をかけてきた。
「あの、今夜はお泊まりに」
「すぐ追うわ」
「いいえ」
横から言う。
「泊まります」
「ジェイ様」
「馬を休ませます。人もです」
「でも」
「アマンダ嬢が倒れたら、ウィリアム様が困ります」
それはずるい。兄を出されると、言い返しにくい。
「……分かったわ」
「部屋は二つ。できれば離しすぎないでください。ただし廊下を挟んで。こちらの女中を一人、夜番に」
帳場の男が慌ててうなづく。
「すぐに」
彼の方を見る。
「慣れているのね」
「不名誉な噂を増やす必要はありません」
「もう十分、不名誉な話だけど」
「だからこそです」
正しい。また正しい。
「ジェイ様は、いつもそんなに正しいの?」
「いいえ」
「そう?」
「今は、間違える余裕がないだけです」
少しだけ、言葉が止まる。
この人も、兄に逃げられている。家の恥を追っている。父に、長男の権利停止を書いたばかりだ。
涼しい顔をしているわけではない。ただ、崩れる順番を後にしているだけだ。
「夕食は」
私は聞く。
「食べます」
「食べられるの?」
「食べます。明日も追うので」
「では私も食べるわ」
「はい」
帳場の横の食堂で、硬いパンと煮込みを食べる。味はあまり分からない。けれど、食べる。
彼も黙って食べる。
時々、馬の嘶きが外から聞こえる。早馬が二頭、夜の道へ出ていく音も聞こえた。
エルフォードへ。フェンウィックへ。
家に知らせた。これで、こちらだけが追っているのではない。背後の家も動く。
◇
食事を終え、部屋へ上がる前に、ジェイは言った。
「明日は夜明け前に出ます」
「ええ」
「西の村で荷車を聞きます。そこから古い街道へ」
「シャーリーン様は、また何か置いていくかしら」
「置いていくでしょう」
「次は何かしらね」
自分で言って、喉が詰まる。ヘンリーの銀のがらがらより悪いものが、まだあるだろうか。
いや、考えるのはやめよう。あると思っておいた方がいい。
彼は少し黙ったあと、言った。
「回収します」
「ええ」
「必ず」
私はうなずく。
「頼りにしているわ、ジェイ様」
言ってから、少し驚く。頼りにしている。口に出すつもりはなかった。でも、出た。
彼も一拍置く。
「光栄です、アマンダ嬢」
まだ呼び方は変わらない。けれど、その一拍は覚えておこうと思った。




