ボケとツッコミの推理小説(ミステリー)
私だって推理小説くらい読む。読書にハマったきっかけは児童向けの探偵小説だったし、初めて小遣いで購入した本は青い鳥文庫の夢水清志郎シリーズだった。
読書の入り口が推理小説、ミステリーだったという人は結構多いのではないだろうか。読書の楽しさを味わう上で推理小説というジャンルは構造的な優位性を持っているように思える。
推理小説とは、極めて単純に言ってしまえば、謎が提示され、探偵役が謎を解くことで事件が解決するというものだ(そうではない作品もあるが、あくまでメジャーなものこのような形にある)。お話としてきっちりオチがつくということに最大の特徴がある。
純文学などの場合、分かりやすいオチや解決が用意されていない場合が多々ある。それは作品のゴールに違いがあるためだし、オチがある方が優れているというわけではないけれど、読書に慣れていない立場からすると、煙に巻かれたような釈然としない気持ちになることもあるだろう。
それで読書は性に合わないと考える人もいるだろうから、読書の入口としては分かりすいオチのある作品に触れるのが良いような気がする。
読書に慣れてくると、オチがない、または筋がはっきりしないような作品の面白さも分かってくるようになるだろ
うという希望的観測もある。
さて、誤解を恐れずに言えば、推理小説はボケとツッコミで成り立っているジャンルではないだろうか。ボケ役は犯人、ツッコミ役は探偵である。
犯人が弄するトリックという名のボケに対し、探偵がその仕組みをバラしてツッコミを入れるという意味もあるし、また、追い詰められた犯人が語る苦しい言い訳や犯罪に至った動機といったボケに、探偵が一刀両断のツッコミ(という名の説教)をかますという意味でもある。
ボケとは何だと憤慨される方もいるかも知れない。だが、想像して欲しい。大掛かりな仕掛けで成り立つ物理トリックなどは、その労力に対しリターンが全く見合ってないではないか。涙ぐましい努力や知力を振り絞って行われるのがしょうもない犯罪行為であるという点に、ボケの真髄をみるのだ。そこにある種の笑いが生まれるのである。
推理小説で描かれる動機にしたって、犯罪に手を染めなくても他に如何様にもやりようがあっただろうと思えるものばかりだ。なんて回りくどい方法で目的を達成しようとしているのだと、物語のクライマックスで呆れ返ってしまったこともは一度や二度ではない。
犯人は頭を振り絞ってトリックやらアリバイやらを考え出すが、それだけの頭があれば犯罪に手を染めずとも目的を達成できたのではないかと考えるのが自然だ。用いられる手段とそれによって齎される結果のチグハグさが笑いどころになっており、この点で犯人は一流のボケでなければならない。
そして、探偵はそういったボケに容赦無くツッコミを入れ、読者に共感とカタルシスを与える役割であると言える。ボケてばかりでは読者が得られる快感は少ない。ボケた行動に大いに笑った上で、そこへ鋭いツッコミが入れられて初めて、推理小説という物語は完成を見るのである。
そもそも、犯罪行為(多くの場合は殺人)を犯すこと自体が大ボケの証拠であり、ここにツッコミを入れたいという気持ちが読者に芽生えるのは極めて自然なことであろう。
推理小説を読む際は、こういった視点を持ってみるとより多様な楽しみ方ができると思うのである。
ところで、小説からは離れるが、見た目は子供、頭脳は大人な少年が主人公の有名なミステリ漫画がある。あの作品は一歩進んでおり、登場人物のほぼ全員が色ボケである。
何なら読者も色ボケした目で作品を読んでいるので、ツッコミ切るのにとてつもない時間がかかりそうだ。
だから、あれほどの長期連絡になっているのかも知れない。誰かこの謎を解いてほしいものだ。終わり




