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いつかまた逢えるよね

作者: 霜月希侑
掲載日:2026/04/03


 私たちはいつものように、駅前の小さな公園のベンチで時間を潰していた。彼女はいつものように、膝の上でスケッチブックを広げて、いたずらっぽく笑いながら私の似顔絵を描いていた。


「ほら、今日もちょっと顔怖いよ。もっと笑ってよ」


 彼女の声は、春の風のように軽やかだった。私がわざと眉を寄せてみせると、彼女はクスクスと笑い声を上げた。私は彼女のその笑い声が大好きだった。

おとなしい彼女が、私にだけ見せる眩しい笑顔。動くたびに揺れる艶やかな長い髪。女の子らしい、綺麗で丸い文字で書かれた「今日もお疲れ様♡」


そんな何気ないものが、どれほど大切だったのか、その時の私は気づけなかった。


「またね」


 その日も、私たちはいつものようにそう言って別れた。彼女は右へ、私は左へ。いつもの帰路。

彼女の後ろ姿が、夕陽に溶けていくのをぼんやりと見送った。私には想像もできなかった。それが、本当の「さよなら」になるとは。


 あれから、5年。

 今でも、彼女のぬくもりがこの手のひらに残っている気がする。初めて出会った日のことを、昨日のことのように思い出す。


 大学二年の秋、文学サークルの新歓コンパだった。彼女は隅の席で静かに本を読んでいた。黒髪が肩に落ち、眼鏡の奥の瞳が真剣だった。私はたまたま隣に座り、声を掛けた。


「何読んでるの?」


 彼女は少し驚いた顔をして、本の表紙を見せてくれた。私は笑って、「私も好きなんだ」と答えた。それが始まりだった。


 それから私たちは、すぐに親しくなった。彼女は言葉少なだったが、私の前では少しずつ心を開いていった。いたずらっぽく私の失敗談をからかったり、二人きりのときは恥ずかしそうに笑ったり。彼女の髪を指で梳く感触、彼女が私の肩に寄りかかってきたときの柔らかい重み。すべてが、宝石のように輝いていた。



 彼女が入院したのは、卒業を目前にした冬だった。突然の頭痛と嘔吐だった。


 大学終わりに病室に向かうと彼女は笑って言った。

「大丈夫だよ。ただの風邪だから」


 ベッドの上で、いつも私にだけ見せる笑顔を浮かべる彼女。心配したのも束の間、彼女はすぐに退院して、元の生活に戻った。


 そして、あの日、彼女は柔らかい声で言った。


「またね」


 私はいつも通り答えた。

「うん、またね」




 葬儀の日、私は彼女の棺の前に立っていた。写真の中の彼女は笑顔だった。あのいたずらっぽい笑顔。動くたびに揺れた髪。すべてが、遠い記憶のように感じられた。


 もし叶うなら、「さよなら」を言わせてほしい。


 もう一度だけ、あの笑い声を聞かせてほしい。


 今、私はあの公園のベンチに座っている。桜の季節がまた巡ってきた。花びらが風に舞い、地面に薄いピンクの絨毯を敷いている。彼女が好きだった季節だ。


 スケッチブックを開く。彼女が描いてくれた私の似顔絵が、まだ残っている。少し黄ばんだ紙の端に、彼女の丸い文字で「大好き♡」と書かれている。


 私は空を見上げた。雲がゆっくりと流れていく。


「いつかまた逢えるよね」


 声に出して、呟いた。風が、優しく私の頰を撫でた気がした。


 喪って初めて、気づいた。当たり前の大切さ。毎日の「またね」が、どれほど奇跡的なものだったのか。彼女の存在が、どれほど私の世界を彩っていたのか。


 彼女がいなくなってから、私は変わった。以前は気づかなかった小さな幸せを、大切にするようになった。友人と過ごす時間、家族との会話、朝の陽の光。すべてが、彼女が教えてくれたもののように感じる。


 でも、胸の奥には、まだぽっかりと穴が空いている。


 あのぬくもりは、もう戻らない。彼女の笑顔は、写真の中でしか見られない。それでも、私は信じている。


 いつか、どこかでまた逢える。


 あの公園で、彼女がスケッチブックを広げて、私をからかう日が来るかもしれない。いたずらっぽい笑い声が、風に乗って聞こえてくるかもしれない。


 私は立ち上がった。ベンチを後にする。足取りは、少し軽くなった気がした。


 「さよなら」じゃない。


 「またね」


 いつかまた、逢えるよね。

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