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山桜の鬼

作者: 桜庭
掲載日:2025/12/03


 ——なんや、かあいらしい(ぼん)ぼんやなぁ、こないなところで何してはるん?


 ふとそんな声が聞こえ、私は顔を上げた。山桜の太い枝から白い脚が二本、ふらふらと揺れていた。ほっそりとした綺麗な右の足首には赤い紐飾りが結われており、彼女の足が揺れる度、先に付いた黒い石がチリチリと音を立てた。


 遊んでいた木の棒を離し、その白い脚を見上げる。私が何も言わないことに怒った様子もなく、声は小さく笑う。


 ——お日さんおるうちに早よ帰り。日が暮れたら、この辺りにはこわぁい鬼が出よるよ。


 からかうような声に、私は母さんの言葉を思い出し、微かに震えた。

 笑いを含んだ楽しそうな声は、くすくすと笑い続ける。


 ——なんや、坊。鬼が怖いんか?


 違う、と首を横に振ったが、彼女は信じてくれなかった。


 ——うそ。泣きべそかいとるやないの。ふふ、かあいらしいわ。


 違う、鬼が怖くて泣いているのではない。私が泣いているのは、ここから動いてはいけないよ、という母さんの言葉の意味を知ってしまったからだった。迎えに来ると言った母さんの言葉が、嘘だったとわかってしまったからだ。


 しゃくりあげながら話す私に、それまで笑っていた彼女はふと、ほうか、と呟いた。


 ——坊……捨てられたんやね。


 白い脚が、揺れるのを止めた。鬼の贄にされたんや、と声はどこか憐れむようだった。


 村では年に一度、山の鬼に村で一番うつくしいとされる子供を捧げる。それが昔からの習わしで、今年は私が選ばれた。ただそれだけだ。


 それだけの事が、とても悲しかった。


 ——ええよ、泣いたらええ。好きなだけ泣いたらええんよ。


 優しい声が歌うように降りてくる。眠れない夜に、背を叩いてくれる母さんのように温かな声が、より一層私の涙を誘った。


 ええよ、ええよ、とくり返される声のままに泣いて、泣いて、泣き尽くした私は、涙が落ち着く頃にはすっかり疲れてしまっていた。幼子のようにうとうとと舟を漕ぐ私に、声はやはり優しく語る。


 ——ええよ、寝たらええ。好きに泣いたら、今度は好きに寝え。


 好きにしたらええんよ、と声は笑う。それは、先程のようなからかいを含んだものではなかった。慈愛に満ちた、優しい笑い声だった。


 ——ほら、これを掛け。


 ふわりと落ちて来たのは、土で汚れた白い打掛だった。桜色の三角模様が並んだその着物を体に巻き付けて、私は誘われるままに眠りについた。


 ——ふふ、ほんまにかあいらしい。こんだけかあいらしい子やったら、仕方ないなぁ……。


 眠りにつく前、そんな声がした。けれど、それを最後まで聞く事はできなかった。最後に目にしたのは、眩しいほどに白い、彼女の足先だけだった。


 目を覚ますと、辺りには誰もいなかった。

 朝もやの中、体に巻いていた打掛を手に山桜の木を見上げたが、白い脚も、人の姿も、もちろん鬼の姿もそこにはなかった。ふるりと寒さに震え、再び打掛を纏う。


 ふいに、彼女の声が聞こえた気がした。


 ——好きにしたらええんよ。


 確かに彼女はそう言った。おぼろげな記憶を頼りに、私はゆっくりと山を下り始めた。山桜の木を、振り返ることはなかった。


 村につく頃には、辺りはすっかり夕暮れだった。それぞれの家に帰ろうとしていた大人たちが、私を見てぎょっとした。土で汚れ、木の葉を頭に付けながら、打掛を纏った私を見て、大人たちは叫んだ。


 子どもが帰って来た、と。


 灯りを持った大人たちがわっと駆け寄る。中から母さんが飛び出した。よく帰って来た、無事かい、と泣きながら私を抱きしめる母さんに、私は呆然とする。帰って来た。暖かい母さんの手だ。体の力が抜け、倒れるように崩れた私に、大人の一人が訊ねた。


 そういえば、その格好はどうしたんだ、と。


 そうだ。村の子供はみな鬼に拐われぬよう男児(おのこ)の格好をする。だというのに、私はその上から女人の着物を被っている。


 もらった、と言えば、大人たちはこぞって不思議な顔をした。そんな時だった。


 人混みの中で、わあと激しく泣き出す婆がいた。理由を問えば、彼女は泣きながら言った。それは、十年前、自分が娘に贈ったものだと言う。贄にされる娘に、魔除けの文様をあしらった着物を待たせたのだと。


 ああ、そうか。私は守られたのだ。


 守りの着物を私に譲った彼女は、今頃私の代わりに鬼に食べられてしまっただろう。そう気付いた時、私は婆と一緒になって激しく泣いた。

 泣きながら、耳の奥で、聞き逃した彼女の声を思い出す。


 ——ほうか。坊も、捨てられたんやね。


 ああ、そうだ。確かに彼女はそう言っていた。十年間、鬼から逃げ続けた彼女は、私を救うためその身を鬼に捧げたのだ。


 その夜、村は奇跡が起きたと祭りを行った。燃える火を見上げ、私は枯れた山桜の木を思い出す。


 ええよ、ええよ、と笑った彼女の白い脚を、私は忘れることは無いだろう。






 ——なあ、鬼さん。勝負しよか。かくれんぼ。十年、うちが隠れ通せたら、鬼さんはもう子ども食べへんって約束してえや。代わりにな、もし鬼さんがうちを見つけたら、うちは鬼さんとこお嫁さん行ってもええよ。


 ——なんや、不満そうやな。こないなべっぴん、二度と現れへんよ。食べて終いやなんて、もったいないやないの。


 ——うち以上のべっぴん? おらんよ。おらんけど、せやなぁ……もしおったら、ええよ。そん時はうちのこと食べ。うちのこと食べて、その子をお嫁さんにもろたらええよ。


 ——約束やで。ほな、隠れるさかい、十数えてや。









昔公開していた作品の再掲です

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