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絵を描いた彼はちゃんと絶望を知っていた

 予兆はなかったとさっき言った。


 でも、強いて言うなら、夜ご飯の後にメイの家に行こうと思い立ったこと。あるいはこの気まぐれは予兆と言えるかもしれない。


 メイの家までは5分とかからない。私はお母さんに声をかけた。


「お母さん、メイの家に行ってくる」

「こんな遅くに?どうかしたの?」


 なんとなく、というのが本当のところなのだけれど、そう言うと止められそうな気がした。


「メイに教科書借りてたの。テストも近いし返してあげなきゃ」


 教科書を借りてたのも、テストが近いのも本当だけれど、実は3日前に返している。少し悪いとは思いつつ、嘘を混ぜた。


 もしかすると私の嘘に気がついているかもしれない。けれどお母さんはこう言った。


「すぐ戻るならいいけれど、気をつけてね」


 昼間は大きな機械の音をならしているガレッジは静まりかえっている。その隣のメイの家をみて、私はいぶかしんだ。普段なら明かりがついている一階のリビングがなぜか暗かったからだ。


 不思議に思ったが、私は彼女の家のインターフォンを鳴らした。


 家は静かなままだ。明かりがつくこともドアに向かう足音もない。この辺りはお店もない住宅街だからなのかもしれないが、インターフォンの音がいつまでも耳に残る気がした。


 さっき感じた奇妙さが一層大きくなった。いつもだったら、メイがすぐに出迎えてくれるのに。どこか外出しているのだろうか。こんな時間にメイとメイのお父さんの二人が外出する、というのはあまりなさそうだけれど。


 ドアノブに手をかけた。するとほとんど抵抗なくドアが開いた。


 やっぱり、変だ。


 私は玄関に入り彼女の名前を呼ぶ。


「メイ……メイ、いるの?」


 返事はなかった。だけれど、おかしなもので、何も音がしなくてもなぜか家の中に人がいる、という気がした。家にメイはいるけれど、返事ができない?もしそうだとしたら、よくないことが起こっているのではないか。


 私は靴を脱いで足音を殺した。一階のリビングまでは数メートルとない。


 私はリビングに入ると、暗い中に二つの影を見つけた。


 一つの影は椅子に座って、だらしなく見えた。力なく落とした肩に、傾げた首。それはメイのお父さんだったが、いつもと様子が違っていた。いつもだったら、どこか落ち着きのない仕草を見せる。だけれど、遠目にも彼が動いていないことが分かった。


 もう一つの影は、椅子から一歩距離をとって立っていた。私は声をかけた。


「メイ……なにかあったの?」


 私はリビングの電気のスイッチを探した。入り口近くにそれらしきものを手探りしたら手ごたえを感じた。


 明かりで照らされたメイは見たことがない表情でたたずんでいた。絶望ってタイトルが付いた絵をみたことがある。人を書いた絵じゃなくて、私にはよくわからない暗い何色かわからない模様がたくさん書いてある絵だ。その時私は何も感じなかった。芸術家の感性は分からないと首をかしげたものだ。今のメイを見て、その絵が浮かんで、初めて、絵を描いた彼はちゃんと絶望を知っていたんだな、と思った。


「メイ……」


 彼女はソケットレンチを離さなかった。恐怖して武器を構える、というより、手の開き方を忘れたみたいだった。


「メイ、逃げなきゃ」


 私は自分でも思ってみなかったことを口にしていた。逃げる?どこに?当てなんてあるの?なんのために?


「ほら、人が来ちゃう。早く」


 メイの腕をとりながら、自分の体が自分でないような気分に襲われた。そのくせ、頭は妙にクリアだった。


「走ろう」


 椅子にかかっていた彼女の上着をメイの肩にかけながら、扉に向かった。外に出て駆け出す。手はつないだままだった。彼女のレンチを持っていない方の手はとても冷えて湿っていた。


 しばらくして、うめき声が後ろから聞こえてきた。メイだった。


「あぁぁ!」


 私は走るのをやめて、メイを振り返った。彼女の怒ったところをみたことがなかった。泣いたところも。今、私は見たことがないものを見ていた。


「なんで、私は歌っちゃダメなの!なんで、お父さんの言いなりにならなきゃいけないの!お父さんが失敗したのは私のせいなの!自分が怠けていただけじゃない!ただ怠けている自分を肯定したいだけじゃない!そんなの、冗談じゃない、冗談じゃないよ!」


 何も言えない私を、メイは見た。いつもみたいな、優しい、表情なのに、涙がたくさん出ていた。


「全部、お父さんが死ぬ前に言えればよかった。お父さんを殺してしまう前に言えればよかった…」


 声がどんどん小さくなっていったのに、私にははっきり聞こえた。いつも歌っている、美しい声の、なんと悲しいことだろう。


「わたし…わたしは、本当に、なんて…」


 その言葉を言うのに、メイはずっと私の手を握らなければならなかった。メイは言った。


「わたしは、なんて、弱虫だったんだろう…」

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