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仕立て屋

「ねえ、こんなこと言いたくないけど、いつまでもこの状況でいるのはよくないわ」


 日の当たるテラス席には涼し気を纏った秋風とコーヒーの匂いが漂っていた。秋風の匂いと言うとよく笑われる。あまりに小説家過ぎる表現らしい。そう言われると、かえって僕は混乱した。何か特別なことをしたつもりはない。


 特別なこととそうでないことを判断できないのは、生きる上であまりいい事じゃない。そういう食い違いを指摘されるたびに僕はノートに記録した。人と違うことは悪い事でない、なんて誰が言い出したんだろう。でもいくらノートに書いても人生はいつも新しい状況というやつを出してくる。


 そういうわけで、彼女の発言が僕には全く理解できなかった。何を指して、『この状況』で、どうしてそれが『よくないのか』。そういうことを素直に訊くのは一つの手ではあるが、それはたいてい問題の元になる。


 とはいえ、まったく相手の主張を理解せずに会話をするという、綱渡りをしていても、結果的に状況は悪くなるだけだというのは、経験則として知っていた。やむを得ず彼女に訊き返す。


「えっと、どの状況だと、なにがよくないの?」


 案の定、彼女は少し苛立った。


「ふざけないで」

「ふざけてないよ、悪いんだけど」

「小説家のあなたが、いつまでも仕事をせずに、どこのだれかもわからない人間にだけ物語を書いているのがよくないのよ」

「どうしてよくない?」


 僕は質問を繰り返す。彼女はため息をついた。苛立った自分へのため息にも見えた。


「あなたは今、岐路にいるの。売れる作家とそうでない作家との。次の作品を出さなきゃいけないの。世間があなたを忘れる前に」


 彼女の言葉が不思議に感じた。僕の仕事は、世界をよく見て、それを伝えることだ。ちゃんと自分が見得ることを見逃さないで、伝えるべきを伝える、それだけが僕の職業の中で一番大事なことなのだ。


 そして、その観点に照らすと、僕が今やってることは、とても重要なことのはずだ。


 たとえたった一人の読書に向けた物語だろうと。


 それは僕の重要な責務ではないのだろうか。


 僕はそうしたことを彼女に伝えた。結構真剣に言ったつもりだった。


 彼女は困った顔をした。


「理念はわかるわ。いえ、完全には理解出来ないから、『理屈』はわかる、になるのかしら」

「理屈だけでも分かってもらえるのは助かる」

「でもね、やっぱり私はあなたに賛同できないの。あなたの担当編集者としては。私の仕事は世の中の『沢山の人に』あなたの小説を読んでもらうことなの」

「お金のためじゃなく?」

「お金のためじゃなく。あなたの作品を継続的に人々に読んでもらう。もしかしたらほとんどの人はあなたの本を読んでも、ただの娯楽というかも知れない。でも、その『沢山の人』の中に、救われる人がいるかも知れないわ。あなたの小説に」


 彼女はが僕の担当をするときに言ったことを思い出した。一応、私は金融が専門だから、お金の歴史も仕組みも少し詳しいの。そしてどれだけその仕組みが脆弱かも、少しは理解しているつもり。だから、あなたが売れて欲しいのは、お金のためじゃないのよ。


 立派な考えだと思う。それに、正しいとも。


 だけれど、それでも僕が間違っているとも思えないのだ。


 ふと、口をついて出てきた。


「君は、きっと損してるね」

「なにが?」

「人の話をちゃんと聞こうとする」


 彼女は眉根をしかめて、席を立ってしまった。怒っているのは感じられたけれど、荷物を置いているので、しばらくしたら戻ってくるだろう。


 僕は今、ある物語を書いている。


 二人の女の子が主役のお話だ。僕は専業作家だから(少なくともそう名乗っている)、小説を書くことは別に変なことではない。問題は公開を限定的にする、という事だ。具体的に言うと、たった一人にしか公開しない小説を書いている、という事になる。


 僕の仕事仲間が、それについてどのような意見を持っているかと言えば、担当編集者の彼女がおおよそのことを代弁している。ただし、彼女は大分、公平な方だけれど。


 少し、反省した。僕としては、褒めたつもりだったのだ。人の主張を受け入れていると損をする、それにも関わらず、公平であろうとする彼女の姿勢を。それなのに、彼女を怒らせてしまった。


 席に戻ってきたら、まずその辺のところを話さなければ。


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