あの「お姫様」に、目に物をみせてやる。
「逃した魚は大きかっただろう。思い知るが良い!」というシリーズの1つ目です。→https://ncode.syosetu.com/s8970h/
「婚約破棄、ですか」
「ああ。君にはすまないと思っている。が、聞き分けてくれると助かる」
助かる、と言いながら断られないことを前提とした話の進め方は傲慢だ。
まぁ、仕方がない。彼にはこれが常であり、断られるなど露ほども考えていないのだろう。
いつも饗されている香り高い茶を一口。
自宅では到底口にできないレベルの物だ。
「なぜか、とお伺いしても?」
理由を聞かれるとは思っていなかったのだろう。片眉をぴくりと動かして明後日を向いていた視線をこちらに向ける。
「驚いたな。君にも意思というものがあったのか」
「それは失礼を」
「いやこちらこそ失礼した。馬鹿にした物言いであった」
馬鹿にしている。
それ以外に何がある。
私とて貴族の端くれだ。「家」の意思に沿った行動は当然だろう。
だから今、ここに座っているのだから。
「恐れながら。これでも貴方様の婚約者として不足は無いと少々自信を持っておりましたのよ?それが覆りそうなのですから。今後のためにも私に何が足りなかったか、勉強させてくださいませ」
我ながら平坦な声での物言いに、彼はひとつ頷いて紅茶にぽとりと一つ、砂糖を落とす。
「不足など無かったさ。君は大変出来が良かった。良すぎたのだよ」
「は?」
「私には勿体ないとね。喜びたまえ。君は次の国母となる」
絶句する。
彼の二つ上の王太子には、同盟国から三年前に嫁いできた姫君がいる。
やさしい方だ。性格も、容姿も。
まっすぐな黒髪。少しつり目がちでくっきりとした目元。
だが常におっとりとした所作のせいか、ふんわりとした雰囲気を纏った姫君だった。
あまり語学が堪能では無いようで、茶会ではいつも少し困った顔をして聞き役に徹していたので、ご生国の話を振ったりして助け船を出したことも何度かある。
王太子殿下との仲も特に悪いところは無かったはずだ。
睦まじく笑顔で庭を散策していた様子を見たこともある。
王太子殿下もどちらかと言うとおっとりと見える方なので、双方の醸し出す柔らかい雰囲気を眺めていると何やら和んでしまったことを思い出す。
子はまだいない。
だが、嫁いできて三年。見切られるのは早いのではないか。
「兄上の嫁が「あれ」では外交に障る、となった。君くらいが丁度良いそうだよ」
口元に皮肉な笑みを浮かべながらひょいと肩をすくめる。
確かに王太子夫妻と私たちでは並び立ったとき雰囲気が全く正反対だった。
ふわふわとした一組の横に、「氷のような」とか「冷たい」などと称される私たちが並ぶと、自然、人の輪は王太子側に集まる。
良いことではないか。それの何がいけないのか。
どこに不満があるのかと考える。
「お二方だと交渉の際つけ込まれる。無論兄上はそのような隙は無いのだが。いや、隙があるように見せて、逆につけ込んでいるな」
くつくつと人の悪い笑みを浮かべて茶器に口を付ける。
私も倣って一口。二杯目の彼とは違い、一杯目の私の茶はすっかり冷めてしまっているがこれはこれで口に合う。
「ならば…」
「義姉上が耐えられなかった」
かちゃり、とわずかな音。
「愛されて育った第三王女には荷が勝ちすぎているとのことだ。居室から出てこなくなった」
再び絶句。
なんだそれは。
「泣かれたそうだよ。解放してくれと。兄はあれでも冷静な方だ。君を譲ってくれと言われた」
一応、兄上も説得はなさったそうだ、とさほど興味無さ気な様子で言われ、私はどう返せば良かったと言うのだ。
「すまないな。聞き分けてくれ」
帰宅した途端に父に呼び出されて彼と同じようなことを伝えられる。
同席した母はひっそりと眉を顰め、外務大臣である夫の顔を見やる。
「勝手なこと」
「そう言うな。あの時点ではあれが最良だったのだ。同盟強化のためには嫁いでくる姫に出来るだけ高い地位を与えることが必要だった。王女の希望だったしな。でなければ戦には勝てなかっただろう」
4年ほど前、他国に脅かされた我が国は、同盟国である王太子妃の生国に支援を求めた。
その見返りとして出た話が、第三王女の輿入れだった。
次代に食い込む腹づもりだったのだろう。
目論見が透けて見えたそれに、もちろん抵抗はあったが結局は受け入れることになった。
おかげで戦には大勝。両国の国庫は大いに潤ったと聞いている。
「結局資質が足りなかったのだろう。それがあの国の誤算だったな」
ふん、と父が鼻を鳴らす。
当時も外交を担当していた父は、不満だったのだろう。
かの国は王女ばかり三人。長女は既に王太女として立派に務めを果たしており、次女は同国の高位貴族と婚約済みで、嫁ぐ直前だったそう。
残る三女はそのおっとりとした気質から大いに愛され、可愛がられてたそうだ。
予定ではそこそこの家の次男か三男を婿に、新たな公爵家を起こして実務は婿に、娘は何もせずとも悠々自適になる予定だったと聞く。
なんとまぁ、羨ましいこと。
そして派兵の要請に立ち会った王太子殿下に一目惚れ。喜んで嫁いできたと聞く。
ふわふわとしたあの笑みを浮かべた結婚式は記憶に残っている。
そして三年が経ったところで「こんなはずでは無かった」と嘆いているらしい。
母に同意する。全く勝手なことだ。
結局彼女は生国に逃げ帰り、王子妃教育終了目前の私がそのまま王太子妃に収まるのが一番影響が少ない、となったそうだ。
そんなことで。
そんな一人の「お姫様」のせいで、私の10年が無駄になるのか。
国にとっては無駄ではないだろう。王子妃教育に上乗せで教育を施せば、立派な王妃教育だ。
既に国内の若年貴族からの支持もある。
原因は「弱い」王太子妃にあり、王家に全く咎は無い。
だからそこそこ実績があり、外務大臣を父に持つ私が王妃になれば良し、と判断されたのだ。
王太子殿下にもメリットはある。強硬な妃と温和な王。良い対比だ。よりいっそう優しく見える王様は、さぞ民に慕われることだろう。
だが。
彼の横顔を思い出す。
柔らかい雰囲気の王妃似の王太子殿下と違い、怜悧な、ともすれば目つきが悪く冷たい印象の王に似た第二王子。
共に兄王を支えて行こうと話し合ったのは10年前に出会ったすぐだった。
彼も文句無く優秀で、着いていくために必死に教育に取り組んだ。
それもこれも、彼のことが好きだからだ。愛している。
成長するにつれ幼さを脱ぎ捨てると共に怜悧な印象を醸し出すようになった彼が、ふと漏らす、滲み出すような笑みが好きだった。
エスコートのときに触れる暖かい指先が嬉しかった。
夜会で挨拶を受ける時、さりげなく背を支えてくれる掌に心が温かくなった。
出会いこそ政略だったが、二人で育ててきたものは政略以上と思っていたのに。
ため息を吐く。
ここで我を通すことは可能かもしれない。
だがそれをしてしまうと、あの姫と同じになる。
それは駄目だ。私の矜持に関わる。
「承りました」
簡素な答えに、父は鷹揚に頷き、母はため息を漏らす。
見せてやろう。かの姫に。
手放した物は大きかったと。惜しいことをしたと悔しがらせてやる。
当分の間、彼の顔を見ると苦しいだろうけど。
私と違う令嬢が彼の隣に立つことを想像しただけでも泣きそうになるけれど。
国を背負う。
このことを甘く見た「お姫様」に、目に物を見せてやる。