二人目の子供の出産。そして娘は幼稚園入園へ
切迫早産で入院して約1ヶ月半後。私は退院することができました。
二人目の赤ちゃんが産まれるまでの数ヶ月、娘と二人で過ごす最後の期間を楽しみました。
娘の2歳の誕生日を過ぎて数日後に破水し、急いで病院へ。超安産で、二人目の赤ちゃんとなる息子が産まれました。
二人の子供の子育ては、最初から自宅で、夫と二人で始めました。「里帰りはしない」。自分で決めたことでしたが、正直、体も心も疲れ果てました。そして、周りのママ友達が皆、里帰り出産をしたり、自宅に戻ってきてからも、何度か、実家に戻ったり、親御さんが訪ねてくる話を聞き、羨んだこともあります。
それでも…と、五体満足で健康にすくすくと子供達が育ってくれれば、と、子育てと家事の両立を、私は懸命に頑張りました。
娘が三歳となり、幼稚園に入園することとなりました。今までは、母子だけの生活が長く、時々、ママ友達とそのお子さんとで遊んだりの日々でした。幼稚園生活に慣れてくれるのか、不安を覚えましたが、娘の世界を広げる機会、成長のチャンスととらえて、入園式にのぞみました。
幼稚園の年少組。四月の登園初日から、母親から離れるのを嫌がり、大泣きする大勢の子供達。ですが、娘は殆んど泣くことが無く、ぼんやりと私の後ろ姿をみていたものです。不思議に思いつつも、泣かずに幼稚園に預けられることに安堵していました。
まだ、オムツが外れておらず、幼稚園の先生から「幼稚園の生活に慣れれば、そのうちに外れますよ」と仰ってくださいました。
集団生活が始まると、どうしても、他のお子さんと自分の子供の成長を見比べてしまいます。
娘は三ヶ月経っても、オムツが外れませんでした。同じクラスの園児はひとり、またひとりと、だんだんとオムツが外れていく子が出てきます。
毎朝の登園時、着替え用の布パンツの補充を教室内の娘のロッカーに補充するのですが、結局、クラスの中で、最後の二人になってしまいました。そのお母さんとは、「なかなかオムツが外れませんね」と、オムツ補充をし、お互いに励まし合いました。
何とかオムツが外れた頃、ふと、娘が他の子と違う一面があることに気づきました。
園内では、泣いている子がいると慰めたり、一緒にいたりして励ましたりする「良い子」と、毎日のように、担任の先生から帰りのお迎えの際、いつも褒められて帰宅していました。しかし、幼稚園の門を一端、出ると、娘は大泣き。私にしがみつきながら泣いています。私には、娘が何故、泣くのかの理由が全くわかりませんでした。
自宅に帰り、娘の話をゆっくり聞きました。例えばABCの三種類の遊び場があって、娘が順繰りにその三つの遊びをしようとします。しかし、幼児なので時間配分という感覚が無く、二つ目の遊びの途中で給食の時間となり、最後の三つ目の遊びができなくて泣けてしまうと言うのです。
他にも、前日に担任から「明日は○○して遊びます」と提案されていたけれど、翌日、別の遊びをすることとなり、「何で?」と、パニック状態になっていたようです。
そして、ある出来事をきっかけに、私は娘が他のお子さんと何かが違うという思いが確信となっていくのです。