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新人刑事村瀬の事件簿 青春篇  作者: 柳花 錦
8/10

鑑識の仕事

 鑑識室情報処理班はオタクの精英と評される連中の集まりで、女性が一人もいない。その理由はこれだけの技術があれば、もっと給与のよい民間企業にいくらでも勤められるからである。女性が男より現実的判断に優れることは明白である。

ここにいる若い男達は、ここなら堂々とスパイごっこができると喜んで薄給の警視庁に就職した親泣かせの天才大バカ者集団だ。自分の興味対象に首までつかって喜んでいる者達ばかりだから、自分に妻子や恋人がいないことを不幸とも不自然とも思っていない。

渡辺がぶんどってくる予算をたっぷり使い、警視庁で何の役に立つ? と言われながら、宇宙とも交信でき、かつ、宇宙との交信も楽々ハッキングできるレベルの通信技術を開発し、ハッキングや、暗号化されたデータ通信の解析を一般人には理解不能な高度な専門用語を使い、嬉々として行なっている。

「室長、こんな技術も開発しちゃいましたー、何か捜査に使えますか?」と天真爛漫に国家を破綻させられる技術を報告する者が多いのもこの部署の特色である。あんまり嬉しそうに報告するので、渡辺は得意になってその技術を民間企業に勤めるお友達にリークしたり、実力試しにアメリカ国防相の極秘データをネットで公開したり、ロシアの軍事衛星をくるくる宙返りさせて動画投稿サイトにアップして遊んだら、パソコンの一台もないオリの中にブチ込むとクギを刺すのを忘れない。二四時間以上パソコンと離れたら禁断症状で発狂すると知っての厳罰である。人道上やったことはないが、赤ん坊のおしゃぶりを取り上げるのとどちらが早く発狂するか疑問である。


情報処理班は多量のコンピューター機器の廃熱を遮断するため、特別な温度設定なので、鑑識の一コーナーを他のセクションと壁で遮断されている。連中はトイレに行く時、ドアを開けるや口にハンカチをあてて慌てて走り、なるべく呼吸しないように鑑識の分析機器が並ぶガラスで区切られた他のセクションの前を通過する。僕達バイ菌に弱いから。


豊な環境で過保護に育った者が多く、渡辺が採用の時見た書類に誰も目立つ病歴などなかったはずだが、自分は病弱だと信じている。過保護に育ち過ぎていて、プレイステーションの中でしかスポーツをしたことがない者までいる。


鑑識の情報処理班以外の連中が、白衣や帽子、マスク、手袋を装着しているのは薬品を使うためと証拠の血液などの体液や凶器に余計な付着物をつけないためであって、感染力の強いウイルスを分析しているわけではない。だが白衣の必要もない彼らの目にはナマモノが付着したバイ菌の分析と映るようだ。


常時稼働しているコンピューターからの廃熱で、政府の省エネ政策を物ともせずにエアコン温度を一八度に設定し、渡辺などはたまにここに入ると肌寒いと感じるような温度で仕事している。それでも若い彼らは暑いと感じるらしく、半そでのアロハシャツに短パン姿が多い。机にはマイ扇子や団扇がころがっている。なんか暑くねえ? 誰だよ温度設定を二〇度にしやがったのは?

 

ばれたか、ここは年寄りには寒いんだよ。腰が痛くなりそう。渡辺だった。

トレースの時間帯を特定し、その指令を出したパソコンから、ありとあらゆる連絡先をトレースして目標人物とそのつながりを特定するよう伝えると、渡辺はそそくさと部屋を出た。どの国のサーバーを経由しようと、人工衛星のサーバーを使おうと、連中は発信源を必ず特定する。しかも早く。


村瀬から渡辺に緊急電話が入った。

「今、下です。縛りあげてた大男の麻酔が醒めました。ロープをブチ切って階段を猛スピードで上昇中。室長の匂いをトレースしているのかも。用心して下さい」

二人の男が階段を猛スピードで駆け上がってくる音が反響している。

「ドアを閉めろ」

「ウガー!」

大男が半分閉まったドアをブチ破って飛び込んできた。続いて村瀬も飛び込んだが、大男は机の上をピョンピョン飛んで、まっすぐ渡辺に向かっていった。

鑑識の連中はもたもたと銃を構えたが、銃の扱いに慣れていない。誰かが天井を撃った。

「ばか、撃つな、互いを撃っちまったら、どうすんだよ!」

渡辺が慌てて止めても、また誰かが焦って窓ガラスを撃った。

「撃つな! 機材にあたって分析中の証拠に影響がでたらどうする?」

パニックで誰も聞いてない。ジャーンというひときわ大きな金属音が響き、全員が音の方を注目した。村瀬が机の上で証拠物件をのせる空の金属トレー二つをシンバルみたいに叩いていた。

「ほーら、こっちだよー、僕を捕まえてごらーん」

トレーを置くと、上着を脱いで大男に闘牛士のように振って見せた。

「オーレ! こっちだよー、オーレ!」

「バカ、それでひっかかるのは牛だろ、ゲ、本当にひっかかった!」

大男は渡辺のことはすっぱり忘れ、鼻息も荒くひらひらはためく村瀬の上着に突進した。一応霊長類、バカにされたと分かったか。

「オーレ!」

村瀬が飛び退くと、大男は先ほど壊したドアから飛び出し、階段から転げ落ちて気を失った。大の字になった大男は北欧系の村瀬よりはるかにデカい。キメラというのは本当かもしれん。


渡辺は凶悪犯用の特殊金属手錠を大男にかけ、念のため麻酔をかけてから待機させていた測定班にありとあらゆるセンサー類に対処できるよう指紋の他に、静脈、網膜のコピーも作らせた。DNA鑑定班には、特に慎重にやるように、そして人類にあるまじきいかなる異様なデータがでてこようと、そのことは対外厳秘であることを確認した。


「測定班のコピーができ次第、捜査一課、武装して出撃、鑑識第一グループ及び、鑑識新人グループも台場の海辺の教会に出動だ。臓器売買の黒幕はここにはいないが、証拠を拾いまくって、外堀を埋める。新人グループ、お前達はカタコンベ担当だが、このレベルでドジふんだら、大学につき返してやるからな。ぬかるんじゃねえ」

測定班が大男の精密な手形を左右両手分持ってきた。シリコンを柔らかくしたものでできており、指紋はもちろん、爪、静脈、関節、体温まで真似ており、どんなセンサーでもくぐれる一級品だ。こんなバカでかい手で首を掴まれたら一瞬であの世行きだ。右、左と分けられた小さな容器に入れられた網膜もこの男の目玉をくり抜いたのかと思えるほど精密だった。重量のある手錠を足にも掛けて車椅子に括りつけてから一課の取調の専門官に大男を渡した。人間用の麻酔ごときじゃものたりないらしく、もう目覚めてしまった。


「御客様のお迎えに参上いたしました」

取り調べの専門官は英国貴族の城に仕える執事のような慇懃無礼な態度を崩さぬベテランだが、車椅子からはみ出すようにたくましいゴリラと並ぶといかにも小柄で細身だ。用心しろと話すそばから、大男は専門官を威嚇するように歯をグワーっと剥いて見せた。専門官は驚きもせず、銀ぶち眼鏡の位置を少し正しただけで、取りすまして渡辺に感想を述べた。

「お上品なお客様ですこと」

肝の据わった男である。渡辺だけにきこえるようにこそっと、

「何か分かり次第すぐに連絡しますが、体のわりに脳容積小さそう」

このゴリラは末端の部下ゆえ情報はあまりとれないだろう。渡辺は無言で頷いた。

「それではお客様をお部屋にご案内いたします」

城の執事が貴族の客を大理石の暖炉のついた豪華な客間に案内するかのようにしゃなりしゃなりと取り調べ室へ連れて行った。この男も一流ホテルで高給取りのコンシェルジェが務まるだろうに何を好んでこんな所で薄給の公務員をやっているのだろう? 昨今は取り調べで自白を強要されたとの自白の無効の訴訟に備え、検察庁でも裁判所でも、やりとりは最初から最後まで全て映像に撮るのだ。警視庁でも自白の無効の訴えに備え、何があってもお上品を貫ける抜かりのない男を取り調べの専門官として配備していた。


捜査一課はスイスの銀行の指定振込口座の名義人をつきとめようとやっきになっていた。臓器を買った客達がみなここに振り込んでいるのだ。だが、捜査一課ごときが裁判所からの正式捜査令状を見せて、犯罪に使われていたものだと証明しても、スイスの銀行は口が堅く、上顧客の口座名義人なんて教えてくれない。

渡辺も二分くらいは悩んだが、しょせんオタクの親分だ。これは技術の悪用ではない。情報処理班はうずうずしていた。

「技術はこの日のためにある。正義のためだ。口座の名義人をつきとめろ」

情報処理班がウヒャッホー、と言って楽しげにキーボードをたたきだしたと思ったら、

「はい、わかりました。室長のお名前と同じです。渡辺賢蔵、同姓同名の他人ですか」

「はい、わかりました。名義人のプロフィール、職業、地方公務員、所属は警視庁、住居、日本、東京、世田谷区成城5丁目。室長のお城の隣近所ですか?」

「許さん! 誰だ、俺のなりすまし犯は?」

「室長名義になっているんだから、面白いから全額引き落としてやりましょうよ」

「そんでもって、南の島のリゾートホテルを島ごと買って、警視庁の保養施設にするの」

「遊んでねえで、さっさと俺のなりすまし犯捕まえろ。いやまて、その手を使おう。口座の金が全部なくなっていたら、慌てて本当の持ち主にコンタクトをとるはずだ。口座管理者の名前は誰になっている?」

「37番とだけあります」

「37番君が焦ってどこに連絡するかトレースできる体制を整えたら、口座を空にしろ」

ウヒャッホー! いたずらはジジイも楽しむものなのさ。目に物みせてやるぜ、俺のニセモノ! 渡辺の瞳がいたずらっ子のようにきらりんと輝き、口元がニンマリと笑み、白い歯がのぞいた。イチゴショートは大好きだが、まだ入れ歯ではない。

「つきとめました。田園調布のお屋敷街。太田厚生労働大臣宅です」

「ほおお。誰かと思えば、俺の大学同期、汚いことが大好きで、モラルなしのレッドカードラインバッカー君ではないか。やつなら遠慮無用、ヒーヒー泣かせてやるぜ。真由を登用してやる」

真由に電話すると

「村瀬君を攫ったヤツを破滅させてやる!」

「アワワ! 怖いんだよ、おめえは! 法律の範囲内でやるんだぞ!」

わかってんだろうな、と念を押す前に通話が切れた。 

真由のような過激な跳ね返り娘は、自分の指揮下で動いてもらう方が、まだ安心だ。


カタコンベ担当となった鑑識新人チームは壁に埋め込まれた骨の数々に番号をふりながら何体あるのか数え始めた。発掘調査の様に折りたたみ式の箱に丁寧に入れて行く。ここは危険がないとわかったので、渡辺が新人チームにまかせたのだ。経験がものを言う室内はベテランにまかせてある。

「俺達をひよこ扱いして、考古学調査なんて。もっと危険が一杯の仕事もしてみたいよ」

不平をいいながらもチームは日ごろから渡辺にびしびししごかれているから、人類の骨数を間違えることはない。ここまでで、一人、ここまでで一人、とくぎりながら、進んでゆく。

「ここは一般的なお墓じゃないわね。今のところ全部子供の骨だわ」

「ああ、それにカタコンベじゃないよ。古いものでもせいぜい十年くらいしかたっていない」

「それにたかだか一平米で五〇体ということは、向こうの壁までで千体はあるんじゃないか?」

「こんなに大量の子供達が亡くなったという話は聞いたことがないわよね」

新型ウイルスの大流行の年もあった。今までの薬が効かないタイプで、パニックになったが、新薬開発が間に合い、予防接種も可能となり、死者は体力のない高齢者が多かった。交通事故や列車事故もたまにはあるが、子供だけの大量死ではなかった。


渡辺は常に骨一本にもプロファイリングをしろとやかましく教育していた。大腿骨をじっと見ていた新人の一言から訥々とプロファイリングが始まった。

「ねえ、この子たちの骨、細すぎないか? 立ち歩いた形跡がないようだ」

「それに判で押したように同じサイズじゃない?」

「ひょっとしてこの子たちって、クローン製造工場で培養されていた子供達じゃないの?」

「考えたくはないが、一定のサイズになると収穫されたとか」

新人鑑識班はカタコンベで青ざめて固まり、しんと静まり返った。あるものは泣き、あるものは外に飛び出して吐いた。これに耐えられなければ鑑識は務まらない。鑑識一年生の最初の試練である。鑑識の仕事は一見大学の研究室と変わらないように見えながら、その目的は、死因の特定、事故原因の特定で、人の命の重みがズンとくるものなのだ。


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