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新人刑事村瀬の事件簿 青春篇  作者: 柳花 錦
7/10

嵐を呼ぶお茶会

藤堂課長をいいように使っていた政府高官達による匿名組織、長老会は小ぶりだが豪華な会議室で密談していた。連絡係りの室田秘書室長が、資料を渡した。

「遅れ知らずの彼女から直接の報告が無いと不安になるものだな」

「負傷して入院中ですが経過良好だそうです。これがその入院中の隠し撮り映像とカルテです」

「利き腕を撃たれた上に、足のマメが破けて包帯しているだと?」

「見舞いのケーキを二切れ半食ったところで気絶したと言ったか?」

「ケーキの香りづけリキュールで、アルコールがまわり眠りこけたようです。周りの少年達は二〇切れ食って、脚を吊ったまま陽気に笑い転げ、目覚めると頭痛に襲われ、何が起きたか覚えていなかった。夫人が異変に驚いて緊急ボタンを押したので、盗撮できたのです。診断は全員二日酔いです」

「これは我々の藤堂課長ではない。盗撮のような初歩の仕事も出来んのか」

「いえ、百発百中の腕前を持つ通称ケルベロス、藤堂の本当の姿です。犯罪を犯した子供達をかばって撃たれたようです。」

政府の中枢はクールにビシビシ仕事をこなす中年上級職姿の藤堂しか知らないから、子供じみた姿を見てうろたえた。

「高齢化は容赦なく進んでいるんだぞ。今月だけで新たに二十万人の年金受給者が増えるんだ。彼女なしでは年金体制が崩壊するぞ」

「ううむ、彼女の所有権を巡る裁判には負けたが、彼女にはまだまだやってもらいたい仕事が山積みだよ。この度の事件は不法人体製造工場と裏帳簿は押さえたが、肝心の工場のあげた利益の行方がつかめてないからね。巨悪の工場は壊滅させてやったが、連中の利益を差し押さえて年金基金に叩きこむまではこのミッションは完結しておらん」


 真由は退院するとすぐにプライベートなアジトに使っていた警視庁近くのマンションに行った。部屋は彼女好みのガラスと白と大理石を基調としたモダンなしつらえだったはずだ。そこからの眺めも好きだった。だが、玄関入口の二重扉の指紋照合と瞳の光彩による認証システム両方ではじかれた。管理人に電話し確認すると、彼女の部屋は引き払われ、既に別の住人が住んでいるという。


こういうことをしそうな人間に心当たりがある。私の本当の趣味と全然違うオヤジ趣味炸裂型のピンク部屋に私を軟禁して、記憶をミスリードしようとしていた人物。実の父親、渡辺である。

どうもくつろげなくて変だと思った。あの頃は本気で悩んでいたんですからね。

彼女は渡辺が帰宅すると、問い詰めた。

「私の許可無く、私の痕跡を消したわね?」

瞳に超優秀な捜査官の光を宿した鋭い尋問だった。娘として聞いているのではない。プロとして答えねば、ごまかせる相手ではない。

「ああ。指紋をすべて拭き取り、私物は全て焼却した」

「大事なものもあったのよ」

瞳に怒りの星が瞬いた。


 商売道具の変装用具など、どうでもいい。大事なのは彼女のベットに寝かせてあった村瀬と眼差しが似ている毛深いテディとか、テディとか、テディとかだ。村瀬が好きかもしれないと思って買った超高級な白神山地産の白薔薇のトワレや、可愛いと思ってくれるかもしれないと思って買った、薄絹の純白のネグリジェとかだ。仕事を終えて帰宅して、湯船にゆっくりつかった後、このお姫様みたいに見える薄絹の純白のネグリジェを着て、優美な香りのする白薔薇のトワレをつけて、真剣なまなざしの村瀬と似ているテディとベットに入るのが、彼女の至福のお休みタイムだったのだ。テディの首に手を回し、真剣な眼差しの彼と見つめあってから、そっと目を閉じると、優しく何かしてくれそうだったのだ。その至福を断りもなく焼却するとは! 彼女の瞳に怒りの雷が横切った。彼女は自分の巣穴を攻撃されて、泣き寝入りするようなタイプではない。


「今度そんな真似したら、ハムレットのお父さんにしてやる」

殺して幽霊にしてやるという脅しをこの城館に相応しく格調高く文学的に表現してから、渡辺の前でくるっと踵を返すと、台所でデザートを用意していた夫人に、さも、哀れっぽく泣真似をした。三秒以内に一番効果的な報復にでるとは優秀すぎだろおまえは!

「お父さんが、私のマンションを処分する時、無断で私の大切なテディを燃やしたの」

夫人は飛び上がり、夫に詰め寄った。

「娘の物を勝手に処分するなんて! 一旦、全部うちに持ち帰って、娘にじっくり選ばせればいいことでしょ! うちにはスペースが十分あるんですからね。女の子の大切にしていたテディを焼くなんて、なんて野蛮な!」


娘可愛さで、逆上した夫人は渡辺に襲いかかった。愛する妻に逆らえない渡辺は夫人のきれいにマニュキュアされた爪によるひっかき攻撃に耐えながら、もぞもぞと反省の言葉を口にし、娘の調書に相手の弱点を確実に攻撃する、他の追随を許さぬ連勝記録更新中のエースとあったのを思い出した。無論、デザートは抜かれた。親子喧嘩ごときで敵に回したくない娘である。 

 

渡部は反省の証として村瀬を我が家にお茶に招くことを承諾した。

渡辺夫人は娘ともども、うきうきと、村瀬が来る日を楽しみにしていた。だが、渡辺だけは納得しておらず、娘を守る最後の砦として立ちはだかることを決意した。

「家に来たら、犬をけしかけ、犬のエサにしてくれる」

「真っ先に彼に懐くと思うけど。それにまだ赤ちゃんだから柔らかいペットフードしか食べられないわ」

真由は甘えん坊の可愛いミニチュアダックスフンドのメスの子犬を抱いていた。犬のくせに生意気に赤いリボンを額につけている。真由にとっては村瀬とオープンカフェで過ごした楽しいひと時を思い出させる子犬だが、これも渡辺が勝手にテディを処分した穴埋めに買わされたものである。


昔のように勝手にペットショップで買って持ち帰っていいわけではない。高齢化で膨れ上がる医療費抑制のため、公衆衛生の規則は厳しくなっており、真由は未成年だから犬を飼うにも役所に親の同意書と親の納税証明書を提出する必要があった。しかもありとあらゆる予防接種を済ませた証明書や犬の全身写真も添付せねばならず、結構大ごとだ。窓口で犬の申請登録する係の男は、渡辺のいかつい顔と体を見、保護者欄の職業、警官、役職、鑑識室長、の文字とミニチュアダックスフンドの写真と早速赤いリボンをつけた実物を見て、キーッヒヒと嘲笑った。


翌日なぜかそのことが警視庁中に広まっており、「そういうご趣味だったんですねー」と皆から言われた。目に嘲笑が含まれていたことは言うまでもない。

俺の趣味じゃねえっつーんだよ。俺だって本当はライオンみたいにかっこいい動物にしたかった。それにしても、昨今の個人情報保護法は漏洩が多いんじゃないか? ツイッターか? 


子犬は短足胴長で、その形状から渡辺が思わずモップと呼ぶと、怒り狂って渡辺の足首をがしがしと噛む。子犬だからどうということはないが、妻と娘が飛んできて、ちゃんとマリアンヌと名前で呼ばないのは言葉による動物虐待だと責めた。

渡辺が子犬が前が見ずらかろうと目にかぶさっている長めの毛を切ってやろうとすると、またまた妻と娘が飛んできた。

「あなたのセンスで勝手に切らないで。ちゃんと美容室予約してるんですからね」

と厳重注意された。

渡辺の愛を込めたシャンプーで泣き叫ぶくせに、犬用美容院は大好きで、犬用タラソテラピーなんぞまでやって、赤いリボンをつけてつんとすまして帰ってくる。得意顔で私はきれいな女の子なの。さあ、褒めてくれて良くてよ、と言っているようだ。何様か?


渡部家の城にいよいよ村瀬がやってきた。手作りのレモンパイを持参していた。渡辺は来客用の応接室や夫人の好きなティールームではなく、離れの茶室に通した。

村瀬に無教養者の烙印を押し、真由から遠ざける戦略であるため、情報漏洩を警戒して、この家庭内ミッションは妻子には言ってなかった。

「最初にまず仕事の内密の話があるから」

そう言って、妻と娘とメスの子犬を母屋に遠ざけた。

家庭内に何で俺には同性の味方がいないんだよ? 


女達は大いに不満を並べたが、仕事の話が終われば村瀬と会えると分かり、村瀬が来る頃には着物に着替えて機嫌を直した。子犬も赤いリボンを三つもつけて、ご機嫌だった。

妻の着物姿が美しいのは、茶会などにでかける姿を見ていて知っていたが、真由の振袖姿は初めて見た。白い絹地に金糸で縁取りした花々の刺繍のあるもので、渡辺に花嫁衣装を連想させた。髪を上げた姿も清楚で美しく、首筋のおくれ毛にほんのりとお色気が漂っていた。口紅の色がいつもの可愛らしいピンクより少し赤が濃い。

許せん、許せん、許せん!

この男二人の茶会の決闘の後、娘が村瀬とお出かけしたいなどとおねだりしたら、きっぱりと拒絶してくれるわい。


村瀬のために由緒はなくとも、いわくのある怪しい茶道具をネットショップでとりよせておいた。

床の間の掛け軸は「放下着」、これを下着を投げるなどと読んだら、無節操な無教養者として叩き出してやろう。正解はホウゲチャクと読み、執着、煩悩を投げ捨てろという禅の言葉である。厄祓いで有名な神社の神主の筆である。

茶杓もその神主作で、銘は「天誅」。

釜に入れた水は、朝の四時にその厄払いで有名な神社の湧き水からくんできた聖水である。少しでも邪悪な心があれば、天罰がくだるという。

抹茶は店のオリジナルブレンドの濃茶で、銘は「女難」。通常の暗緑色ではなく、何が入っているのか疑問を感じる明るい黄色である。

季節の和菓子の銘は「魔女の宴」、トカゲ粉末入りとある。武士の情けで毒性がないことだけは確認した。全てネットで最も信憑性のある厄よけショップ、「蛙の王子様」からとりよせたもので、妻子に隠れ、こっそり準備していた。

彼が亭主をつとめ、茶を点てる。なんであいつが女房や娘に茶を点ててもらえるんだよ。俺で十分。奴の脚がしびれて立てぬよう、初心者にもやさしい薄茶より点前の長い、濃茶を選んだのだった。


村瀬はしゃきっと正座し、渡辺が不自然な黄色の大量の抹茶を茶碗に入れ、これでもかと練るように茶をたてるのを見守った。黒楽茶碗で練られた濃茶は通常の暗緑色ではなく、レモンイエローのペンキを流した様だった。村瀬はその不自然な色に臆することなく、作法通りのやり方で飲み、

「結構なお練り加減で」

と決まり通りの挨拶をし、掛け軸をホウゲチャクですね、と正しく読んだ。聖水で点てたのになんともなかった。なんだよ。村瀬は無教養者でも、聖水でもがき苦しむような無節操者でもないということか?

村瀬は津軽藩士の先祖を持つ日本人の祖母に茶道をしこまれていた。黄色い太陽のように仕上がる抹茶を見たことが無かったが、きっと東京にはこのようなものもあるのだろうと思い、普通に飲んだ。多少動物性たんぱく質の香がしたような気がしたが、気のせいだろう。  

 渡辺の思惑ははずれ、村瀬は茶室のやわやわとした柔らかな障子の光と、茶室に面した庭の蹲のししおどしがカコーンと鳴る風流な音を楽しんだ。


ふいに障子にバカでかい怪鳥のような影がよぎり、障子がバリっと突き破られ、キングコングのような男が乱入した。真由を救出した時、村瀬が蹴り倒した男だった。首筋にメスを刺した傷跡がある。村瀬がすかさず立ち上がり、応戦し、取っ組み合いが始まった。渡辺は足がしびれて急に立てず、四つ這い状況ですぐに加勢できなかった。渡辺の携帯が鳴った。


「一番凶悪な奴が逃げました」

「そいつは今、俺の家にいる! SATを連れてすぐに来い」

「何か茶室が騒がしいわね。何をやっているのかしら」

真由と夫人が茶室を覗くと、渡辺が四つ這いになっていて、村瀬と大男が乱闘していた。村瀬が二人に気付き、

「逃げて!」

と叫んだ。

真由は急いで母を連れ、携帯でSATと医療班に連絡をとりながら、父の書斎に母を入れ、キャビネットの猟銃を取り出し、母に内側から鍵をかけるように言い、茶室に飛び込んだ。大男を狙って迷わず撃ったが、奇跡の動体視力ですっとよけ、村瀬を脇に抱え、庭に飛び出し、三メートルある壁を動物のように軽がると飛び越え、逃げ去った。


「あいつ、ただ者じゃないわ」

村瀬は平均的な日本人より大柄で筋肉質なのだ。それをあんなに軽がると。それに私の銃撃を二発ともよけた。普通なら膝をブチ抜いていたはずだ。

脚のしびれでまだ四這いの渡辺をしり目に、真由は部屋を飛び出し、村瀬を追ったが、着物で速く走れない。家の外に飛び出すと、急停車したSATのトラックの脇に黒のボルボがすっと停まり、金田課長が窓から顔を出した。


「草履くらい履きたまえよ、 相変わらず粗忽な999番君」

真由はなれない草履は走りづらく、途中で脱ぎ棄て足袋で走っていた。

「なんで嫌味の1000番がここにいるのよ?」

金田はニッと笑い、

「そんなことも知らないのかい?」

散々喧嘩したビン底眼鏡と歯列矯正姿の少年が目に浮かんだ。

「ふざけないで! 緊急事態よ。村瀬君が大男に攫われたの。見なかった?」

「見てないよ。警察犬を呼びたまえ」

 緊急配備したにもかかわらず、村瀬の行方がつかめなかった。


金田は勤務地がどこになろうが交通の便利のいい新宿駅二分の堂々たる高層マンションに住んでいた。玄関には一日しかもたない夏椿が白く清らかに咲いている。日本では育たない熱帯性の沙羅双樹とよく間違えられる花である。内装は豪華でジャポニズムを意識したものだ。

部屋のあちこちに禅語が掛かっている。床の間の掛け軸に書かれた文字は『主人公』である。修業を積んだ者なら、その言葉を『ブッダの教えを中心にして生きてゆく』と正しく解釈するだろうが、一般人には『自己中』と読め、自己中をポリシーとして床の間に掲げているんだー、おー、嫌な奴! となる。真由と金田は目が合うと同時に思った。絶対、こいつは誤解した解釈をしてるはず。おー、嫌な奴! 真由は今夜のスパイ行動を想定してスリムな黒づくめだった。


「常の女教師姿といい、この間の露出系といい、さっきの七五三みたいな着物姿といい、何だね、その趣味の悪い盗人ファッションは? 君は昔から美意識が欠落してるよね」

「私はミッションに最適のかっこを選んでいるの」

「七五三もかね?」

相変わらずの皮肉屋ぶりだが、今それを問題にする暇はない。真由は本題に入った。

「村瀬君は真面目な民間人よ。救助の協力してくれるわよね?」

「その指令は俺達の組織からは出ていない。警察に任せろって事だ。逆に言えば、俺達はかかわるなの意味だ」

金田は変装を解いた。金庫型の中年男の中から、痩せ型の切れ者と言った感じの若い男が出てきた。整った顔立ちだが、何の感情も映さない目が爬虫類のように冷たい。村瀬の真由を見るときの嬉しそうに輝く瞳や、戸惑いつつも向けてくる、愛情のこもった瞳とは比べようがない。彼を失った時を思うと心に穴が開きそうだ。真由はライバルの前で涙を必死にこらえた。彼を思うとどうしてこう感情が爆発してしまうのだろう?

「せっかく来たんだ。僕のコレクションルーム、見る? 鉄の処女やギロチンがあるよ」

「ヘドが出るわ」

「残念だ。友人達はみな、素晴らしいとほめてくれるんだが」

「ふん」

「お宝映像もあるよ。君が見舞いのケーキを食って、気絶した写真とか、ああ、特にこれ、蝶の羽をもぐような美しい拷問写真。君の自白剤に耐える健気な姿、見たくない?」

「なんでそんなもの撮影してんのよ! そんなもの他人に見せたらあんたの首を斬る!」

「君を至急篠崎病院から救出しろの司令が出てさ。1001番があちらの医師とすりかわって君を拷問して助けてやろうとしたのに、君は気付かず自己暗示をかけてしまったね」

「そいつが自白剤の分量を間違えたから記憶が飛んだのよ」

怒った顔が美しい。もっといじめてみよう。

「彼は本職も医師なんだぜ。君の乱れた食生活を思いやって、美容のためにすり替えたビタミン剤やら栄養剤を打ってくれていたんだ。分量も安全の範疇さ。君が勝手に自白剤と思いこんで自己催眠をかけてしまったんだ」

「ふん」

「連中も隠しカメラで拷問を見てたからおおっぴらに正体を明かすわけにもいかなかったんだ。君は友達もいないから彼が同僚だってわからず、自己催眠を強くかけすぎたんだ」

「そんなことないわ」

自分のミスを認めぬふてぶてしい態度をとられると、心の底からいじめがいを感じる。

「日本政府が五人子供産んだら、フリーにしてくれるらしいよ」

真由がきっと睨みつけたが、その目から大粒の涙がこぼれた。

えっ? 俺の知ってる999番は誰よりもタフで小賢しい戦士でいじめがいのある鉄面皮だったはずだが。

「彼とよく似た黒髪の男の子が十人は欲しいわ。でも、彼がいなければできないわ」

もうこのヘビ野郎の1000番に何と思われても構わない。村瀬がこの世界からいなくなる恐怖と虚しさに感情が爆発し、叫ぶと同時に涙が飛び散っていた。彼女の売りの抑制の利いた藤堂課長はどこかに消し飛んだ。


 ネクタイ売り場で彼に手を当ててみると彼の胸は筋肉質で頼もしく、温かく、鼓動は太陽が昇って行くようなスピードだった。それを知って自分も小鳥がさえずるような鼓動になってしまった。太陽みたいな強い瞳で私を見てくれた。彼の腕の中はとても安全な場所だと感じられた。私の存在意義を認めてくれて、私を好きでいてくれる。彼そのものが私の居場所で存在意義なのだ。


「お願い、協力して。彼がいなければ心は空っぽ。仕事だけに生きる今までの自分に戻れない」

「まさか、おまえ、本気で・・・・・・」

自分の目が信じられない。愛する男を思い我を失い、体裁も構わず嵐のように泣き叫び、組織の掟を破り、プライドをかなぐり捨てて同僚の中で一番嫌っていた俺に救出の協力をお願いするなんて! 


偽の拷問の時、彼女の眼から大量の涙が流れ出た。あの時は静過ぎてまるで生理反応のように見えた。もしかして村瀬のために一言ももらさないように最後の力で耐えていたのか?


秘密捜査官999番、通称ケルベロスであることを確認するために藤堂課長の映像を見せられた。車の中で村瀬と映る彼女は幸せそうだった。誰も仲間がいなかった彼女のあんなに楽しそうな姿、初めて見た。ケルベロスの通称は嫌がらせとして彼がつけたのだ。


 十才の頃、彼女は、彼がズルして勝った時、顔面に全治一週間の歯型と引っ掻き傷をつけて、皆の笑いものにしてくれた。その攻撃の激しさたるや、一瞬、野猿に襲われたのかと思ったほどだった。負けず嫌いで、男嫌い。女とは成長すると思いっきり価値観が反転する変な生き物なのか、それとも彼女だけが変なのか。

理想の女なる生き物は地上にはいないのか。優美な写真たてに収まった女性の写真を見た。合成写真で、着物姿の上品で美しく控え目な金田課長の妻ということになっている。もちろん嫌味の1000番は妻などという面倒なものを持ったためしはない。ミッション上の架空の人物金田課長を演じている時に妻帯者という設定にしているので、完全を来すための小道具だ。金田課長は芸細かく出勤時に金の結婚指輪をしている。


「協力してくれるの? それとも耳が遠くなったの?」

「君は気絶したままの方が美人だよ」

まあ、同僚の中では俺が一番優秀だったから仕方ないってわけだ。彼女は問題解決を任される花形で、残りは彼女の解決した後の残務処理係りだ。嫉妬もあり、彼女は孤立し、次から次へと仕事をこなしてゆくが、誰かと楽しそうに群れているところを見たことが無かった。彼女が泣くのをやめた。作戦を思いついたのか?


「そういえば家に彼の手作りのレモンパイがあるの。一切れあげるから」

「それを先に言いたまえよ」

どケチ、あのパイか、ホールでよこせと思ったが協力してやることにした。これは貸だぞ。

「やつがキメラだと思わなかったか?」

「え、まさか、法規制がものすごく厳しくて無理なんじゃあ?」

「僕はそう見てる。君と訓練所で知り合った頃、一度だけネット発表の論文でみたんだよ。ゴリラとの掛け合わせは犯罪だとして糾弾されて、すぐに消されたけどね。年齢的に合っている」

「あたしの拳銃を二発とも避けたの。普通なら二発とも膝をぶち抜いていたはず。三メートルある壁も、彼を抱えて軽々と飛び越えたの」


村瀬は真由の切ない涙も心配も知らず、誘拐犯に車に投げ込まれるやいなや、爆睡してしまった。心願成就を目指した無休のハードワークの疲れが貯まっていたのだ。

だが、聖水とトカゲパワーのご利益か、縁起のいい夢を見た。着物姿の真由を名前で呼んで、デートみたいに手を繋いで神社に行って、鈴を鳴らし、同時に柏手を打ち、二人は将来を祈っていた。

そうだ、いいこと思いついちゃった! こいつを生けどりにしたら、渡辺室長に真由さんとのデートを願い出る資格が出来るかもしれないっ!

 村瀬は気絶しているふりをして運ばれることにした。途中で一戦交えるより、敵の本拠地へまっすぐ行って、そこを今度こそ壊滅させてやろう。目だけ動かし、場所を確認した。あれ、この景色、見覚えがある。台場の廃墟街じゃないか。車は立入り禁止の黄色いテープのしてある真由や夫人達が連れ込まれた聖母マリア病院の廃ビルを通り過ぎると、崩れた教会墓地の前で停止した。


大男は筋肉質の村瀬を軽々と担ぎ、崩れた教会の礼拝堂に向かった。説教台に手を置くと、指紋センサーになっており、隠し扉が開き、地下へ続く階段が現れた。男が入ると、自動で階段の入口がふさがり、人感センサーで、灯りがつき、地下へと降りて行った。


 すごいな、この地下施設、いつ誰がつくったんだろう? 教会に非常電源システムなんて普通はない。壁になにやら歴史の教科書で見た様なものが現れ始めた。ここってひょっとしてカタコンベ! 壁に埋まった大量の白い棒に見えた物は人骨だった。今どきどういう宗教の教会なんだろう? 

この街はゴミ処理場の埋立地で、二一世紀直前に一気に開発が進んだのだ。石器時代の遺跡などではない。土葬は現代日本の普通の埋葬の仕方ではない。どちら様の骨なんだよ? 誘拐など発生しても、街中の監視カメラや人工衛星などで相当トレースでき、解決するのだが、毎年少しずつ行方不明者は発生する。だがそれにしても数が多すぎる。


 男は一番手前の部屋に入り、村瀬をソファにねかせ、パソコンをスカイプにした。すぐに立ち上がったが、相手の画像は映らないようになっていた。きっとこっちの様子だけが相手に映っている。案の定、暗い画面から中年男の叱責声だけが響いた。

「使えない男だな、君は」

一瞬、金田課長が自分を叱っているように聞こえ、ぎくっとしたが、飛び起きるようなまねはしなかった。

「適切な麻酔の量もわからんのか。ひょっとしてその若造は死んでいるのか」

大男はさっと首を振ったが、一応村瀬の脈を確かめ、再び首を振った。

「私は君に、警視庁の頭脳である渡辺を連れて来いと言ったのだ。そのために写真も見せたし、家も教えた。それなのに、何の役にも立たない護衛の若造をつれてくるとは。捨ててこい、このバカモノ!」


大男は、うがーっという悲痛な叫びを上げると、村瀬の襟をむんずと掴み、ドアの外へ投げ出したので、壁に叩きつけられ、骸骨と目が合った。背後の扉が閉まった。

まてよ、スカイプ画面から話しかけてた男こそ、捜査一課がメルアドで突き止められず、逃げきっているやつがいると言っていたやつに違いない。あの重量感のある声、人を見下す命令口調、こっちの方が大物だ。ゴリラはやめて、この男を捕えて渡辺室長に献上しよう。いや、両方だ、両方!出世の階段を上り、神社デートを実現させるんだ! きっとやつは指令を受けてすぐに出てくる。まずはこの大男を拉致して警視庁に連れ帰ることだ。そして知っている限りのボスの情報を聞き出してボスを逮捕してやる!


 村瀬は壁に張り付き、扉が開くのを待った。すぐに開いて、大男が出てきた。間髪を入れずボディフックを決めると、大男は跪いた。村瀬は大男のポケットにすばやく手を突っ込むと、クロロフォルムの染みたハンカチを取り出し、大男の口と鼻を押さえた。大男は完全に気を失った。

「きっと持ってるけど使い忘れたんだと思ってたよ」

僕はいきなり爆睡しちゃったし。黒幕から「使えない男」と叱責を受け、しゅんとなった大男の姿には、他人事とは思えぬものがあったが、油断は禁物だ。そのハンカチで猿轡をし、大男を背負うと今度は村瀬が足取りも軽く入口まで一気に走り、ドアの前で気を失っている大男の手を指紋センサーの上に置きドアを開けた。


外に出ると廃墟と化した台場はネオンがないので、星がぽつぽつと見えた。だが、彼の故郷の星空はこんなもんじゃない。いつか真由さんを、家族に紹介する時、一緒に宇宙につながるようなすごい星空を見るんだ。手もつないで。


大男のポケットから車のキーを取り出し、車内に装備してあったロープで彼を縛り、連れてこられた車の後部座席に押し込んだ。懐かしい街中の信号機やネオンサインが見えてきたところで村瀬は携帯を取り出し、渡辺に連絡を取った。

「臓器売買連中の基地の一つを発見。台場の聖母マリア病院の先で、海辺に面した教会です。今、僕を拉致した男を警視庁に連行中です。彼の指紋のコピーを作ってください。礼拝堂の説教台の上が隠し扉の指紋センサーになっていて、そこで使えます。それから鑑識のデジタル情報処理班にスカイプのトレースをお願いして下さい。自分の映像を切って指令を出していた男がこの事件の黒幕で、捜査一課がメルアドで捕まえられなかった男だと思います。こいつの真のターゲットは室長でした。用心して下さい。あと、新しいカタコンベに大量の人骨もあったんです。そちらの調査もお願いします」

「生きてたか。俺もハムレットのお父さんにならずに済む。早速手配する」

「お父さん、最初から茶室に私を同席させていれば、村瀬君を攫われたりしなかった。やつはゴリラとのキメラかもしれないの。村瀬君に何かあったら、ハムレットのお父さんにしてやる」

目に本気が入っていた。本気で惚れてたのか。

娘は作戦にふさわしい黒いスリムな服に着替え、家を飛び出して行った。渡辺は娘が本職の捜査官に戻る道を選んでいたのだと悟った。トレーニングを再開していたらしく、もとのスリムだが筋肉質で俊敏な体つきに戻っていた。娘が渡辺真由としてお嬢様として城ですごした短い日々はあっけなく終わった。


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