反撃
真由は気がつくと廃ビルの一室らしき所で、椅子に縛られていた。手術道具が並んだ台がある。用心深く、動かずにそっと目だけ動かし辺りをうかがうと、垂れ下がった長い髪の隙間から、隣の椅子で、母親が縛られ、泣きながら訴えているのが聞こえた。ある意味ほっとした。母親は生きており、話せる程度には無事だったのだ。
「お願い、真由を逃がしてあげて。まだ子供で人生これからなのよ。殺したければ私を殺して。お金も好きなだけ取っていいわ。バックの中に資産十億以上のプラチナカードがあるわ」
「俺達だってまだ子供さ。内臓取られて死ぬ前に、学校行って、友達と遊んだり、宿題やったり、それに、それに、素適な女の子に話しかけたりもしてみたかった。でも生きているのはおまえら資産階級の内臓のスペアのためさ。俺達は逃走中のモルモットさ」
臓器の飼育工場! やっぱりあったんだ! 真由は政府の秘密潜入捜査官としての記憶が戻ったことに気づいた。何の調査をしていたかはっきりと思いだした。
母親は泣きながらも少年達に抗議した。
「資産階級の内蔵のスペア用に育てられたですって! そんなひどいことがあるもんですか、夫は警官よ。もしそれが本当ならとっくに取り締まっているわ」
「本当だよ。俺達が言葉をしゃべっているのはガキの頃、不況で親から臓器の不法売買業者に売られたからだ。純粋にシャーレで培養された仲間は言葉もしゃべれなくて、歩けない。寝たきりさ。臓器も皮膚も、角膜も、全部取られて穴だらけで死んでゆく。俺達には人生も人格もないんだ。それで決めたんだよ。一人ずつ俺達と同じ目にあわせてやるって」
「あなた達、誰にどこで捕えられていたの? 不法臓器培養工場を組織している連中をのこらず捕まえる。あなた達は被害者。情状酌量があり、教育も受けられ、社会復帰のチャンスを与えられる。あなた達に必要なのはちゃんとした食事と教育とまともな保護者よ」
「真由! 気がついたのね! ああ、神様ありがとうございます。お願い、縄をほどいて、死ぬ前にもう一度だけ娘を抱かせてくれるわね?」
少年達は戸惑った。彼らの母親の記憶はぼんやりしていた。攫われてきた子供もいたが、いなくなった時、慢性不況で、都合のいい口減らしとして熱心にさがしてくれなかったのではなかろうか。だからどんなに夢想しても警察が工場に踏み込み、彼らを救出してくれることはなかった。親とは薄情な存在だ。でも、子供の命を助けるためなら、自分の命を差し出そうとする母親もいる。誰ともなく、母親の縄を解き、娘を抱きしめさせた。
そう、こんな風にしてほしかったんだ。良く似た二人に連綿とした生命のつながりを感じる。だが、娘の方は攻撃力がありすぎて縄を解くことはできない。資産家連中を震え上がらせてやりたかった。赤の他人のために生きたまま内臓をとられる者の気持ちを思い知らせてもやりたかった。でも、彼女の様な愛情深い母親の内臓をくり抜きたくなかったし、彼女の目の前で娘の内臓を取り出す気にもなれない。そんなことをしたら母親は発狂するだろう。自分達もこんな風にしっかりと抱きしめてほしかった。よく考えると欲しかったのは他人の内臓ではなく、親の愛だった。
「私はもう十分生きたわ。ここで死んでも構わない。内臓も取りたいだけ取りなさい。でも、娘だけは無事に家に帰して頂戴。約束してね」
娘のためなら自分の全てを捧げていいと言い切る夫人の瞳は澄んでいた。
彼女は娘をいとおしそうに見つめ、髪をなでると、娘のアップに結い上げた髪に、先ほどの髪留めのピンが刺さっているのに気づいた。そっとピンを引き抜き、後ろ手で縛られている娘の手に握らせた。娘ならこれを有効に使えるはずだ。落ち着いてまずは時間を稼ごう。タバコに火をつけた少年に向かって言った。
「私もタバコが吸いたいわ。落ち着きたいの」
「本当に世間知らずなんだな。この匂いで分からないんだ。これはマリファナブレンド。どっちかっていうと、興奮する系だよこれは」
「これを吸うと脳や内臓がやられて、内臓ビジネスの商品にならないんだ。だから捕まっても内臓を盗られず、奇麗に死ねる。ざまあみろだね」
少年達は一本の紙巻きタバコの様なものを、一服づつ深々と吸って、まわした。仲間同士の連帯の儀式のようだが、死を覚悟した者同士の哀しい連帯を感じた。最後に夫人に回された。彼女は渡されたものを少年達を真似て深々と吸った。少年達が驚いた。
「なんだか冴えた気がする。こんなものを吸ったのはこれが初めてだけど、咳き込むこともないところをみると、私には不良になる才能があるようね」
こんな時だというのに陽気なジョークを飛ばす夫人がほほ笑むと辺りが明るくなった気がした。少年たちはこの母親を好きになり始めていた。こんなお母さんがいて欲しかった。
窓を見張っていた少年が青ざめた。
「大変だ、入口にトラックが止まった。連中がここをかぎつけやがった!みんな武器を持っている!」
「警察なの? だったら本当のことを言って、みんなで助けてもらいましょうよ」
「違う。俺達の飼い主だ。早く逃げろ。商売敵として皆殺しにされるぞ」
少年達は蜘蛛の子を散らすように散り散りに上の階へ逃げだしたが、逃げろと言ったリーダー格の少年が戻ってきて、娘の縄をナイフで切り、夫人に言った。
「あなたを殺さずに済んでよかった」
立ち去ろうとしてまた戻り、ママ、と言って夫人を一瞬抱きしめ、他の少年達と違い、階下へ向かった。オモチャレベルの小さなナイフ一本でトラックできた恐らくは軍隊みたいな本式装備の連中と刺違え、怒りの人生に立ち向かう気だ。
「そうはさせないわ」
真由は戸棚をあけると母親に、
「ここに隠れていて。警察が来るまで絶対出ないで」
母親を入れて戸を閉めようとすると、
「いかないで、あなたを失いたくない。一緒にここで待つの」
「大丈夫。少年達は助け、悪党を切る。すぐに終わる。絶対出ないで。いい?」
娘は優秀な国家の捜査官に戻り、きびきびとした命令口調だった。非常事態に慣れている。頷くと、娘は戸を閉め、手術台の上のメスや鋏をさっと持ち、階下へ向かった。すぐに悲鳴や怒号、銃を乱射する音が聞こえ始めた。
ああ、神様! 娘を、子供達をお守りください。泣きながら祈ることしかできない!
夫人と真由の救出に向かう渡辺と村瀬は高速道路でスピード違反を取り締まる時に使うポルシェのエンジンを搭載した高速車両でお台場に向かっていた。車に乗り込むときに村瀬が運転は得意ですからと言い、ハンドルを握った。アクセルを思いっきり踏んで、右左折もスピードを落とさないから急ハンドルで車体が浮く。確かに速いが大丈夫か?
通信が入った。
「衛星画像によると、少年達は台場の聖母マリア病院のツインビルの北棟にはいりました」
「室長、ドア側で踏ん張って! 次右折します」
「はいよ」
急ハンドルで曲がり、浮いた左側を渡辺がドア側に体をぶつけるようにして戻した。
「SAT車両に追いついた! あいつら重いから反対車線使って抜いちゃいます」
「わわ、ばか、止めろ」
「信号赤だから大丈夫」
マイクのスイッチを入れ
「そのまま停止していて下さい。緊急車両通ります」
「止めろ、中央分離帯だ! だーっ!」
村瀬はわざとハンドルをきり、中央分離帯に片側のバンパーをぶつけ、車を宙に舞わせ、華麗に回転しながら中央分離帯を飛び越え、反対車線に着地させ、アクセル全開で突っ走り、SATのトラックを抜き去ると次の交差点で横滑りするように普通に元の車線に戻り、何事もなかったようにまた飛ばした。渡辺は心臓を押さえた。
「俺の心臓を止める気か! 事故ったらどうすんだよ?」
「最近の車は医療費抑制のためバンパーがやたら頑丈にできているからこのくらい平気なんですよ」
渡辺はエアーバックのグリーンランプをちらりと確認した。作動しなかったのは、ソフトランディングで、センサーが事故と判断しなかったからだ。いい腕だ。
「お前、どこで免許取った?」
「日本です。普段はお上品にやってます」
「ひょっとして不法改造とかもできるだろ」
「やってません」
「できるんだ」
高校時代から寸暇を惜しんでバイトしてきた村瀬のバイト履歴は百業種にまたがり、そういえばその中の一つにスタントがあった。
渡辺は、藤堂課長が自分の娘かもしれないと思った時、村瀬がひょっとして娘の恋人かと疑い、彼のプロフィールを詳しく調べた。
彼の出身は五〇年前に政府が人口減社会に対応するため、及び農業、林業の後継者不足による農地や山林の荒廃を防ぐための移民受け入れ政策で作った東北の移民村だ。いくら農業、林業に人が欲しくても、東北では寒過ぎだ。想定していた人口過多のアジアからの移住者はこないのではないか、失策だったのではないかと言われたが、蓋を開けるとフィンランド人が村として成立するほど来てくれたのだった。
ロシアの軍国主義が顕著となり、独立していた旧ロシア領国家との戦争がはじまり、危機を感じた隣接するフィンランド人が戦争避難先として選んでくれたのだ。家と土地付きの上、銃社会ではないので、不況の割に治安もいいという破格の好条件だったためで、この好条件がなければこの人達はアメリカへ移住してしまったことだろう。
反日感情のない友好国からの移住なので、政府は大喜びで受け入れた。もともと寒い国の出身で、シャイで無口で温厚で粘り強い気質が東北人とマッチして、近隣町村との摩擦も起きず、まるで最初からそこにあったかのように普通に日本社会と同化していった。
村瀬の祖父は入国記録では定年した北海の猟師とあるが、ちょっと調べただけでその前職がフィンランド空軍を四〇才で早期退職した男だとわかる。空軍時代のパスポート履歴を見ても当時の紛争地帯への渡航歴多すぎ。彼が日本に入国した頃、元KGB出身のロシア首相の暗殺事件があり、フィンランドはすんでのところで侵略を免れた。マカロフという大物二重スパイが黒幕だと言われたが、証拠はなく、その後誰も彼の姿を見ておらず、死んだとも引退したとも言われた。
まあ引退だろう。チェックの甘い日本の外務省を愚弄したとしか思えんが、マカロンという似て非なる可愛いフランス菓子の名を名乗り、愛されキャラを演じ、農業をやりにきたと周囲に言い、本当に超人的体力で十ヘクタール開墾し、温泉を掘り当て村に寄贈。村民はほとんどフィンランド人だったから、大喜びで皆でお金を出し合い村営サウナを併設した。
移住村に教員としてやってきた日本人の小学校の先生と結婚。彼女の姓、村瀬を選択。以後ファミリーネーム。子供が生まれると村の小学校には温泉プールを掘って寄付。
この時代は温泉をピンポイントで掘り当てるには軍事衛星をハッキングしない限り不可能だったはずだが、野生のカンで掘り当てたなどというのを鵜呑みにできるか。ローカル紙とはいえ善行を讃え表彰されたので写真映像が検索でき、その姿が分かった。グレーの髪でバイキングを思わせる筋骨隆々のハンサムな大男だ。マカロン君、かわいい孫にどういう教育したんだよ。ワイルドな大男に嬉しそうに寄り添う楚々とした日本人妻が、娘の真由と酷似していたのは父親としては衝撃だった。こういうのがタイプだったのか!
緊急通信が入った。
「武装グループが病院にトラックで乗りつけました。機関銃を所持。どこの連中かは不明。十人入りました」
「時間がない! ここ通ります」
サイレンを切ると、いきなり急ハンドルで細道を曲がった。
「わあ、バカ、ナビを無視するんじゃない! がれきが撤去されていないところも多いんだ」
がれきが目の前に現れと、更に急ハンドルで右折し、細い路地を右側のタイヤだけでワンブロック走ると、周りが台場の廃墟街になった。渡辺が窓に体重をかけ、車体を戻し、無線で
「台場に近づいた。サイレンは切れ。そっと近づき、SATは到着次第全突入。医療班は指示があるまで道路で待機。捕まえた連中からできるだけ情報を取りたい。捜査一課の連中に入口付近を固めさせながら、人質の居場所から臓器の受け渡し、売買ルート、連中を叩き潰す材料を全て尋問するよう伝えてくれ。俺と村瀬が先に入る。間違って撃つなよ」
助けるのよ、あの子達を助けるの!
真由はメスを握り締め、飛ぶように階段を駆け降りた。すぐ下の階で機関銃が鳴り響き
少年の悲鳴が聞こえた。少年は脚を押さえ、うめいていた。犯人が真由に銃を向ける隙を与えず、迷いなく男の首にメスを突き刺した。
「引きぬかなければ死なないわ」
犯人は恐怖でひきつり、メスに伸ばした手を下し、壁にすがるように座った。動脈をわずかに外した位置であることは男にもわかったようだ。
男の機関銃を奪い、撃たれた少年の傷を確かめると、明らかに膝から下を狙っている。
「あなた達を生けどりにする気よ」
男の袖を引きちぎり、少年を止血した。
「この男のメスに触れないで。生かしておいて、組織全体を掴んで壊滅させるから。いい? わかったら物陰にかくれていなさい」
少年が、顔をひきつらせ、がくがくと頷くのを確認すると、真由は機関銃を構えて上の階に向かって行った。窓からの夕日で男の喉元に突き刺さったメスがキラリと光って眩しい。男はひきつったままピクリとも動かない。
あのお姉様は何者だろう? 俺達、金持ちのお嬢様を攫ったつもりが、間違ってとんでもないスナイパーを攫ってしまったのか? こんなプロのスナイパー攫っちまって俺達どうなるの? 上の階から機関銃の音と少年達の悲鳴が聞こえた。だめだ、仲間を助けにいかなきゃ。死ぬ時は仲間と一緒に死ぬ。痛む脚を庇いながら上へ向かった。
夫人は真由の指示を守り、戸棚の隙間から様子を伺っていた。少年達は全員ずらりと並べられ、両手を上げて壁を向いて立たされていた。大概の少年は膝下から血を流しており痛そうだった。機関銃をもった見張りがいる。せっかく逃げていたのに、一人の少年が捕まり、人質にされ、従わないと殺すと脅されると、結局は皆ずるずる出てきて捕まってしまったのだ。しかもその中には戦闘のプロであるはずの真由もいる。左腕から出血し、荒い息をしている。
やはり素人を九人も助けるのは難しいのだ。生かしているところをみると、あの子達の内臓をとる気なのね。男達はあと何人いるのだろう? 男達の野太い悲鳴も散々聞こえたし、真由がいたのだ。数は相当減っているはずだ。でも警察はまだ来ない。ああ、もどかしい。携帯電話無しにどうやって警察に、夫にコンタクトを取ればいいの? 今、身動きがとれるのは私だけ。なんとかしないとあの子達全員、内臓をとられて死んでしまうわ。
「今日は何時頃帰れるの? 夕食は何がいい?」
「ステーキだよ、無論。なるべく早く帰る」
これが夫婦最後の会話のはずがない。彼女は微笑んだ。夫は真由が来てから早帰りを心掛けるようになった。それに新婚以来の習慣で今日は何時頃帰れる、という帰るコールを必ずするのだ。きっと今頃家の電話や携帯に誰も出ないことで事件に気づいて何らかの手配をしているはずだ。あの子達は私の携帯を無造作に捨てたけど、この私が親子三人の家族写真を待ち受け画面にしている携帯を捨てるわけがないんだから、ここで何かあったと思うはず。きっと街のあちこちにある防犯カメラで追ってくれてるわ。問題はこの廃墟街よ。この街は廃墟になってから防犯カメラをつけてないんじゃなかった? この廃墟街のどのビルに私達がいるのか何とか教えなくては。人目をひけさえすれば優秀な鑑識室長である夫が、気づくはず。自分の服を眺めた。一見絹のように見えるが、最先端の宇宙技術を利用した特殊繊維でとても軽い。そして燃えやすいと聞く。窓の外はもう暗くて何も見えない。昼間ちらっと見た限りでは一〇階くらいだった。あまり高い建物とはいえない。それでも窓ガラスから灯台みたいに光を放てば夫の指令でパトロールを強化している誰かが気づくはず。さっき人がいない内に少年が落としていったライターをこっそり拾っておいたのだ。娘は国家機関に育てられた。ほとんど呪縛のように国民を守るようしつけられているから、自分一人で逃げることは考えもしない。でも足を怪我して俊敏さを失った少年を九人も助けるのは一人では無理。何としてでも警察を呼ばなければ。これは私だけに出来ること。服が瞬時に燃え尽きても私の体が燃え尽きるには少しは時間がかかるはず。私はもう十分に生きた。あなた、真由のことお願いね。
男がにやつき、娘に近寄った。
「獲物が一人増えたんだ。しかも女の子。どうせ内臓をとられて死ぬのなら」
男が娘の髪に触ろうとした。許せん! 戸棚から飛び出すと、
「お下がり、下賤の者! 娘に触らないで! 警察を呼んでみせるわ」
銃を向けてきた男にひるみもせず、ライターで自分の服につけ、火だるまになりながら、
「あんたも燃えるのよ!」
男に抱きつくと男は悲鳴を上げ銃を落とし、夫人を突き飛ばし、夫人は窓に当たり倒れた。
真由が瞬時に飛び出し、袖口からピンを出すと、慌てて服の火を消している見張りの首につきたてた。男は目を見開いたまま倒れた。少年達が脚の痛みを忘れ、床で燃えている夫人を自分達の服で火を消した。夫人は髪も燃えおち、火傷のショックをおこしているのに、駆け寄ってきた真由に必死で話しかけた。
「話さないで。連中の車を奪い、病院に運ぶわ」
どうしても話したがるので、彼女は母をそっと抱きあげて耳をよせた。
「あなたの幸せを祈っているわ」
夫人の首ががくっと垂れた。
「ママ、ママ、死んじゃだめ、ママ、気をしっかり持って、ママー!」
真由の絶叫が響き渡った。
お台場の海べりは、かつての大地震の液状化で道路がひび割れており、デコボコがひどく、車が何度も横転しそうになる。街ごと廃棄され、街灯や建物の部屋の照明が一切ないからあたりは真の暗闇で、ヘッドライトだけで瓦礫の山をよけながら走るのは心もとない。
「お前、本当に見えてるのか」
「見えてます。舌噛むから黙ってて」
「あれだ、あの窓だ! 人が燃えてる! 由美だ! まさか場所を教えるために!」
シルエットで長年連れ添った妻だとわかる。あいつ、まさか、暗がりで場所を教えるために火を! 真由のために助を呼ぼうと!」
無線で医療班に怒鳴った。
「全身火傷の手当の準備を頼む」
車を止めると村瀬が廃ビルの階段を三段抜かしでロケットのように飛び上って行った。
渡辺も建物に入ろうとして人影に気づき、はっとした。壁にもたれた男の首にメスが突き刺さっていた。無駄のない的確な一撃だ。真由だ。上階で村瀬が真由の名を叫んでいるのが聞こえる。壁に反響し、MY YOUと叫んでいるように聞こえる。
神よ、助けたまえ、ああ、神よ。村瀬に続こうとして、座っている男の手のが動き、生きているのに気づいた。妻と娘が死んだかもしれないというのに、こいつはまだ生きている。怒りが爆発し、メスを引き抜いて止めを刺そうとしたが、思いとどまり手を止めた。真由が、こいつらから情報をとろうとして生かしているんだ。首のメスの位置から声帯も外していることが分かった。無線を握った。
「捜査一課、入口に首にメスを刺した男がいるが、しゃべれるはずだ。医療班の指示を仰ぎながら、情報をとってくれ。上階の他の男どもも生きている可能性がある」
「MY、YOU」という叫び声が、階段を力強く飛びあがってくる足音と共に近づいた。
「味方よ」
真由が子供達に言った。この力強い声の主を知っている。心配で私の名前を叫んでいるのがわかる。安堵と信頼感で張り詰めていた緊張が解け、ゆっくり長く息を吐き、壁にもたれるように座りこんだ。腕の感覚がそろそろ無くなり、出血多量で貧血を起こしかけ、こめかみがずきずき痛んだ。
村瀬が飛び込んできて、入口の倒れている男を飛び越えた。手に銃を持っていた。
真由が慌てて少年達を庇うように右手を広げた。
「この子達は味方よ。この子たちが母の火を消してくれたの。お願い、母を運んで。火傷よ。私は左腕、少年達は脚を撃たれてるの」
窓側に夫人を囲むように少年達が座って泣いていた。少年達は焦げたシャツ姿で、顔が
煤けていた。.自分達の服や体でで夫人の火を消したのは明らかだった。村瀬はそっと夫人を抱き上げた。
「医療班もすぐに来る。立てるようなら一緒に」
「私は最後でいい。自分でゆっくり下りるから。とにかく早く母を医療班に」
「了解。気を付けて」
村瀬が夫人を抱いて急いで降りて行き、入れ違いに、SATの先陣に話す声とSATがマイクで連絡する声が響いた。階段を飛びあがった時は犯人が倒れているとしか思わなかったが、メスや鋏を大腿部や腕に刺し、みな生きていた。わざと急所を外して抜きさえしなければ生きていられるようにしてあった。見事な腕だ。犯罪者に優しすぎないか? それに引き換え自分を犠牲にして場所を教えようとした夫人は虫の息である。怒りがこみ上げてきたが耐えて、先を急いだ。
村瀬が夫人を抱いて出てくると入口で待ち構えていた渡辺と医療班が駆け寄った。
「由美!」
医療班の班長が渡辺を遮った。
「触るんじゃない。緊急搬送しながら治療するからどいていろ。病院に火傷の専門チームをスタンバイさせてある」
夫人を科学消防隊所属の最先端設備を積んでいる救急車に乗せ、病院に急行させた。
続々と子供達がSATに抱きかかえて運び出されてきた。班長は医療チームに
「お前達は子供達の銃創の応急処置を頼む。犯人どものメスは用意ができるまで引きぬくなよ」
見回したが真由がいない。
まさか、まだ中に? 村瀬は不安に駆られて再び弾丸のように駆けあがった。真由は七階を壁伝いによろよろ歩いて降りてきていたが、顔色がよくない。出血多量だ。首にメスを刺した大男が急に立ち上がり、真由に襲いかかった。彼女はめまいもあって階段にしゃがみこみ、男のパンチをかわした。
村瀬が一気に階段を三段跳びで駆け昇ると、その勢いでうなるようなパンチを大男の顔面に決め、筋肉質の長い脚でビシッと蹴りあげ、大男を壁に倒した。
「彼女が急所を外してやっているってのに、この恩知らず!」
犯人から情報を引き出すために生かしていることは分かっていたので、メスを抜き、止めをさすような真似はしはしなかった。しゃがみ込んだ真由をすくい上げるように抱き上げた。もう気を失いかけていた。階段を降りながら、思わず叱り飛ばす。
「強がってないでSATに救急車まで運んでもらえばいいでしょ」
「仮にも国民を守る立場の者がそんなことできますか」
歯を食いしばり、絞り出すような声で気丈に反論した。
「行き過ぎた滅私奉公の考え方だ。自分に殺伐とした不毛な人生を強いるなんて、限度ってものがあるでしょ。あなたを大事に思っている人だっているんですからね。何、捜査官みたいなこと言ってんです? ん、藤堂課長?」
苦しげにうっすらと見開いている薄茶色の瞳。私は国民のために創られたの。ミッションを片づけなければ私の命は無意味、と言い、篠崎病院でペンを探してくれと言って倒れた藤堂課長がそこにいた。記憶が戻ったんだ!
救急車に乗せる時、渡辺と村瀬に最後の力を振り絞り、藤堂としてのミッションを伝えた。
「あの子たちは被害者。内臓売買業者に子供の頃に攫われたり、売られたりして監禁されていた。場所は使われなくなった公営カジノ。地下に非常電源装置があって、それがまだ生きてる。そこを臓器製造工場として使っている。培養されている子供たちを助けて。しゃべれないし、歩けない」
「許せん! ここから近い。行きますよ、室長」
「おう、真由、後は任せて、手当しとけ」
村瀬と渡辺の車が急発進した。渡辺はすぐにマイクを取った。
「SAT、捜査一課、現場保存を鑑識と最寄り交番にまかせて使われなくなった公営カジノに集合せよ。鑑識も、ここでの証拠固めを終えたら公営カジノへ移動。カジノでのドンパチが終わったら、証拠固めをする。医療班もここでの応急措置がすんだら公営カジノに集合。鑑識情報処理班、転送されたデータ類の解析頼む。それから念のためデータ修復のエキスパート二人公営カジノ現場へよこせ。データを消去されてもすぐに復元できるようにしたい。SAT、気付かれぬよう静かに入れ。組織を全滅させたい。気付かれてデータを消去されるのが一番困る。むやみに撃つな。ルート解明のため、生けどりをめざせ。培養されている子供達を傷つけぬよう気をつけろ。それから電源を絶対に落とすな。培養されている子供達の呼吸と血液循環がそれで保たれているはずだ」
「了解」
反撃だ。渡辺はいつもの冷静さが戻ったのを感じた。
ネオンなしのカジノを見るのは初めてだが、おどろおどろしい不気味さをたたえ、静まり返っていた。燈台の明かりで暗黒の闇に浮かぶ廃墟と化した竜宮城のような姿が浮かび上がった。村瀬は気づかれぬよう手前で車を停め、渡辺と共に転送された設計図面を見た。大ホールを中心に、部屋がななめに壁で区切られている。デザイン重視しすぎて使いずらそうな設計だ。全体でなめらかならせんを描いており、巻き貝を思わせる有機的なデザインだ。
「不定型な建物だが、監視カメラのあるあそこが入口だろう」
「警報装置を先に切った方がいいかもしれません。工具箱ありますよね」
「ああ。いつも一式積んでるよ。だが、間違って子供達の呼吸器システムなんかを切らないようにしないと。おまえ、電子工学詳しいのか?」
「軽飛行機の修理も自前だったんで少々」
設計図面をもう一度さらっと見ると、ニヤッと笑い、目立たない別のドアを指差した。
「昔の建物だから災害時に備えて外から扉を開けられるシステムがついてます」
不定型な建物は隠れ場所に事欠かないが、渡辺は慎重に辺りを見回しながら懐中電灯で村瀬の手元を照らした。昼間でも建物の外壁としか見えない所に、配電盤が埋まっており、村瀬が外壁に見えるカバーをドライバーでそっと外した。中身には配線がみっしりつまっている。
「おまえ、それを間違って切ったら」
「警報装置を切るだけですよ」
村瀬は迷いのない手さばきで数本を切り、
「ここから入りましょう。見張りを倒す必要もないし。暗証錠もついでに解除してやりました」
村瀬がドア横のレバーを手動の表示の方に倒すと、ドアは難なく開いた。三秒もかかっていない。
「やけに手際がいいな。おまえ、その技誰に習った?」
「祖父です。小さな村に電子工学の専門家なんていませんから、修理くらい自分でできないと」
「おまえ、本当にやばっぽい前科とか、ないんだろうな? さっき娘を名前で呼んだな?」
「名前でなんて呼んでません。そういう立場じゃないし。第一、僕は紹介者もなくレディーに話しかけてはいけないって、田舎の母にお上品にしこまれてます」
もう一度設計図面を見て、
「大ホールはおそらく培養工場、細かい部屋のどこかにパソコンを置き、受発注や在庫、取引先を入力しているはずです。古い非常電源に何が起きるか分からないからプリントアウトの証拠書類もあると思います。パソコン、書類、証拠となるようなものはすべて押収しましょう。たぶん、この部屋にあると思います」
村瀬は設計図面にある一つの小部屋を指差した。部屋ナンバー、αの11と書いてある。
「なぜだ?」
「よーく見ると、配線数が多い。この部屋で温度管理やなんかもコントロールしているんだと思います」
「その通りだ、行くぞ」
こいつは潜入捜査官向きだ。デスクワークで金勘定ばかりさせておくのは惜しい。
無線で
「俺達は部屋ナンバー、αの11に向かう。見張りのいるドアから左へ五〇メートル程行ったドアを開けてある」
村瀬は新入生の教育実習期間に実施された捜査官としての適任テストで二位に大差をつけた一位だった。病気がちだった村瀬の父親は彼が五才の頃に亡くなり、近所に住む祖父母が協力して彼を育てた。祖父はサバイバル教育の一環としてかわいい孫に教えられることは全部教えたことだろう。
建物の中は目立たぬよう薄暗かった。少年達を捕える部隊が出て行ったためか、見張りは少ない。渡辺と村瀬は物音をたてぬよう、見張りの目をくぐりながらα11に向かった。
部屋の前には銃を持った見張りがいた。二人は壁に隠れ、
「銃を使うと部屋の中の奴に気付かれる。静にやつを眠らせたい。できるか」
「やつの気を引いてください。俺がだまらせます」
「殺すなよ。裁判で証言させたい」
「わかってます」
渡辺が懐中電灯の明かりを見張りの目に向けた。あせった見張りが無線を取り出した瞬間に、すっと近づいた村瀬の下からのアッパーが決まり、村瀬の腕の中に崩れ落ちた。無線を切ると、見張りに手錠をかけ、脇に寄せた。無駄のない早業だ。渡辺が銃を構え、村瀬がドアをノックし、暢気な口調で
「少年達を取り逃がしました」
「なんて不手際なんだ」
ドアが勢い良く開いた瞬間、村瀬が男にボディーフックを食らわせ、倒れる男の腕をひねり後ろ手に手錠をかけ、渡辺がパソコンに飛びついた。うまい具合に立ちあがっている。メールを立ちあげながら、携帯で鑑識情報処理班に連絡した。
「今から送るメルアドの持ち主の住所氏名を素早く特定して分かり次第、捜査一課の連中を逮捕に向かわせる。不法臓器売買の関係者だ。逮捕状もとれるだけとって連中に転送してくれ」
メールを鑑識に転送すると、データをUSBメモリに保存しながら、再び携帯で、
「捜査一課、鑑識から送られてくる人物、住所に急行、逮捕しろ。逮捕状も転送されてすぐにくる」
渡辺と村瀬がパソコンや書類等の重要証拠を持って外に出ると、先ほど倒した男達と、この工場の見張りの連中がロープで数珠繋ぎに繋がれて、ガムテープで猿轡され、まさにお縄になって、迎えの護送用のバスに静まり返って乗っていた。珍景である。SATの隊長と副官が、
「いや、室長が静に戦えって言うから。詳しいこと聞いてる暇なかったし」
「変だな、とは思ったんだよ。変だなとは。でも、まあ、念のためってことで」
「大量の培養されている方々は、後から来る医療班にまかせましたので」
「すまないね。いらん苦労かけて」
SATは狙撃手の集団だが、培養されてる子供達の安全のためにこの現場では、武道を使い、一発も発砲しなかった。誇り高い連中である。
捜査一課の連中は、もう街中に逮捕に向かっていた。反撃も大詰めだ。