遠く離れたこの国で
このお話、時系列がバラバラて進むんです。ややこしくなるだけかなと思ったのですが、バラバラの方が書きやすいので今後も時系列バラバラでいきます。
「花を、売っていただけませんか?」
今から二時間ほど前のことだ。商会の近くで荷台の整理をしていたら、突然声をかけられた。背丈は俺と同じくらいかそれより少し低い程度。肌のハリや髪の質を見るに、年齢は俺より一回りは下だと考えていいだろう。長い間行商人を続けていると話しかけてくる相手のことを観察してしまう癖がついたのだが、それもあまり良いものとは思えない瞬間がある。それがこの時だった。
「悪いな、俺の商材に花は入れないことにしてるんだ。それに、今から商談があるからな。他当たってくれ」
俺が知り合った行商人の中で、花を商材にしている奴は多くはない。というか、いたかどうかも怪しい。それがドライフラワーという物ではなく生花となると尚更だ。幸い、ここは商会が近く、俺のような行商人が集まるエリアでもある。俺の知らない奴らが生花を取り扱っていないとは限らない。そう思って突き放したつもりだったのだが。商談からだいたい二時間後、つまり今。『偶然』さっきと同じ顔をした青年と再会し、悩みを親身になって聞いてやることになるとは思ってもみなかった。
「他当たれって言ったつもりだったんだが?」
「全て、当たりました。でも、どの人も売ってくれなくて」
行商人なら当然だ。生花など仕入れたところで、道中で枯らしてしまっては損になるだけだ。それならまだ花の種を仕入れて売った方が商売にはなるが、売れるかどうか分からんものを抱え続けるより、次の目的地で確実に売れる商材を仕入れたほうが余程金になる。と言っても、商談で儲けた金の殆どはすぐ次の商材に変えるから、持っているのは国に数日間滞在でき、数週間かけて辿り着く次の国への旅費程度だが。
と、言う話を懇切丁寧にしてやろうかとも考えたが、領土壁の中で一生を過ごすであろう人間にそんな説明をしたところで、何のことやらさっぱりだろう。話すだけ時間の無駄だ。
「この国に花屋は無いのか? あるならそこで買えばいいだろう」
服装からして富裕層の人間ではないのは確実だ。だが、少なくとも貧困層の人間ではないだろう。金が無い、という訳では無さそうだ。
「花屋は、あるんです。ありますが、珍しい花は、どこも売ってなくて」
「そうだろうな。仮に珍しい花の種がこの国の商会で売られたところで、咲く保障なんてないから買い手は少ないだろうし、いたとしてまぁ、花好きな富豪くらいか」
そうなれば、花屋に『珍しい花』が並ぶなんてことはまず無いだろう。というか、富豪なら商会に顔が利くから、花屋に出回る前に買える。
「ところでお前さん、なんでまた珍しい花なんか探してるんだ?」
「珍しい花、というより、北方の国に咲く花なんだそうですが、僕の恋人がその花が好きだそうで。今度のデートでプロポーズするつもりなんですが、プレゼントできないかなって」
一瞬、喉が詰まる感じがした。思い出したくないから思い出さないことにしているが、あの地方には、あまりいい思い出はない。だが、何故そんな場所に咲く花を探しているんだろうか。ここは同じ中央大陸とはいえ比較的南部にある国だ。いくら何でも、環境が違いすぎる。そんな胸に抱いた疑問にこの青年は、勝手に答え始めた。
「彼女は、北方からの移民だそうです。戦争で無くなった国が出身だそうで、その国の言葉で氷の破片を意味する名前の花があると、話だけ聞いていて」
その花に心当たりがあった。寒さの厳しい北の地で懸命に咲く、氷のように透明で、日の光を浴びると宝石と遜色ない輝きを見せるあの花だ。その名の通り氷に似た性質を持つから、こんな暖かい地域では蕾をつけることすら難しいだろう。
「あれはこの地域では咲けないだろうな。咲く前に、空気中に散って消えてしまうのがオチだ。諦めるのが賢明だ」
「そんな……、何とかならないものですか? 例えばその、あまり考えたくないですが、北方に行くとか」
「あの地域はとにかく戦争が多い。無くなった国はそう多くはないがな。下手に行って巻き込まれでもしたら、元も子もないんじゃないか?」
できることなら戦禍を経験してほしくない。実際俺がその戦争に巻き込まれた被害者の一人だ、とは、さすがに言えないが。強く言って止めるべきだ。と、俺の勘が言っていた。
「正直言って、俺がお前に言えることはただ一つだ。諦めろ」
「でも」
「でももくそもあるか。いいから俺の言うこと聞いとけ。死にたいのか?」
そこまで言って、俺は言うことを聞かせる最高の手段を思いついた。しかしそれは、俺にとっては最悪の手段であることにも同時に気が付いた。俺が店を構えるための大金を手放してでも買った、銀のペアリング。俺とあいつのイニシャルが彫られているが、一致すればなんの問題も無いだろう。これを手放すのは、俺にとって最悪の手段だ。だが、二人の命を救える可能性があることを考えると、どうか。正直、行商の途中で出会った人間の人生などどうでもいいと言えばそれで終わりだ。金さえあれば命だって買える、それが商売の世界だからだ。でも、そんなことを抜きにしても、今目の前に居る青年と、その恋人にだけは死んでほしくなかった。だから──
「お前さん、名前は?」
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「相席、いいかな?」
通いなれたカフェで本を読んでいると、声をかけられた。
「ほら、ここの席どこもいっぱいで」
目で追っていた行を記憶し顔を上げると、確かに席はいっぱいで、目の前には若い女の人が立っていた。白く、軽くウェーブのかかった髪を後ろでひとつに束ねた、年齢で言うと私とそれほど違わなさそうな人だ。
「あ、どうぞ」
半ば、無意識で答えていた。そんな私の目の前に、彼女は笑顔で座った。
「ねえ、ここって何かお勧めはある?」
「えっと、メニュー表の一番上のが」
「そう? じゃあそれにしよ。店員さーん」
柔らかな笑顔で注文し、代金を渡す彼女に見とれていると、気づいた。この国では見ない目の色だ。
「あの、移民の方ですか?」
恐る恐る聞いてみる。もしそうなら、と考えていた私の心中の靄を、彼女は簡単に吹き飛ばしてくれた。
「ううん、私はただ故郷に帰る途中の旅人? かな。あなたは、この国の人、だよね。あんまり見ない髪の色だけど」
首を絞められたような感覚に言葉を遮られながら答える。私は──
「私は、北からの移民……です」
ああ、と旅人さんが申し訳なさそうな顔をした。私は思わず目をそらした。私の事情を聴いた人は、大抵がそういう顔をする。だからもう、見たくなかった。
「北の、どの辺り? もしかして、フェリアとか言わないよね?」
懐かしい響きだった。私の住んでいた国だ。私は、そうです、としか答えなかった。
「あそこ、綺麗な国だったんだろうなって。ほら、これ」
旅人さんはそう言って、鞄の中から一枚の小さな紙切れを取り出した。そこには、私が大好きだった、氷の花が写されていた。
「写真って言うんだけど、前にフェリアに寄った時、綺麗で思わず撮っちゃった」
「そうだったんですね……」
道理で、あの国のことを知っているわけだ。もう誰も立ち寄らないと思っていたから、もう二度と、あの花を見ることは無いと思っていたから、私はほんの少しだけ、嬉しい気持ちも感じていた。
そうだ、この人になら、と思った。私の話を聞いて、他でもない旅人さんの価値観で、答えてくれる気がする。そう思った。
「あの、私の恋人の話になるんですけど」
「おお、これはまたいきなり……何かあった?」
私は、話した。次に彼とデートする約束の日が私の誕生日であること、彼が私にいつも、よく何かをプレゼントしてくれること、私がふとしてしまった、氷の花の話に凄く興味を示していたこと。このままいけば、氷の花を採ってくる、なんて言いそうで、怖い、と言うこと。
「そっか。それは確かに怖いね。フェリアは命掛けて行く価値はあるかもしれないけど、掛かるのはその彼一人の命じゃないもんね」
旅人さんは続ける。
「でも男の人って、大体そんなものだと思う。私にも一緒に旅してくれるお友達? がいるんだけど、商売のため~とか言っていっつも危ない橋渡るんだもん。一緒に旅する私のことも考えてほしいなって思う。でもきっとね、その人にとって、精一杯考えた結果がそれなんだとも思う。うーん、なんだろ、難しいけど」
言葉を選ぶから待って、と言い、しばらく考え込む旅人さん。私にも、これだけの価値観を持てる強さがあればよかったのに、と思った。それからしばらくして、旅人さんが口を開いた。それは、私たちフェリアの国に住んでいた人の言葉で、『きっと大丈夫』を意味する言葉だった。
今回は行商人のグラスがメインのお話でした。グラスが持っていた指輪は一体なんだったのでしょうか。
欲張りになってしまうのですが、感想などなどお待ちしております。モチベーションや創作意欲、作品作りの参考になります。なにより僕が嬉しいです。
さて。遅くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。また次回のお話でお会いしましょう。四月一日ジローでした。