第九章
季節は六月に入った。
そこまで広くない庭に植えられている、紫陽花が咲き始めようとしていた。
「・・・そういや、庭師を呼ばないとな・・・。これから手入れしていかないと、雑草が伸びる一方だ。」
リビングのソファで窓の外を見ながらつぶやくと、夕飯の準備をしていた小夜香が言った。
「そうだねぇ、本家で働いてた庭師さんたちって、来てもらえたりしないのかな。」
「どうだろうか・・・。倉根に聞いてみないとな・・・。」
その時ちょうど図ったように電話が鳴った。
「もしもし更夜様、お食事時に失礼いたします。」
「ちょうど聞きたいことがあったところだ、どうした?」
「おや、そうですか、後で伺いますね。実は以前お話していた人手の件ですが、美咲様はいかがでしょう。」
美咲くん・・・。確か小夜香より3つ程年上だから・・・19歳か?
「彼らはまだ大学生だろう?もちろん美咲くんは元当主だから管理は出来るだろうが・・・。」
「そうですがお話を伺ったところ、今は高津家の一部の土地で建設予定だった、シェアハウスのオーナーをしているのと、飛び級でもう再来年大学は卒業するつもりだとおっしゃっていました。咲夜様はどうかわかりかねますが、二人とも要領もよく優秀でいらっしゃいますから、手を貸してくれるかと・・・。」
美咲くんの有能ぶりは承知だが・・・。小夜香も気になるのか電話する俺をチラチラ見ている。
彼らはまだ子供だと、そう思い御三家すべてのものを請け負っていたが・・・その必要性もないのだろうか。
「それと更夜様、美咲様が自分の連絡先を更夜様に教えておいてほしいとおっしゃっておりました。何もかも任せっきりにしていて申し訳なかった、とも。」
「そうなのか・・・。まぁそうだな・・・、彼らの意志を尊重したい気持ちはある。その件に関しては俺が連絡を取って、またやり取りすることにする。」
「かしこまりました。では・・・先ほどおっしゃっていた、私に聞きたいこと、というのは?」
俺は庭師の件を伝えると、倉根は思い出したように言った。
「そういえば・・・本家に植わっていた木で、まだ小さいものがありまして。桜の木なのですが、渚さんの庭に植えられていたそれを、出来ればどこかに移してほしいと頼まれていたのを思い出しました・・・。」
「ん?桜・・・?そんなものあったのか・・・。それは、管理のものたちが移すなりしたらいいんじゃないか?」
「それが・・・どうやら彼らは渚さんのことを少々気味悪がっていらっしゃったようで、部屋はおろか庭にも入らないようにしていたようです。」
渚は松崎家の特別使用人、晶の警護をしていたクローンだ。俺も癒多も懇意にしていた、とても優秀な奴だった。
だが本家の中には、外部から派遣された管理者も多かったため、渚たちを不審に思う者も少なくなかった。
「そうか・・・。なら業者が入る前に移したほうがいいんだろうな。」
桜の木か・・・。
すると側に寄ってきた小夜香が俺に声をかけた。
「もしかして、晶ちゃんの桜の木の話してる?」
「ん?晶の・・・?渚の庭にある桜の木、晶のなのか?」
俺がスマホから耳を話して尋ねると、小夜香は不思議そうに首を傾げた。
「え?渚さんの庭にあるの・・・?あれ、じゃあ違うのかな・・・。晶ちゃんが、桜の木を植えたって結構前に話してたことがあったの。子供の頃、由影様からいただいたものらしくて。昔よく桜の木の歌を歌ってくれてたんだって。いつかプレゼントするから、皆が眠ったらその歌を思い出してね、って言われたらいしよ。」
「歌を・・・思い出す・・・?」
電話口で黙って聞いていた倉根も、俺と同じような違和感を覚えたのかもしれない。
「妙ですね更夜様、由影様は何故わざわざそのようなことを・・・。」
「小夜香、覚えていることはそれだけか?晶は他に何か言っていたか?」
「え?さぁ・・・どうかな、晶ちゃんに直接聞けば?」
嫌な予感というか何かこう・・・妙な胸騒ぎがした。
確かに本人に聞くのが手っ取り早い話ではある。
「倉根、屋敷の取り壊しは何日だ」
「え、あ、はい。今月末だったかと・・・。まだ猶予はありますよ。」
誰も桜の木に近づかなかったのは、渚がわざと人が近づかないようにしていたからなんじゃないだろうか。
皆が眠ったら、思い出せ・・・というのは・・・まさか。
とりあえずその件は、晶に詳細を聞いてから対処することにした。
「考えることが増えたな・・・。」
庭師の件は倉根に連絡を任せ、電話を切った。
外は直に雨になりそうだった。
うちの書斎は、本が傷まないように湿度や室温管理を徹底している。
仕事をある程度片付けて、書斎の椅子に腰かけたままコーヒー片手にぼーっとしていた。
外の門扉が見える大きな窓に、曇天から降り注ぐ雨がパタパタと落ちてくる。
ふと昔、本家の自室で仕事をしていた時のことを思い出した。
家具を置きやすくするために、無理やり壁や床をリフォームされていた部屋は、窓だけは何故か障子窓のまま残されていた。
そこから時々見る雨も、なかなか風情があったものだが、どうしても天気が悪いと気分が沈みがちになるもので、忙殺されていた時期は、そこから見える雨雲を睨みつけていたものだ。
そんなことを思い出していると、開きっぱなしにしていたパソコンから通知音が鳴った。
メールの受信箱には、美咲くんからの返信が来ていた。
美咲くんを経由して、晶の連絡先を入手した俺は、さっそくメッセージを送信した。
不安な要素は出来るだけ早く解消したい、という思いがあった。
本家にいる頃は、当たり前のように不可解な出来事が起こり、腑に落ちない結末になる。
当主であった俺でさえ、身近な人間に関わる事件の詳細が知らされず、有耶無耶なまま報告がないこともあった。
いや、当主であるからこそ、報告されないことも多かったのだろう。
そしてそのすべての出来事の元には、白夜の存在があったりする。
死んだ人間を悪くは言いたくないが、後々になって事実が判明するたびに、白夜の意図や人物像が見えてきて、正直気味が悪い。
「まともに会話が出来る奴じゃなかったのは、裏をかかれないために自分自身さえも演じていたんだろうか。」
そう呟くとまた、パソコンから通知音がした。晶からだ。返信を返すと、今度はスマホの方に着信が来た。
「もしもし、悪いな急かして。」
「いえ、ご無沙汰してます、更夜さん。その節はありがとうございました。」
久しぶりの声を聴くと、本家でのことが蘇るようだ。
「ああ、久しいな。小夜香とはちょくちょく連絡とっているらしいな・・・。連絡先は・・・美咲くんに聞かなくても小夜香に聞けばよかったのか・・・。」
「ふふ、そうですね、相変わらず仲良くさせてもらってます。体調崩されていませんか?小夜香ちゃんもたまに心配していたみたいですけど・・・。」
「あ~あ~、俺の話はいい。そんなことより、本題なんだが・・・渚の庭に植わっている、桜の木について聞きたい。」
俺がそう言うと、晶は少し驚いたのか考えているのか、妙な間を取った。
「・・・それについては・・・私も考えていました。どこに移してあげればいいか、ということと、父が言っていたことを・・・。」
「小夜香から少し聞いたが、由影がお前に歌を残していた、と。どんな歌か覚えているか?」
「ええと・・・合ってるかどうか曖昧ですが・・・。桜が咲く前皆が眠って、夜明けがくれば・・・桜の寝床で待っている・・・夜更けに任せて朝を待て。みたいな歌詞の短い歌でした。」
寝床で待つ・・・。
「そうか・・・。確証はないが、その木を一緒に見に行ってみるか。」
「更夜さんは何かわかったんですか?」
「由影がわざわざ歌をお前に覚えさせてまで残したのは、他のデータとしてそれを残せば、誰かに見つかってしまった時に困るからだろう。そして桜の木を植えさせたのは、屋敷が無くなることになった際、それをどうするか残された者が考える。そしてその時、晶に今の歌を思い出してほしかったんだろう。誰かに桜をよそへ移動される前に・・・。由影はよっぽど、その秘密を守りたかった、そして俺と晶が共に、それを明かしてくれるだろうと信じて託した。」
「私と・・・どうして更夜さんもだとわかるんですか?」
俺は雨音が止んだ窓の先、厚い雲を眺めた。
「さっき晶が言った歌の歌詞にあっただろう、夜更けに任せて朝を待て・・・言い回しとしては妙だ。そして、夜更け、というのは・・・逆に書けば俺の名前。」
「あ・・・」
「それが俺の協力なしで明かせないものなのか、定かではないが一緒に行った方がいいんだろうな、とは思う。」
過保護な由影のことだ、晶が心配だから俺の名前を使ったのかもしれん。
「・・・わかりました。お手数おかけしますけど・・・一緒に行ってもらえるとありがたいです。」
そうして俺は、由影が娘である晶に託した、桜の正体を確かめに行くことになった。