第八章
俺は小夜香が勧めた洋服を入念に検討して購入した。
その日がやってきて、デートの待ち合わせ場所にいた。
いや嘘だ、本音を言うと、服は適当に決めた。というか最近は仕事の件で、より一層脳内をフル回転させて過ごしていたため、なんか・・・これでいいだろ、感覚で着て来た。
六月も近く本格的に暑くなってきたため、比較的軽装で、シンプルに。
天気も良く、日差しもそこそこ強かったため、日よけ用に眼鏡をかけていった。
「島咲さん!お待たせしてしまってすみません!」
程なくすると、橘さんが慌てて駆けてきた。
息を切らす彼女に、思わず笑みが漏れた。
「大丈夫ですよ、待ってません。というかまだ五分前じゃないかな・・・?」
「あ・・・そう、ですね。でもこういうのって、先に来て待っていたかったっていう気持ちがありました。」
橘さんはそう言いながら、ニコリと笑顔を向けた。
「俺はあんまり気にしてなかったけど、車を停めるところが見つからなかったら困るから、案外早く着きましたね。」
「なるほど・・・。じゃあえっと・・・行きましょうか。」
平日ではあるが、表参道はそれなりの人の多さだ。
「島咲さん、お昼ごはんは食べましたか?」
「あぁ、今日は起きるのが少し遅めだったのでブランチを・・・。橘さん何か食べたいなら付き合いますよ。」
そう言いながら並んで歩く彼女を見ると、少し後ろにいたので歩幅を合わせた。
「あ、私も実はさっき食べて来たんです。じゃあ・・・どこか気になるお店あったら一緒に見ましょうか。島咲さん、カジュアルよりはモード目な服装のほうがお好きなんですかね。」
モード・・・というのにピンとこず、俺は小首をかしげた。
「あ・・・あの、今の恰好が結構、そんな感じなので。30代の男性だと爽やかで夏前はいいですよね、白シャツコーデ。眼鏡もお似合いです、伊達ですか?」
どうやら適当に選んだ洋服は、橘さんからは好印象らしい。
「ええ、瞳の色が薄いので・・・日差しが痛くて。サングラスするとこう・・・怖いでしょ。だから日よけ用で。」
「そうなんですね、確かに・・・島咲さんの瞳の色、灰色っぽいというか・・・綺麗ですね。」
少し照れながらそういう彼女は、何やら少し緊張しているようにも見えた。
俺は苦笑いを返し、歩いたこともない街並みを眺めながら答えた。
「祖父がフランス人で、その色が遺伝したんです。父は黒いですけど・・・。まぁ稀にある遺伝の仕方です。」
「そうなんですか!じゃあ島咲さんってクォーターなんですね。」
「ええ、まぁ。でも祖父は俺が覚えている限り、母国語で話していた記憶一切ないですし、ずっと関西弁でしたよ。」
俺が苦笑しながら答えると、彼女もまた笑顔を返した。
初めてウィンドウショッピングというものを体験したが、あまりの店の多さに気後れしていた。
橘さんはそんな俺を察してか、あまり人が多くない店を選び、ゆっくり服を見られるようリードしてくれていた。
本業者であるから成せることだろうか、彼女の服選びの助言は的確で、初心者の俺でもすんなり洋服の合わせ方がわかってきたような気になる。
「島咲さんは・・・髪の毛は黒くていらっしゃるから、あんまり黒一色のシャツとかは、夏場お勧めじゃないかもです。若い男性ならいいですけど。今着てらっしゃるみたいに、白シャツに黒いパンツなら爽やかで、どうしても上に濃い色を持ってくると印象が重くなってしまうので・・・。明るい色なら・・・こういうパステル系の寒色がお似合いです。」
「ふ・・・橘さん、俺お客さんじゃないですから、そこまで気遣わなくていいですよ。」
彼女の差し出した服を受け取りながら言うと、照れくさそうに慌てだした。
「・・・すみません!つい・・・・。で、でもこの辺りのお店はメンズもレディースも一緒に入ってるとこ多くて、バリエーションも豊富ですし・・・。私も見てて楽しくなってしまって。あ!これ・・・どうですかね、私似合いますか?」
そう言って抜き取ったワンピースを体に合わせた彼女は、俺の反応を伺った。
「ええ、可愛いですよ。」
素直にそう答えると、橘さんはワンピースを見下ろしながら顔を真っ赤にした。
「そう・・・ですか?」
「・・・ダメなんですか?」
「え!いえ!・・・島咲さんがそう言うなら買おうかな・・・。」
そう言いながら彼女はもじもじしつつ服を見つめ、素材や細かい部分をチェックする。
俺は鞄や小物などが置いてある棚も、物色することにした。
小夜香と買い物する機会はほとんどないが、こういうものを見ると買い替えろとうるさいんだろうなぁ。
物欲が大してないせいか、長く使っているものの方が多い。
俺が財布をぼんやり眺めていると、橘さんが俺の側に戻ってきた。
「・・・あれ、さっきのワンピース買わないんですか?」
「あ、はい。ここ結構いいブランドなのでお値段もしますし・・。自店で最近いくつか服買ったので、衝動買いは控えます。」
橘さんは遠慮がちに微笑んだ。
「・・・じゃあ、娘に買おうかな。」
「あ、いいですね!絶対娘さんの方がお若いから似合います!是非買ってあげてください。」
彼女は自分のことのように嬉しそうに笑う。
何とも損しそうな人だな・・・。
俺は橘さんが勧めてくれた洋服と一緒に、さっきのワンピースも別の袋に入れてもらって購入した。
それからも何店舗か回り、楽しい時間は過ぎていった。
だいたい要件は済んだので、外で飲み物を買い休憩することにした。
その後彼女の仕事の話や、小夜香の話をして他愛ない会話に花を咲かせた。
ふと俺はその時、小夜香に言われていたことを思い出した。
「お父さん、これだけは言っておくけど、悪気はなくとも、私の話はあんまりしない方がいいよ。親ばかだと思われちゃうだろうし・・・。」
時すでに遅し、ってやつだ。
俺がやってしまったなぁと感じながら、ベンチに座る足を組むと、隣にいた橘さんは飲みかけのコーヒーを両手で持ちながら言った。
「あっという間に時間経っちゃいましたね。お買い物も楽しかったですけど、島咲さんのお話たくさん聞けて嬉しかったです。あの、他意はないんですけど、娘さんの話を聞いて、会ってお話したいなって・・・仲良くしたいなって思っちゃいました。」
彼女は初めに顔を合わせた緊張した笑みとは違い、優しい笑顔を向けた。
それを見て、何とも言えない気持ちになった。ありがたい、ような、安心したような・・・。
「うちに来る機会があったら、是非仲良くしてやってください。」
「はい!あの、以前お誘いいただいていましたけど・・・島咲さんがお好きな書斎も見に行っていいですか?」
「ええ、どうぞ。気兼ねなく、遊びに来てください。」
俺がそう言うと、彼女はどこか安堵したように微笑む。
「ありがとうございます。じゃあそろそろ、いい時間なので帰りましょうか。」
彼女がそう言ってベンチを立とうとしたので、俺は声をかけた。
「あ、ちょっと・・・。渡したい物が」
「え?何ですか?」
小首をかしげて見つめ返す彼女に、俺は先ほどの袋を手渡した。
「娘には、ほしいものを自分で選んだ時に買ってやります。さっきのこのワンピースは、橘さんにとても似合っていたので。・・・俺のセンスが悪くなければですけど。」
そう言うと彼女は、袋と俺の顔を交互に見つめて、何やら泣きそうな程申し訳ない顔になっていった。
「そ・・・そんな、申し訳ないです・・・あの・・・」
「最初からプレゼントするつもりで買ったんです。でもあの場でそう言ったら、きっと受け取ってくれないでしょう。」
「そんな・・・プレゼントされるほどのことなんて何も・・・。」
案外彼女は強情らしい。
「俺は・・・女性がデートでどれだけの手間をかけて来てくれるか知りません。貴女の気遣いも配慮も、話の聞き方も、お仕事のスキルかもしれませんけど、少なくとも俺は楽しめたし、今日橘さんと買い物出来てよかったと思いました。俺がプレゼントすることで、申し訳ないなっていう気持ちにさせることもわかってます。でももし、嫌じゃなかったら受け取ってほしい。そして今度からは、どういうものが好きなのか、もっと教えてくれると嬉しいです。」
橘さんは黙って聞いていた。そしてまた袋に視線を落として、静かにそれを受け取った。
「ありがとうございます、島咲さん。ほんとはとっても・・・素敵だと思ったし、島咲さんに似合うって思ってもらえたものなら、すぐにでも買いたかったんです。その・・・思い出としてというか・・・。」
「思い出・・・?」
彼女はワンピースが入った袋を抱きかかえて、少し気恥ずかしそうに答えた。
「もしかしたら・・・最初で最後のデートになるかもしれないじゃないですか・・・。私は島咲さんみたいな素敵な人と、不釣り合いな気がして・・・。だからちょっとしたことでも、舞い上がってしまって・・・みっともなかったかな、って。」
「みっともないことなんてないでしょう。俺は普通の人間ですよ。デートが楽しかったなぁって余韻に浸ってる、30代子持ちの元医者。・・・俺の方がちょっと恥ずかしい気がするな・・・。」
組んだ足をほどいてそう呟くと、橘さんはくすっと笑ってくれた。
「ふふ・・・島咲さんって、実はちょっとお茶目ですね。」
「変だと思ったでしょう、俺のこと。」
「お、思ってません!」
俺は立ち上がって手を差し出した。
「たぶんこれから関わってると気づきますよ、あ、こいつおかしいな、って。」
「ふふふ、そんなこと思いません。」
彼女は素直に手を取って、立ち上がってくれた。
その帰り、車で送っている最中、橘さんは次に会える日を尋ねてきたので、彼女の休みに合わせ、再来週末、家に来ることになった。
書斎にどういう本があるのか聞かれたので、好きな作家の話をすると、彼女は目を輝かせて自分の好きな作品を教えてくれた。
時に子供のような無邪気さを感じるところは、誰かさんと似ていた。