第六章
今の家に引っ越す前、俺は不思議な夢を見たことがあった。
夢の中で夢を見たんだ。
若返った17歳の自分、まだ健在だった小百合と再会する夢。
今思えば、夢だからかもしれないが、何かこう・・・妙なやり取りをしていた気がする。
違和感だらけのその夢で、更に当時の白夜にも会った。
そして奇妙なことが起こる。
夢の中で偶然手にしたある鍵が、現実で目を覚ました自分の手中にあった。
それは実際俺が検討した通りの場所で使うことが出来、そこで夢の中で得た手掛かりと同様の物を見つけ出した。
そして・・・それによって、小百合が殺された理由を知った。
そのことは誰にも話していない。当たり前だ、夢での出来事をきっかけに得た証拠だと、そんなものは誰も信じはしない。
ふわふわと漂う夢の中、三歳くらいの小さな小夜香と戯れていた。俺に手を伸ばしたり、ニコニコ微笑みながら拍手をして見せたり、可愛いことこの上ない。
母親を死なせてしまった。俺はそう思いながら子育てをしていた。
もちろん、両親や使用人たちに助けてもらいながら、今まで娘の成長を見守っていた。
つらく苦しくなった時、小百合を思い出すと、一晩中眠れず泣き止めないこともあったので、そんな時いつしか、祖父の言葉を思い出すようになった。
「更夜、大丈夫や。お前は優しくて強くて、ホンマええ子や。どんなことがあっても、お前なら大丈夫や。じいちゃんの言うこと信じろ。」
よくそう言って俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
祖父はフランス人なのに、関西弁を話す妙な人だった。
だが祖父の笑顔とその言葉を思い出すと、眠れぬ夜も、また小夜香の寝顔を確認しに行って、ベッドに戻ることが出来た。
娘を育てていくために、自分が折れないために、仕事をしていくためなら、どんなことにでもすがった。
正直今でも、我慢できず一人、涙が出ることはある。
だけど小夜香が毎日笑ってくれるおかげで、自分が生きる日々の成果が目に見えるようで嬉しかった。
親というのは、そうしてある意味子供を利用して生きている。
子供のため、なんて俺の考えは実は嘘で、自分のためでしかないと、とうの昔に気付いていた。
だがそれで、自分自身も小夜香も守れるのなら構わない。
家族が壊れて欠けてしまったそれは、二度と戻りはしないけど。
俺は夢の中の小さな小夜香から、ひび割れて欠けた手鏡を受け取った。
自分の顔が歪にずれて映った。
お父さん・・・
幼い娘は消えてしまったが、いつもの小夜香の声が聞こえた。
俺は鏡の中の自分と、小夜香に問いかけるように言った。
「・・・欠けた部分を、補ってほしいのか?」
だから小夜香は合コンなど勧めて、誰かと出会ってほしかったのだろうか。
俺はそんなに、寂しそうに見えるだろうか。
「誰かと家族になることは・・・そんなに簡単なことじゃないだろう・・・。」
「でもきっと・・・難しいことでもないよ?少なくとも今のお父さんには・・・。」
その声を聴いた後、俺はすっと目が覚めた。
いつもの寝室だった。
記憶もあるし、凛音との会話も覚えていた。だが意識を失う前と違い、頭の中は冷静だった。
ゆっくり体を起こし、淡々と身なりを整えて、寝室を出た。
リビングに向かおうと廊下に出ると、扉の音を聞きつけてか、ドタドタと階段を上がってくる音がした。
「お父さん!大丈夫?何ともない?」
小夜香は血相変えてそう尋ねる。
その様子を見て申し訳なさがこみあげてきた。
「ああ・・・大丈夫だ。どこも問題ない。」
そう返す俺に安堵した表情は、少し泣きそうな顔にも見えた。
「あのね、日下先生が来てくれたの。救急車を呼ぼうかとも思ったけど・・・先生のことを思い出して連絡したら、駆け付けてくれて、二階まで運んでくれたんだからね。」
「そうだったか・・・。」
俺は小夜香とリビングに戻り、数年ぶりに日下先生と再会した。
「更夜さん、お加減いかがですか?」
そう声をかけてくれた男性は、物腰柔らかな所も優しい表情も変わらず、懐かしさを覚えた。
「大丈夫です。ご無沙汰しております先生、わざわざ駆け付けてくださって・・・ありがとうございます。お手数おかけしました。」
先生は静かに首を横に振った。
日下先生は元々、本家に勤めていた御三家当主の精神科医だった。
小百合を亡くした後、パニック障害を起こすようになった俺に、カウンセリングをしてくれていた。
「更夜さん、以前お出ししていたお薬をいくつか持ってきたんですが、改めて問診させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、お願いします。」
こうなった以上、小夜香に症状を隠すことも出来ないし、薬に頼ることも大事だと思った。
「では、更夜さんのお部屋でお話聞かせていただきますね。小夜香さんは少し待っていてください、もしお父様のことで何かお聞きしたいことがあれば、後でお話します。」
日下先生は丁寧にそう告げると、小夜香に笑顔を向けた。
「はい、お願いします。」
俺は二階の寝室で、先生の問診を受けることになった。
「それにしても、更夜さん、二人暮らしにしては大きなご自宅ですね。もしかしてご両親もご一緒に?」
階段を上りながら先生は俺に尋ねた。
「いいえ、うちの両親はまだまだ現役の医師なので、アメリカに在住です。将来的にどうしようかまでは考えていませんが、まぁ・・・家は娘に残せるものでもあるので。」
「そうでしたか、小夜香さん大きくなられましたね。すっかりお姉さんらしくなられて。」
小さな頃の小夜香に何度か会ったことがある先生は、親戚のように成長を喜んでくれているようだった。
「まぁ・・・俺にとってはまだ子供ですけど・・・」
そう言いながら寝室に入り、ローテーブルの前のソファに腰かけた。
先生は鞄からファイルを取り出し、ペンを手に取ると向かいに座った。
「それでは・・・更夜さん、お会いしていなかった数年間の過ごし方や出来事、今回のことも含めてお話しできる範囲で結構ですので、お聞かせ願います。」
先生は穏やかな表情と声を崩さない。
子供の頃から共感覚を持つ俺は、人から出る音にとても敏感だった。そしてその音が、人の感情の色として目に映る。
先生からはいつも、優しい音と温かい色が体を包んでいた。
そしてそれは昔から変わらず、医師としても優秀で、仕事の話もプライベートの話も和やかに聞き、話す空間を作るのが上手い人だ。
俺は人の声や周りの音に敏感過ぎたので、その制御の仕方をアドバイスしてくれたのも、日下先生だった。
先生の目を見て色を感じた時、一階からはわずかに電波の音が聞こえた。
小夜香が電話でもしているのかもしれない、と思った。
「もしもし、小夜香様、どうされました?」
「夜分にすみません倉根さん・・・。」
「いいえ、お気になさらず。何かございましたか?」
「・・・お父さんが今日、出かけて帰ってきたと思ったら、倒れてしまって。今、日下先生に診てもらっているんです。特に大事ないですが・・・。」
「・・・そうでしたか・・。私も明日、更夜様の様子を見にお伺いしてもよろしいですか?」
「・・・それは、構いませんけど・・・。聞きたいことがあってお電話しました。」
「はい、何でしょう。」
「話してください。倉根さんはお父さんが今日どこで、何をしていたかは、ご存じですよね。」
「・・・はい。ですが・・・」
「倉根さん、私は知る権利ありますよね?」
「・・・そうですね・・・。実は本日、篝家の当主、凛音様と面会されていました。もちろん見える範囲内で監視もつけていました。物騒なことにはならないでしょうが、万一のことを考えて。」
「・・・篝家って・・・本家の暗殺組織の・・・?」
「ええ、今どういう組織形態で仕事をしているかわかりかねますが、代々御三家の当主を護ってきた一族です。」
「どうしてその人と?」
「それは・・・凛音様が妙な行動をされていたので、更夜様はその真意を確かめに行かれたんです。何を話したかまでは把握しておりませんが。」
「・・・何を話したかなんて・・・。」
「・・・?」
「お父さんは・・・帰ってきて玄関にぐったり手をついたかと思うと、青い顔をして苦しそうにしていました。涙目になりながら、何度も何度も、お母さんの名前を呼んで・・・今まで見たことがない苦しそうな表情で・・・。」
「・・小夜香様・・・。」
「きっと、つらいことを思い出すようなことがあったんだと思います。何を話したか、何を言われたかじゃありません。その凛音さんが、お父さんの傷を蒸し返したんです。」
「そう・・・でしょうね。」
「倉根さん、私にも会わせてください。凛音さんに。」
「・・・出来かねます。更夜様から止められているからではなく、私自身としてもお勧めしません。お会いするには少し危険な方です。」
「・・・じゃあ、電話はどうですか?」
「・・・・それも、出来ません。小夜香様に何を言い出すか、検討もつきませんので。」
「はぁ・・・。私、どうしても伝えたいことがあるんです。」
「・・・それでしたら、言付けを承ることくらいはできます。」
「・・・じゃあ伝えてください。・・・今後一切、私たちに、お父さんに関わるなって。」
「・・・。」
「お父さんや私に、警護することも認めません。家の周りや出先で、倉根さんの部下の方以外の気配が、最近ありました。私が気付かないとでも思っているんでしょうけど、お父さんはもう当主ではないし、私も一般人です。警護なんて望んでません。」
「・・・かしこまりました。」
「倉根さん・・・これは私からのお願いじゃなく、命令ですから。必ず伝えてください。・・・それじゃあ、失礼します。」
「承知しました。おやすみなさいませ。」
「・・・・これでいいの。癒多と約束したんだもん。お父さんのことは護るって・・・。」