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夜更けの空  作者: 理春
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第五章

それから半月程、橘さんとは連絡があっては少しやり取りをするという関係を築いていた。

そしてある日、いつも書斎で仕事をしている旨を伝えると、読書が趣味らしい彼女は、たくさんの本を見てみたいと興味津々だったので、時間があるときに遊びに来るといい、と誘った。

5月も半ばに入り、少し暑さを感じ始めてきた頃、カシャカシャとキーボードをはじきながら俺は、凛音と対峙するイメージをしていた。


篝家かがりけはその昔、一族のその名を名乗る以前、12代目高津家当主が束ねた者たちだった。

詳しく各々の出生記録を残していないので、発足された当時の者たちがどのように集められたのか定かではないが、篝家の最初の当主は、剣術も銃の腕も立つ石川、という人物だった。

彼は腕を買われ、本家に招かれた際、高津家の用心棒として働くこととなり、その当時一緒に連れて来られたのが、戦友だったという俺の祖父だ。

祖父もまた銃の腕はさることながら剣術もこなす程で、石川に命を助けられた恩もあったため、島咲家の警備を務めていたらしい。

両者は本家で出会った者と結婚し、その石川の孫が篝家の現当主、凛音だ。

凛音もまた、武術、剣術と・・・あらゆる術を心得、暗殺者としてその界隈で名を馳せる程の者だ。

俺もそれなりに鍛えられたため、ある程度の武術を身につけてきた方だが、使う機会などさらさらない。

御三家一族の者たちは、彼らにとっては護る対象で、俺が手を汚すようなことは、生まれてこの方ありはしなかった。


「お父さん、出かけるの?」


玄関で靴を履いていると、リビングから小夜香がひょこっと顔を出した。


「ああ、遅くはならない。・・・行ってくる。」


それだけ言い残し、倉根から連絡をもらっていた場所へ向かった。

歩いて10分程で着いたそこは、古い店看板だけが残っている殺風景な建物だった。

正面のシャッターは閉まっていたので、とりあえず建物の隙間に伸びた階段を上がった。

扉の前に着き、ドアの先の窓から、ぼんやり見える人影を確認した。


俺がドアを開けた瞬間に、数名いた人物は、すばやく俺に向き直り、膝をついてこうべを垂れた。


「更夜様、お久しゅうございます。」


そう口火を切ったのは凛音だ。


「いい・・・立て。」


そう言うと静かに彼女を含めた他の者も立ち上がり、見張りのためか凛音以外は部屋を後にした。


「ここは・・・数年前に潰れたバーだったか・・・。」


部屋の中を見渡しながら、その名残を感じる家具を眺めた。


「はい、倉根様より、人気のない場所でかつ、更夜様の自宅から近い場所を選んでいただきました。こちらにおかけください。」


そう言って凛音はテーブル席の椅子を引いた。

相変わらず無表情で冷徹な彼女を、横目で見ながら座ると、凛音も向かいの椅子に静かに座った。


「単刀直入に問う、一族解散後、単身であちこち飛び回っていた目的を述べよ。」


俺は無意識に、当主であった当時の自分を纏っていた。


「はい、お察しの通り、本家の重役であった数名の逃亡先を追っておりました。私が数年かけ、小百合様殺害の件で、糸を引いていたと思われる人物をあぶりだし、確証も得られたので、一族の解散と同時に、彼らを始末する目的で動いておりました。」


「やはり、そうなのか・・。」


「もちろん彼らに関係する者たちは、篝家の行動を予想していたでしょう。ですがそれを更夜様の依頼だと思わせないためにも、更夜様が一族の解散を命ずるのを待っておりました。」


何もかも、俺が察した通りのことだった。


「恨みは恨みを呼ぶ・・・。今のお前がいい例だ。」


俺は凛音が哀れで仕方なく、そう言葉にした。


「そうでしょうね。」


彼女はそう言って目を伏せると、微かに鳴る風の音に耳を傾けるように窓を見やった。


「更夜様、僭越ながら・・・少し個人的な話をしてもよろしいでしょうか。」


「・・・ああ。」


凛音は表情こそ変えないが、その瞳は何かを懐かしむように遠くを見た。


「覚えておいでではないでしょうが、幼少期、祖父より厳しい鍛錬を受けていた私を、見かけた更夜様がかばってくださいました。女の子を叩くな、と。」


凛音は俺の瞳を見据えながら、その奥にある当時の自分を映しているようだった。


「白夜様は、出来る者にしか与えぬ、と所持していた名刀をくださいました。そして由影様は、体を大事にして務めなさい、と声をかけてくださいました。」


そう語る凛音からは穏やかな音と色が見えるが、渦巻く殺気が彼女をいつも包んでいる。


「感情が揺るがぬように務めてまいりました。ただ従い、依頼されたことをこなすために。その日々の営みが誇りでした。更夜様を含め、当主の命を守ることが。ただ・・・貴方様がご家族と幸せそうに過ごすお姿を見守っているうちに、いつしかこう思うようになっていました。」


凛音は尚も淡々と、かつての自分をさらけ出した。


「その光景を生涯護ることが、私の成果であり安心出来るものだ、と。そして小百合様が亡くなったあの日、私の成果と安心は崩れ去り、自責の念と、私怨に取りつかれることになりました。」


凛音はただただ自分のためでしかない、と言う。

嘘偽りはないだろう。だがその燃え続ける怒りが、何とも虚しいばかりだ。


「俺は・・・お前にも他の本家の誰にも、そいつらを殺してほしいなど思わない。」


凛音はまた目を伏せる。


「・・・そう思われると、そうおっしゃるとわかっておりました。更夜様はお優しい方ですから。ですが、人の命を奪い、あらゆる人々の苦痛の声を聴いてきた私が、どうしてか・・・一つだけ消えないのです。」


その瞳は、悲しみや憐れみを映していない。


「小百合様の亡骸を抱き、泣き叫んでいた貴方の声が、その光景が・・・今でも消えません。」


その時、自分の心音が消えた気がした。


「13年経った今も、許すことが出来ません。自分と、その一派を。」


俺は握ったこぶしに、痛みを感じる程力を込めていた。


「貴様が言うその私怨とやらは・・・俺や、小百合を冒涜することだとわからんか・・・。」


「・・・冒涜・・・?更夜様は、小百合様を殺した者たちにも、生きていてほしいのですか?」


尚も無表情でそう問う凛音に、いら立ちを通り越し、自分の中で何かが崩れた。


「生きていてほしい、だと?殺す価値もないんだ!俺や小夜香は、小百合を亡くしても必死に生きて来た!何故だかわかるか?小百合が生きてほしいと願ったからだ!己が生きていたい、と思ったからだ!俺や小夜香が生きなければ、彼女の生きた時間はどうなる!?下らないことで殺しを企てるような人間はな、吐いて捨てる程いる、そんな奴は受け継がれるような生き方などしない!貴様がしていることは単純で、醜悪で、幼稚なそいつらと同じだ!そんな貴様が俺たちに勝手に恩を感じて、護っている気でいたのか?いっぱしに仇を討っているつもりか?貴様の生い立ちには同情する、だがな・・・その人間をいつまでも学ばぬ生き方には吐き気がする・・・。貴様の勝手な仇討ちに、俺や小百合を理由にするな!」


立ち上がった拍子に倒れた椅子が、その足を折られて転がった。

涙で歪んだ視界の先には、目を見開いて見つめ返す凛音がいる。


「・・・言いたいことはそれだけだ・・・。俺はもう当主ではない、貴様を止める命令も意味をなさない。」


これは怒りだろうか・・・。悔しさだろうか・・・。


背を向けて部屋を出る俺に、凛音は何も言うことはなかった。

扉を出ると、声を聴いて部屋に戻ろうとしていた篝家の者たちが、俺を見て足を止めた。

俺は彼らを避けて階段を降りた。


「お・・・お待ちください、更夜様!凛音様は・・・貴方様のことを思って!」


俺は声の主を振り返り睨みつけた。

他の者たちもそれから動くことも発することもなく、俺はその場を後にした。


それから家に着くまで、頭の中は空っぽだった。踏み出す足が重かった。ぼーっと歩きながら、帰り道を間違えないようにしているだけだった。

だが家のドアを開け、ドアを閉め、玄関に入った時、頭の中で凛音が言った言葉が流れた。


『小百合様の亡骸を抱き、泣き叫んでいた貴方の声が、その光景が・・・今でも消えません。』


そして脳内には、まるで映画の一部のように、かすれて乱れた画面が少しずつ再生された。

その時駆け付けたその部屋には、ぐったり倒れた妻と、血に染まった畳。


「お父さんおかえりー。・・・早かったね、コンビニ?」


小百合は布団から少し離れた縁側の障子に、もたれるように倒れていた。


「お父さん?どうしたの・・・?」


出血量は見ただけで酷いものだとわかった。すぐ止血しようにも傷口は深く、着物は真っ赤に染まっていた。

凶器は持ち去られていたが、刃渡り30センチ以上のナイフや包丁の類で、細い体を貫かれていた。


玄関に崩れるように手をついた俺は、息苦しくて、視界が歪んだ。


「お父さん!大丈夫!?どうしたの!?」


痛かっただろう・・・。苦しかっただろう・・・。傷をふさぐことも、輸血も、もう意味をなさない状況だった。

白い顔をした小百合は、虫の息だった。

何もかもがもう遅すぎる、小百合の血に濡れた、真っ赤な自分の手がそう物語っていた。


「お父さん!!お父さん!」


わが子の声が、遠くなっていく。

自分の意志と反して、呼吸が出来なくなっていった。

俺はそのまま意識を失った。


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