第四章
書斎で仕事に追われる日々を過ごしていた頃、倉根から再度連絡があり、凛音と会う日取りも決定した。
そしてあっという間に合コンの日がやってきた。
「お父さん、こっちのジャケットがいいよ。」
俺は小夜香に言われるがままに、洋服を選んでいた。
まるでこの日のために全て決めていたかのように、小夜香は素早く用意した。
「・・・そんなに俺のチョイスが不安か?」
「そういうわけじゃないけど、嗾けたのは私なんだし、これでも今の女性受けする三十代のファッション、結構調べたんだよ。」
小夜香はジャケットを羽織る俺の襟元を正しながら言った。
満足そうに、何か誇らしげに上から下まで服装をチェックする。
「あんまりお洒落過ぎても浮いちゃうから、バチバチに流行を重ねるなんてことしないけどね。」
「そうか。ありがとう。」
クローゼットを閉じようとすると、ふと小夜香が言った。
「それ・・・もう着ないの?」
振り返り、指さす先に視線をやると、昔着ていた羽織だった。
「ん・・・和服を着ないとなかなか着る機会はないかもな。」
呉服屋の娘であった小百合が、昔俺の誕生日にくれたものだった。
上質な絹で作られているそれは、シンプルな紺色だが、袖の後ろには細かな刺繍が施されている。
「今は洋服にも羽織を合わせるファッションあるんだよ。これ素材もいいと思うし、男性用なのに花柄がシックに入ってていいよね。」
「そうだな・・・。まぁでも着るとしても、普段着として使いたい物だな。」
そう答えながら右手首に腕時計を付けた。
代わりに小夜香がクローゼットを閉め、俺の腕を取って顔をのぞき込む。
「やっぱり、お母さんにもらったものは特別?外に着て行って汚したくない?」
その無邪気な行動が母親そっくりに思えた。幼い頃は顔立ちが俺によく似ていた小夜香だが、大人になっていくにつれ、若かりし頃の小百合によく似ている。
「そりゃあな・・・。」
俺がそう言って微笑み返すと、小夜香も笑みを浮かべて言った。
「いい人との縁があるといいね!お母さんもきっと応援しながら見守ってるよ。」
そう言いながら小夜香は元気に俺を見送った。
今更ながら思うことだが、小夜香は父親に恋人が出来て連れて来たとして、複雑な感情にはならないのだろうか・・・。
まぁ、嫌なら最初から合コンなど提案しないだろうが・・・。
「再婚を勧めてくる娘ってのも、なかなか聞いたことないな・・・。」
そんなことを呟きながら、車のキーを回した。
車を繁華街に走らせること自体、初めてかもしれなかった。
うるさいくらい店看板の光が、夜の街を煌々と照らす。
慣れない人込みを車の窓から眺めるだけで、少し酔いそうな気がするほどだ。
知らされた予定の時間に店の駐車場に車を停め、幹事である医者に一報を入れ、入店した。
飲み屋街の中にあるにしては少し洒落た店内で、店員に二階席に促され、癖のある欧風の艶めいた螺旋階段を上った。
「あ!島咲さん!」
名前を呼ばれ、集団の中で手を上げる男性のテーブルに向かった。病院にいた元同僚だ。
歩み寄ると、男性三人と相手の女性四人の全員の視線が刺さった。
「遅れてすみません。」
「いえいえ!急に予定合わせてもらっちゃってすみません!皆さんこれでお揃いですね。」
俺は促された椅子に座ったが、女性陣は尚も俺の顔を気にしながらそわそわしていた。
何だ・・・。少し遅れてきたくらいだが、まずかったのか・・・?
そう思いながら、幹事の仕切りの元、全員が自己紹介を済ませ、久しぶりに酒を口にした。
「島咲さんもお医者さんなんですね、おいくつくらいなんですか?」
一口目の酒を飲んでいる最中、向かいに座っていた女性に声をかけられた。
「・・・今年35になります。」
「え!意外!すみません、同い年くらいかと勝手に思ってました。」
「はは・・・。」
この年になっても、初対面の人から俺は若く見えるらしい。
その後も半ばお見合いのような質問を、女性陣から投げかけられた。
幹事の元同僚が上手く会話を回してくれたおかげで、他の男性陣も女性とまんべんなく、会話を楽しんでいる空間が出来上がっていた。
一時間ほど経った後、食事と酒は程ほどに、集団は二軒目に向かった。
そこの居酒屋で座敷テーブルだったこともあり、皆自由に席を移動しながら飲み始めた。
すると一人の女性が俺の隣にやってきて、甘えた声で言った。
「島咲さん、お名前で呼んでもいいですか?」
「名前?ああ、どうぞ。」
そう答えると胡坐をかいて座っていた俺の太ももに手を置き、ニッコリ微笑んで嬉しそう言った。
「更夜さん・・・私ちょっと酔っちゃったかも・・・。」
そう言って顔を近づけてきたので、少し面を食らったが、改めて甘えた顔を見つめ返して答えた。
「食べずに飲んでばかりだと酔いは回りやすくなりますよ。水頼みましょうか。」
俺がしれっとそう言うと、彼女はクスクスと笑う。
「も~そういうことじゃないですよぉ。」
少し顔を赤らめながらそう言っていたが、医者であるが故に心配になったので、足に置かれた手を掴んだ。
「そういう意味じゃないのはわかるけど、酒はペースを間違えると毒と同じだから・・・。気をつけなさい。」
顔を屈めて小声で言いながら、俺は彼女の手首に触れて脈をとった。
いや、心拍数はや。
赤い顔でぼーっと俺を見つめ返していたので、速やかに水を頼むことにした。
「すいませーん、お水ください。」
その後その女性がトイレに立ったので、その隣に座っていたメンバーの女性と目が合った。
慌てて視線を逸らされたが、一人で飲んでいるようだったので声をかけた。
「こっち詰めますか?まだお話してなかったですよね・・・えーと、橘さん。」
「は、はい。」
気まずそうにしながら俺の横に座った彼女は、グラスを持ったまま俺に顔を合わせようとしなかった。
「・・・何か俺失礼なことしました?」
そう尋ねると彼女は慌てて顔を上げた。
「い、いいえ!そんなことないです。あの・・・ただ私、合コンって初めてで・・・私も急遽誘われたので・・・。」
そう言いながら曖昧な笑みを返す彼女は、確かに他の三人の女性陣たちとは印象が違うように感じた。
すると俺の隣にいた男性が声をかけてきた。
「三人トイレに行っちゃいましたけど、会議っすかねぇ・・・。島咲さんお目当ての子いますか?って、橘さんいるのにこんな話野暮か・・・。」
内科医だと言っていた男性の一人がそう言うと、幹事の元同僚も続けていった。
「皆さんいい方ばっかりですよね。島咲さん一番年上ですし、ご希望の子がいたら俺たちはお譲りします。」
今回の合コン事情を知っているのは幹事だけなので、伏せた言い方をしているが俺のための機会だと勧めてくれているのだろう。
俺は彼らの会話を聞きつつも、キョトンとしている橘さんに視線を送った。
取り合うことも駆け引きもなく、お膳立てされているからこそ、先に選べとされているが、何とも解さない。
と言っても選ばなくても幹事を始め、彼らも変に気を遣うだろう。
正直体験程度で来てはいるが、これはゲームではなく人との関わり合いだ。
選ぶ選ばない、という話でもない気もした。
「じゃあ橘さん、そろそろ帰路に就きたいので、一緒に店出ませんか?」
「へ・・・?」
呆然とする彼女に俺は苦笑いを返した。
すると幹事は俺に声をかけた。
「了解しました。島咲さん、職場では最後にご挨拶も出来ず、合コンに参加してもらってありがとうございました。俺たちとしてもいい機会をいただけたので、倉根さんによろしくお伝えください。」
「ああ、こちらこそ悪かったな。ありがとう。」
そう言って立ち上がると、他の男性二人も何かを察したように俺に頭を下げた。
「橘さん、まだここで飲んでいたいならいいですけど、いかがです?」
「あ・・・え・・・、あ、明日も仕事なので私も帰ります。」
彼女はそう言って慌てて立ち上がり、俺たち二人は店を後にした。
駐車場に入り、彼女を送り届けるため助手席のドアを開けると、橘さんは何か物怖じした様子で佇んでいた。
「・・・どうしました?」
「あ、いえ・・・あの・・・やっぱり初対面の方にわざわざ送っていただくのは・・・。」
まぁそう思うのが当然か。
「でも、終電恐らくないですよ。タクシーも・・・この辺りはなかなか捕まらないかと・・・。」
俺がそう言って彼女に歩み寄ると、彼女は鞄をぎゅっと抱きしめながら俺を見上げた。
女性として当たり前の警戒っぷりだな。
「橘さん・・・取って食おうなんて考えてません。家を教えろとも言いません、駅から家が近いならそこへ、そうでないなら一人で歩かせるのは不安なので、家の近くのコンビニくらいまでは送らせてください。」
俺がそう言うと彼女は少し、怯えた表情から冷静になったように見えた。
「わかりました。お願いします。」
そう言って丁寧に頭を下げた彼女は、ゆっくり助手席に座った。
俺も車に乗りシートベルトを締めていると、彼女は何やらチラチラと俺の顔を伺っていた。
「・・・どうかしましたか?」
「いえ!すみません、じろじろと・・・。」
俯く彼女を横目で見ながら、発進した。彼女から聞いた家の近くのコンビニへと走らせる。
気を遣うのも遣われるのも苦手なので、俺はとりあえず緊張しないようにと思ったことを口にすることにした。
「今日もそうでしたけど・・・時々そんな風に女性からじーっと見られることがあるんですよ。けど聞いたところでどなたも答えてはくれないので、何を思われてるのか・・・探りを入れるのも苦手ですし。知らないうちに不快な気持ちにさせているのか、と思っても気づけないしで・・・」
昔出会ったときの小百合もそうだった。
何故かじーっと、俺が診察する姿を見ていた記憶がある。
「あ、あのすみません・・・。全然不快なことは何もないです!えと・・・その・・・」
橘さんは口ごもりながら、伝えようか伝えまいか、と声が小さくなっていった。
答えてくれないか、と思いながら運転に集中すると、彼女は小さな声で続けた。
「きっと・・・皆さん、素敵な方だなぁって見惚れて・・・。あの、別に変な意味じゃなくて、その失礼だったらすみません、島咲さんが最初お店にいらっしゃったとき、なんて綺麗な方なんだろう、って思っちゃいました。」
「綺麗・・・・・・。」
思わず返す言葉に困った。
「すみません!こんなこと言われてもそれこそ不快ですよね!」
「いや・・・ん~・・・。ふ・・・まぁ清潔感があって好感が持てる、という風にとらえておきますね。」
倉根や小夜香が言っていた通り、人を見る際に何かが欠けているであろう俺には、ピンとこないことだと悟った。
「うぅ・・すみません・・・。」
「別に謝らなくていいですよ。橘さんは・・・アパレル業の方だっておっしゃってましたが、仕事場も都内ですか?」
信号待ちに入って彼女に視線を送ると、少し顔を赤らめながら明るく答えた。
「はい、都内のお店で接客を・・・。島咲さんジャケットすごく似合ってらっしゃるし、パンツもシャツも着こなしが素敵だなぁと思って・・・。」
「あぁ・・・これは娘が選んだファッションなので、俺がおしゃれなわけじゃないんですよ。」
そう苦笑いを返すと、彼女はキョトンと見つめ返してきた。
「あ~もちろん妻がいるのに合コンに参加していたわけじゃないですよ、娘が小さい頃に妻は亡くなったので。俺は長いこと独り身だったんです。」
そう言うと橘さんは申し訳なさそうに声色を落として答えた。
「そうだったんですか・・・。すみません、込み入ったことお話させてしまって・・・」
「いえ、隠すことじゃないですから。でも、本業の方に褒められたと知ったら娘も喜ぶので、伝えておきますよ。」
そう言って俺が笑みを返すと、彼女はやっと笑顔を向けてくれた。
他愛無い雑談をしていると、警戒心も解いてくれたようで、それなりに打ち解けたように思えた。
そつない会話しかしてはいないが、他人とそんな風に雑談することさえ久しく無かった俺は、素直に言葉と反応を返す橘さんが新鮮だった。
そうしているうちにやがて目的地のコンビニに着いた。
「島咲さん、わざわざありがとうございました。あの・・・良かったら連絡先を・・・聞いてもいいですか?」
「ええ、もちろん。」
連絡アプリを起動して、差し出されたIDを読み込み、彼女のアカウントが自分のスマホの画面に現れた。
フルネームで登録されていたそれを見て固まってしまった。
「橘・・・小百合・・・。」
「え?あ、はい、下の名前、小百合です。」
同じ名前、同じ漢字。
俺は脳裏に、着物姿の妻が浮かんで・・・消えた。
そりゃ珍しい名前でもないのだから、驚くことでもないだろう。
だが不思議と彼女に惹かれたのは事実で、いったいこれは何の因果だ・・・と思ってしまった。
「あの・・・名前がどうかしました?」
不安そうに俺の顔を見る彼女に、俺は咄嗟に笑顔を返した。
「いえ、何でも。気を付けて帰ってくださいね。あと、無事に家についたら一応連絡入れてください。」
スマホを見せながらそう言うと、橘さんはニコリと自然に笑みを浮かべた。
「わかりました。じゃあ島咲さんも着いたら連絡してくださいね。」
彼女が車から降り、お辞儀をされたので手を挙げた。
去っていく後ろ姿を見送ると、咄嗟の作り笑いの反動が心にのしかかった。
俺はきっと、年甲斐もなく少し浮かれていたんだろう。そしてその名前を目にした途端、現実に引き戻されたような感覚に陥った。
ハンドルに両腕を預け、フロントガラスから入るコンビニの明かりから目を背ける。
「はぁ・・・何だこの、もやっとは・・・。」