第二章
「いいですか、更夜様、筋書きはこうです!」
引っ越し祝いにやってきた倉根は、根回しでこしらえた合コン計画を、意気揚々と説明していた。
「倉根さん、お茶置いときますねぇ」
「ありがとうございます、小夜香様。」
そう言って、やり手の営業マンかのような完璧な笑顔を作る。
「もう、様呼びはやめてくださいね・・・。」
「失礼いたしました、未だ使用人の癖が抜けず・・・妻にもよく注意されているんですよ。」
「職業病ってのはなかなか抜けないもんだな・・・俺もそうだが・・・。」
そう言いつつパソコンに向かい仕事をしていると、少しイラついた様子で倉根は言った。
「更夜様、ちゃんと聞いてください。人数合わせで仕方なくやってきた更夜様の合コンシナリオを考えたんですよ?」
怪訝な顔を向けるのが精一杯だが、倉根はその後も、女性へのアプローチの仕方や、合コンの会話術、飲み会でのマナーや、合コンを抜け出す誘い方まで、あらゆる情報を共有してきた。
「倉根、もういい・・・。わかった。」
そう言うと彼はようやく腰を下ろし、お茶を口にした。
「さすがは更夜様、一度聞いた説明は全て記憶し、熟知してしまうようですね。」
倉根は張り付けた笑顔をカップ片手に輝かせた。
「・・・おう、もうそういうことでいい。」
すると昼食の準備をしていた小夜香が口をはさんだ。
「あのさぁ、私お父さんが知り合いとかお友達とかと親し気に話してるところ、見たことないんだけど、人見知りってわけじゃないんだよね?」
「特にまぁ・・・そんなことはないな。人前で緊張するほうでもないし、女性との会話が苦手だとかそういうこともない。」
「ふぅん・・・。てかさ、お父さんってどういう女性がタイプなの?」
それを聞くと、倉根も眼鏡を光らせて食いついた。
「確かにそれは聞いておかなければならない情報でした。更夜様の好みに合った女性を揃えていただかなければなりませんしね。」
こいつに任せるとだいぶ面倒だな・・・
「タイプって言われてもなぁ・・・。説明出来る程、女性経験あるわけじゃねぇよ・・・。」
「更夜様、言葉遣いが悪くなっておいでですよ、気を付けてください。」
舌打ちを返すと、小夜香は思いついたように言った。
「じゃあ消去法でいくしかないね。例えば、髪の毛は長い方が好き?それともショートの方が好き?」
「なるほど、さすが小夜香様・・・いえ、小夜香さんのおっしゃる通りに質問をすれば、おのずと更夜様のタイプの女性像が絞られるというわけですね。」
結託し始めたなぁこいつら・・・
「髪型なんて似合っていればいいだろ・・・。強いて言うなら、あまり派手髪の女性は好きではないかもな。」
「なるほど・・・心得ました。」
倉根はさっとメモ帳とペンを滑り出す。
「メモすんな。」
料理をする手を止めて、小夜香はさらなる質問を投下する。
「じゃあ~性格は大人しめの人がいい?それともしっかり自己主張出来るタイプの人がいい?」
「それはまぁ・・・後者かもな。俺は人の気持ちに疎いから、はっきり言われた方がいい。」
ふむふむ、と倉根は次々メモしていく。
「じゃあ、ルックスの話に戻るけど、可愛い系の方がいい?それとも綺麗系?」
小夜香は何やらずっとニコニコ楽しそうだ。
「かわ・・・綺麗系・・・??」
改めて尋ねられると、自分の好みがこうも定まっていないとは。恋愛以前の問題ではなかろうか、と思い出してくる。
「悩んでらっしゃるようですが、小百合様は美人な方でしたので、綺麗系でしたね。」
俺より年上の倉根がそう口をはさんだ。
「あー確かにそうかも?私あんまり記憶にないから写真見ただけだけど。」
考え込むも、小百合の容姿がどうと言われてもよくわからなかった。
「・・・更夜様は美醜に鈍感な方ですからね。美人か可愛いかなどと女性を分けて見ることはされないでしょう。」
「まぁ・・・知らんけど・・・。」
「じゃああれかなぁ、お父さん直感的に相手を見るタイプなのかなぁ。フィーリング的に合う人が好き、みたいな。」
「ふむ・・・更夜様が相手を判断する際にどういうところに着目しているかにもよりますが、居心地の良い雰囲気をお持ちの方を好むのが人間というものですしね。」
うんうん、と二人仲良く頷きながら俺の反応を伺った。
「・・・あのなぁ・・・。俺は小百合以外の女性と付き合いをもったこともないし、好みがどうこう言われてもピンとこないし、体験感覚の合コンなら、他の男もいるんだろう、そこに俺の好みばかり揃えてもしょうがないだろう。」
二人は顔を見合わせ、呆れた表情を隠せずにいた。
「自分の好みの女性がわかってない34歳かぁ・・・。」
「最悪拗らせてる、と思われるかもしれませんね・・・。」
「哀れむんじゃねぇよ・・・。色恋に興味ないやつなんてそんなもんだ。」
そう吐き捨てて、俺はまたノートパソコンに向かって仕事を再開した。
「小夜香さん、更夜様を合コンに行かせるのはだいぶ荒療治かもしれませんねぇ。」
小夜香は昼食づくりを再開しながら意気込みを語った。
「そんなの百も承知の上だよ!それくらいしなきゃ、本当にお父さん40超えてもずっと独り身おじさんになっちゃうんだから!」
確かに・・・と倉根は神妙な面持ちで考え込む。
俺は二人のやり取りが半ばどうでもよくなってきたので、とりあえず無視することにした。
粗方二人の合コン作戦の会議が終了したのち、昼食を食べ、そういえば、と倉根が思い出したように俺を見て言った。
「更夜様、都内の大学病院にお勤めすることになった、と聞いたのですが・・・。」
俺は皿を洗いながら答えた。
「耳が早いな、親父がそこの院長と知り合いらしくてな、本家の事情が気になって連絡が来た時に、外科医が足りないし、俺に来てもらえると助かる、と言われたらしい。」
「ほう・・・悟様は了承されたんですね・・・。」
倉根は少し心配気にそう尋ねた。
「了承も何も・・・もう本家を出てからは俺の好きなようにするといい、っていうスタイルだろうよ。」
親父は島咲家に当主として、長く務めた一人だった。
俺は幼い頃から文字通り、父の背中を見て育った。
本家の重役の主治医を務める父の後ろを、ついて回って仕事ぶりを身近で観察していた。
絵本を読むように、医学書を読む子供だった。
わからないことは何でも父に聞いた。そして本家の中には書斎が各家にあったため、御三家を出入り出来る立場の俺は、幼少期のほとんどの時間を書斎で過ごしていたといっても過言ではない。
父の父、つまり俺の祖父は婿養子で医者ではなかったが、祖母は優秀な女医だったと聞いた。
祖父母がどういう教育方針だったのかは謎だが、父は決して自分が特別な人間ではない、とよく言っていた。
そして俺に対しても、与えられている環境に、自分自身の才能に、当たり前だと思うな、と言っていた。
当主の任を俺に継がせた後は、仕事で欧米にいることが多く、大人になってからはそこまで会話をするほどでもなかったが、孫である小夜香を猫かわいがりする普通の人だ。
俺に連絡をしてくるときは、決まって小夜香への土産はこれでいいか、あれがいいか、などとそんな話ばかりだ。
正直、仕事ぶりをどう思っているか、などは特にお互い興味はない。
高津家や松崎家は血筋を重んじる家系であったが、島咲はそうでもない。
と、俺は感じている。
悪習も少ない方だった。ただ、両家の板挟みにはなりがちだった。
上役に老害が多く、一代にして一族を牛耳る程の力を見せた白夜の存在も相まって、金や事業を巡ってトラブルが絶えなかった。
両家当主や一族の主治医としての仕事以外にも、小競り合いの鎮火に駆り出されていた俺は、妻が亡くなることとなった事件当時も、本家には不在だった。
そういう小さなトラブルの積み重ね、または人間関係のもつれ、あらゆることが重なった結果、妻は犠牲になった。
もちろん、その一端として俺にも責任はあり、大きな要因として白夜の存在もある。
だがいくら自分や周りへの恨みを募らせても、死んだ者は返らない。
どれだけの時間をかけて後悔しても、その事実だけを受け止めるしかなかった。
倉根が帰った後、書斎で仕事をしていたが、何やら落ち着かなくなり、コーヒーを淹れにリビングに戻った。
夜の帳が下りて、リビングの大きな窓からは、月明かりが青白く差し込む。
インスタントのコーヒーを、二つのマグカップそれぞれに淹れた。
片方は娘のカップだが、湯気が立つそれを持って、彼女の写真の前に置いた。
「今日は少し肌寒いな・・・。昔、俺に合わせて無理してコーヒー飲んでたろ・・・。これは砂糖入ってるから許してくれよ。」
ダイニングテーブルの椅子を、彼女の側へ持ってきて座る。
カップに添えた右手がじんわり温かくなると、何となく昔、小百合と交わした会話を思い返した。
「どうして左手でカップ持つの?」
彼女の明るい声が、もう・・・どんな声か忘れてしまったけど、そんなことを俺に聞いてきたことがあった。
元々左利きなんだ、と言うと、興味津々で「ごはんのときは?」「ペンを持つのは?」と食いついてきたっけ。
思い出に浸りながら、彼女の笑顔の写真に視線を戻した。
「今は、思い出して少し笑えるくらいにはなったよ。」
凪いだ心に、油断すれば石が落ちて、気持ちが揺らぐことはある。
波紋が広がれば波になることもある。
けれど俺には小夜香がいるから、日々を自分として生きていけるのだろう。
小百合の写真は、実はそんなに数はなく、小さなアルバムに数枚あるくらいだ。
ただの写真であったとしても、俺は自分と小夜香のために、それを大事にしている。
彼女が残してくれた物はすべて、自分がこれからを生きていくために生かしていく。
俺は俺がそうしたい、と思った生き方を貫いていく。
出来れば、一生を・・・共に生きていてほしかった。
「四月から小夜香は高校生だ。制服姿を写真に収めたら、隣に置いてやるからな。」
時々彼女のその笑顔から、返事が返ってくるような気がするときもあった。
それから静かに、コーヒーを飲み終えるまで、月明かりを浴びていた。