第一章
それは引っ越しの荷ほどきをしている最中だった。
唐突な娘の一言から始まった。
「お父さんさー・・・再婚しないの?」
段ボールから皿を出す手が止まった。
「何だ急に・・・。」
「ていうか、お父さんってさ、お母さんが亡くなってから、恋人いたことある?」
娘にこんなことを言われる歳になるとは・・・。
「ない。再婚したいという願望も特にない。」
「えーー?本気?なんで?」
娘を振り返ると、積みあがった本に頬杖をついて、呆れ顔だ。
「何で・・・・考えたことがなかったからそう言われてもな・・・。正直本家の解体の件と、仕事でバタバタしていて、自分のことにまで気が回っていなかったな。」
ふぅん、と娘はつまらなそうな視線を返してきた。
俺は何となく居心地が悪くなって、本が入った段ボールを書斎へと運ぶことにした。
書斎は壁一面本棚になっている。天井も高くしているため、脚立を使わなければ取れないところにも、本を収納できる。
そしてまるで部屋を仕切るように、同じような本棚を何列かおいている。
それらは天井と繋がって部屋の柱と化しているので、それもまた天井の方まで本を仕舞うことが出来る。
我ながら思い切った造りにしたな、とは思う。
だがこの本棚の優れものなのが、地震の揺れなどを感知した際は、仕込まれたスライド式の扉が自動的に閉まるところだ。
正直広い一軒家に対し、ここに一番金をかけたことは間違いない。
俺は一つひとつ、分類しながら丁寧に本をしまった。
リビングに戻ると、小夜香は思いついたように、俺の顔を見るなり言った。
「ねぇお父さん!お医者さん知り合いで、合コンセッティングしてくれる人とかいないの?」
「・・・合コン・・・?」
小夜香は食器を仕舞い終えて、段ボールを畳みながら続けた。
「お医者さんが来るっていう合コンなら絶対大人気じゃん。美人なモデルさんとか、CAさんとか、色んな人とお近づきになれるかもよ?」
イキイキと話す娘がなぜここまで楽しそうなのか謎だった。
「・・・何で急に再婚してほしい、って話になるんだ。」
だって・・・と小夜香は次の段ボールに手をかけた。
「本家のことも片付いたし、こうやって新しいおうちに引っ越しも出来たし、お父さんはもう一族の当主っていう立場じゃないんだよ?将来のこと考えて、お相手がいたほうがいいんじゃないかなぁって。」
それに、と取り出した写真立てを眺めながら続けた。
「お母さんが亡くなってもう13年も経ってるし、私も自分の将来自分で考える年齢だし、お父さんは自分のこと考えなさすぎだなぁって。」
娘に言われるならそうなのかもしれない、とは思った。
本当に色々なことが目まぐるしく重なりすぎて、再婚というのは考えもしなかった。
「ね、いいご縁は自分で結びに行くんだよ!」
小夜香はそう言って、亡くなった妻の笑顔の写真を見せた。
俺も妻も本家で産まれた。
医者として外に出る機会が多かった俺に対し、小百合は病弱だったため、そのほとんどを部屋の中で過ごしていただろう。
だが彼女はとても外交的な性格で、自身の一族以外にも知り合いが多く、勉強も好きだったため、病気がよくなってきた頃には看護師になりたい、と国家資格を目指していた。
まさに彼女は、人との縁も将来も、自分で繋いでいくやる気に満ち溢れていた人だった。
恐らくその積極性は、小夜香に遺伝しているだろう。
俺は彼女の写真を受け取り、朝日が照らされている飾り棚に立てた。
「確かに縁というのは、きっかけを持たないと結ばれないものかもしれないな。」
「そうだよ、仕事ばっかりして過ごしてたら、そのうちすぐにおじいちゃんになっちゃうんだから。」
小夜香はぶっきらぼうにそう言った。
決められた仕事をし、仕来りや立場に縛られ、悪習が蔓延る一族の中での生活を抜けた今、なんだか地に足の付かないような気持ちであった。
正直なところ、外で生きる人たちが普段どのような生活スタイルで、何を娯楽とし、どんな風潮の中で生きているか、そんなことすらわからない、というのが大きな要因だ。
ネットでニュースを読み、SNSを使い、何となく眺める程度に世情を知ることはあるが、今一浮いた気持ちが治まらないのは、小夜香の言う通り、人と関わっていないからだろう。
そんな思いにふけりながら、開いていない段ボールに手をかけていた。
その日一日作業に追われ、荷ほどきが片付いたのは夕刻を過ぎたころだった。
小夜香と簡単な夕飯を済ませ、俺は本が詰まった書斎へと戻った。
仕事用のデスクに湯気の立つマグカップを置き、パソコンの前に腰を下ろした時、存在を忘れていたスマホがポケットの中からなりだした。
「もしもし。」
「更夜様、お疲れ様です。今お時間よろしいでしょうか」
「ああ、大丈夫だ。どうした?」
電話口では倉根が本家の作業について進捗を報告する。
「それで業者にもやっと話がつきまして、6月末には屋敷の取り壊しが始まることになりました。」
「そうか・・・。」
約500年存在していた本家にもついに幕が下りる。
本来なら別に取り壊す必要もないだろう、と言われるとは思う。
建て直しは繰り返してはいるが、歴史ある屋敷だ。
だがそうしてはいられない事情がある。ここまで事を運ぶのに、どれだけの人手と苦労があったか・・・。
もう無用な議論は続けられない、正直もう予定していた引っ越しも押しに押して、ようやくここまで来た。
当主の任を辞し、ただの一人の医者としてこれからを生きていくことになるだろう。
「感慨深いですね・・・。」
黙っていた俺に倉根はそうつぶやいた。
彼も同じく本家で生きてきた人間、代々島咲家の使用人をする一族の一人だった。
「現実離れしていた一つの世界がやっと終わるってもんだ。もう何も繰り返すことはないし、誰かの命を無為に奪うこともない。」
「そうですね・・・。ただ私としては一つ懸念していることはあります。」
「・・・篝家のことか?」
「ええ、彼らは組織を解散させられ、宙ぶらりんの状態ですからね。そなへんの半グレや極道に混じらぬように、新たに組織を作る、とはおっしゃっていましたが。」
篝家もまた、長い歴史の中、御三家に仕え、汚れ仕事を請け負う一族であった。
「中でも心配なのは・・・現当主の凛音様です。こちらでも監視をつけていたんですが、海外に移動したり戻ったり・・・行動が予測できず・・・。」
倉根も手を焼くとは相当なのかもしれない。
「行動の目的は絞れているか?」
「・・・わかりかねます。」
現在では何とも言えない、もしくは確証がないということか・・・。
「十二分に注意しておきます。まぁ更夜様に直接会いに行くなどということはないと思います。」
「ああ。頼む。」
それから少し、倉根と今日のことを話すと何やら急に興奮して話し始めた。
「なかなかいいアイデアじゃないですか。小夜香様の言う通り、合コン行きましょう更夜様!」
「はぁ?お前妻子持ちだろ。何考えてる。」
「私が行くんじゃありませんよ!更夜様がご存じの医者でしたらいくらか見繕えますし、その一人に合コンを企画してもらいましょう。」
うわー根回し・・・
「勘弁してくれ・・・。」
「なぜですか!更夜様も内心、見聞を広げるためにも、積極的になるべきだとは思ってらっしゃるのでしょう?」
冷めかけたコーヒーをすすりながら、返す言葉を考えたが、今回ばかりはぐうの音も出なかった。
「ご安心ください。根回しするにしても、更夜様を祭り上げるように仕立てるわけではありません。きちんと一般人として健全に!合コン体験をさせていただく、という名目で企画してもらうのです。」
「・・・イキイキしてんなぁお前・・・。」
電話口で倉根は急に真剣な口調で答えた。
「更夜様、小夜香様のことを思っても行ってみてはいかがでしょう。なんでも挑戦することは大事ですし、まぁ気の合う人と知り合えればいいなぁ程度で参加しましょう。」
「・・・・はぁ・・・。」
乗り気はしなかった。だが一方、外で生きていく上でコミュニケーションスキルを上げるいい機会とも思えた。
未知なことに不安は多々あれど、奇異な目で見られない程度に人との距離感を覚えなければならない。
本家の外で生きていくというのはそういうことだ。
「わかった・・・。人選は任せていいのか?」
「もちろんです!更夜様と同世代くらいの方をそろえて、相手方もそれなりの女性をお呼びしましょう。」
倉根は祝杯を挙げるがごとく、高まった声で答えた。
頼りにはなるやつだが、今回ばかりは不安だ。
そうして俺は齢35にして、合コンとやらを体験することになった。