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今昔陰陽師集〜無悪善〜

作者: Marumasu

今となってはもう昔のことだが・・・



ーーーーーーー


『無悪善』

昼時の社内、社員がその立て札を気にしながら食堂に入って行く。

時には携帯電話で写真を撮り、他者にメールする者もみえる。

会社内の殆どの人の注目を集めた立て札は、その日の昼過ぎには撤去(てっきょ)された。


定時になる三十分前。

SAGA出版社の社長、社長秘書、会長と、入社3年目程になる若手社員が一室で顔を合わせていた。

まだ歳若い社員は、肝が座っているのか鈍感(どんかん)なのか、社長、会長の二人を目の前にしても緊張(きんちょう)する様子も見せずにゆったりと出された茶を飲む。

会長の嵯峨(さが)が、立て札を手に持ち、社員と向き合うと口を開いた。

(たかむら)、これを読んでみろ」

問われた社員、小野篁は立て札を見ると、眉を下げて困った顔をした。

「読むことには読めますが、恐れ多くて読みたくありません」

「ただ読むだけでいい」

嵯峨は、(しぶ)る篁を何度もそう説得した。

篁は嵯峨が(あきら)めないと悟り、渋々(しぶしぶ)ながら口を開いた。

「さがなくばよい、ですね。誰かが会社か会長がいなかったらいいのにと言っているようですよ」

「お前自身が書いたから読めるのだろう」

間髪(こんぱつ)入れずに嵯峨が目を細め、鋭い視線と言葉を篁に送った。

「そう言われると思ったので読みたくないと申し上げたのです。これは漢文や漢詩、中国史等に詳しいその手の人間なら読めますよ。それに、私は何が書かれていても読むことが出来ます」

嵯峨と篁は(にら)み合いお互いに(ゆず)ろうとする気はない様だった。

「それならば、藤原。何処かの大学や研究所から、漢詩等に詳しい人間を呼べ。その人物にも読ませて篁と同じように読めなければ、篁はクビだ」

藤原は、いや、それは・・・、と言いかけたが篁が横から口を開いた。

「藤原さん、大丈夫ですよ。今話題のパワハラで訴えたりしませんから」

篁は、にこやかに告げた。


ーーーーーー


「新潟で酒を買って来たから、明日、俺の家で飲まないか?」

昨日、男が連絡し、返答が返ってきたのが日も顔を出していない今朝方。

日が登った頃、その男、菅原道真(みちざね)は再度、安倍晴明(せいめい)から返ってきた返答を見直した。

晴明からの返答は、(きつね)(からだ)を丸めて、丸を作っているスタンプを一つだけ。

承知(しょうち)の意なのだろうが、せめて文字を書け・・・

そこは個人差か・・・それとも年代差か・・・

道真は、外から()れる中学校生の活発な声を聞き、庭に見える溶けて(みにく)い花びらを眺め、ため息を吐く。

花の盛りは、青春を駆けるようなものだ。

そのような時代が自分にあっただろうか、多分あった・・・

残りの(つぼみ)の邪魔にならなぬよう、()まなければ・・・

ピーンポーン・・・

道真の考えを消すかの(ごと)く、来客を告げる無機質な音がした。




昼時を過ぎた頃、晴明は道真の家の二軒手前で自転車から降りた。

客が来ていたのか、タクシーを前に道真とかなり長身の男が話しているのを見かけたためである。

自転車を引き、様子を見ながらゆっくりと足を進めていく。

二人は話終えたのか、男がこれでもかというくらい身体を折り曲げて、タクシーに乗りこみ帰って行った。

道真がタクシーを見送り、家の中に戻ろうと向きを変えた。

それを目に留めた晴明は、門に向かう道真を止めようと声をかけた。

「道真さん」

門に入ろうとする足を止め、道真は声のする方に顔を向けた。

その目元は少し赤みを()びている。

「あぁ、晴明か。よく来たな・・・何故自転車を引いてきたんだ?」

「二軒前まではちゃんと乗ってきましたよ。道真さんが誰かと話されていたので、邪魔しないように降りたんです。対話の途中で他の人に邪魔されるの、お嫌いでしょう」

確かに嫌いだが、その事は話した事があったか?・・・

話していないよな・・・

いや、酔った時に、またうっかり話したかもしれない。

「・・・あぁ、すまないな。助かる」

道真に心做しか覇気(はき)がなく感じる。

晴明は、少し上にある道真の瞳をじっと覗き込んだ。

「・・・」

覗き込んだまま晴明は一言も発しない。

道真は、瞳をゆっくりと反らした。

またか・・・無言のまま覗き込まれるのは落ち着かないうえ、猫のような若干つり目がかった大きな目に見られ続けると、瞳の置き所に困る・・・

見つめるのに飽きた晴明が口を開いた。

「道真さん、中に入ってもいいですか?」

「あ?あぁ、いいぞ。客人が帰ったばかりで散らかっているが」

そう言いながら道真は、家の中に戻ろうと、止めていた足を動かし始めた。

道真の後ろに続き晴明が門をくぐって行く。

門と家までの間にある、庭の躑躅(つつじ)は見頃を過ぎている。

「先程の方は、小野篁さんですか?SAGA出版の」

「ああ。知っていたのか」

晴明は靴を脱ぎ、玄関を上がる際に、お邪魔します、と軽く会釈をした。

「知ってはいますよ。若い時は会社の採用募集CMに起用されて話題になりましたよね、美丈夫(イケメン)すぎて」

「それは二十年近く前の話だろ。お前本当は幾つだ・・・」

「アラサーです。面白い噂がある方なので、()()の間では有名ですよ」

廊下を進みつつ、道真は床を見ながら考えを巡らした。

こいつらの間で記憶に留める噂というなら、あれしかないか・・・

「・・・閻魔大王の横にいたって話か?」

「そう、それです」



小野篁ーー

年齢五十歳。SAGA出版に勤務。

晴明が話していた噂とは、昼はSAGA出版で働き、夜は閻魔大王の所で補佐をしているというもの。

噂が出るその背景には、彼の上司が、息を引き取る前に朧気な瞳で放った言葉だった。

「前は閻魔大王の横に篁が居たから助かったが、今回は無理だろうな」

そう言い残して亡くなった。

それを聞いていた遺族は、そう言えば数年前・・・、と騒ぎ立てたことにより、そのような噂が広まった。

百八十を優に超える身長、東洋系ではあるが切れ長の目に鼻筋が通り整った日本人離れした容姿、知識も多岐(たき)に渡り、頭もキレて仕事もスポーツも楽も出来る。

道真は、篁と知り合った当初から、もし仮に神や仏が何物も与えたとしたら、この人だな・・・そう思っていた。



そうこう話しているうちにリビングに着いた。

晴明は、リビングに入ろうと足を進めようとして止めた。

文書が綺麗に書けるように書きまくった・・・という程に紙が広がっている。

テーブルの上だけでなく、下にも、ソファにも、壁にも。

道真は荒れ果て具合に動じることなく、紙を拾い集めようとしている。

「道真さん、篁さんを見送っている間に泥棒に入られたみたいですよ」

晴明が冗談めかして部屋の汚さを指摘(してき)する。

「だから、散らかっている、と言っただろう。篁と色々と話し込んでたんだ」

そこかしこを埋めつくしている紙には、和歌、漢詩、言葉遊び等々、様々、道真の筆跡(ひっせき)で書かれていた。

その中で、他の紙と比べ、ひと回り大きな紙に道真の筆跡で書かれていない文字に魅かれた。

晴明は壁を指刺した。

「なんですか?アレ」

道真は、片付ける手を一旦止め、指さされた方に目を向けると、歯を見せて苦笑した。

「それは俺と篁が出会った原因だ」

「酒の肴に話してくれませんか」

あまり興味を持たない晴明が、矢継(やつ)ぎ早にそう告げてくるほど、あの文字が気になったらしい。

思いがけず、先程鮮明に思い出す事が出来た。

晴明に話を聞かせるのもいいか・・・

「それはいいが、少し部屋を片付けてからでいいか?」

道真は、斜め後ろに立っている晴明に目線を流す。

晴明が、小さく何かを呟いた。

ふわり、ふわり、かさり、かさり・・・

道真が片付けようとしていた紙がひとりでにテーブルの上に一枚ずつ重なっていく。

道真は片付ける手を止め、米神に手を添えると紙が重なっていく様を見つめる。

またか・・・

毎度見事で、便利ではあるのだがなぁ・・・

こんな事(片付け)のために式神を使って良いものか?・・・

晴明は、道真の方に顔を向け首を傾げた。

「道真さん、突っ立ってないで酒の準備して下さいよ」

晴明に言われた通り準備をしながら道真は、まずどこから話すか、と考えを巡らせていた。

ぱさっ。

壁に貼られたもの以外の紙が集まったようだった。

道真は、リビングのテーブルに酒とお猪口とつまみを置くとソファに座る。

晴明は道真の右手のソファに座っている。

道真が酒瓶の封を切り、猪口(ちょこ)に注ぐ。

「さて、どこから話すか。・・・晴明、これの読み方わかるか?」

「むあくぜんではないんですか?」

道真は酒を一口口に含み、少し遠い目をしてテーブルを見つめた後、ニンマリと笑った。

「そうも読めるし、違う読み取り方もいくつかある。それが原因で俺は篁さんと知り合ったんだ」

そう言って道真は二十年程前の事を話し出した。



ーーーーーー


「すいません。私が漢詩等に秀でている方が菅原教授しか思い当たらなかったので連絡致しました」

水分が肌に(まと)わり付いて(わずら)わしく思う時期が過ぎ、滴る汗が煩わしくなる時期。

SAGA出版社長秘書の藤原、と言う人から電話があった。

藤原からの内容は次のようなものだった。

『ある落書きを書いたと、濡れ衣を着せられた社員がクビになるかもしれず、パワハラの観点から阻止したい。出来れば道真が会社まで赴いて、その男と同じように解読してもらいたい』

どのような落書きか尋ねたが、説明してはいけないと言われているらしかった。

その落書きも、それを書いた人、また、濡れ衣を着せられる人も、気になったため道真は二つ返事で承諾した。


電話を受けて二日後、道真はSAGA出版社の応接室で会長、社長、藤原、そして、かなり背の高く顔立ちの整った男と面を合わせていた。

道真は長身の男の顔を見た。

あぁ、誰だったか・・・

この会社のコマーシャルに出ていた人だよな・・・

もしや、クビにされるかもしれない人とはこの人か?

「菅原教授、わざわざご足労いただきありがとうございます。こちらは会長の嵯峨と社長の大伴(おおとも)。それとこちらは社員の小野です」

そう、ここまで案内してくれた藤原が紹介してくれた。

SAGA出版は嵯峨が創った会社で、数年前に社長を辞め、会長になったと聞いたことがある。

この様子からすると会長になって、社長の後ろで茶々を入れているんだろうな・・・

「都京大学の菅原です。早速ですが問題の落書きとはどのようなものですか?」

会長がおもむろに椅子の横から立て札を出てきた。

『無悪善』

「これだ。内容を読めたのは小野だけだった。こいつが書かなかったらだれが書くというんだ」

「だから、会長、私ではありませんと何度も申し上げてるじゃないですか」

小野は顔は困った表情をしているが、声色が少し面白みを帯びていた。

嵯峨と小野のやり取りを見ながら、大伴と藤原は道真を伺うようにチラチラと目線を寄越している。

やはり、この小野という人物がクビがかかっている人か。

道真は小野に向けていた視線を、立て札に戻し再度見つめた。

むあくぜん、むあしよし・・・

悪がなければ善、悪も善も無い・・・

んー?そんな事で嵯峨会長が怒るだろうか、いや、ないな・・・

俺の答えで人が一人クビになる事は避けたい。

嵯峨会長が怒る答えでなければ・・・

嵯峨?・・・SAGA・・・さが・・・性

悪・・・性・・・

あぁ・・・なるほど。

道真はその文字をもう一度見てから、嵯峨会長と小野に目線を戻した。

「嵯峨会長、申し訳ありません。読む事は出来ますが、申し上げにくいです。それに小野さんも同じように仰られたのではありませんか?」

「あぁ、そうだが。いいから読んでみろと何度も説得して言わせた。だから、君も読んでくれ」

斜め前に座る小野の顔を見ると、眉は八の字で口を尖らせ、面倒な人でしょう?というふうに表情で告げてくる。

道真はため息と悟られないよう、ゆっくりと息を吐き出した。

「さがなくばよからん、です。会長か、会社か、どちらとも取れますが、さが(嵯峨、SAGA)がなければいいのに、と言う愚痴みたいなものでしょう」

「ほら、だから申し上げたじゃないですかー」

今まで口を開かなかった小野が、緩い口調で声を発した。

「君は黙っていなさい」

間髪入れずに嵯峨が鋭い口調で小野を黙らせると、道真を見つめて口を切った。

「菅原さん、藤原から連絡した時に依頼した件。今、お願い出来ますかね」

「あ、ええ・・・今、出します」

道真は上着の内ポケットから手帳を取り出し、手帳に挟み込んでいた紙を一枚取り出してテーブルの上に置いた。

その紙には二つ文が書かれている。

『子子子子子子子子子子子子子』

『一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝』

置いた紙を嵯峨は、小野篁の前に移動させると小野に言った。

「何でも読めると言ったからには、読んでみせなさい。もし読めたのなら今回の件は不問にします」

道真が藤原から電話で依頼を受けた際、「日本文でも、漢文でも、英文でもいいので、言葉遊びを何か作って下さい」との依頼も受けていた。

頼まれたからにはやるしかなかったが、もし仮に読めたとしたらそれはそれで、是非ともその人物と話をしてみたいとも思った。

嵯峨、大伴、藤原の三者はこの文を見ても訳が分からないという表情が見て取れた。

果たして、この小野篁と言う男は読み解けるのだろうかと道真が思っていた矢先。

「ねこのここねこ ししのここじし。月夜には こぬ人またる 掻き暮し 雨も降らなむ 恋ひつつも寝む。で、良かったですか?」

小野は道真を伺うように、整った顔を歪ませつつ首を傾げているが、間違ってないでしょう?という自信に満ち(あふ)れた瞳をしていた。

道真は(わず)かに目を見開き、小野を見つめ返す。

「ええ。合ってます」

「んふふ。それなら良かったです。ではこれで今回の件は不問でしたよね。会長?」

嵯峨はため息を一つ吐く。

「あぁ、不問にする。大伴、藤原。この件は初めからなかったことにしておきなさい」

「わかりました」

「承知致しました」


それから数日後、小野篁が「クビを回避して貰ったお礼に」と挨拶に来たことで今日まで交流が続いていた。



ーーーーーー


「まぁ、そんな由縁(えん)ある文だ」

道真は話終えると壁に貼られた紙を少し水分を含んだ暖かい目で見つめた。

「こっちの方は分かりますけど、こちらの文はなぜそう読めるんですか?」

晴明は、先程話している最中に道真が書いた二つの文の一つ『一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝』を指して尋ねた。

尋ねられた道真は壁から目を紙に移した。

「昔、昔の、それまた大昔の、『むきさい』と言う子どもの遊びと、読んだ人が分かっていない和歌の組み合わせだ。むきさいは板かまぼこみたいな形の短い棒を、四つ投げて出た向きで遊ぶんだ。丸い面が「伏」、平らな面が「向」と呼んで、「伏」が三つ、「向」が一つなら「つく」。「伏」が一つ、「向」が三つなら「ころ」という呼ばれ方があったんだが、「ころ」とは別にもう一つ呼ばれ方があってな、それが「月夜」なんだ。あと「向」が出る表現が「仰ぐ」とされていたらしい」

「あぁ、だから「一伏三仰」で「月夜」。あとはなんとなくわかりましたよ」

「俺がギリギリまで搾って考えたのに、篁はなんて事のないように答えてたな。くやしいことに・・・」

道真はさらに続けた。

「顔が良くて、多芸多才で知識もあって頭もキレる。が、アレだな・・・公私の差が激しい」

道真の表情は無表情に近いが、呆れを通り越して悟りを開いたかのような生暖かい顔をしている。

晴明は道真がなぜそのような顔をするのか分からずにいた。

「というと?」

「後日挨拶に来たと言っただろう?・・・一升瓶の酒を二本両手に持って、玄関を開けた瞬間に「先日はありがとうございました!堅苦しいのは遠慮したいので酒を飲みながら話しましょー!」はないだろう?」

「・・・よく今まで付き合ってこれましたね」

「あの顔の爽快な笑顔で来られたらどうでも良くなったのもある。それに話が合うからな・・・」

道真は猪口に残っていた酒を飲み干すと、酒瓶を取って猪口に注ぐ。

「そういえば、昔話をしに篁さんはいらっしゃったんですか?」

「ん?あぁ・・・まぁ、そのようなものだな。本人は挨拶回りと言っていたから・・・」

道真は庭で咲いている躑躅を眺めながら眉間に皺を寄せ晴明には聞こえない声で、何が挨拶回りだ・・・と呟いた。


晴明と篁の話をした数週間後、篁の訃報を聞いた。


そういうことがあったと自分(道真)の日記に書いてあった。


ご覧頂きありがとうございました。

原文が気になる方は↓

「江談抄」

「宇治拾遺物語 『小野篁広才事』」

をお読みください。

*道真さん、晴明、大伴さん、藤原さんは出てきません。

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