第二話 荒れ狂う大蛇-1
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農民。
農業に従事する者たち。
その立場や地位は異なるが、
作物を、家畜を、樹木を育て、人々に供給する者たち。
彼らがいなければ人々が口にする大半の物はなくなり消え失せる。
彼らが共に在るのは自然。
それはあまりにも絶大で、何よりも慈悲深く、何よりも酷薄。
定命の者が何をしようと無力。気紛れに奪い尽くし、気紛れに与える。
その気紛れを受け入れ共に生きるからこそ、彼らは農民なのだ。
*****
「次の馬車は十日後?」
「はい、少し前に出発したばかりですから」
乗合馬車の受付で落胆した声を出すリレック。
王都までの道は徒歩で行くにはあまりに遠いので、
馬車が通っているこのナハル村までやって来た。
ナハル村は街道の端にあり、乗合馬車はこの村を終点として
始点の王都までを往復している。
しかし、馬車とは行き違いになったようだ。
歩いていくという手もあるのだが、
旅慣れていない状態であまり無茶な方法はとりたくない。
ここまで歩いてくるのですら癒しの魔術で騙し騙し何とか来たくらいだ。
乗合馬車の予約だけは行い、三人は村の中心で途方に暮れる。
「シュペさんが転移魔術を使えたら……」
「あんなの、一握りの天才にしか使えん。
それを儀式も無しに使ってみせる宮廷魔術師殿は怪物だよ」
ライチェのぼやきに対して、
宮廷魔術師と田舎村の魔術師を一緒にされても困ると、
憮然とするシュペナート。
分類としては風の最高位魔術に当たるらしい。
本来ならば十人の魔術師が一昼夜の儀式を行って、
やっと発動できるような魔術なのだとか。
「これじゃ、あいつは洗礼の旅とやらに出た後だな」
このまま行くと、王都に着くのは村を出てから四十日という所だろうか。
追い付けるのか不安になるが、
考えても仕方が無いと頭を振って不安を追い出す。
路銀には割と余裕がある。
村での生活は質素で、金を使うような娯楽も無かったので貯めてあった。
更に、シュペナートが家にあったいくつかの魔導書を持ってきたらしく、
王都で売ればそれなりの金になるという。
金に余裕があるとはいえ十日間を無為に過ごすのも勿体ないが。
「まずは宿に行くか。暇潰しに何か仕事を請けてもいいかもな」
リレックの提案に二人が頷く。路銀は多くて困る事はない。
宿屋は口入れ屋も兼ねており、旅人に日雇いの仕事を出している事も多い。
そうやって生計を立てながら世界中を旅するような旅人や武芸者もいると聞く。
リレックの母も、故郷で別れたあの男もそうだった。
まさか自分がその立場になるとは思ってもみなかったが。
「じゃあ、行きましょうか! 宿はあっちみたいですよ」
元気に歌いながら歩いていくライチェの後を追う。
生物ではない彼女は疲れを知らない。
その代わり癒しの魔術は効かないし、
摩耗や劣化した部分が勝手に治る事もない。
自分で劣化が分からないため、他の誰かが注視していなければいけない。
己やシュペナートの疲労、食料や水、寝床の確保、
路銀の管理、他にも大量にやる事がある。
旅というのは気楽なものではない、困難の連続だ。
自然とリーダーを務める事になっていたリレックは、
責任を感じてため息をついた。
だが、旅を止める気はない。復讐と夢のため。
「張り紙がありますね、なんて書いてあるんですか?」
宿に張り出された仕事内容の書かれた紙を見て、
リレックに聞いてくるライチェ。
田舎村の農民は読み書きなどできないのが普通だが、
リレックはシュペナートから教わっていた。
役に立つがは分からんが読めて困る事はないと魔術師は笑っていたが、
正にその通りだったと実感する。
ライチェにも教えようとしたが、
彼女の視覚と聴覚は魔力に依存していて文字は読めないと聞かされた事がある。
「旅人さん、ちょっと遅かったね。
獣狩りみたいな荒事は朝のうちになくなったよ」
宿の店主が料理の仕込みをしながら語りかけてくる。
最初は動いて喋る案山子に驚いていたが、
シュペナートが知り合いから貰った魔導人形だと嘘でごまかして納得させた。
王都などの都会では、魔法や魔術に関わる者が
召使いの代わりに魔導人形を連れている事もあるという。
それが案山子となればそうはいないが。
「今日のお料理は枯れた木材ですよ、ご主人様ー」
「何を食べさせようとしてるんだ、やめてくれ」
ライチェはそれを面白がってか、
猫撫で声で従者のように振舞う遊びを始めてうっとうしがられている。
笑いを堪えつつリレックは張り紙を読む。
「なあ、これなんかどうだろう?」
リレックが指差した張り紙を読む。
"緊急、畑の作物の収穫。及び野菜泥棒の見張り、捕獲。収穫のみでも可"。
「野菜泥棒?」
殺意さえ感じる冷たい声を出すライチェ。
そこまでではないが、リレックもその単語には怒りしか感じない。
「報酬は安めの農作業。なるほど、荒くれ者たちには見向きもされないな」
シュペナートの言う通り、それが残っていた理由だろう。
単純な土いじりと農民を下に見る者たちは多い。
荒くれ者たちからしてみれば挫折の象徴。
そうやって生きていくのが嫌で自由な旅に出たのだから。
どうしても金がないなどでない限り、彼らは農作業などしないだろう。
「親父さん、この仕事オレたちが請けていいか?」
「請けてくれるんならこっちとしては大歓迎だよ。
でも珍しいね、普通の旅人はやりたがらないんだけど」
「オレは農民だからな、ここの畑も見てみたいんだ」
宿の店主は怪訝な顔をしてリレックをしげしげと見つめる。
古びた槍を背にして、使い慣れていない旅装束。
駆け出しの旅人にしか見えないだろう。
簡単に事情を話す。復讐の相手が勇者である事は隠して。
「気持ちは分からんでもないが、
ぶん殴って何か意味があるのかって考えてしまうな、私は」
私は、と最後につけたのは、
あくまで自分個人の意見だと逃げ道を作ったのだろう。
数多の旅人と話すがゆえの知恵だ。
確かにそうだろう。
そんな事のために人生を使うのは無駄だと考える者が大半で、
リレック自身もそう思う時がある。
だが、それでもやらなければいけない。犯した罪への罰を。
勇者様にはもう誰も罰を与えない。ならば、自分がやるだけだ。
「それよりも、最高の畑とはね。
もし最高の畑で最高の作物ができたら持ってきてくれ、
私が最高の料理にするよ」
「はは、その時は頼もうかな」
「こう見えて味には自信があるんだ」
そう言って、店主は火にかけていた鍋の蓋をずらす。
食欲をそそる匂いが漂ってくる。
ちょうど昼時、腹ごしらえをしてからでもいいだろう。
「じゃあ、食べてから行く事にするよ」
「ははは! すぐ用意するから座って待っててくれ!」
店主が料理を用意する間、シュペナートが張り紙の文字を指でなぞる。
指は緊急と書かれた文字で止まった。
「一つ聞きたいんだが、収穫を急ぐ理由を知っているか?」
料理が机に運ばれてくる。店主は複雑な表情をしていた。
全てを諦めているような、それでいて全てを受け入れるような。
「大蛇だ。ナハルの荒れ狂う大蛇が、全てを食らっていくからだ」
依頼人の畑に行けば分かるとだけ言い、
店主はそれ以上理由を話す事はなく料理の話だけをしていた。
***
村から少し離れ、川に架けられた橋を渡った先に畑はあった。
畑では一人の男が、根菜を引っこ抜いて収穫している。
「宿屋で収穫の仕事を請けてきた旅人だが、貴方がゲシェムさん?」
リレックが声をかけると、
男は満面の笑みでやっと来てくれたかと胸を撫で下ろす。
「五日も前に依頼を出したんだが誰も来なくてな。
おいら一人でやるしかないと覚悟していた所だったよ。
早速だが、まずはこいつを収穫して荷車に集めてくれ」
「ああ、分かった」
挨拶や自己紹介も碌にしていないが、それだけ急いで収穫したいのだろう。
ゲシェムに従い、リレックはいつもの通り二人に指示を出す。
リレックが収穫し、シュペナートが縄でそれを纏め、ライチェが運ぶ。
手先が器用で体力のあまりないシュペナート、
腕がただの棒なので物が掴めないが疲れ知らずのライチェ。
そして作物に関する経験と知識を持ち、体力だけは自慢のリレック。
故郷の畑ではいつもこうやって収穫していたものだ。
手慣れた三人の様子に、ゲシェムは少し驚いたように声をかけてくる。
「あんたたち元農民かなんかかい? 旅人にしては手際がよすぎるからさ」
「"元"じゃなくて、オレは今でも農民だよ」
宿の店主にしたのと同じような、簡素な説明。
知り合った人に毎回説明しなければならないのだろうかと少し憂鬱になる。
いっその事、槍でなく鍬でも担いでいたら
農民に見えるだろうかなどと馬鹿な事まで考えてしまった。
説明を聞き終えたゲシェムは複雑そうな表情をして言う。
「確かにそのガキは許せないが、
旅をしてまで殴りに行くっていう程かというとな……。
最高の畑も、故郷を捨ててまで探そうって気にはなれないな」
「オレは故郷が好きじゃなかったし、畑ももう駄目だったからな」
ゲシェムの畑は良いものだった。
引き抜いている根菜もしっかりしていて美味しそうだ。
リレックの畑は荒野に無理矢理作った物で土の状態も悪く、
天候の機嫌次第ですぐに凶作になった。
そんな場所で作っていたからか土地自体に限界が来ていた。
長く続ける事はできなかっただろう。
だから、いつかは旅に出たかった。農民として生きるには土地がいる。
それが一生を共にできる良い土地なら、どれほど素晴らしい事か。
復讐のために旅するとは思ってもいなかったが。
「おっと、そろそろ休憩にしよう。荷車がいっぱいになったみたいだ」
ゲシェムが荷車の方を指差す。
根菜が山盛りになった荷車の前でライチェが腕を振っている。
旅に出てからそこまで時間など経っていないのに、
随分久しぶりに農作業をしたような気分になった。
「宿の主人から聞いたんだが、ナハルの荒れ狂う大蛇とは何なんだ?」
荷車に背を預ける休憩中、シュペナートがゲシェムに疑問をぶつける。
それを聞いたゲシェムは店主と同じ表情をした。諦めと受け入れ。
「その川さ。いつもは穏やかなんだけどな。
近々大雨が降るらしいから、みんな収穫を急いでいるんだよ」
彼が指差したのは畑の近くを流れる川。
複雑に曲がりくねったそれは、遠景なら蛇に見えなくもない。
両岸には堤防が作られており、この川が氾濫した事があると言外に伝えている。
「えっ、これで荒れてるんですか?」
川を覗き込んだライチェの疑問はもっともだ。
少し濁っているが、水は人がのんびり歩くような遅さでゆっくりと流れている。
これでは荒れ狂う大蛇というより、日向ぼっこをする呑気な蛇だ。
「水が近くにあるっていうのはいいよな。水汲みは本当に大変だった……」
荒野に作られた畑に水を撒くために、
随分離れた水場まで毎日水汲みをしたものだ。
ここならばすぐに水を撒ける。
それどころか水路を作れば間近に水を引いてこられるかもしれない。
最高の畑を作るなら、こういう所がいいのかもしれないと候補に入れておく。
「水が近いってのは、いい事ばかりじゃないぞ」
リレックの呟きに答えながら川をじっと見るゲシェム。
その瞳には様々な感情が映り、声をかける事を躊躇ってしまった。
「収穫の他に、野菜泥棒を捕まえてほしいという依頼もあったが、
それを聞かせてくれないか」
背後からシュペナートに声をかけられ、ゲシェムは振り向く。
瞳の感情は怒りと悲しみだけになる。
「この所、夜になると誰かが畑の野菜を盗んでいくんだ。
協力して見張りも立てたんだが、
いつの間にか畑に入り込んできて盗んでいく。靴の足跡を堂々とつけてな」
「どの位の範囲で盗まれている?」
ゲシェムが示した畑は、かなり広範囲に散らばっている。
ライチェを見張り番として紛れ込ませても、
範囲が広すぎて細部に目が届かない。
「リレック、収穫は任せていいか?
罠を仕掛けるのにいい場所を調べておきたい」
「おいおい、畑に何する気だよ魔術師さん」
罠という単語に反応するゲシェムをよそ目に
シュペナートは地面に触り、一言だけ力ある言葉を唱えた。
見た所、何の変化もない。
「ある程度の範囲に生物が入ってきたら、俺にだけ分かる魔術だ。
こいつを仕掛けておけば大体の位置を把握できる。
畑や地面に何かする訳じゃないよ」
罠を仕掛ける場所を探して歩いていくシュペナート。
ライチェがリレックたちの前で飛び跳ね、片足を上げてくるりと回る。
「野菜泥棒はどうします? どのくらいまで壊しますか?」
「軽く懲らしめて撃退するか、捕獲してくれればそれでいいから」
鋭く重い風切り音を鳴らす回し蹴り。
それを見たゲシェムは引きつった笑みでライチェをなだめる。
リレックもツィブレに対しては殴りつけはしても、
殺そうとまでは思っていない。
勇者様を、一発殴らなければ気が済まないだけだ。
「よし、休憩はこの位にしよう。
おいらは野菜を倉庫まで運ぶから、あんたたちは収穫しておいてくれ」
「分かった」
山盛りの野菜が積まれた荷車を引いて、村へと歩いていくゲシェム。
相当の重量のはずだが、それを感じさせない。
いつもやっている事だからだろう。
その後は夕方になるまで収穫は続き、
夕食には採れたての野菜を使った料理をご馳走になった。
その日の夜。
リレックたちは橋の近くに置いた荷車に隠れ、畑の様子を見ていた。
ライチェが案山子のふりをしながら畑を大まかに見張り、
シュペナートは仕掛けた罠を維持するため小声で詠唱を続けている。
リレックは夜食にと貰った塩漬けの野菜を齧りながら、
見つからないように寝転がっていた。
ゲシェムに総出の見張りを提案されたが、シュペナートは断った。
わざと隙を作り、罠にかけてさっさと終わらせるため。
「昼に収穫作業、夜に見張りでは身が持たない」
収穫作業ですっかり疲れ果てていた魔術師の言葉に、何度も頷いて同意した。
重労働をした日の夜はちゃんと寝たいので、今日のうちに捕獲したい。
畑は収穫が進んでおり、
泥棒が盗みに来るとしてもかなり範囲が限られてきている。
荷車が置いてある位置なら、
相手が余程の俊足でない限りライチェが追い付ける。
後はただ、罠にかかるのを待つだけだ。
「……来た。右前方、四番目の畑」
「見えました、人間が二人!」
塩漬け野菜が全て腹に収まった頃、
かすれた声のシュペナートが言った短い指示。
すぐにライチェが目標を発見する。
魔力で見ている彼女にとって、夜の闇は昼間と変わらない。
「ライチェ、先行してくれ! 行くぞ!」
隠しておいたランタンを手に取り、荷車から飛び出す。
先に駆けるライチェの後を追う。
根菜を引っこ抜いていた泥棒たちは、慌てていて次の行動に移れていない。
矢のように突っ込んだライチェが、
大きい方の人影に勢いのまま蹴りを叩き込む。
もんぞりうって倒れる人影。腹への脛蹴りなのでまだ手加減している方だ。
突くような蹴りなら人体など容易に貫通する。
「"炎よ、彼の者の前にて爆ぜよ"!」
小柄な人影が発する、力ある言葉。
ライチェの目前に突如現れた炎が爆発し、体が燃え上がる。
「転がれ! 火を消せ!」
「火!? うわわ、あわわわわ!?」
地面を転がり、自身についた火を消そうとするライチェ。
体の大半が乾いた木材であるため、すぐに燃え広がってしまう。
「"母なる土に抱かれ安息を"!」
「ぶえッ!?」
追い付いてきたシュペナートの魔術。
周辺の土が盛り上がり、ライチェに覆いかぶさる。
火は消えたようだが、ライチェは大量の土に埋まってしまった。
「リレック、火の魔術をかなり得手とする奴らしい。気を抜くな」
魔術を発動する際の詠唱は、魔術師の意志を世界に伝えるもの。
優秀な使い手ほど詠唱は短くなっていき、
最終的に短音節で大魔術を発動させるに至る。
つまり、簡単な火の魔術であれば一言で使えるという事。一切の気が抜けない。
背の槍を手にとって構える。
生身で先ほどのような爆発を受けたら、ただでは済まない。
「"炎よ、彼の者の前にて爆ぜよ"!」
「"土の壁、輩を守れ"!」
二人の魔術師の詠唱。リレックの目前で起こる炎の爆発。
しかし、その爆発は土で出来た壁が受け止めてくれていた。
ほぼ同時の詠唱だったが、シュペナートの方が単語が少なく、一瞬早かった。
壁の横をこするように人影へ突っ込む。
どんな魔術にも欠点はある。
シュペナートが暇を持て余して遊びに来た時に散々聞かされた。
火ならばその威力と無差別性が欠点。
至近距離で使えば術者自身を巻き込んでしまう。
「"炎よ"……」
「"放たれよ礫"ッ!」
土の壁から打ち出される小さな礫が、人影に当たる。
小石がいくつか当たる程度だが、詠唱を一瞬止めるには十分。
体当たりで人影を地面に押し倒す。
槍を捨てながら馬乗りになり、顔面に一撃を加えようと拳を振り上げる。
その拳を止める。人影の正体は、怯えた少女だった。
「身動きするな、何も喋るな。そうすれば殴りはしねえ」
リレックの恫喝に、小さく何度も頷く少女。
もう片方の人影はシュペナートが縛り上げていた。
「うう、ひどいですよぉ……」
土の中から這い出して来るライチェ。
頭と肩からはまだ微かに煙が出ている。
火を消すためとはいえ荒っぽい手法だった事に抗議するが、
シュペナートは素知らぬ顔だ。
野菜泥棒の二人を縛り上げ、ランタンを近づけてよく見てみる。
貧相なぼろぼろの旅装束。中年の男と、まだ幼い顔立ちの少女。
顔つきが何となく似ている。兄妹にしては年が離れているので親子か。
リレックは引っこ抜かれた野菜を二人の目の前に突き出す。
「ここ最近、畑から野菜を盗んでいたのはお前らだな」
少女は怯えた表情でリレックと男を交互に見ているが、
男はふてぶてしい態度をとっている。
分からないとでも思っているのか、縛られた後ろ手で少女をつついている。
「指も縛らせてもらったからな、印が組めないなら魔術は使えないぞ」
大地の印を描きながらシュペナートは冷たい声で告げた。
少女の魔術をあてにしていたのか、男が分かりやすく動揺する。
「……ごめんなさい、ごめんなさい! お金がなくて、お腹も空いて……」
「み、見逃してくれよ。こんなにあるんだから、ちょっとくらいいいだろ?」
必死に謝る少女に対して、まったく悪びれない男。
武芸の心得でもあれば場が一気に冷えたのを感じ取れたろうか。
男の言葉は、農民と畑の守護者の逆鱗に触れたのだ。
一切の警告なしに放たれたライチェの回し蹴り。
男の首にこすりそうな位置での寸止め。
「二度とお腹が空かないようにした方がいいですか?」
冷酷な案山子の声。
生殺与奪を完全に握られている事にようやく気付いたのか。
怯えた男は無様な悲鳴を上げながら芋虫のように這い、少女の背に隠れる。
「……お父さん」
少女は悲しそうに呟く。目からは一筋の涙がこぼれた。
「命乞いは畑の持ち主にするんだな。オレたちに裁く権利はねえ」
リレックが男を引きずって連れていく。少女はライチェが抱きかかえて運ぶ。
目をぎゅっと閉じ、静かに泣く少女を見つめるシュペナート。
「どんな辛い事があっても目を閉じるな。
世界を意志で変えるのが俺たち魔術師だ」
魔術師は、少女の頭にそっと手を置く。
少女はゆっくりと目を開き、ためていた涙を流した。
ライチェは少しうんざりした顔で、
魔術師の妙な講釈がまた始まったと呆れていた。