最終話 勇者様をぶん殴る!-5
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ライチェが村長たちを連れて戻り、
すぐにメルカを村長の家の寝具で寝かせた。
三魔将を討ち果たした勇者を村人たちは称えたが、
ツィブレの表情は暗いままだった。
このまま宴にでも移行しそうな雰囲気の中、ライチェがそれを遮った。
「みんなぼろぼろなので、休ませてほしいんですが……」
頭と左腕のないライチェが言うと説得力は絶大で、
村長一家を残し村人たちは帰っていった。
ツィブレは眠るメルカに付き添い、リレックたちは隣の部屋で休む。
リレックとウーズィの傷をシュペナートに癒してもらい、ようやく一息ついた。
ライチェの頭には貰った木の古桶を逆さに被せ、簡単な顔を描いた。
表情が変わる事はないが、頭がない状態よりは余程ましだろう。
頭のない案山子が声を上げながら走ってくるのを見て、
卒倒した村人もいたらしい。
青目の槍は一度手を離せば効果を止めるらしく、
ライチェの応急修理中に元に戻ったので聞くまでもなかった。
皆、何も言わない。シュペナートの詠唱だけが部屋に流れていた。
突然、扉が乱暴に開かれる。ツィブレが酷く焦った様子で部屋に入ってくる。
「なあ、メルカが目を覚ましたけど、何かおかしいんだよ! すぐ来てくれよ!」
「……やはりそうなったか。すぐに行く」
立ち上がる際によろめくシュペナート。
瀕死の重傷を癒し、今までずっと癒しの魔術を使い続けている。
疲労も精神力も限界だろう。
しかし、リレックを見るその目は有無を言わせない。
行かなければならない何かがあるのだ。
シュペナートに肩を貸して、メルカが寝ている隣の部屋に入る。
メルカは首だけを動かしてリレックたちの方を向いた。
「体が動かないんだろう?」
「え、ええ。私、どうしてしまったんでしょう……」
まるで症状が分かっていたかのように聞くシュペナート。
確かにメルカの体はまったく動いていない。身動ぎすらしていない。
「背骨を斬られたからだ。
理由は分からないが、背骨を損傷すると体が動かなくなる。
鉱山で働く者たちが事故に巻き込まれた時、
ごく稀に起こったと母から聞いている」
「で、でも、癒しの魔術で腕の骨とかは折れてもくっつくだろ!?」
「一度壊れたら元に戻らない部位は治せない。
斬り落とされた指や腕は繋げられない。それと同じだ」
絞り出すようなシュペナートの声に、ツィブレは茫然とメルカの隣に座る。
メルカは手を差し出したそうに目線を動かしているが、
腕が上がるどころか指さえ動いていない。
「そう、ですか……」
「とにかく今は安静にしているんだ。
かなり血を流しただろうし、もう一度眠るといい」
「……はい」
再度目を閉じ、すぐに眠りについたメルカを起こさないように部屋を出る。
リレックたちがいた部屋に五人で戻ると、
シュペナートは扉をしっかりと閉める。
メルカに聞かせたくない事を話すのだとすぐに分かった。
「背骨の辺りを損傷した時に併発する病がある。大きな傷だと起こりやすい。
血が徐々に腐っていき死に至る。
発症すればどんな癒しの魔術も効果がない病だ」
「メルカがそれかもしれないって言うのか!?
治す方法ないのかよ!?」
残酷な事を告げるシュペナートを掴み揺さぶるツィブレ。
魔術師は静かに首を振った。
「魔法ならどうなんですか?
わたしの生みの親みたいな、魔族の魔法使いに頼めば……」
「並の魔法使いに治せるのなら、不治の病になどなっていない」
「……そんな魔法を使える者を、吾輩は一人だけ知っているぞ」
ウーズィに全員の視線が集中する。
リレックには何となく、竜人が知る者が誰なのか推測ができていた。
「魔王だ。あの男の魔道具は死してさえいなければ完全に傷を癒す。
吾輩が使っていた癒しの水晶を使えば、彼女も元通りになるだろう。
しかし水晶を使う五十日の間は魔王を殺してはならぬ。
魔王の魔力で動いているからな」
「それはどこにあるんだよ、トカゲ野郎」
「魔王城の中心部だ」
絶望的と言っていい。
場所は敵の本拠地であり、五十日が必要という事は制圧が必須となる。
しかも凄まじい魔力を持つという魔王を、
殺すどころか生け捕りにしなければならない。
「魔王城がどこにあるか当然知ってるよな?
城周辺がどうなってるとか全部教えろ」
「分かった。魔王に関する事も、吾輩の知りうる限りを伝える」
しかしツィブレはそれを躊躇いなく実行するつもりだった。
相変わらず相手を苛立たせるような言葉遣いだが、
ウーズィは気を悪くする事もなく羊皮紙に色々な事を書いていく。
それを懐にしまい、ツィブレはリレックと向き合った。
あのクソガキは、このような秀麗で精悍な顔立ちだっただろうか。
「リレック、畑の事で僕を殴りに来たんだよな。殴っていいぞ」
「お前からそんな言葉聞くなんて思ってなかったな」
「メルカが斬られた時……あの時の僕と同じ思いしたんだろ。だから、殴れよ。
短剣が腹の中にあるから、傷なんて負わない不死身だけどさ」
自分よりも大切なものが今までなかった。
だから他人が大事にするものが大切に思えなかった。
ツィブレは大切なものを手に入れ、
それを壊された時の感情をようやく知ったのだ。
拳を固く握る。怒りは当然ある。拳に託された思いもある。
しかし恐怖と激痛に耐え、魔将を抑え込んだ姿を見ている。
あの痛みを持って許すべきなのか自問する。
今までの旅で出会ってきた人たちの顔が浮かぶ。
「歯を食いしばれ」
ツィブレがぐっと体に力を込めたのを見て、強く一歩踏み出す。
その勢いのまま、渾身の拳を顔面に叩き込んだ。
吹っ飛んで壁にぶつかるツィブレ。
顔と背に橙色の光が一瞬だけ現れ、すぐに消えた。
ツィブレは確かに傷ついた。
ようやく手に入れた自分より大切なものも傷ついた。
それとこれとは話が別だ。
酷い目にあったからといって犯した罪が消えるわけがない。
罪が許されるのは正当な罰があるからだ。
だから殴った。お互いにけじめをつけるため、
ここで復讐の物語を終わらせるために。
「畑を壊して、ごめんなさい!」
「王都の人たちやプルエバ村の人たちにもちゃんと謝れよ。
オレは……これで許す」
深々と頭を下げて謝るツィブレに、そう言った。
ツィブレは頭を上げ、ライチェとシュペナートを見る。
「リレックさんがやってくれたので、わたしはもういいです。
これ以上やったら復讐じゃなくて暴力ですからね」
「同じく。手を痛めたら印が結べなくなるからな、遠慮しておくよ」
二人はそう言ってリレックの肩に腕を置く。
先ほどの一撃に思いを託していたのだと語るように。
リレックの復讐は、リレックたちの旅の目的は、ここに完遂された。
「罪に対する罰、それに許しか。ならば吾輩も罪を告白せねばな。
なぜ吾輩らがこの世界に来たのか、それを話しておく」
一部始終を見ていたウーズィが、重苦しい口調で話し始める。
「端的に言えば暇潰しの遊びだ。
"弱そうな生き物がいるから殺したりして遊ぼう"。
この魔王の言葉に乗った愚かにも程がある者たちが、
吾輩たち五百年前の魔族だ」
一瞬、思考が停止してしまった。
確かに理由はあまりにも下らないものだと言っていたが。
ライチェが床に座るウーズィの前に行き、足をとんとんと鳴らす。
「何ですか、その下らない理由。
そんな事のために五百年前いっぱい死んで、
今わたしたちも死にかけたんですか?」
描いた表情は平坦に見えるようにしたが、
凍った鈴の声がライチェの激怒を伝えてくる。
リレックは全身に傷を負い、ライチェは頭と左腕を斬り落とされ、
シュペナートは消耗で倒れる寸前。
ツィブレは激痛と恐怖を浴び、メルカは二度と体を動かせないかもしれない。
その発端がそんな下らないものだと言われて、
怒りがわかない者などいるものか。
「止めろよ案山子女。要するにトカゲ野郎、僕に何か言いたいんだろ」
「いまだ魔王に付き従う連中はそういう下劣な者だ。
交渉は通じないし、皆殺しであろうと一切気に病む必要はない。
ただ貴公の目的を果たし彼女を救ってくれ、勇者殿」
「お前なんかに言われるまでもないね。
そんなクズが偉そうにするな、苛つくんだよ」
有無を言わせない迫力のツィブレに、ウーズィは力無くうなだれた。
わざわざ自分の恥を晒すような行いだが、何となく理由が分かる気がした。
想い人のために死地へと挑む勇者に、自分ができる限りの助力を。
だから威厳を投げうち、リレックたちに罵られるとしても口にした。
ならばリレックはどうするべきなのか。
メルカがいなくなればツィブレは一人だ。
助けが必要なのではないだろうか。たとえ力不足の農民であろうと。
リレックが口を開こうとした時、ツィブレはそれを手で制す。
「勇者様の仲間に農民も案山子も要らないし、魔術師はメルカでなきゃ嫌だ。
クソトカゲなんて余計要らない。お前らと一緒なんて冗談じゃないね」
「少しは改心したと思ったのに、こいつ……!」
「よせ、ライチェ。改心ならしているよ。わざと言った奴の思いをくんでやれ」
怒るライチェの頭を揺すりなだめるシュペナート。
リレックにも意図は分かった。
お前たちには戦いに参加する義務も責任もない、好きに生きればいいと。
自身を嘲るように"勇者様"と呼んだ言葉の裏側にそれを感じた。
「こっちもお前と一緒なんて二度とごめんだ。
あの子のために精々頑張れよ、勇者ツィブレ」
「もう二度と会わないと思うから言っておくよ。
精々農民らしく生きろよ、リレック」
憎まれ口のたたき合いを最後に、ツィブレは一人部屋を出て行った。
一介の農民と勇者、もう接点はないし会う理由もない。
これが今生の別れになる気がした。
部屋には気まずい沈黙が流れる。
それに耐えかねてか、シュペナートが口を開いた。
「ウーズィ、気になったんだが。
陛下の前でも"魔王様"と呼んでいたのに、今は"魔王"と呼んでいるな。
ギゥルレークとの戦いで心境の変化でもあったのか?」
「……戦いというより、ギゥルが死んだからだ」
ライチェが苛立ちを抑えてリレックの隣に座ると、
ウーズィは悲しそうに話し出す。
「吾輩たち三魔将には命の保険があると王都で話したな。
あれは五百年前の戦いで全て破壊された。
だが、魔王なら手間と時間はかかるが同じ物を作れる。
二日程度の儀式で作れるはずなのだ」
「じゃあ何で、あいつは死んだんだ?」
「作ってもらえなかったのだろうな……。
吾輩やリエーヴと違って、ギゥルは心から魔王を愛していたし、
魔王もそれを理解して恋人のように振舞っていたのに……」
魔王にとって、ギゥルレークは二日の価値すらない相手だった。
ツィブレはメルカのため、腹に短剣を埋め込み、
体を剣で貫かれるという想像を絶する苦痛に耐えた。
そしてこれから死地に向かう。メルカを助けるために。
ウーズィには、メルカと比較して
ギゥルレークがあまりにも惨めに映ったのだろう。
「恩義はあったが愛想が尽きた。だから敬意を払うのも止めた。それだけだよ」
恐らく、ウーズィはギゥルレークに命の保険があったからこそ戦ったのだ。
人間側にも魔王軍にも与する事ができない竜人の妥協案。
一時的に撤退させるだけのはずだった。
魔王はきっと彼女を大事にしていると思っていた。
魔王が都合のいい女として扱っていた事に気が付かなかった。
それが悲しみの理由だ。
「だったら丁度いいじゃないですか。罰を受ける方法がありますよ」
冷たい声のまま言うライチェ。
ウーズィが顔を上げると、変わらぬ冷たさで言い放つ。
「そんな害獣どもを野放しにしないで、責任を取ってください。
魔王軍を全滅させ、ツィブレがあの子を助けるための剣になってください」
人魔戦争で魔王軍に殺された者たちが、
ウーズィにどんな罰を望むかなど知る事はできない。
ならば魔王軍の将としての責任は取ってもらう。
反逆者として同胞に刃を向け、自分たちが作った魔王軍を消滅させろと。
「リレックさんが時々言います。"自分の尻は自分で拭け"って」
面倒な事を頼みに来るシュペナートをあしらう言葉だったのだが、
ライチェはいつの間にか覚えてしまっていたらしい。
それを聞いたウーズィはしばらく目を閉じ、
目を開いた時には吹っ切れたような表情をしていた。
「……まったくその通りだ。
彼らのように生きたいと願った身で、何と腑抜けた事をしていたのか。
愚かにもこの世界で暴れ、殺めた責任を果たそう。
今を生きる人間と魔族と混血の為、魔王軍を滅ぼす為に剣を振るう事を誓う」
竜人騎士はかつて教えられた誇りに従い、誇り高く宣言した。
たとえ元はどのような下劣な輩だったとしても、今は違う。
この竜人に助けられ、その言葉に教えられた事は真実だ。
その恩に報いよう。今生の別れだとしても後腐れのないように。
「あいつの死体、多分そのままだろ。弔ってやろうぜ。
死んだら敵味方も善悪も貴賤も関係ねえ、土に埋めてやるくらいはいいだろ」
ライチェとシュペナートも頷いてくれた。
ウーズィは手で顔を覆い、一言だけ呟いた。
「……ありがとう」
***
死闘の跡地に着くと、村人がギゥルレークの死体を見て困惑していた。
片付けたいが触るのも怖い、そんな所だろうか。
戦闘で破壊された物の酷い有様に、恨みがましい視線が飛んでくる。
「すまねえ。こっちも必死でそれどころじゃなかったんだ」
リレックとウーズィの服と鎧はずたずたに裂かれ血塗れ、
そして応急処置がすんだ程度のライチェを見て、
村人たちは仕方がないと納得してくれたようだった。
ウーズィがギゥルレークの死体を担ぐ。
村人たちが何をするのかと寄ってきたので、弔いの事を聞いてみる。
「村の近くに弔ってやっても構わねえか?」
村人たちは少しだけ難色を示したが、
村から少し離れた所ならいいと了承してくれた。
彼らに礼を言って、村から離れた小さな丘に穴を掘り、死体を置く。
ギゥルレークの大剣はツィブレが持っていったので、
残った短剣を墓標として土に突き刺そうとすると、
ウーズィがそれを制した。
「やる事があってな、短剣を貸してくれ」
短剣を渡すと、ウーズィは自身の右大腿へとそれを突き刺した。
そのまま肉を抉り、埋まっていた石を力ずくで取り出す。
同じように、ギゥルレークの死体からも石を抉り取る。
魔王の首輪。魔王の所有物だという証。
ウーズィはその石を、全力でかみ砕いた。
光を失い、ばらばらになった石を忌々しげに吐き出す。
魔王との決別。それを示すかのように。
荒々しい決別とは対照的にギゥルレークの死体は慈しむように埋められ、
墓標として短剣が突き立てられた。
あまりにも簡素な墓。
ここに三魔将の一人が眠っている事など気付く者はいないだろう。
静かに目を閉じて祈りを捧げるウーズィ。
リレックたちも簡単にではあるが祈った。
「吾輩が魔王に寵愛されていると貴公は言ったが、それは間違いだよ。
あれは自分しか愛しておらん。
吾輩たちを都合のいい女としてしか扱えぬ
器量の小さい男の事など忘れて、安らかに眠れ」
深く突き立った短剣は微動だにせず、言葉が帰ってくる事もない。
それでも目を開けたウーズィは、どこか晴れやかな顔をしていた。
「ここでお別れだな。吾輩は王都へ向かい、
正式に人間側の一兵士として戦う事を王に報告する。
魔王と吾輩たちがこの世界に来た目的も全て話してな」
「話すのは陛下と宮廷魔術師さんだけにした方がいい。
今、人間と共に生きる魔族の子孫や混血に罪はない。
手当たり次第に話したら無意味に対立を煽るだけだ。
陛下なら恐らく公表はしないと思う」
シュペナートの提案に深く頷くウーズィ。
リレックは熊耳の少女の笑顔を思い出す。
五百年前の愚者の所為で、あの子が迫害されるなどあってたまるものか。
「では、吾輩はこのまま出発するよ。
村に魔族の騎士が居座っては要らぬ不安を煽るだろうしな」
「ちょっと待ってください」
旅立とうとするウーズィを制止するライチェ。
彼女が怒っているのを知っているので、ウーズィはどこか気まずそうだ。
しかし、ライチェの言葉は予想外のものだった。
「一つ確認したいんですよ。ウーズィさんって女性ですよね?」
「はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
そんなリレックを見て、落ち込んだ様子のウーズィ。
「確かに言ってはいなかったが、
吾輩が女だと気付いてくれていなかったのか……」
野太い声をした、威厳に満ちた竜人騎士。
声と容姿で男だと判断していたが、それらしい事は言っていた。
ギゥルレークの言っていた"阿婆擦れ" "魔王の寵愛を受けた"。
先ほどの"吾輩たちを都合のいい女としてしか"。
シュペナートもそういえばそうだと何度も頷いている。
結構落ち込んでいるウーズィを、右腕で軽くつつくライチェ。
「これで、嫌な気持ちになったのはおあいこという事で。
わたしはもう、あなたの過去をどうこう言いません。
気に病まないでください。
あなたが誇り高く責任を果たす限り、あなたはわたしたちの恩人です。
仲違いしたような嫌な気持ちでお別れしたくないですから」
余程の縁がなければ、ウーズィともこれが今生の別れになる。
その時にお互い嫌な気持ちでいたくなかった。
ライチェは許したかったから言ったのだ。
リレックもウーズィを見て頷く。ライチェの言う通りだと示すように。
ウーズィはライチェの腕の先を軽く掴む。
その様は、固く握手しているように見えた。
「ありがとう。貴公らは吾輩に改めて誇りを見せ、償いと許しを教えてくれた。
二度と会えぬのだとしても、貴公らの事は決して忘れはしない」
「達者でな、ウーズィ」
「貴公らも達者で。
それではな! またどこかで会ったなら一食奢ろう!」
リレックたちに手を振りながら、ウーズィは王都へ向かって歩いていく。
王城を出た時の別れと同じ言葉だが、
あの時のように再会できる可能性は低い。
それでもあえて言ったであろうウーズィの姿が見えなくなるまで、
リレックたちは手を振り続けた。
リレックにとって復讐とは何なのか。何のために行うのか。
何となくだが、それが分かった気がした。
相手を許したいからだ。
慈愛をもって許すわけではない。憎しみの対象から赤の他人にするだけだ。
これだけの罰が与えられたから、もういいだろうと。
それ以上に、自分を許したいからだ。
大切なものを守れなかった自分が許せない。だから復讐をする。
これだけやったんだから、もういいだろうと。
一発殴るだけというあまりにも下らない復讐。それでも成し遂げた。
これでツィブレを許してやれる。やっと自分を許してやれる。
一つの物語を終え、新たな物語を始められる。
それこそが"復讐"を行う意味である。そう思った。
***
ウーズィと別れてから、プルエバ村に滞在する事二日。
ツィブレは急いで準備を整え、メルカを連れて馬車で王都へと向かった。
会う事も、話す事もなかった。きっとお互いに避けていたのだろうと思う。
リレックたちは休養とライチェの修復のため、まだ村に留まっている。
「これで完璧ですね! ありがとうございます、リレックさん」
予備の部品を使い、よさげな木材を買って
作り直した頭と腕をライチェに取り付けた。
斬撃で左肩が若干削れてしまったが、ほぼ元通りに修復できた。
きちんと表情も笑顔に変わる。つられてリレックも微笑んだ。
ライチェが蹴り飛ばして酷く壊れた前の頭は、洗礼の地に飾られるらしい。
風鳴りの岩。風が吹き込むと音が鳴る岩で、
最後の一つだからと見てみたが、やはりただの穴が開いた岩だった。
そこに無造作に置かれた、ひしゃげて壊れた案山子の頭。
リレックたちはそれを見た時、何ともいえない顔で黙るしかなかった。
「さて、これからどうするんだ、リレック?」
しっかり休養して本調子に戻ったシュペナートが問いかける。
復讐は終わった。ならばやる事は一つなのだが。
「最高の畑を作る……なんだけどな、最高の畑が何か分かっちまった」
「ふむふむ、どんな畑なんですか?」
興味津々に聞いてくるライチェを片手で軽く抱きかかえる。
もう片方の手で、シュペナートの手を握った。
「土地がいいとか環境がいいとか、そういうのはもちろん大事だが。
それよりも友達や家族と一緒に慎ましく幸せに暮らせる場所が、
オレにとっては最高の畑だ」
思い返せば旅立ちの時からそうだった。
二人がいてくれれば、どんな場所でも笑っていられる。
重要なのは畑の方ではなく、畑を耕しながらどうやって生きたいかだ。
旅の過程で、そして出会ってきた人たちのお陰で、
それにようやく辿り着いた。
令嬢の伝言をようやく理解した。
確かに旅立つ前から、とっくに答えはあったのだ。
「まあ、肝心の畑と家がねえけどな」
「色々な所を回って気長に探せばいいさ。まだ見ぬ魔導書も探したいし」
明らかにそっちが目的だろうなとは思うが、
まだ続く旅に同行してくれる事には感謝しかない。
「その前にやりたい事があってな。報告したいんだ、会ってきた人たちに。
オレの復讐はきっちり成し遂げたぞって」
報告する義務がある訳ではないが、したかった。話したい事もあった。
旅路を逆に巡り、リレックの復讐の物語が終わった事を伝えたかった。
最高の畑を作るための土地探しは、それを終えてからだ。
「それじゃあ、まずはベンターナに戻るんですね」
「誰かを追う事も、時間に追われる事もない。気楽にいこうか」
三人揃って、荷物を背負い立ち上がる。
ここからは復讐の旅ではなく、夢を叶えるための旅だ。
すっかり背負い慣れた荷物の重み。
これを下ろすまでにはまだ時間がかかるだろう。
リレックの心には晴れやかな納得とこれからへの希望だけがある。
最高の畑、どれだけ時間がかかろうと作り上げてみせる。
「よし! 出発だ!」
リレックの号令で宿を出る。ライチェが陽気に歌いだす。
空は快晴で、根拠もなく自分たちの未来を示しているのだと信じられた。
*****
『第二次人魔戦争』
第一次人魔戦争から五百年の時を経て魔王が復活。
その際に起こった魔王軍との戦い。
人間、共存派魔族の子孫、そして彼らの混血たちは、
一丸となって新生魔王軍との戦いに臨んだ。
三魔将の一人を討ち取った不死身の勇者ツィブレを旗印に。
しかし、その戦いは戦端が開かれてから八十日という短期間で決着する。
魔王軍があまりにも弱すぎたのだ。
第二次人魔戦争における魔王軍の中核をなす戦力は、
社会と自分に漠然とした不満を抱いていた魔族、
その中の突出した厄介者や軽薄者たち。
魔王軍に参加すれば好き放題に生きられる、
自分は他者より優れた存在だと勘違いした愚者の集団。
命と責任を懸け、そして誇りを胸に戦う者たちを相手に勝てるはずもなく、
ほぼ全員が愚かさの代償を命で支払う結果となった。
軍の要ともいえる三魔将は戦端が開かれた時点で一人しか残っておらず、
魔王軍から離反し人間側の将として戦ったという三魔将ウーズィにより、
魔王軍は種族の利すら失い大敗を続けた。
起死回生の一手として王城を奇襲した三魔将リエーヴも討ち取られ、
それでも魔王は城から動かなかった。
三十日で魔王軍は総崩れとなり、
残敵掃討の最中に勇者ツィブレが魔王城へと突入。
死闘の末、魔王を倒し生け捕りにした。
捕らえられた魔王は四肢を落とされ、
五十日の間見せしめとして生かされ、勇者によって討たれたという。
魔王が復活するための魔道具の在処は
ウーズィによって勇者に伝えられ事前に破壊されており、
この日をもって魔王は完全に滅びた。
魔王の最期はあまりにも惨めで無様な命乞いであったとされる。
魔王軍の残党狩りも同時期に終了し、
人魔の戦争はこの日をもって完全な決着を迎えた。
勇者ツィブレはかつて民に行った非礼を恥じ、わずかな恩賞だけを受け取り
後に妻となる少女と共に王都を離れ、生涯を田舎村で暮らしたという。
竜人騎士ウーズィもまた一切の恩賞を受け取らず、
何処かへと去っていったとされている。
後年。
第二次人魔戦争に関する資料において、ある記述が研究者の目に留まった。
勇者ツィブレ、竜人騎士ウーズィが語ったと記述されている"農民"について。
当初は誤記や誤訳を疑われたが、当時の資料のいくつかに記述が残っていた。
竜人騎士と共に国王に謁見し、奴隷王やその妻と懇意にし、
熊人の大商人にとって恩人とされた農民と二人の仲間。
勇者、竜人騎士と共に三魔将の一人と戦ったという農民たち。
訳の分からぬ記述ゆえに研究者、歴史学者の間で大論争が巻き起こった。
激論の末、この記述は真実とされ入念な調査が行われたが、
彼らの名前すら未だに分かっていない。
歴史に埋もれた農民の痕跡を探す研究者たちをよそに、
ある詩人は彼らをこう評した。
"彼らは自らの信じるままに生き、己の物語を紡いだだけだ。
誰に認められる必要もない、彼らはその物語を書きたかったから書いたのだ"。
完




