第七話 貴種の責務-5
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その後は特に何事もなく町を見て回り、夕方に屋敷へと帰る。
化粧を落とし素顔になったリーネア自らが、
リレックたちを空き部屋に案内してくれる。
「どうかしら、結構いい部屋でしょう?」
「調度品があったら、さぞいい部屋だったんだろうな」
呆れ声のシュペナートが言う通り、
文字通り空き部屋といった状態で寝具すらない部屋。
部屋自体は壁も床もきれいに整えられた貴族邸であり、
いい部屋である事は間違いないのだが。
「夕食に招待するわけにもいかないし、食事はここに持ってこさせるわ。
ごめんね」
「招待される方が困る。美味いのを期待してるぜ」
「それじゃ、夕食後にまたここに来るわね。その時に今日の事含め、全部話すわ」
優雅な一礼をして、貴族令嬢は部屋を出て行った。
「なんだか落ち着きませんね」
「広すぎるからな。机の一つでもあれば違うんだろうが」
とりあえず床に毛布を敷き、そこに座る。
故郷の小屋とは比較にすらならない大きさの部屋。
何もない部屋にぽつんと座っているのは居心地が悪く、
三人で何度も座る位置を変えて部屋の中をうろうろする。
ライチェはうろうろするのに飽きて、
部屋の中心で案山子の姿勢をとって遊んでいた。
食事を持ってきてくれた人が、
使用人が磔にされているのかとびっくりしていたので止めさせたが。
普段は食べられないような美味い夕食を堪能して寝転んでいると、
扉を軽く叩く音がして、こちらの返事を待たず扉が開く。
部屋に入ってきたリーネアはリレックたちの様子を見て吹き出した。
「何でそんな所にいるのよ、笑っちゃったじゃない」
広い部屋なのに、リレックたちが部屋の隅っこで明かりを囲んでいたからだ。
どうにも壁が遠すぎると落ち着かない。
畑の側に家を建てるなら小さい物でいいなと改めて思った。
リーネアが囲みに入ってくる。広い部屋で四人が顔を突き合わせて
何をしているのかと、全員でひとしきり笑った。
「さてと、それじゃ本題に入るわね。
私の行動の理由は、一言で言うと跡継ぎ問題に関係する事なの」
リーネアの説明が始まる。彼女らしい簡潔で分かりやすい説明。
ベンターナには現在二人の跡継ぎ候補がいる。
長兄のプントと、次兄のパレンテシス。
家族間でのいざこざは特になかった。
父がプントを後継者として早くに定め、
パレンテシスもそれに納得していたからだ。
しかし、権力は人を従えるもの。
従える人の数が増えれば増えるほど、それぞれの考えもまた増える。
思惑は様々なれど、
パレンテシスを次期領主に据えようと企む者たちがいる。
「お兄様の偽物は評判を落とすための仕込みよ。
次の段階へ進まれる前に絶対に止めないといけなかった」
「次の段階ってなんですか?」
「お兄様が娼婦を殺したとかいう噂が流れていたでしょうね。
夜に町で遊び歩いているって噂はもうあるから、
何も知らない人ならあっさり信じるわ」
碧眼に宿る静かな怒りに息を飲んだ。
偽物のあのような言動を見せられていたなら、
どうしても関連付けてしまう。
「偽物を捕らえ、拠点から証拠も見つけた。
私を襲わなければ証拠なんて見つからなかったのに、馬鹿な奴よ。
何とか明日までに間に合ったのは、貴方たちのお陰」
「妙に焦ってるみたいだが、明日何があるんだ?
次の段階ってやつじゃねえよな?」
ずっと疑問に思っていた。
リレックたちに交換条件として提示した期間も明日まで。
リーネアはまるで、何かに追い立てられるように
行動しているような気がしていた。
リレックの疑問を聞き、
雑貨屋を去る時に浮かべた寂しそうな笑顔をまた見せるリーネア。
「明日には何もないわ、私の最後の自由時間が終わるだけ。
結婚の準備しないといけないから」
「結婚ねえ……結婚!?」
突拍子もなく出てきた結婚という単語に、
三人で全く同じ反応をしてしまう。
その様子にリーネアは再度吹き出し、本当に仲がいいのねと笑った。
「もうしばらくしたら北東の方に嫁ぐの。
その前の最後のわがままで、明日まで好きにさせてもらっているのよ」
「それは……おめでとうございます」
「まあ政略結婚なんだけどね、旦那様の顔も知らないし」
とりあえずで祝辞を言ったシュペナートがばつの悪そうな表情をする。
特に気にした様子もなく、話を続けるリーネア。
「北東の領主と父が懇意にしていてね、関係を強めるために私が選ばれたって訳。
私はこんな目をしてるから貰い手がいなくてね。厄介払いも兼ねてるのかな」
リーネアは静かにまぶたを撫でる。
青い瞳がわずかに潤んだような気がした。
嫁入り前の娘に、本人のわがままとはいえ潜入捜査のような危険な事をさせる。
両親の愛なのか、死んで破談になっても構わない程度の存在でしかないのか。
リレックには判断がつかなかった。
「だから相手も貴族じゃなくて豪農。旅人なら聞いた事ある? 北東の"奴隷王"。
何十人、何百人もの奴隷を使って巨大な畑を作らせているっていう」
「もしかして、グアントさん?」
「彼の名前を知ってるなんて、案外博識なのね」
完全に蔑称であろう異名はともかく、
そんな事をしている豪農は一人しか知らない。
ライチェが呟いた名前に対するリーネアの言葉で、
彼女の夫となる人物がグアントその人だと理解する。
思い出してみれば、
グアントは使いの者をベンターナに出して噂を集めさせていた。
その理由が今になって分かった。
自身の妻となるリーネアに関する評判や噂を集めていたのだろう。
リーネアは小刻みに頷くリレックたちを見て怪訝な顔をする。
「オレたちはグアントさんと知り合いでさ。驚いちまって」
「奴隷王と知り合い? 貴方たちって意外とすごい旅人だったの?」
「オレたちはただの旅人だよ。
それよりも奴隷王って呼び方は止めてやってくれ、そんな人じゃねえよ」
奴隷制を憎悪し、奴隷制という法に復讐しようとする男。
その異名が"奴隷王"とは何の皮肉か。
内心を知る者として、そんな名で彼を呼んでほしくはなかった。
「ふーん、それなら後で色々と聞かせてもらおうかな。本題に戻るわね。
要するに私が町に出かけたのは、
パレンテシスお兄様を領主に据えようとする者を炙りだすためだったの。
証拠も揃ったし、後は明日怖い目にあってもらうだけね」
「酷い目にあわせるとかじゃないんですね」
「先々代の頃からの臣下だから、酷い目にあわせちゃうと政務が滞るの。
目一杯怖がらせたら、後はプントお兄様にお任せね」
政の世界が綺麗事だけで回るものではない。
それを生まれた時から見続けてきた少女の深いため息。
その碧眼がどれだけ人の汚らわしい姿を見てきたのか、
リレックには想像すらできない。
「いい年した爺様が漏らすほど徹底的に怖がらせるの。
明日の夜、この屋敷に来るそいつをね。
貴方たちにも協力してほしいの、一緒に貴族を驚かさない?」
満面の悪い笑顔。
とんでもない悪戯を決行する直前の子供のよう。
今日の朝やった劇と同じような事だが、今度の相手は本物の貴族。
不安要素がない訳ではないが、
何となくリーネアの事を信じてみようという気になった。
だから思った事をそのまま口にする。
「昼間に襲ってきた連中の黒幕なんだろ?
前からだけじゃなく後ろからも漏らさせてやる」
「あはは! それいいわね、目標はそれに決定よ!」
リレックの下品な発言に大笑いするリーネア。
ライチェとシュペナートは苦笑しているが、協力自体には乗り気だ。
「それじゃ段取りを説明……の前に、後二人協力者がいるの。
そろそろ来ると思うから、顔合わせしておきましょう」
リーネアが言うや否や扉が叩かれ、
彼女が返事をすると二人の協力者が入ってくる。
彼らの自己紹介を聞いた時、
しばらく思考停止した後に三人で素っ頓狂な声を上げてしまった。
***
一日を段取りと準備に費やし、再度迎えた夜。
リレックたちは今、屋敷の客間の近くで息を潜めている。
シュペナートは普段の旅装束のリレック、
使用人服のライチェと一線を画する凄い服を着せられている。
豪華な衣装を何枚も重ね着し、
その姿はまるで物語に登場する邪悪な魔術師か大司祭だ。
当人は先ほどから小声で重い、暑いと繰り返しながらぐったりしている。
客間からの音は分厚い壁で聞こえない。
今は標的の老貴族と使用人の女性が中にいる。
使用人が部屋から出てくる。
彼女はわざと扉に鍵をかけず、リレックたちに目配せをした。
音を立てないように扉の前に移動する。
後ろの二人をちらりと見てから、扉を一気に開いて部屋になだれ込んだ。
「な、なな、なんだお前たちは!?」
突然の侵入者に驚く老人。
いかにも貴族といった上品さがありながら、
どこかふてぶてしい面構えをしていた。
「わたしの事覚えてませんか、おじいちゃん?」
「お、お前……!? か、案山子の知り合いなどおらん!」
冷たい声のライチェに嘘を返す老人。
見るからに動揺していては嘘だと認めているようなものだ。
黒幕は使用人服の案山子を目印にして狙わせた。
ライチェの事は当然知っている。
「お前はオレたちを襲い、偉大なる魔術師様の怒りに触れた」
「我が魔術、いやさ禁術をもって貴様に制裁を下さん」
宝石が散りばめられた杖を構え、力ある言葉で詠唱を始めるシュペナート。
実際に禁術を使っている訳ではなく、ただのはったりだ。
詠唱も意訳すれば酷い代物だったりする。
"すべすべの石"を延々繰り返しているだけだ。
しかしその演技は真に迫っている。
当たり前だ、本物を見た事があるのだから。
詠唱に合わせて、リレックたちの後ろから三人の男女が部屋に入ってくる。
三人とも身の毛もよだつ恐ろしい仮面をつけており、
奇妙な動きで老人に近づきながらうめき声をあげる。
ランプの淡い明かりに照らされる彼らの存在は想像以上の恐怖だろう。
「ひいいぃぃ! な、何だこいつらは!?」
「魔術師様の禁術によって支配された者どもだ。
お前の肉が喰いたいと言っている」
仮面の題材になった神様に心の中で謝りつつ、老人に槍を突きつける。
老人は助けを呼ばない。
呼んでも意味がなく、こちらを刺激するだけなのが分かっているからだろう。
こんな不審者連中が堂々とここまで来ているのに、
助けになりうる者など存在しない。
「に゛ぐぅぅぅう゛!」
「ぎゃああぁぁぁぁ!?」
仮面の男女がしゃがれ声で驚かせながら近づくと、
老人は悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
痛みでわずかに落ち着きを取り戻したのか、彼は動揺を抑えて話し出す。
「あ、あの青目だな! リーネアの差し金だろう! 何が目的だ!?」
「プント様の偽物と関わったばかりに襲撃されたんですよ。
あなたの仕業だと聞いたので殴りに来ました」
ライチェが腕を振る。鉄が空を裂く、鋭く重たい風切り音が幾度も響いた。
老人が何かを思いついたようにはっとする。
死力を尽くして頭を回し、この状況を打開する方法を見出したらしい。
「お、お前たち、わしに付かんか?
どうせリーネアに雇われてこんな事をしているのだろう?
わしはこれでもベンターナ領では知らぬ者のない貴族だ。わしに雇われんか?
リーネアには適当に仕事を果たしたとごまかしておけばいい。
金なら五倍、いや十倍払う!」
「食ってよい」
容赦のないシュペナートのけしかけ。吹き出しそうになった。
今にも襲い掛かろうとする仮面の三人に慌て、
床を転がるように部屋の隅へ逃げる老人。
「ままま待ってくれ! 金では駄目なら魔道具はどうだ!?
屋敷の魔道具ならそれなりの物をやる!
冷気を放つ剣はどうだ? 矢避けの兜は? ひとりでに動く盾は!?」
「ベンターナの者でないお前が、屋敷の魔道具を自由にできるはずがない」
「できるのだよ、わしには。それだけの権力を、閥を作ってきた。
パレンテシスを領主に据えれば、わしに逆らえる者はおらん。
領主その人ですら」
シュペナートが魔道具に興味を示したと思ったのか、
老練な貴族の顔に変わって語りだす老人。
リレックは槍を収め、仮面の女の肩に手を置く。
老人はそれを肯定と受け取ったのか、にやりと笑った。
ここからが彼の本領発揮なのだろう。
その口と頭でここまでのし上がってきた男の。
「この爺さん凄い事言ってるぞ、リーネア様」
「呆れるわね、自分がベンターナの支配者になったつもりかしら」
何もかも彼女の掌で踊らされていたのでなければ、だが。
仮面を外し、碧眼で老人をにらみつける令嬢。
老人の目が大きく見開かれる。
「り、り、リーネア!? あ、いや、リーネア、お嬢様……!?」
「貴方が私の事呼び捨てにしてるのなんて、
とっくに知ってるから別にいいわよ?」
冷たい笑みを浮かべるリーネアと対照的に、
老人の表情はせわしなく変わり引きつっていく。
「食ってよい」
「それはもういいですから」
まだやっているシュペナートの頬をつつく呆れ声のライチェ。
先程まで老人を怖がらせていた仮面の男二人も、
何事もなかったかのように普通に立っている。
ここまでやれば、どれだけ鈍感な者でも気付く。
「わ、わしを謀ったのか!
この青目め、こんな事をしてただで済むと思っているのか!?」
「プントお兄様の偽物、妙な噂の流布、貴方の指示だって証拠を入手したわ。
ただで済まないのは貴方よ」
老人は何も言えない。できない。
力に訴えようにも武器を持ったリレックが側にいる。
逃げ出そうにもシュペナートが入口に陣取っていて出られない。
しかし老人は諦めない。今まで積み上げてきた物を守るために。
「こ、このような暴挙をしでかした事、プントに伝えてやる。
ある事ない事吹き込んで、お前たち全員……」
「報告の必要はない。全て見ていたからな」
男の一人が仮面を外す。
あの時見た優男とは似ても似つかぬ、威厳に満ちた青年。
「あ、あが、あげ、プント、様……!?」
「そもそもお前の内偵を進めていたのは僕だ。
リーネアの手に入れた証拠はおまけに過ぎない。
臣下の動向も分からぬ者が、領主になどなれるものか」
わずかに見えた光明を一瞬で断たれ、
ほぼ思考停止寸前の老人はそれでも希望を見出す。
「ふ、く、ふふふ、パレンテシスが、
パレンテシスさえ領主になれば、わしは、わしは!」
「勝手に人のやる事を決めないでくれるか」
最後に残った男が仮面を外す。
その容姿はプントによく似ており、しかし精悍な顔つき。
次兄パレンテシス。老人が神輿として据えようとしたその人。
その顔を見た時、老人の思考は今度こそ完全に停止した。
「おれは兄上の臣下として働くつもりだからな、領主は兄上こそが相応しい」
「パレンテシス、恐らくもう何も聞こえていないぞ」
「あら本当、気を失っているみたい。ちょっと驚かせただけなのに」
笑う三人の兄妹を見ながら、リレックたちは苦笑するしかなかった。
そして苦笑の中に混じる畏怖。
老人の言動は、全てリーネアが事前に予想した通りだったのだから。
渦中にいる二人の兄を同伴し、
逃げ切れると油断した所を刺して完全に心をへし折る。
彼らが揃って、妹には口喧嘩で勝てる気がしないと笑っていた
理由の一端を見た気がした。
その後、やって来た兵士によって老人は連行されていった。
気を失って体中の穴という穴から漏らしている老人の有様に、
兵士の顔は恐怖で青ざめていた。




