第六話 熊耳の幼子-2
*****
翌日。リレックたちは、宿場を見て回った。
村よりもさらに小さい、宿屋とそれに必要な物だけがあるような宿場。
こじんまりとした市場で旅の準備をしながら、
出会った数少ない人たちに勇者の噂を聞いてみる。
誰に聞いても勇者の事は知らなかった。
ベンターナから来た人から聞いた事もないという。
今は宿に併設された酒場で昼食を食べ終え、
三人で険しい顔をつき合わせている。
勇者の事もそうだが、どうせ情報を集めるならと
ついでに聞いてみた商人一家の事。
熊人の魔族と人間の妻、そして混血の娘。
この宿場を時々通るようで知っている人もいた。
ベンターナに小さな店を構える商人。
家族仲も良く、真面目な善き商人だったという。
しかし、彼らを知る者が口を揃えて言う事があった。
嫁さんのあれさえなければ、と。
「妻が筋金入りの倹約家、か」
聞いた言葉が、そのまま呟きとしてもれてしまう。
元々商人の家に生まれたという妻はとにかく無駄な出費を嫌い、
夫や子供の生活必需品にすら金を出し渋る事もあったという。
入り婿の夫は妻に強く言えず、
安い果実酒をちびちび飲んでいる所をよく目撃されていた。
熊人の夫はその姿に違わず腕っぷしが強く、護衛はいつも最低限の一人。
その護衛にすら、報酬が少なすぎて
金さえあったらこんな仕事請けていないと言われるほど。
「安物買いのなんとやら、だな」
「シュペさん、そんな言い方!」
「……すまん。あの子の事を考えたら、口に出して言うべきじゃなかった」
声を荒げて咎めるライチェに謝るシュペナート。
だがリレックも、恐らくライチェも同じ事を考えていた。
野盗に騙されたのはそれが原因の一つだと。
相場よりかなり安い値段を提示し、商人一家の護衛になったのだろう。
報酬が少ない事など気にする必要はない。身ぐるみの全てを奪い取るのだから。
安物買いで失うのが金ならまだよかったが、夫婦が失ったのは命だ。
両親を殺され、下劣な殺人者から必死に逃げてきた娘の寝顔。
それを思い出すだけで、顔すら知らない野盗の親玉への憎悪が湧いてくる。
力がこもるリレックの腕に、そっと触れてくるライチェ。
そして、静かに首を振った。
怒りを燃やすのは構わないが、自分たちにできる事は何もない。
それを気に病まないでと語り掛けるように。
込めた力を解き、ライチェの頭を撫でる。
ライチェは安心した微笑みを浮かべた。
「それにしてもあいつ、ベンターナにまだ着いていないんでしょうか……?」
ライチェが話題を変えて、勇者についての事を切り出す。
リレックたちが王都を出発して随分経つ。
それなのに、洗礼の地での目撃情報すら聞いた事がない。
洗礼の旅の途中は大人しくしており、いつの間にかすれ違ってしまったのか。
結局の所、きっとこうだろう、きっとこうするはずだ、
という推測に頼った道筋で確実性は何もない。
先に着いたであろう洗礼の地で待ち伏せた方がよかったのだろうか。
不安は疑心暗鬼になり、後悔へと変わっていく。
そんな中、大きく息を吐いて魔導書を読み始めるシュペナート。
「どうせ考えた所で無駄だ。ベンターナまで進むと決めたんだ、
必ずかち合うと信じて進むしかないだろう」
確かに、もうベンターナまでの道筋の半ばまで来てしまった。
進もうが戻ろうが情報はなく、不安な事に変わりはない。
ならば進むだけ。
もしすでに出発してすれ違っていたなら、全力で戻ればいいだけだ。
失敗に対して備える事は重要だが、失敗を恐れたら何もできないのだから。
「シュペの言う通りだな。今日は体を休めて、明日出発だ!」
「はい!」
不安を振り切ったリレックの宣言に、嬉しそうな返事をするライチェ。
気分の切り替えと景気づけに軽い酒でも頼もうかと思った矢先、
扉が開き人が入ってくる。
所々が破れた衣服に、熊の耳。昨晩助けた女の子。そして警備隊の隊長。
二人はリレックたちを見つけて近づいてはきたが、席にはつかず立ったまま。
女の子は視線を落とし、何かを大事そうに固く握りしめている。
「この子が君たちに会いたいと言ってね。それと、野盗の事を報告しておくよ」
リレックたちが野盗と戦ったであろう場所に向かったところ、
四つの死体が見つかった。
縄で縛られたまま殺されていた野盗の男が二人。そしてもう二つ。
「商人夫婦の遺体があった。金目の物は全て奪われていて……その、何だ」
「それ以上言わなくていい、分かった」
口ごもる隊長を止める。娘の前で話させるわけにはいかない。
夫婦の遺体は、凄惨な状態になっていたのだろう。
口を開けば旅人時代の事ばかり喋っていた母の話にあった。
母はそれを見たなら何があっても怯えるな、怒るな、冷静さを保て、
でなければ旅人は死ぬと言っていた。
それは挑発。大切な人を餌に使った死の罠への誘い。
狙いはただ一人、親玉の姿を目撃している娘。
捕まった奴が喋る事も計算に入れている。
この宿場の南はかなり深い森で、そこら中に罠を仕掛けられる。
女の子が握っているのは、鎖の切れた手作りのペンダントだった。
彼女の首にも同じ物がかかっている。
両親のどちらか、あるいは双方がつけていたであろう物。
わざと壊して置いておいたのだ、憎悪を煽るために。
「……あたし、コロコニ。助けてくれてありがとう」
「成り行きだ、気にすんな。オレはリレック」
俯いたままの女の子、コロコニの声は低く震えていて、
悲しみと憎しみが溢れだしている。
どちらも痛いほどに分かる。
リレックが潰された畑を見た時のそれを超える激情。
それでもリレックが両親を救ってくれなかった事を責めず、
それは不可能だと理解して礼を言える。賢くて強い子だった。
コロコニが初めて顔を上げる。
激しい怒りと、決意に満ちた瞳が真っ直ぐにリレックを見据える。
彼女が何を言うのか、リレックには分かっていた。
「お父さんとお母さんの仇を討つために、力を貸して!」
旅立ちを決意した自分と同じ、復讐だ。
椅子をずらし、コロコニに向き合う。
確実に死ぬ罠だと分かっていて、行かせる訳にはいかない。
「駄目だ。お前を殺すための罠だ、行っちゃいけない」
「でも、罠ならあいつらが確実にいる! 今じゃなかったら、逃げられちゃう!」
「必ず機会はある! だから今は耐えるんだよ!」
……今しか機会がないと、必死に勇者を追っているくせに。
……勝算もなく、無謀な戦いを激情のままに挑もうとした馬鹿はどこの誰だ?
……その時に何と言った。
"ああしなかったらオレは生きていけなかった"と言った奴が。
「お前だけじゃない、オレたちの命も危うくなる。
そんな罠に飛び込めねえんだ!」
……大事な家族と親友を死ぬような目に合わせたお前が言うのか?
「じゃあ……どうしたらいいの!?
このままじゃ、あいつらは絶対逃げおおせる!
お父さんも、お母さんも殺されたのに……。
あいつらはのうのうと生きてるなんて、納得できないよ!」
「だからって、お前まで死んで何になるってんだよ!?」
……納得できないと国王陛下に直談判までした奴の言葉とは思えないな。
「今、あたしがやらなきゃいけないの……」
……お前と、いや、"オレ"と同じじゃないか。自分でやらなきゃ納得できねえ。
リレックの心に刃を突き立てた自分の言葉が、頭の中で嘲笑し続ける。
コロコニの復讐を否定する事は、
リレックの復讐を、今までの旅路そのものを否定する事だ。
全ての説得の言葉が自分に跳ね返ってくる。
それら全てを突っぱねて、勇者を殴るために旅をしているのに。
横に座る二人をふと見てしまう。
助け舟を期待する自分の情けなさに気付き愕然とする。
ライチェは声をかけられず、おろおろとするばかり。
シュペナートは感情を表に出さずリレックをただ見ていた。
そもそも、シュペナートはリレックに
復讐などしてほしくなかったのではないだろうか。
故郷を出る時に見出したもう一つの目的、最高の畑。
優しい親友は、それをこそ求めてほしかったのだろう。復讐など忘れて。
だから今、何も口を挟まない。
いつもリレックを助けてくれた言葉が発せられる事はない。
リレックの意志と覚悟を無言で問うている。
鏡写しのような復讐者を前に、何を言うのかをじっと聞いている。
「だから、だから……お願い、します……」
昨夜のように、リレックにしがみ付くコロコニ。
どうすれば思いとどまらせる事ができるのか。
考えても考えても分かるはずがない。
何を言われても思いとどまる事ができなかったリレックに、
そんな事が考え着くはずもない。
自分の馬鹿さ加減に怒りすら湧いてきたが、その怒りが決意に火をつけた。
自分は間違いなく馬鹿だ。ならば、この子の前でも馬鹿を貫き通すしかないと。
コロコニの肩を掴み、少し体を離す。屈んで目線を合わせる。
「いきなり何言ってんだと思うかもしれないが、最後まで聞いてくれ。
オレは勇者をぶん殴るために旅をしている」
何故旅に出たか、旅の目的、旅の中であった事、全てを話す。
ライチェはひどく慌てている。
リレックの言った事が説得力を失い、全て自身に返ってくる行為だから。
それでも全て話した。真実を。
「聞いての通りだ。オレは畑を、大事な物を壊されたから復讐しようとしてる。
お前と比べるのも馬鹿らしいほど下らねえ理由だろうが、
お前の気持ちは分かるんだ」
「だったら、どうしてあたしを止めるの!?」
コロコニの怒りは当然だ。
復讐者が復讐を思いとどまれなどと、どの口がいうのかと誰でも言うだろう。
それを真っ向から受け止める。だからこそ言える事だってある。
「オレは馬鹿だ。頭も悪いし学もない。だから何があろうと諦めない。
勇者が向かう場所にいるのかも分からねえ。
もしかしたらすれ違っていて、今ごろ城に戻ってるのかもしれねえ。
ああだこうだ頭の中でぐるぐる回って、不安だらけさ。
それでもオレは諦めない! きっといるはずだと信じて進んでいるし、
すれ違ったのなら追いかければいい!
城に戻ったのなら策を練って忍び込んででもぶん殴る!」
コロコニの肩においた手に力がこもる。
伝えたい事は伝わるのだろうか、そんな事は分からない。
ただ、言葉にしなければ決して伝わらない。
「復讐するのを諦めろなんて言ってない。
だけど罠に飛び込んで死んだら復讐ができねえんだよ!
今は準備の時なんだ。あえて追わず、確実に復讐するためなんだ。
だから、今だけはオレと同じ馬鹿になってくれ!
自分が諦めさえしなければ必ず復讐はできると信じる馬鹿に!」
感情のままに話したので、自分でも何が言いたいのか
まとまっていないと思うが、精一杯に伝えた。
まだ幼さを残すコロコニだが、とても賢い子だというのは分かる。
まず礼を言った事もそうだが、自分一人では野盗に勝てないから
リレックたちの助けを得ようとした。
リレックなら何も考えず罠に突っ込んでいき、あっさり殺されていただろう。
きっと行ってはいけない事が分かっている。
しかし頭がいいからこそ、色々な事を考えて不安になってしまう。
今奴らを逃したら、復讐する機会がまた訪れるのか。
この一回限りしかないかもしれない。先が見えないから不安になる。
リレックは馬鹿だからこそ、不安を感じても無理矢理に踏みこえて先に進む。
コロコニが死なないように、今だけはそういう馬鹿でいてほしい。
うつむき、悔しさと悲しみで体を震わせるコロコニ。
顔を上げないままリレックに抱き付く。嗚咽が漏れる。
その小さな体を、優しく抱きしめた。
分かってくれた。今だけでも、復讐心と不安を押し殺してくれたのだ。
ライチェが心配そうに近づいてくる。
シュペナートは呆れたような、それでいて嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
コロコニが泣き止むのを待ち、椅子に座らせる。
多分昨夜から何も食べていないだろうと、ライチェが
野菜炒めと何個か果物を運んできた。泣き止む間に注文していたらしい。
肉が入っていない料理を選んだのは、
食べやすいからではない事くらいは理解できた。
果物に手を伸ばそうとしたコロコニだが、すぐに手が止まる。
自分だけが生き残ったという罪悪感が、小さな手を止めてしまう。
「食っていいんだ。食わなきゃ目的は果たせねえからな」
リレックは果物を一つ手に取りかじる。食べてもいい物だと示すように。
それを見て、ようやくコロコニは果物を一口かじる。
そして、ようやくお腹が減っていた事に気付いたように勢いよく食べ始めた。
「おかわりしてもいいですよ。
すぐに頼んできますから遠慮せずに言ってくださいね」
優しく語り掛けるライチェに、
コロコニは涙を浮かべながらもわずかに微笑んだ。
彼女をライチェに任せ、リレックとシュペナートは
隊長と共に少し離れた所へ移動する。
コロコニに聞かせたくない話なのだろう。隊長は辛い顔をしていた。
「あの子には、明日にでも宿場を出て行ってもらう事になる」
「厄介ごとはさっさと排除したいという訳か」
言葉自体は辛辣だが、シュペナートも理由は分かっているのだろう。
諦めに近い声だった。
野盗の一団に命を狙われている女の子。
宿場の住人なら、面倒ごとになる前に宿場から追い出したいのは分かる。
だがそれ以上に、コロコニがこの宿場にいる方が
余程危険なのが分かっているから、リレックは何も言わなかった。
常駐する警備兵がたったの四人で、こんな小さい宿場では
旅人が立ち寄る事も少なく、助けも期待できない。
せめて町。ベンターナの町まで辿り着けば、そう簡単に手出しはできなくなる。
できるだけ早く出発する利点もある。
勇者を追える事もそうだが、それ以上の理由が。
「トリステ村の方に罠を張っているなら、
早くベンターナに向かえば野盗どもを引き離せる」
リレックが言うと、シュペナートが頷く。同じ事を考えていたらしい。
下劣な罠を逆手に取る。来ない相手を待ち伏せている間に、
さっさと町に逃げ込んでしまうのだ。
今日のうちに準備を済ませて、明日の早朝、空が明るくなりかけたら出発する。
隊長にその予定を伝えると、彼は一言すまないとだけ口にし、頭を下げた。
彼は自分の責務を果たしているに過ぎない。
旅人より宿場の住人を優先するのは当然の事だ。
隊長は最後に静かな声で言って、酒場を出て行く。
「あの子が心を許せるのは君たちだけだ。無事に町まで辿り着く事を祈っている」
旅先で家族を失い、周りには顔を知っている程度の宿場の人たちだけ。
そして護衛に裏切られ疑心暗鬼の状態。
そんな中で窮地を救い、ほぼ確実に自分の味方と思える
リレックたちに縋るのは当然ともいえる。
どうせベンターナに向かうのだから、コロコニを守りながら行けばいい。
「もし道中でツィブレと出くわしたら、どうする?」
「見逃す。コロコニを送り届けてから全力で追う」
あえて嫌な質問をしてきたであろうシュペナートに、間髪入れず答える。
とっくに決めていた。
コロコニに今は堪えろと言っておいて、
リレックがそれをしないなどあってはならない。
もし野盗どもに追い付かれた場合、襲撃者は七人。三人で護衛しても厳しい数。
ツィブレに構っている暇はなく、全力でベンターナに向かわなくてはいけない。
だから元々馬鹿なのに、輪をかけて馬鹿になった。
復讐は成し遂げられると根拠なく信じる事にした。
「分かった。あの子が食べ終わったら市場で必要な物を買い揃えよう」
口元に微かな笑みを浮かべながら、コロコニの所へ戻るシュペナート。
リレックも後を追って戻ると、
野菜炒めと果物はほとんどなくなりそうな勢いだった。




