第五話 豊穣の禁術-1
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禁術。
あらゆる事象を自在に操る魔法と違い、
限定された事しかできない魔術を超えるものとして作り出された邪法。
人の魂を触媒にして、魔族たちが使う魔法と同じような効果を発揮させる魔術。
代償として命や魂さえも奪い弄ぶゆえか、
禁術はおぞましい効果を発揮するものが多い。
魔術は人の意志で世界を変えるもの。
おぞましい代償を払う魔術に対して、魔術師たちは思ってしまう。
犠牲となった者の苦痛、嘆き、呪詛を。
それが魔術に反映されてしまうがゆえに数多の悲劇を生み、
人魔の戦争が終わった後、一連の魔術は禁術と名付けられ禁忌とされた。
今では文献と禁術で作られた魔道具だけがわずかに残り、
その実態を知る者は数少ない。
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トリステ村に着いた最初の感想は、
何処にでもありそうな田舎村だという事だった。
何か特別な物がある訳でもなく、何かが起こる訳でもないただの村。
だから人を呼び込むため、住人を繋ぎとめるため、どうしても必要だったもの。
「"勇者の寝床"ねえ……」
貧相な看板を読んだシュペナートが、
目の前にある"寝床"に白けた表情を向ける。
誰がどう見てもただの洞穴。
しかも、大人が寝転んだら入口から最奥まで届くほど小さい。
「五百年前の勇者さんって、小動物か何かだったんでしょうか」
わずかな湧き水を飲み、小さな洞穴を寝床とする。
ライチェの言う通り、人間というより小さな獣の生態だ。
「中は割ときれいに掃除されてるな。やっぱりこれが村の名物か」
村の名物。凡百の田舎村から脱却するため、村人が懸命に考え作り出す物。
道中の村や宿場にも色々な物があった。印象には残っていないが。
名物などなくても強烈な印象を残すものはある。
ナハル村の大蛇、ビリエット村の巨大畑など。
特色のないトリステ村は勇者の遺産に頼る事にしたのだろう。
その名物に入り、あまつさえうつ伏せに寝転ぶシュペナート。
看板にはご自由に寝転んでみてくださいとは書いてあったが。
「奥の壁に勇者という単語が古語で掘られている、本物みたいだな。
回る、指、足の裏? って、落書きされて字が潰れてるのか」
「村の人たちが大事に手入れしてる物なのに」
怒りで冷たい声を出すライチェ。
リレックたちにとっての畑と同じ物、それを傷つけられれば怒りもわく。
立ち寄った旅人か、それとも村の悪童か。どちらにせよ許される事ではない。
それが許せなかったから旅をしているのがリレックたちなのだから。
「少なくとも、勇者の文字は高めの位置にあったからかそのままだ。
ここが洗礼の地で間違いないだろうな」
洞穴から出てきたシュペナートが首を回す。
岩肌だからか、服は意外と汚れていない。
周囲を見てみる。隠れる場所はあまりなく、待ち伏せには向かない。
しかも、ほぼ確実に洞穴を巻き込む事になるだろう。
シュペナートが土の魔術を使えば崩落すらありえる。
「ここで待ち伏せるのは、あんまりやりたくねえな」
「洞穴を傷つけたら、わたしたちもあいつと一緒になっちゃいますものね」
大事な物を壊されて復讐する者が、
他の手段を取れるのに誰かの大事な物を壊すわけにはいかない。
三人で頷き合う。この村でいざこざを起こすのは止めようと。
旅の準備を整えつつ勇者の話を聞いてみたが、
知っている村人は誰もいなかった。
今日は体を休め、明日出発する事を決めた。
村で唯一の宿屋兼酒場に入ると、数人の村人が酒を飲んでいた。
旅人はリレックたちだけで、宿は正直賑わっているとは言い難い。
酒場の方が主な収入源なのだろう。
酒盛りをしていた村人たちは、
リレックたちが入ってくると話をぴたりと止め、視線を向けてくる。
排他的で敵対的なものではないが、物珍しさというわけでもない視線。
食事を取ろうと席についたが、正直気分のいいものではない。
「な、なんでわたしをじろじろ見てくるんでしょう……」
魔導人形が全周囲を見渡せる事は知らないらしく、
背を向けているライチェをじっと見ている村人たち。
動く案山子は確かに珍しいだろうが、それが理由とは思えない。
リレックたちが酒場に来てから、人の出入りが急に激しくなった気もする。
「厄介事は勘弁してくれよな……」
この村には一晩泊るだけなのだから、見逃してほしいと祈る。
得てして、そういう祈りほど誰にも届きはしないものだ。
酒場に村長らしき老人が入ってくると、シュペナートが机に突っ伏した。
自分たちを巻き込む厄介事がほぼ確定したからだ。
予想違わず、老人はリレックたちの机に真っ直ぐ向かってきて、側で止まった。
「旅のお方、少しよろしいか? どちらかが魔術師でいらっしゃいますかな?」
ライチェを見ていた理由が分かった。
魔導人形を連れた人間の旅人、魔術師と思うのが当然だ。
シュペナートは不満な顔をしている。
厄介事を持ち込まれたのも一因だろうが、それ以上に指摘したいのだろう。
魔導人形を作れるのは魔族による"魔法"だけ。
人間が使う"魔術"ではそんな事はできないのだと。
しかし、魔法と魔術に触れる機会が稀な田舎村ではまとめて括られる事も多い。
「魔術師は俺だ。何か用でも? 俺たちは明日の朝に出発するんだが」
厄介事に関わる気はないと宣言するに等しい、シュペナートの返事。
「魔術師殿を見込んでお願いがあるのです、村の者も不安がっておりまして……」
「こっちの話を聞く気はなさそうですね」
呆れ果てた冷たい声。ライチェが明確な敵以外にこの声を出すのは珍しい。
相手の都合を一切無視して厄介事を持ち込む、
故郷の村長一家を思い出す態度を取られれば当然だが。
「まずは何から話せばよろしいか、あれは五年ほど前……」
「明日早いからもう休みたいんだ、断る」
「ちょ、ちょっと待ってくだされ! 話くらい聞いてくれてもいいじゃろう!?」
こちらの話を聞きもしなかったくせに、席を立つリレックたちを止める老人。
酒場にいた男たちも、いつの間にか遠巻きにリレックたちを囲んでいる。
見るからに体格の大きい男が三人。
腕っぷしには自信があるのか、険しい表情でこちらを見ている。
武器と魔術がある以上こちらが圧倒的に有利なのだが、
揉め事は極力起こしたくない。
しかし、あの出だしからして老人の話は恐ろしく長いだろう。
時間の無駄もいい所だ。
「……簡潔に話してくれ。少しでも冗長な事を言ったら即座に村を出て行く」
「そ、それはその……わ、分かりました」
焦りながらも残念そうな顔を隠そうともしない老人。
こういう類は必ず、話に大量の愚痴と主観を混ぜる。嘘や隠し事も平気で行う。
リレックたちに選択権がある以上、
わざわざそんな物を聞いてやる必要など欠片もない。
故郷の村長よりも嫌いだった、
ツィブレの父親を思い出して大きなため息をついた。
「五年前から村の外れに住んでいる魔術師を調べてほしいのです」
一息で言い終える老人。何も言わず話を聞いていたら日が暮れていただろう。
簡潔すぎて情報が足りないので、質問をして必要な情報を整理していく。
「勝手に住み着いたのか? 村の人たちと交流はあるのか?」
「その魔術師が何をしたっていうんだ。魔術師だからなんて理由なら知らんぞ」
「それをしたら、わたしたちは何を貰えるんでしょう?」
矢継ぎ早の質問に老人はしどろもどろになりながら答えていく。
言葉を選ぶ暇は与えない。咄嗟に出てしまう本音も全て吐き出してもらう。
粗方の質問を終えた所で情報を整理する。
調べてほしいという魔術師は、妻の実家があるこの村に五年前に帰ってきた。
現在の住居もその実家で、現在は一人暮らし。
自警団には属していないが近場にいる野盗や山賊の情報を聞くと、
単独で出向き殲滅してくるほどの魔術師。
日用品の買い物以外では外に出て来ず、魔術師という職業柄どうにも怪しい。
魔術師が宿に来るたびにそいつに調べさせようと考えたが、
みんな断ってしまうという。
報酬は貧相。
それほどの力を持った魔術師の事を調べるのであれば、まったく割に合わない。
総合して、請ける理由が皆無。
魔術師を生業とする者なら断るに決まっている。
「職業柄だけで怪しいのなら、同じ魔術師の俺に面倒事を持ってくるな」
呆れ果てたとばかりに首を振るシュペナート。それに対し、老人は慌てて言う。
「そ、それだけではなく、魔術師の家の側にあるのです! 豊穣の畑が!」
「豊穣の畑?」
聞き慣れない単語をそのまま返すと、
老人だけでなく周囲の男たちにまで動揺が走った。
言ってしまったものは仕方ないと考えたのか、老人は話し始める。
「魔術師が作っている畑の事です。
いかなる獣害、虫害、天候や季節にすら左右されず常に豊穣を保つ畑。
我々にはどうやって作っているのか決して教えようとはしません」
「本当に調べてほしかったのはそれだったんですね」
ライチェの指摘にうなだれる老人。
体よく利用しようとしたのだろうが、
リレックたちがその手の相手に慣れている事は分からなかったようだ。
それにしても、本当であればどうやっているのかは気になる。
最高の畑を求める者としては。
ライチェとシュペナートに目配せをする。
二人とも、リレックに任せるという意味を込めて頷いた。
「軽く調べて、本人に聞いてくる。仕事じゃねえから報酬は受け取らない。
もしその魔術師が話してもいいって言ったなら、あんたたちにも話す。
それでいいな?」
「ぜ、ぜひ! どうかお願いします!」
報酬なしで調べてくるという所に魅力を感じたのか、
老人と周りの男たちは笑顔になる。
人を和ませるようなものではなく、愚か者を嘲笑う類の笑顔だが。
その下種な喜びで気付かない。
リレックの言葉が何も確約しておらず、責任も義務も一切発生させない事に。
何も分からなかったし話してくれなかった、これで終わるだけだ。
報酬を貰っていない以上非難されるような事でもない。
家族以外の金と責任に関してだけはしっかりしていた
故郷の老剣士に対する評価を、心の中で少しだけ改めた。
「よし、早速行こうぜ。そいつの家はどこにあるんだ?」
「南東の山の方へ向かっていけば分かると思います、よろしくお願いします」
案内人すらつけようとしない。
魔術師を恐れてなのだろうが、リレックたちには都合がいい。
これ以上話して面倒な事を言われても困るし、話していたくもない。
三人とも無言で酒場を出た。
「期待はするんじゃねえぞ」
この一言だけは言っておいた。
期待に応える気などまったくないのだから。
***
「わざわざ魔術師さんの所に行くのは、畑を見てみたかったからですか?」
「七割くらいはな。残りは宿に泊めないとか言い出されねえためさ」
連中ならそのくらいの事は平気で言ってきただろう。
冗長な話をしたら即座に村を出ると宣言した以上、抗弁するのもおかしい。
足元を見られないよう攻め手を潰しただけで、野宿はできればしたくない。
ライチェは納得したようで、くるりとその場で一回転してから歩き出した。
「シュペ、豊穣の畑なんて魔術で作れるのか?」
「……できない事はない。魔術とは言い難いものであれば」
歯切れの悪い答えにリレックとライチェの足が止まる。
シュペナートはそれに気付かず、三歩ほど進んでからようやく振り返った。
「禁術だ。人の魂を代償にする魔術。
あれは魔族たちの魔法と同じような事ができる。
魔術師……人間がそんなもの作ろうとしたら、禁術以外にはない。
まあ、畑に使うなどあり得ないだろうが」
人魔戦争で使われたという禁忌の魔術。
もしかしたら、それの使い手かもしれない。
村人から話を聞いた限り、勇者はこの村にまだ来ていない。
ならばさっさと村を立ち去り、
ベンターナの町に向かった方がいいのではないだろうか。
旅の準備は宿に入るまでに済ませている。
やろうと思えば今すぐにでも出発できる。
しかし、禁術でないなら何か画期的な農法なのかもしれない。
それならば知りたい。
「どうするかは、実物を見てからでもいいだろ。
遠目でちょっとだけ見たらさっさと村を出ようぜ」
「それもそうですね」
再度、三人で歩き始める。
リレックとシュペナートが考え事をしているので、ライチェも声を出さない。
無言のまましばらく歩き続け、目的地の家と畑を見つけた。
一人で住むには少々大きすぎる家に、隣接する土地に作られた畑が二枚。
野菜はどれも大きく実っており、豊穣の畑と呼ばれるのに納得する。
ぱっと見でも虫害、病害の類は一切なく、
雑草も丁寧すぎるほどに存在しない畑。
畑に猛烈な違和感を覚える。
農民としての経験が、この畑はおかしいと激しく警鐘を鳴らす。
野菜を詳しく見てみようと、畑に入ろうとした時。
「だめッ!」
鋭い静止。ライチェに腕を引っ張られ、後ろに倒れそうになる。
いきなり何をと言おうとして、二人の様子が尋常でない事に気が付いた。
ライチェは今にも泣きそうな怯えた表情。
シュペナートの顔は青ざめ、必死に恐怖を押し殺しているようだった。
「だめ、だめです。近づいちゃだめ。こんな気持ち悪いの、見た事ない……!」
魔導人形ゆえに体は震えないが、
声だけは震わせてリレックにしがみ付くライチェ。
農民の理想ともいえるきれいな畑が、おぞましい何かにしか見えなくなっていく。
そこでようやく、違和感の原因に気付いた。
恐ろしくて、声に出さずにはいられない。
「何かおかしいと思ったんだ。
植えられている野菜、季節も並べ方も滅茶苦茶じゃねえか!?
あっちの黄色い実は今の季節じゃできないし、
隣の橙色のは一緒に並べたらどっちも枯れるやつだ。
何より、抜いた形跡もないのに雑草が一切生えてねえ。
こんな事あり得ねえんだよ!」
シュペナートがリレックの肩に手を置く。その手は震えていた。
「禁術だ。人の魂を贄にして作られた、豊穣の畑だ」
魔力を感じられる二人が言うのだから間違いない。
人の魂を糧にして作られた畑。
即座にこの場を離れるべきだ。禁忌の魔術に関わっていい事など何一つない。
ライチェとシュペナートも同じ事を考えていたようで、三人で頷き合う。
足を動かそうとした瞬間、家の扉が開いた。
「どちら様でしょう、野盗の方々?」
家から出てきたのは小奇麗な法衣を着た、魔術師らしき男だった。
獣の耳さえない、純粋な人間。
魔法使いであってほしいという希望は脆くも崩れ去った。
家から出てきたという事は彼が禁術使いのはず。
しかし、とてもそうは見えない。
王城で見た魔術師たちのような清潔で整った姿。
田舎村に一人で五年も住む魔術師とは思えない。
ごまかす事も考えたが、全て正直に話す事にした。
「オレたちは旅人だ。
村長に豊穣の畑を調べて、どうやっているのか
聞きだしてほしいって言われてな」
暗に、畑を探っているのは村長の指示だと言っておく。
実際にその通りなのだから文句を言われる筋合いもない。
禁術使いが村長をどう思うかなど知った事ではない。
リレックの返答を聞いた男は穏やかな笑みを浮かべている。
「ああ、残念だけど教えられない……と言いたい所だけど、君たちは知ったよね。
案山子さんと魔術師さんなら、当然分かるから」
男の表情は人好きのする微笑みのままだが、
得体の知れないものにしか見えなくなった。
この男が禁術使い。
野盗や山賊を単独で殲滅せしめるほどの、禁忌の魔術を操る者。
「立ち話もなんだし、入りなよ。色々と説明もしたいしね」
友人を誘うような気軽さで言われても、
恐怖心と警戒が先に立って前に踏み出せない。
腹を空かせた猛獣の口に頭を突っ込む無謀さは持ち合わせていない。
そんなリレックたちを見て男は苦笑する。
「大丈夫だって、野盗や賊でないなら危害を加える気はないから」
男は両手を上げる。魔術を使う気はないという意志表示だろう。
シュペナートにどうすればいいか視線を送ると、
顔を強張らせながらも小さく頷いた。
「ちょうど昼を食べようかと思っていたんだけど、一緒にどうだい?」
いたって普通な昼食の誘いなのだが、どうしても恐怖はぬぐえなかった。




