第四話 自由な奴隷-4
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夜。宿の酒場で待っているとグアントがやって来た。
店主も席を外し、リレックたち以外には誰もいない貸し切り状態。
大人数用の広い席も使えたが、あえて小さな丸い机の席を選んだ。
四人で机を囲んで座る。
グアントのコップに酒を注ぐ。彼はそれを一息に飲み干した。
リレックとシュペナートも酒に口をつける。
小さなコップ一杯で酔えるような強い酒ではないが、口を軽くする効果はある。
空になったコップに酒を再度注いでいるとグアントは静かに話し始める。
「私には姉がいたんだ。幼い頃に攫われ、奴隷にさせられた姉がね」
驚いて声を出そうとしたライチェの肩を掴んで止める。
何かがある事は分かっていた。今はただ聞く時だ。
北東の田舎村で生まれ育ったグアントには、美しさで評判の姉がいた。
慎ましくも幸せに暮らしていたという。
だが、彼が七つの時にその幸せは終わった。
家は何者かに襲撃され、両親は殺され、姉は連れ去られた。
重傷を負って死を待つばかりだったグアントが姉の悲鳴と共に聞いた言葉。
"お前を奴隷にしたがってるお方がいる"。
近所の住人に発見され命を取り留めたグアントは、
単身ある格闘術の師範の所へと向かった。
両親の仇を討ち、姉を取り戻す。
そのために幼い子供ができる事は力を求める事だった。
八年の修行を経てグアントは旅に出た。
復讐、そして奪われたものを取り戻すために。
両親がくれた天賦の才、そして旅の中での数知れぬ死闘。
何よりも復讐を果たし姉を取り戻すという執念。
いつしかグアントは武の高みへと上っていた。
姉が連れ去られてから二十年、ようやくその消息を知る事ができた。
大商人の奴隷となった姉は、酷い扱いを受けて三年で死んだらしいと。
「十人近くの奴隷の遺体がまとめて埋められた簡素な墓を見た時、
私は狂ったんだろう」
懇意にしていた領主を困らせていた、
恐るべき凶暴さで周辺を荒らしまわる魔獣ども。
自棄になりそれらに一人で挑み、皆殺しにした。
魔獣どもはグアントを生から解放してはくれなかった。
全身に浴びた返り血を拭う事もなく、
引き千切った魔獣の首を持ち帰ったグアントに対し領主は言った。
「友よ、この金で人を育てろ。
このまま武に生きたなら、君は人でない何かになってしまう。
君が本当に憎むものを壊せるのは殺戮ではない」
領主から莫大な褒賞を貰い、
領地の端にあるビリエット村に大きな家と巨大な畑を作った。
奴隷商人から数十人の奴隷を買い、今の暮らしが始まった。
高齢の村長が隠居する事になり、
領主と友人であるグアントがいつの間にかまとめ役をする事になっていた。
「領主様が言った、グアントさんの憎むものとは?」
リレックの問いに答える前にグアントは二杯目の酒をあおる。
そして、憎悪に燃える目で言った。
「奴隷制だ」
国が定めた法律そのもの。奴隷という身分を定める制度。
グアントが自身を狂ったと評したのも分かる。
当然のように運用されている法をひっくり返そうというのだから。
「奴隷制が憎いのに、奴隷をいっぱい買ってるんですか?」
「育てているんだ。一人で生きて行けるように」
ライチェの疑問にシュペナートが推測で答える。
それが正解だと頷くグアント。
奴隷を人に戻すために用意されたのが巨大な畑と家だった。
あの姉弟を見れば分かるが、奴隷は基本的に意志を持たない。
何も持たないがゆえ全てを諦められるからだ。
ただ主人の命令に従っていれば最低限生きていける。
そう教えられる。それで十分だと諦める。
単に奴隷を解き放つだけでは意味がない。
奴隷を保護するだけでは自己満足でしかない。
彼らが生きて行けるだけの何かを身につけさせなければ。
「昼間のコンデムといったか。
同じ志を持つ者と言っていたが、きっとそうだ。
奴隷制を憎み、奴隷を開放したいと思っている。
あの狂熱は羨ましいほどだが拙速に過ぎる。土地を耕しもせずに畑は作れない」
コンデムと違い、グアントの選んだ方法は遅く対象も少ない。
しかし確実に救う道だ。
ここで働く奴隷たちは合法的に金を返し終え、
それぞれの目的に向かって旅立つだろう。
「私が国に認可された正規の取引でなければ奴隷を購入しないのも、
違法な奴隷商人に金を出さないためだ。
たとえどれだけ可哀相な境遇の奴隷でも、
買ってしまえば同じ事が繰り返される。また誰かが攫われる。
それだけは避けなければいけない。
……下劣な人攫いを殺してやりたいと思った事は一度や二度ではないけどね」
言葉に込められた殺意に身震いがする。
普段は見せない憎悪の大きさが垣間見えた気がした。
グアントの方針もあって、
この辺りでは人攫いや違法奴隷取引が少なくなってきたのだという。
違法な事をしても捕まるだけで金にならず、真っ当に稼いだ方が儲かる。
余程の阿呆でなければ違法な事などしない。
「君たちにこの話をしたのは、聞きたかったからだ。
勇者に復讐するために旅をする者にとって、
私のやっている事がどう見えるのかを。
これが正しい復讐の方法なのか、結局は愚かな狂人の無意味な行いなのか」
勇者を殴る旅路の事を話した際に言われた言葉は、
グアントが先の見えぬ復讐の道を歩んでいるからこそだった。
何を言われても復讐の道を行くとリレックが答えたから、
こんな話をしてまで聞きたくなったのだろう。
自分の歩む道は本当に正しいのか。
間違った愚かな道を進んでいるのではないかと。
リレックに言える事は、自らの心にある言葉以外にはない。
「正しいか間違いかなんて誰に何を言われようが知った事じゃない。
オレもグアントさんも納得したいだけなんだ。
手段や内容はどうあれ、復讐してそれでいいと思えたなら、それでいいんだ。
どうせ、間違ってると言われたって止められないでしょう? オレと同じように」
リレックの返答を聞いてグアントは笑った。
悲哀も含んだ、しかし不安を吹き飛ばすような笑い。
「ああ、その通りだ。そうだった。
私も、背を向けて生きられるならこんな事はしていなかった。
……きっと、それでいいのだね。ありがとう」
コンデムの来訪、あの姉弟。
誰かに抱えていたものを吐き出したかったのだろう。
吹っ切れたような笑顔でグアントは酒を豪快に流し込んだ。
そして笑顔はそのままに、真剣な瞳でリレックを見つめて言った。
「そうだ。リレックさんは最高の畑を作るのが夢と言っていたね。
私にも一つだけ助言ができると思う。
多分、私の畑は君の求める最高の畑とは違うと感じているんじゃないかな?」
「確かに、何かは分からないけど、何となく違う気がして……」
「君はきっと、自分でやりたいんだよ。
人を使うのではなく、自分自身の手で成し遂げたいんだ。
勇者を殴るための旅と同じようにね」
それを聞いて、漠然としていた気持ちをようやく把握できた。
人を使った大規模な農場経営では自分で畑を耕すような事はない。
その管理運用こそが仕事となるだろう。
それでは嫌なのだ。自分で最高の畑を作り、自分で野菜を育て収穫したい。
勇者を自分自身で殴るための旅と同じ。自分でやりたい。
言及されて今頃気が付いた。
グアントが席を立つ。これ以上飲むのはお互い明日に差し支える。
「色々とありがとう。君たちが目的を果たせる事を祈るよ」
「こちらこそ、ありがとうございます。
グアントさんの復讐が果たされる事を祈ります」
どちらからともなく手を差し出し、しっかりと握手を交わす。
グアントが店を出た後の薄暗い店内。三人だけが残される。
椅子に座り直し残りの酒を飲み干す。
酒で口が軽くなっている今だからこそ二人に聞いてみたい事があった。
「聞いてもいいか。何で二人ともオレについて来てくれるんだ?
何もいい事なんてない、勇者を殴るなんて馬鹿みたいなオレの復讐のために」
「わたしも殴りたいからですけど」
「俺も半分くらいは」
何を今更とでも言いたげな即答。
椅子からずり落ちそうになってしまった。
「わたしの守っていた畑でもあるんですよ! 五、六発は蹴りたいです!」
「俺だって農法を調べたり、無関係ではないんだ。
滅茶苦茶にされたら腹が立つに決まっている」
身振りも含めて大袈裟に怒るライチェと、静かな怒りを見せるシュペナート。
リレックが呆然としていると、
ライチェは両腕でリレックの手にそっと触れる。
両手で優しく握られているような気さえする。
「気にする事なんてありません。
わたしもシュペさんも、自分の都合でリレックさんについて行くんです」
「目的が一致してるから一緒にいるだけさ。お前が気に病む必要なんかないよ」
「だから、そんな事考えないで進んでください。
わたしは、リレックさんが道を外れない限り一緒です」
優しい笑顔のライチェ。その腕をしっかりと握った。
もう片方の手でシュペナートの腕を掴む。
リレックの行動に驚いた二人だったが、手を振り払うような事はしない。
「三人で、勇者をぶん殴ろうぜ」
改めての宣言に、三人で頷く。
そのまま下らない話をしつつ、夜は更けていった。
***
翌日の早朝。村の出口ではリレックたちとあの少年が畑を見ていた。
見送りは誰もいない。
グアントや奴隷たちは仕事や稽古、勉強の方を優先しているのだという。
彼ららしいと思った。
「オレたちは南に行くんだが、お前はどうするんだ?」
「僕は東に向かおうと思っています。
格闘術を学ぶなら東とグアント様が仰っていたので」
清々しい少年の眼差し。
意志と覚悟を携え、目的をしっかりと見据えた旅人の姿。
きっと一人でも武の頂へと進んでいくだろう。
「武の頂、辿り着ける事を祈ってるぜ」
「ありがとうございます。皆さんの目的も果たされる事を祈ります。それでは!」
少年は手を振りながら、朝日に向かって歩いて行った。
眩しさに顔を背ける事もなく、ただ真っ直ぐに。
しばらくその姿を眺めてからリレックたちも南へと歩き出す。
こちらの方角にも巨大な畑があり、奴隷たちが働いている。
いつか目的を得て、自分の手で金を稼ぎ旅立つために。
その中に一人の少女を見つけた。
少女は魔術で桶から水をふわふわと浮かせ、笑顔でリレックたちに手を振る。
少女に手を振り返し、しばらく歩くと陽気な歌声。
ライチェの歌を聞きながら次の目的地へ向けて進む。
意志を持って進む旅路に不安はあれど迷いはない。
まして目的を同じくする友がいるのなら。
ビリエット村に来た時とは違い、今の気分のように足は軽快に動いた。
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『奴隷王』
生まれるのが三百年早すぎたと評される奴隷解放の祖、
"全人自由論"の著者コンデムと同時期を生きた人物。
領主と懇意にしていた豪農であり、
延べ数百人の奴隷を従えていた事で知られる。
そこから"奴隷王"という蔑称のような異名で呼ばれ、
色々な文献にその記述が存在している。
彼は妻や子と共に才覚に溢れ、小さな農村を町ほどに発展させたという。
しかし彼が没してから三百年後、奴隷解放運動が起こる。
その際に槍玉に挙げられたのが彼だった。
コンデムを信奉する者、虐げられていた奴隷たち、
知識階級の者まで、こぞって彼を悪し様に罵ったのだ。
そうして彼の名は忌むべきものとして歴史から抹消され、
一般的には異名だけが知られている。
数多の物語で邪悪な存在とされ、
彼は人間であったにもかかわらず魔王と同一視される事すらあった。
その評価を覆したのは後の時代、コンデムの痕跡を調べていた調査団だった。
彼らは全人自由論の原本を発見し、それを読み解く事に成功する。
調査団がコンデムの信奉者ではなく、
純粋に知識のために動いていた事は幸運だったのだろう。
原本において、かの奴隷王の名はこう記されていた。
"私と同じ志を抱く者、すなわち同志である"と。
歴史に埋もれた真実に手が届くかもしれない。
調査団の士気は否応なく高まり、
奴隷王が住んでいたという地域を徹底的に調べ尽くした。
すると奇妙な逸話や伝説がいくつも見つかる。元奴隷の英雄や偉人の話。
東方にて格闘術を極めたとされる闘聖。
大海の慈母と呼ばれ、病に苦しむ数千人を救ったとされる女魔術師。
彼らの残していた痕跡や手記には、奴隷王への感謝の言葉があった。
更に調査を続けた調査団は、
ついに奴隷王の妻が書いたとされる手記を発見する。
奴隷制を憎悪するがゆえ奴隷を正当な手段で買い、
奴隷に生きる手段を身につけさせた男。
全人自由論原本の奇妙な記述、英雄たちの残したもの。
その全てを一本の線で繋げる記述があった。
調査団はこれら全てをありのままに公表。研究者たちに激震を走らせた。
真実なのか、虚偽なのか。
十年を要した大論争の末、これらは真実であるとされた。
かくして奴隷王の名誉は回復される。
しかし、彼にとってはどうでもいい事なのかもしれない。
誰に何を言われようが知った事じゃないと胸を張るだろう。
彼はその意志のまま自分にできる事を全てやって、奴隷制と戦ったのだから。




