第四話 自由な奴隷-3
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玄関に行ってみると、険しい顔をしたグアントと数人の男たちが対峙していた。
身なりのいい服を纏った貴族風の男を先頭に、
鉄の鎧と剣で武装した兵士が数人。
その後ろに首輪をつけた奴隷が三人。
兵士が奴隷のうちの一人、栗色髪の少女の手を掴んでいる。
水の魔術の素質があった奴隷の少女だ。
グアントの側には今日旅立つ予定だった少年がいる。
声は出していないが男たちに怒りを向けていた。
急いでグアントの所に駆け寄る。槍に手はかけない。
連中はやろうと思えば少女をいつでも害せる。
「一体何が? こいつらは……」
「私の名はコンデム。僕は哀れな奴隷を開放しに来ただけだ、旅人よ」
リレックはグアントに聞いたつもりだったのだが、
貴族風の男がまるで吟遊詩人のように高らかに答えた。
彼は隣の兵士に何事か命令し背の荷物を降ろさせる。
中には大量の金塊が入っていた。
「代金は相場の倍額支払う。
人に首輪をつけ、物として扱う所業を痛ましいと思わないか?
私はこの子のような奴隷に自由を与えに来たんだ」
コンデムは兵士に捕まれている少女を指差す。
少女は怯え切った表情でじっとグアントを見ている。
「まずはその子を離していただかないと、話にすら入れません」
抑えてはいるが怒りがにじみ出ているグアント。
人質を取りながらの交渉に怒りを抱かない者はいない。
そんなグアントの怒りに気付いていないのか、わざと無視しているのか。
コンデムは少女に話しかける。
「安心するんだ、すぐに自由にしてあげるよ」
「怖がらせてるのはそっちでしょう、手を放してあげてくださいよ」
心底呆れた声で言うライチェ。
気を悪くした様子も、話を聞く様子もなくコンデムは高らかに喋る。
「あのような命無き魔導人形ではない、君は人なのだ。
自由に生きる権利がある!」
「そうですか、わたしには権利ないんですね」
冷たい声のライチェが足で地面をとんとんと叩く。戦闘の体勢。
話では埒が明かないのは分かっているが、
グアントが動かないのに勝手に暴れるわけにはいかない。肩を掴んで止める。
そんな時、シュペナートの呟くような声。
「水だ」
「……"水よ、我が意に沿うように揺蕩え。その身を彼の者へと舞わせよ"!」
少女の魔術で、近くの桶に入っていた水が兵士の顔にぶちまけられる。
予想だにしない奴隷の魔術に思わず手を放してしまう兵士。
その隙を逃さず少女は逃げ出し、グアントの後ろへ隠れた。
兵士たちは追おうとしたが少年が構えながら前に出る。
恐れをなしたのか、兵士たちの誰も動こうとはしなかった。
あと二人の奴隷は動こうとしない。よく似た顔の少女と少年。姉弟だろうか。
拘束はされていないので、混乱に乗じて逃げようと思えば逃げられたはずだが。
「俺は警戒していたようだが、この子が魔術を使うとは思わなかったみたいだな」
自身の魔術で窮地を切り抜けたのが嬉しかったのか、
少女は満面の笑顔を見せる。
連中が少女に危害を加える可能性は低いと判断して魔術を使わせたようだ。
コンデムが怒り狂うかと思っていたが、その顔に浮かぶのは困惑。
なぜそんな事をするのかが理解できないといった様子。
「少女よ、なぜそちらに行く? 私は君に自由を与えに来たんだよ」
他意を感じる事はなく、恐らくは善意で言っている。
しかし高慢ちきに過ぎる。
「この家の奴隷には幸いにも、己の力で自由を手にする権利が与えられている。
貴方に哀れみや施しを受ける理由も必要もない」
「すまないね、私はグアント氏と奴隷の少女に話をしているんだ。君に用はない」
少年の静かな威圧に兵士たちは気圧されて一歩下がるが、
コンデムは一切動じる気配がない。
戦闘に自信があるのかと思ったが、そうではない。一切眼中にないだけだ。
恐らく少年の言葉もまったく聞いていない。
見たい物だけを見て、聞きたい音だけを聞く男だ。
そんな男に対しグアントははっきりと答える。
「断る。正規の取引でなければ奴隷の売買は決してしない」
奴隷商人も当然商人なので、
国の法によって定められた取引のみを行っている。
人が奴隷となる理由は様々だ。
金のため、飢えに苦しむ家族のため、戦に敗れ捕らわれたため。
彼らを買い必要な者に売る。需要と供給があるからこそ彼らの商売は成り立つ。
しかし、非合法な行為でより多くの金を儲けようとする者は必ず現れる。
騙して法外な借金を作らせ、弱みに付け込み、
酷いものになれば人攫いをやってまで商品となる奴隷を集める。
身目麗しい少女を我が物にせんがため、
そういう連中に頼む外道が討たれる話は大衆が好む物語だ。
実際に討たれる事は稀だろうが。
それにしても、グアントの態度には何か引っかかるものを感じた。
奴隷たちを親のように慈しみ、
力強く旅立っていってほしいと願っているであろうグアント。
ならばいけ好かない態度はともかく、
コンデムの申し出は渡りに船なのではないだろうか。
「……そうか。少女よ、改めて聞くが私の元に来ないかい?
私は君に自由を与えられる。彼女たちと同じように」
「あたしは自分でお金を返して魔術師になるの!
あんたのくれるものなんかいらない!」
グアントの背から出て、身を乗り出して叫ぶ少女。
これ以上ない拒絶を受けたコンデムは、ため息をついた。
「畑の奴隷たちもほとんど同じような事を言っていたよ。
なればこそ私とグアント氏は同じ志を持つと思っていたのだが」
「ほとんどという事は、お前たちは彼に自由にして貰うのだね」
責めるような口調ではなく、
諦めに近い声色で姉弟らしき奴隷に話しかけるグアント。
姉の方が弟を抱きしめながら頷いた。
「わたしたち、その……少し前に買われたばかりだし……。
弟と一緒に、自由になれる機会ならって……」
泣きそうな顔で、しどろもどろな答えを返す姉。
グアントのきっぱりとした拒絶の所為だろう。
奴隷は主人の所有物であり、
主人に売買をしないと言われればどうにもならないからだ。
コンデムが口を開こうとしたが、グアントはそれを手で制する。
「ならば首輪を外して自由になりなさい。取引ではないから金は要らない」
グアントは鍵束を取り出し、二つの鍵をそこから外してコンデムに渡す。
彼の指示により姉弟の首輪はすぐに外され、
彼女たちは奴隷から自由の身となった。
「その恩情に感謝を。では行こう、自由を満喫するといい!」
コンデムは姉弟を連れ、
兵士に再度金塊の入った荷物を背負わせて去っていく。
槍に手はかけていたのだが、荒事にならなくてほっとする。
「グアント様、僕が畑の様子を見に行きます」
「ああ、頼むよ」
コンデムは畑で働く奴隷たちにも声をかけたと言っていた。
何かしら起きているかもしれない。
少年は畑に駆け出していく。リレックたちとグアントは、それを見送った。
「その、グアントさん。何というか、災難だったな……」
何と声をかけていいのか分からず、当たり障りのない言葉しか出てこなかった。
妙な男に奴隷を盗まれた怒りとはまったく違う、
様々な感情が渦巻いているようなグアントを見ては。
「あの子たち、自由になって何がしたいのかな」
静かに呟く少女。
魔術師になると力強く宣言した彼女と、武の頂を目指す少年。
彼女たちが為したいと願う事。
あの姉弟は何をするために自由になったのか。
その目的へ至る意志を一切感じなかった。
自らの意志なくして、自由に生きるなどできるのだろうか。
リレックたちはしばらく無言で立ち尽くすしかなかった。
少年が戻ってくるまで、どのくらいそうしていたろうか。
息を切らせた少年が帰ってくる。
彼の体力を考えれば全力疾走で畑まで走ってきたのだろう。
畑の奴隷たちは姉弟を止めたのだが、
二人はコンデムについて行ってしまったという。
コンデムが言った通り、他の奴隷たちは彼の施しを受けなかった。
「怖い思いをしただろう。今日はもう畑仕事はいいから稽古場にいるといい」
グアントは少女の頭を撫でる。
稽古場ならば常に人がいて活気があり安心できる。
グアントの表情は晴れないままだった。
何かを思い悩んでいるかのように。
「なら俺が力ある言葉でも教えようか。
稽古はもう勘弁してくれ、明日立てなくなる」
シュペナートの微妙に情けない提案に、その場の皆が笑う。
リレックも何か理由をつけて止めておこうかと思ったが、
嬉しそうに腕を掴んでくるライチェを見てはやらざるを得なかった。
夕方になり稽古場から人がいなくなる。
そろそろ夕食の時間、みんな食堂に集まっているのだろう。
リレックは地面に仰向けで倒れていた。
稽古で明日立てなくなるのはリレックかもしれない。
ライチェが膝枕をしてくれている。
感触は当然固い木の棒なのだが、それでも安らいだ気持ちになる。
「ごめんなさい。
リレックさんと格闘術の稽古するなんて、久しぶりだから嬉しくて」
リレックは槍術士で、あまり武芸に興味がないので
格闘術は最低限教えただけだった。
現在のライチェの技はほぼ全て我流だ。
共通の話題や一緒にできる事といえば畑の事だけ。
それは彼女にとって存在意義であって娯楽ではない。
もっと一緒に稽古をしてもよかったなと今更ながらに思った。
「旅を終えたら、暇な時にまた稽古しようぜ」
「約束ですよ」
勇者を殴り、最高の畑を見つけ出す。
その後の慎ましくも幸福な暮らしを想像すると口元が緩んだ。
「リレックさん、そんな所で寝ていたら風邪を引くよ。立てるかい?」
「ええ、何とか」
家から稽古場に出てきたグアントが手を差し出してくれる。
体を動かすのが億劫だったが、その手を掴んで立ち上がった。
ライチェが背の土を払ってくれる。少々手荒いのはご愛敬だ。
グアントの後ろにはシュペナートもいる。口に手を当て考え事をしている。
「どうした、シュペ?」
「グアントさんの使いが帰ってきてな、勇者の話を聞いたんだ。
ベンターナで勇者の話など一切聞いた事がないそうだ」
「ベンターナでは些細な噂話でも仕入れてくるように言ってあってね。
勇者がいたのなら聞かないはずはないんだが」
三番目に訪れる予定の洗礼の地で、勇者の話を聞かない。
つまりまだそこに着いていない可能性が高い。
グアントは使いの者にかなりの信を置いているようだ。
聞き漏らしなどは考えなくてもいいだろう。
ならば、リレックたちの行動も必然的に決まる。
「明日出発だな。トリステ村に向かうぞ」
「はい! あいつより先に着けそうですね!」
飛び跳ねるライチェと、頷くシュペナート。
そんな三人を見てグアントは申し訳なさそうに頭を下げる。
「引き留めてすまなかったね。時間を無駄にさせてしまった」
「そんな事はないです。
不安を感じながらの旅と、先の状況が分かってる旅はまるで別物だから」
別に慰めで言ったのではなく本心だ。心の余裕がまるで違ってくる。
故郷を出て王都まで向かった道程と、
王都からこの村までの道程は精神的に違うものだった。
本当にこの道が正しいのか分からないというのは、
それだけで心をすり減らす。
乗合馬車では毎日歌っていたライチェが、
王都からは歌う事もなくただ歩いていた。
きっとこの村からの道程では、また陽気な歌声が聞けるだろう。
そんなリレックたちを見てグアントはとても嬉しそうに笑顔を見せる。
しかしその表情はすぐに悲しそうなものになり、
リレックたちとは違う方向、玄関の方へ向かって声をかける。
「お前たちの自由は、不安な旅だったようだね」
そこにはコンデムに連れられて行ったはずの姉弟がいた。
玄関の陰に隠れていたらしい。
「あの人たちと一緒にいたんじゃないんですか?」
「コンデムさんたちは、北の方へ向かうと……。
私たちは、東の生まれなので……」
コンデムたちは宿に泊まる事もなくさっさと旅立ってしまったらしい。
グアントの宿に泊まる事を嫌がったのだろうか。
姉弟は目的地が違うので残った。取り残されたともいうだろうが。
「それで、その……私たち、どうしたらいいかと……」
「故郷に帰ればいいじゃねえか、
そのつもりで自由になったんじゃないのかよ?
金はあいつらから貰ってるよな?」
今日まで奴隷だった者を無一文で放り出しはするまい。
そういう態度ではなかった。
姉の方がおずおずと袋を見せる。
中身は数枚のようなので、金貨だろう。銀貨では宿にすら泊まれない。
「故郷に帰っても、また売られるだけだし……だから、どうしたらいいかって」
「それを自分で考えるのが自由だ」
縋るような言葉を容赦なく切って捨てるグアント。
「自由は権利だけじゃない、責任も含めてのものだ。
全てをお前たちが決めなければいけないし、その責任も全てお前たちが負う。
その覚悟があったから自由になったのだろう? ならばその意志を貫けばいい」
正しくはあるが意地の悪い言い方だと思った。
そんなものない事が分かって言っているからだ。
意志があるならば、どうしたらいいかなどと聞きはしない。
あの少年ならば武の頂を目指し旅の準備をするだろう。
水の魔術を操った少女なら魔術の勉強ができる所を探すだろう。
目的が決まっているから、そのための手段として自由を得る。
リレックたちが故郷から出た時もそうだった。
対して姉弟の自由はコンデムに与えられたもので、
ただ奴隷が嫌だという理由で自由になっただけ。
意志や覚悟が足りない。目的がない。
自分だけで立つ事ができないからグアントの所に戻ってきた。
「掟は話したはずだな。元奴隷はこの村に居つく事が許されてはいない。
速やかに出て行ってもらう」
「だ、だから! どうしたらいいのかって!」
「お前たちは取引外で首輪を外したから逃亡奴隷にあたる。
私に捕縛されれば奴隷に戻す事もできるが」
声を荒げる姉に対し、感情を排した言い方に徹するグアント。
グアントがコンデムから金を受け取らなかった理由が分かった。
姉弟に逃げ道を用意していたのだ。
道しるべのない荒野に置き去りにされるが如き自由と、
グアントに庇護されての奴隷暮らし。
彼女たちがどちらを選ぶかは分かっていた。
未だ迷う姉の手を引き、弟がグアントの目の前まで歩いてきて頭を下げた。
「ねえちゃんは、おれのために話に乗ったんです。
罰はおれが受けます、どうかお許しください」
「いいだろう。ならば五十日間、お前の給金を半分に減らす。姉は咎めない。
……家に入りなさい、そろそろ夕食だ」
グアントに促され、姉は泣きながら、
弟は何度も頭を下げながら家に入っていった。
二人が見えなくなってからグアントはリレックたちに向き直る。
その顔はどこか悲しげだった。
「リレックさんたち、今晩一杯付き合ってくれないかな?」
「明日に差し支えないくらいなら」
「ありがとう。夜になったら宿に行くよ」
グアントは家の中へ帰っていく。
話したい事があるのだろう。
酒で酔いながらでなければ口から出せないような事が。
村の者には言えない、二度と会わない行きずりの旅人にしか話せない何かが。




