第四話 自由な奴隷-2
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翌日。久しぶりの美味い食事と、ちゃんとした寝具での就寝。
しっかりとした休息を得て疲れが取れ、体の調子もいい。
朝日が顔を出し始めた頃、リレックたちはグアントの家に再度訪れていた。
グアントが三人の子供を連れて家から出てくる。
やはり三人とも首輪をしている。
「ほら、魔術師さんに挨拶しなさい」
「よろしくおねがいします!」
礼儀正しく頭を下げる子供たち。首輪さえなければ親子にしか見えない。
「素質を調べるには、簡単な魔術を覚えて使ってみるのが一番早いんだ。
"浮かべ"」
静かに力ある言葉を一言唱えるシュペナート。
地面の土が子供たちの背の高さくらいに浮かび上がる。
子供たちは目を輝かせて浮かぶ土を見つめている。
憧れの魔術を目の前にしているのだから当然だろう。
魔術を実演してみせたシュペナートは、そこから説明に入る。
力ある言葉を何度も書いて覚え、実際に使ってみる。
やる事は驚くほど単純なもの。
しかし、見た事もない文字を半日間ずっと書き続け、
その上完全に覚えるとなれば相当辛い。
それを知ってか知らずか、子供たちは熱心に聞き入っていた。
「それでは、この子たちはお預かりします」
シュペナートと子供たちは家の一室に入っていく。
その場にはグアントと、手持ち無沙汰なリレックたちが残された。
宿で勇者の噂を聞いてみようと思ったが、
客がリレックたちだけではどうしようもない。
次の行動を考えて止まっているとグアントが話しかけてくる。
「私はこれから稽古をつけるんだが。やる事がないなら見物でもするかい?」
「グアントさんが師範!?」
驚いて大声を出してしまう。
初めての人にはいつも驚かれるとグアントは笑った。
昨日見た稽古場へ行ってみると、
十人くらいの奴隷たちが思い思いに格闘術の稽古をしていた。
ある程度は格闘術の心得もあるので分かるが、体操とは違う実戦的なもの。
農業奴隷に教えるような技ではない。
戦闘奴隷ですら学ぶかどうか分からない本格的な武術。
グアントがやってくると奴隷たちは手を止め、揃って朝の挨拶をする。
挨拶をにこやかに返しながらグアントは稽古場の中心に立つ。
彼の前に昨日家を案内してくれた少年が立った。
少年は首輪をしていないが、リレックはその疑問を口に出す事ができなかった。
武芸を学んだ者ならば感じるであろう、肌がひりつくような緊張感。
グアントと少年は向かい合ったまま少し離れ、同じ構えをとった。
うさん臭い紳士の顔が一瞬にして武に生きた者のそれへと変わる。
「いきます!」
少年の吠えるような宣言。同時に、一気に前へと踏み込んだ。
右の上段突き、そして左の肘打ち。更に右、左と連続の打ち込み。
一撃でも当たれば屈強な男でも悶絶して倒れるであろうそれらを、
軽々といなし受け流すグアント。
少年は攻める勢いのまま、背中をぶつけるような体当たりを繰り出す。
グアントもまったく同じ動作でぶつかった。
少年が吹き飛ぶ。グアントは微動だにしていない。
グアントが追撃を行う様子はない。
あくまで稽古であり、相手を倒すための試合ではないからだろう。
少年はすぐに体勢を立て直し、風切り音が聞こえるほど鋭く
地面を踏みしめ、再度グアントに向かっていく。
「とんでもないですね」
「そんなに凄いのか?」
二人の戦いをじっと見ているライチェが小さく呟いたので、
好奇心のままに聞いてみた。
ライチェは頭を動かす事なく、淡々と事実を言う。
「二人とも物凄いですよ、特にグアントさん。
多分、わたしが殺す気でかかっても本気すら出してくれませんよ。
そのグアントさんに受けを使わせているあの子だって、どれだけ凄いか」
故郷の村長が相手でもそんな事を言わなかったライチェに驚き、
自分が想像を絶する武術の高みを見ているのだと悟る。
二人の戦いはまるで演武のようで、それでいて命懸けの死闘のようだった。
顎を狙った少年の鋭い掌底を下から受けて弾くグアント。
そこからの動きは同時。
少年の正拳突きと、グアントの掌底。どちらも体に当たる寸前で止まった。
二人が構えを解き、静かに礼をした。
「いい技だった。皆伝だ、おめでとう」
「ありがとうございます!」
少年に一枚の紙を渡すグアント。
皆伝という言葉からして恐らくは印可状だろう。
周りの奴隷たちは口々に少年を祝福する。
「明日に備えて準備をしてきなさい。
リレックさん、この子に旅の事を話してやってほしいんだが、いいかな?」
うさん臭い紳士の顔に戻るグアント。
リレックはとっさに声を出せず、頷くだけだった。
少年と一緒に、彼が暮らしている部屋にやって来た。
六人分の寝床がある、大部屋というには少し狭い部屋。
しかし想像していた奴隷の部屋とは違い、普通の人が住むような部屋だった。
少年は荷物を纏めながら、
リレックたちに旅で気を付ける事や必要な持ち物などを聞いてくる。
首輪をつけていない事と、その言動から推測はできた。
「ここを出ていくんだな」
「はい。僕を買い戻すお金が貯まったので」
奴隷が自由を得る方法は大きく二つ。
逃亡して逃げ切るか、得た金で自身を買い戻すかだ。
買い戻しは非常に難しい。
奴隷の給金などわずかな物で、数十年かかる事も当たり前。
だから大抵の奴隷は逃亡を選ぶ。
しかし逃亡などした所で末路は暗い。
首輪をつけた白骨死体など、人の生活圏を離れれば時々見かけるという。
「グアント様は僕たちに働いた分だけちゃんと給金をくれるんです。
僕が奴隷として買われたのは五年前でしたが、
三年で買い戻せるくらいの額です」
「余分に奴隷としてここにいたのは、路銀を貯めていたからですか?」
「それもありますが、皆伝を貰うまではここにいたかったんです」
ライチェの疑問に答える少年は寂しそうに窓の外を見つめる。
その景色を刻み付けるように。
「自身を買い戻した奴隷は、この村に居る事は許されません。
グアント様が定められた法です」
元奴隷は村から必ず出ていかなければいかないし、二度と入る事も許されない。
理由はグアントから何度も説明されたという。
元奴隷が村の住人となれば必ず元々の村人との不和を生む。
グアントがどれだけ平等に扱おうとも。平等に扱おうとするからこそ。
元々の村人は、元奴隷の新参者が同じ扱いを受け、
自分たちの仕事を奪う不満を。
元奴隷は、己への憐憫を持つがゆえに
村人たちと同じ扱いしか受けられない不満を。
その果ては村を二分しての争い、そして村の滅亡。
村の責任者として村人たちを守る使命がある。
だから元奴隷は村から追い出さなければならない。争いの元を断つために。
「僕たち奴隷が買い物をしていても、酒場で一杯飲んでいても
村の人たちが普通に接してくれるのは、それが理由の一つでもあるんです。
僕たちがいつか去っていく者たちだから」
少年の話を聞いてリレックは見たものを思い出す。
文字の読み書きや数字の計算はどこでも役に立つ。
武術の心得は旅の中で身を守る術。
一人で生きるために必要な事を教えていたのだ。
少年は窓から目を離しリレックたちに向き直る。
その顔には、はっきりとした意志。
「旅の心得など、教えていただけますでしょうか」
「オレたちも大して旅してたわけじゃないんだけどな。何でも聞いてくれよ」
少年は色々な事を聞いてくる。旅の先に希望がある事を信じて。
答えられる事は全て答えた。
楽観も悲観もなく客観的な事実のみを伝えるように努力した。
「なあ、お前は何か目的や夢ってあるのか?」
ふと、少年の意志が目指すものを知りたくなったので聞いてみると、
少年は誇らしげに鍛え上げられた拳を見せた。
「僕は武の高みを見てみたい。グアント様すら見た事のない高みの果てを」
晴れやかに言うその姿に、リレックは故郷を出る時に別れた男の姿を重ねた。
準備を終えた少年と別れ稽古場に戻る。暇潰しがてら稽古に参加する事にした。
子供たちに交じって体操のような稽古をしていると、
いつの間にか子供たちと遊ぶ羽目になってしまった。
グアントはそれを笑顔で見ている。
稽古場は和気あいあいとした雰囲気で、一部を除いて厳しさとは無縁だった。
ライチェは厳しい稽古をしている者たちと組み手をしている。
実戦さながらの動きで振るわれる拳。
彼らはあの少年と同じ、武の高みを目指す者たちなのだろう。
そのまま昼食も彼らと共に食べる。
大所帯なので戦場じみた状況になるかと覚悟していたのだが、
理路整然としていて拍子抜けした。
好物を取ったり取られたり、量が多い少ないなどの文句が一切ない。
改めて、彼らは奴隷なのだと実感する。
「お昼ご飯が終わったら、リレックさんも一緒に教えてもらいましょうよ」
ライチェにつられて厳しい稽古に参加してみたが、
自分の喧嘩殺法の拙さを思い知らされるだけだった。
基礎の技からして完成度が違う。
理論、経験、実践に裏付けされた正統な格闘術。
もしこの技をリレックが習得していてライチェに教えられていたなら、
彼女はあの村長にすら勝っていたかもしれない。
そう考えると気持ちが沈んだが、
グアントはリレックの肩を優しく叩いて言った。
「君の拳と槍は、武の頂を見るためのものではないだろう? それでいいんだよ」
リレックの拳は勇者を殴った後、畑を耕す鍬を握るもの。
槍はそのための旅路を切り開くもの。
それでいいと言ってくれたグアントの言葉がありがたかった。
同時に思う。ならばグアントの拳はどうなのか。
武の高みへ至るために振るわれるものには見えないその拳は。
「それはそれとして。せっかくの機会だ、私たちがみっちり稽古をつけよう」
うさん臭い笑顔を見せながら、
弟子たち数人と一緒に筋肉を見せつけてにじり寄ってくるグアント。
ライチェは嬉しそうにわくわくしているが、
リレックはこれから起こる惨状に思考を放棄した。
その夜、グアントの私室。素質の調査を終えたシュペナートと合流する。
ぐったりしたリレックをしっかり見たのに、
見なかった事にしてグアントに報告している。
「この子に水の魔術の素質がありました。やって見せてごらん」
栗色髪の少女の前に、水の入ったコップを置くシュペナート。
「"水よ、我が意に沿うように揺蕩え。その身を天へと舞わせよ"」
少女の力ある言葉でコップの水がふわふわと宙に浮かぶ。
それを見たグアントは我が事のように喜んだ。
素質がなかった二人の子供は少し悔しそうにしていたが、
まだ火と風に可能性はある。諦めてはいないようだった。
子供たちは騒がしく部屋を出て行き、
グアントは銀貨の入った袋をシュペナートに手渡す。
「ありがとう。魔術師を目指すなら、どこか学校のようなものがあるのかい?」
「王都に魔術の研究施設があって、そこが学校にもなっているとか。
村などには魔術師の私塾も。
ただ、魔術師と言っても優秀な者から無法者まで幅広いので……」
シュペナートの説明に興味深く耳を傾けるグアント。
その姿はまるで子の進路を想う父親のようだ。
しかし、彼は決して主人と奴隷という関係を崩そうとはしない。
奴隷たちを我が子のように慈しみながら、
自身を買い戻した奴隷は村から追放する。
矛盾するような行動。しかしリレックはそれら全てに一つの情念を感じるのだ。
勇者への復讐に燃える自分と同じような、何かへの感情を。
「……さん、リレックさん、いいですよね?」
「ん? あ、ああ」
ライチェの呼ぶ声に返事だけはした。少し思考に入り込み過ぎたようだ。
上の空で何を聞かれたのか聞いていなかったが、
ライチェの提案なのでこちらに危害が及ぶ事ではないだろう。
リレックの返事に嬉しそうな顔をするライチェとグアント。
シュペナートは何とも言えない凄い顔をしている。
「そうか! それじゃ明日は君たちにもっとみっちり稽古をしよう。
一日だけだが存分に技を覚えて行ってくれ!」
「……はあ!?」
とんでもない事を言われて素っ頓狂な声が出てしまう。
ライチェは本格的な格闘術を覚えるのが楽しかったようで、
グアントに稽古をお願いしたらしい。
シュペナートの凄い顔にも納得がいった。
リレックがぐったりするほどの稽古をする事が確定したからだ。
いくら疲れていたとはいえ生返事だけは二度とするまい、
リレックはこの時初めて決心した。
翌日。有難いのかどうかは分からないが、さっそく早朝から稽古が開始された。
決して厳しくはないが真剣な指導。こちらも必然的に真剣にやらざるをえない。
体力のないシュペナートは昼を待たずして力尽き、
日陰で寝ている所を子供たちにまとわりつかれている。
今はおままごとに巻き込まれており、舞台の大道具と化していた。
余所事を考えていると、重い風切り音と共に襲い来る鉄の腕。身を引いて躱す。
リレックはライチェと軽い組み手をしている。
稽古で覚えた技を試してみるためだ。
かつてリレックが教えた格闘術は、
加減を知らないライチェが人を殺めないように教えた最低限のもの。
しかし今対峙しているライチェが使うのは、武の頂に挑む者たちが使う技だ。
打ち込む隙が見当たらない。冷や汗すら流れた。
当のライチェは本当に楽しそうにしていて、
リレックと一緒に遊んでいるような感覚なのだろう。
前に出て、右で顔を狙う。
あっさりと鉄の左腕にからめとられて体勢を崩し、右頬をつつかれた。
「うふふー」
笑顔で勝ち誇るライチェ。正直な所、槍を使っても勝てる気がしない。
これほどまでに強い魔導人形と、大地を自在に操る魔術師。
何もかもが劣る自分になぜ力を貸してくれるのか。
そんな疑問さえ生まれてしまう。
リレックには返せるような物など何もないのに。
「リレックさん、痛かったですか!? 力加減がおかしかったですか!?」
難しい顔をしているリレックを心配して慌てるライチェ。
その様子になぜか安堵して、大丈夫だと頭を撫でた。
そんなリレックに、懇切丁寧に動きを指導してくれる奴隷、弟子の一人。
彼は何処かの村で稽古場を作り師範になるのが夢なのだという。
分かりやすく丁寧な指導を受け、いい師範になりそうだと思った。
そんな中、稽古場に奴隷の一人が走りこんでくる。
息も絶え絶えで相当焦っているのが伝わる。
「グアント様! 何か変な連中が、我々を、玄関で、その……」
「お前たちはここにいなさい。私が行こう」
要領を得ない奴隷の説明を遮り、すぐに駆け出していくグアント。
奴隷たちはその言葉に従いいつも通りの稽古を再開する。
リレックもそうするべきなのだろうが、
やはり何があったのか気になってしまう。
「せっかく教えてくれているのに悪い、
何があったのか気になるんだ。オレも行ってみる」
「それじゃ、急いでグアントさんを追いましょう。シュペさーん!」
声をかけるライチェに対して、子供たちを退かせて起き上がるシュペナート。
リレックたちの様子を見て、
指導してくれていた奴隷は少し羨ましそうに微笑んだ。
後先を考えず動ける無鉄砲さにか、
即座に自分の意志通りに動ける決断になのか。
リレックに微笑みの意味は分からなかった。




