序章1
甲高い悲鳴が響くと戦場には静寂が訪れた。
それはこの撤退戦が失敗したということを表していた。
生き延びるため必死に走っていた俺は立ちすくんだ。撃たれた足を無理やり引きずりながら、冬の雨に濡れた昼間の森で歩みを止める。必死に逃げていたが、その努力は報われない。
「クソったれ……クソったれがっ……! 何が撤退戦だっ! 殿を務めろだっ! 死んで来いと言ってるようなもんだろうが!! 仲間はみんな死んだんだぞっ! ふざけるなっ! ふざけるなぁっ!!」
ふつふつと沸き上がる怒りと焦燥感に囚われ発狂寸前になった。しかし、寸でのところでそれは回避される。こんなところで大声を上げればどうなるか、火を見るよりも明らかだ。
それでも抑えがたい衝動は捌け口を求める。近くの木を拳で何度も、何度も、何度も殴りつけた。
そんな時だった。ノイズの走った音声が通信機から聞こえてきた。よくよく見れば、全部隊に向けてだった。
『……繰り返す。身長は150ほどで淡い水色の髪をした少女を現在捜索中。彼女にはスパイ容疑が掛かっている。発見次第射殺しろ。逃走を補助したとされる者や接触者がいた場合も同様だ。繰り返す……』
壊れて受信しかできない通信機はそんなことを言っていた。全くもって意味不明な命令。
「こんな状況でそんな命令ができるわけないだろうがっ……! ふざけているのかっ……!」
呪詛を込めた声でそう言い放つ。
死にたくない。生き延びたい。
しかし、もう打つ手がない。武器も無ければ逃げることもままならない。こんな状態で一体何ができると言うのか。
様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合いながら、殴りつけていた木の幹に頭突きをかます。
何とか冷静さを保つための頭突きだった。だが、逆効果だった。額から血が流れると同時に奇妙な光景が目の前に広がる。それは幼少期の頃の記憶だった。
走馬灯だと悟ると必死に振り払おうと頭を左右に振った。
体が死を受け入れたというのか。そんなこと絶対に認めない。
何としても振り払ってやると意気込む。だが、結局それは止められなかった。
長男として生を受け両親と共に野原を駆け巡った記憶。五歳の頃に妹が生まれた時の記憶。忙しくも楽しい日々だった幼少期だ。だがそれは決して長くなかった。
両親が戦争で犠牲になった記憶。残された幼い妹のため、必死に食いつないできた苦渋の生活。生活費のために軍隊に入った記憶。
軍での人間関係が決して良くなかった俺に、数少ない便宜を図ってくれた上官。ダイア徽章を手に入れるまで苦楽を共にした相方。部隊で最年少だった俺を可愛がってくれた部隊の皆とその死に様。
そう思うと、両親より先に妹が思い出された。幼い妹の親代わりとして身を粉にしてきたからか。しかし、妹はもういない。軍に入ってすぐに戦争に巻き込まれて死んだ。それなのに俺はどうしてここまで来たのか。俺は妹の最期を――。
ドスッ。
そんな時だった。何かがぶつかってきた。突然の出来事に一瞬だけ思考が止まってしまい、走馬灯もそこで途切れる。そんな状況でも、俺の体はぶつかった何かを瞬時に人であると判別した。そして、数多もの訓練で培った格闘術が反射的に働きそれを拘束する。
咄嗟の行動で頭が回らないが、一体何なんだ?
「や、やめて……。離して……」
俺にぶつかってきた誰か、それは少女だった。十代半ばくらいで淡い水色の髪の毛は肩に付くくらいの長さ。迷彩服を着てはいるが正規のものではない。彼女の背後に回って両腕を拘束しているため顔は一瞬しか見ていないが、少女特有の幼さがわずかに残っていた。
その瞬間、先ほどの意味不明な命令が思い出された。
射殺命令が下されている淡い水色の髪の少女……。
まさか、こいつが……。
「……嘘だろ」
「いやぁっ! 離し――」
彼女はじたばたしながら悲鳴を上げようと息を吸い込んだ。
こんな状況で声なんか上げられて堪るものか。少女に悲鳴を出させないよう拘束の仕方を変える。そして、強引に口を塞いだ。声をできる限り抑え言い放つ。
「声を上げるな! 死にたいのか! とにかく落ち着けっ!」
その後も彼女は何度も拘束を振りほどこうともがく。しかし、体格差は歴然。しばらくすると疲れたのか、抵抗する様子を見せなくなった。
ほんの少しの間だったが、俺と少女を落ち着かせるには十分だった。
しかし、いつ暴れられるか分からない。拘束は維持したまま塞いでいた口だけを解放する。
「落ち着いたか?」
「うん……」
「あんたは何者だ」
「私は……一応は軍の関係者……のようなもの」
自覚はあるようだが、自分が追われている立場を知っているのか?
しかし、まさかあの命令が本当だったとは。
下された命令は遂行する。それが兵士の役目。そうは言っても、彼女を殺して軍に戻るだけの余力がない俺にとって命令に従う意義は薄い。
接触者も同様に射殺とのことだったが、そんなことができる人間などどこにもいない。トリトン軍はすぐそこまで迫っている。進んでも退いても死ぬ俺が、本当に彼女を殺す意味はあるのか?
不思議だ。何故彼女がそのような目に合っているのか興味がわいてきた。
「軍の関係者、か。あんたに射殺命令が下っているのは知っているか?」
「……やっぱりそうなるんだ」
諦めたような素振りだが、それは自らの罪を認めたという口調ではなかった。
彼女の存在はあまりにも異様だ。スパイはほぼありえない。彼女は一体何者なのか。場違いであるのは分かっていたが好奇心は膨らむ一方だった。
彼女はややしわがれた声で続けた。
「あなたも私を殺すんでしょう? 敵に鹵獲されるのを防ぐために」
鹵獲? 何を言っているんだ……。だが、軍の命令を考えると何かがおかしい。俺の知らない何かを彼女は知っているのか?
「もう一度聞く。あんたは何者だ」
「私は……兵器よ」
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