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魔法杖職人のすごしかた  作者: 夏みのる/もく
一章「聖女殺しの公爵令嬢」編
33/51

33 異変



 これまで父親が管理する魔力制御の仮面が壊れたことは一度もない。


 念入りに交換を繰り返し、完全な状態のものをアナスタシアは受け取っていたのだ。


 かりにも王国魔法師団の総帥であるヴァンベール公爵が、ほころびを残し、それを見落とすなんてことは考えにくい。

 このラクトリシアで数多くの魔法師の上に立ち権威を振るっているのが、アナスタシアの父親である。


 父親の立場を前にすれば、仮面が完全ではなかったということは冒涜になってしまうのかもしれない。


 ――けれど、こうして仮面が地面に転がっていた。

 それはまぎれもない、事実なのである。



「…………」


 人は驚きが大きくなりすぎると、放心してしまうらしい。

 素顔を晒しているアナスタシアは、いち早く仮面を手に取り顔を隠さなければいけなかった。


 しかし、放心してしまってそれすらできない。

 もう、十年になる。

 人前で顔を覆い隠して、十年。


 それが今、帝国人のディートヘルムに真正面からはっきりと見られてしまっている。

 一体彼はどんな顔をして、どんな目で自分を見ているのだろう。

 不安と恐怖がアナスタシアの感情を揺さぶり、落ち着かなさで動悸が激しくなった。


(仮面、すぐに仮面をっ)


 逃げるように地面の仮面を取ろうと体勢を低くしようとしたアナスタシアだったが、それよりもいち早くディートヘルムの声が耳をかすめる。


「涙が、止まらないな」


 優しげな微笑みに、アナスタシアは眩しく感じて瞳を細めた。

 すると、さらに涙が溢れ出てくる。


(わ、うわ……もう、なにこれ)


 顔を見られ、どういうわけか涙も止まらず、アナスタシアは軽く混乱していた。

 そんな様子のアナスタシアに、ディートヘルムは片手をそうっと近づける。


「はは。鼻、垂れてる」

「わっ」

「ハンカチがあれば格好もついたんだが、こんなやり方ですまない」


 ローブ下から現れた腕の袖でアナスタシアの顔を軽く拭ったディートヘルムは、おかしそうに笑みを浮かべる。

 恐ろしく高級そうな生地が使用されたディートヘルムの衣服の袖が、自分の涙やら鼻水やらで濡れていく光景に、アナスタシアは声をあげた。


「なにしてるの!? 汚いし、き、汚いから!」

「二回言った」

「笑っている場合じゃなくて……っ」

「涙はとまったみたいでよかった」


 ディートヘルムの言葉に、アナスタシアははっとする。

 先ほどまで湯水のように流れ続けていた涙が、この一瞬のやり取りに気を取られているうちに止まっていた。


「ちょっとは、落ち着いたな」

「…………私、その」


 彼の言うとおり少しは落ち着いた。

 まるで一種の魔法みたいだと思いながらアナスタシアは落とした仮面を拾い上げる。


(どうして留め具が壊れているんだろう。つけるときはなんともなかったはずなのに。こんな不自然に……)


 そんなアナスタシアの視界にルルが現れた。

 きらきらと光るルルは、視界が明るくなったアナスタシアの目と鼻の先でくるくると飛び回っている。


 まるでアナスタシアがこうなることを、待ち望んでいたように――


(さすがにそれは、考えすぎかな。ルルは光を灯せても物を壊したりすることはできないんだから)


 ルルはふわふわとディートヘルムのほうへ飛んでいく。

 彼と道筋で繋がった精霊たちも、アナスタシアに視線を向けられると嬉しそうに強弱をつけて浮いていた。


(……顔、すごく落ち着かないけど。でも、)


 想像よりもずっと、晴れやかな心地でいることにアナスタシアは驚きを隠せなかった。

 おそらくそれは、今までかけられたことのない言葉を、他でもない彼がかけてくれたから。


『悲しんだっていい。泣いたっていい。君の悲しみを許さない者がいるというなら、俺がそれを許しはしない』


 本当は、純粋に母を想いたかった。

 母の死に胸を痛め、祈りを捧げ、どうか安らかであるようにと願いたかった。


 ディートヘルムの言葉は、これまで本心を閉じ込めていたアナスタシアの奥底を軽々とすくい上げてくれたのだ。


(だけど、これから)


 そう考え、すぐにアナスタシアの気持ちはずんと重くなる。

 どんなに心境の変化が訪れようとも、これからの自分の行く末は変わらない。

 明日になればアナスタシアは、この王都を離れなくてはいけないのだ。

 

(もう、私の発言で混乱は招きたくない。お母様が愛したこの国で、これ以上のことは……なにも起こしたくない)


 アナスタシアは頭巾の端を両手できゅっと掴むと、顔を俯かせた。

 実のところ、どうすればいいのか、アナスタシアもわけがわからなくなっていたのだ。


 このまま自分が罪人のまま姿を消せば、民の意識は変わらず今までの日常が続いていく。

 アナスタシアもそれを一番に望む反面、ふとディートヘルムの言葉が頭によぎる。


(私は、本当は、どうしたいんだろう)


 ――その時だった。

 アナスタシアの全身に、今まで感じたことのない凄まじい悪寒が走った。


「っ、なんだ、これは」


 ディートヘルムも似たものを感じとったようで、アナスタシアは彼と同じくある方向に視線を定める。


「あれは……なに?」


 呆然と、口が空いてしまう。

 アナスタシアの目に映ったのは、黒い靄がまとわりつくように漂う王城だった。

 いつも光を浴びて神々しく荘厳に佇んでいた、ラクトリシアの象徴。


 だが、どういうことなのだろう。

 たった一瞬でなにがあったのか。

 今は見る影もなく、禍々しい靄に包まれ、そこにあった。



「……ルムっ、まずいことになったぞ!」


 王城の有り様にただ事ではない空気を感じていたアナスタシアは、こちらに駆けてくるバーンの姿に我に返った。


 条件反射で顔を逸らしてしまうアナスタシアだったが、そんな仕草に目もくれずバーンは鬼気迫る様子で言い放つ。


「――聖女の魔法杖が、崩れはじめている。そこから穢れが漏れ出て、あてられた城の人間の半数が意識不明の重体だ」

 


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