第9話 牧場の仕事
ドンフィルド老人が俺を次に連れて行ったのは、あの石造りの蔵だ。
中に入ると両側に大きな鉄格子が見える。左側に何かの気配がした。
それは一見黒い体毛がヒョウのようだが、体はすっとして細く、杖のような四つ足を畳んで薄暗い檻の中にうずくまっている。鼻は狐のように長く、髭のあたりから頬にかけて灰色の毛がびっしりと生えている。体毛は黒くて短く、背骨の線に沿うように模様が入っている。
「二週ほど前にな、茂みの中にこれがぶっ倒れてるのを見つけての。見過ごすわけにもいかんからここに入れて世話をしてたんじゃ。元気になったのはいいんだが、今度は返って出そうにも出せんくなってもうたわい。わしにせよ家畜にせよ殺されたらかなわんからのう」
生肉を放り込みながら言うドンフィルド老人。
「これはティクレというてな、この国じゃあ知らぬものはいない魔獣よ。森の中をずうっと歩き回っては侵入者がないように見張る。肉食だが食うのは他の魔獣や動物の死骸だけじゃ。森を守っておるんじゃな。だからこの国では神の使いとして祀られておる……助けたばかりに家畜を一頭屠る羽目になったわ」
ドンフィルド老人は狭い廊下を通って厩舎を出て行く。
ここのムスカトゥールたちは乳をとるために飼われているらしい。俺はドンフィールド老人に指示されるままバケツを手に取り乳しぼりをやらされた。俺の頭ほどの高さにある乳房に、ぶら下がるようにして絞ると、栓を開けたように乳がバケツに発射される。色はちょっと紫がかっているというか、道路にかかったオイルに浮き出る虹色に近い色彩を帯びている。
家の地下には貯蔵庫があって、かなりの量のチーズが並んでいた。丸いのもあれば、四角いのとか、形はいろいろ。いくつかは冬季のために取っておくけど、大半は売り物だという事だ。
そんなこんなで日はすぐに暮れた。
家の裏手にある畑から野菜を収穫してきて、木の実と一緒にスープにする。もちろん例の虫入り野菜も栽培されていた。ちょうど暑くなってきて収穫が始まっているらしい。
俺はあてがわれた屋根裏部屋でベッドに横になった。
手足の力が自然に抜けていく。瞼が落ちるまでの、ほんの数秒の間俺は心地よい気分に身をゆだねる。
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転生22日目
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虫のさざめきに意識をより戻されて、俺は目を開けた。
木窓から朝日が差し込んでいる。もう早起きにも適応してしまった。人間とは慣れる動物だと誰が言ったんだっけか。
朝いちばんに畑に行って様子を見る。土が乾いていたので、川から水を汲んできて撒いた。山の中に湧き水がでるところがあって、飲み水はそこで手に入る。
そしてムスカトゥールの世話をしにいく。水をやって、体が汚れていたら柔らかい繊維の箒で掃除してやる(これがまあ大変だ。あの大きさだから)。子供が乳を飲み終わったのを見測って絞らせてもらう。
ドンフィルド老人は週に1度やってくる飼料売りから干し草を買っている。それというのもドンフィルド牧場の放牧地は山の向こう側まで続いているのだが、ドンフィルド老人にはもうそれほど移動する体力がないのだ。
「それに森には魔物がいる。魔獣よりずっと凶暴で容赦がない。木の実を取りに行く時も、くれぐれも気をつけることじゃ」
彼は沈んだ顔をしてそう言った。
採れた乳はその日のうちにチーズ、もしくはバターにするのだがこれがかなりの重労働。スライムの池にもいく。やることはあまりなくて、ドンフィルド老人は水路が詰まっていないか確認したら、あとは花さえ入れておけばいいと言っていた。
畑の野菜だけだと足りなくなるから、森の中に木の実、きのこ、山菜なんかを拾いに行く。昔は狩りもしていたらしいが、あの年ではもうその体力もないんだろう。俺もやり方なんてわからないし。
あとは鳥小屋を掃除して、もう一度ムスカトゥールの様子を見に行ったころには、空が茜色に染まっていた。
いつものようにスープを作って、食卓でたわいない話をしながら飲む。後はパン。基本は毎日それだけ。
そうして気づいたときには俺はまた屋根裏のベッドの上でまどろみに浸っていた。それでいてなんだか落ち着いていて、一日がとても早く過ぎる。不思議な安心感がこの場所にはあるようだ。