第7話 牧場の話
転生11日目
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いつもどおりの日差しの強い午後。
凱旋式が終わり、あの王女と彼女の軍隊はこの都市を去った。祭りの残り香を感じながら、人々は少しずつ日常に戻っていく。
俺はいつも通り買ってきた食材を、調理場に運びこんでいる。
昼過ぎから夕方になるまでのこの時間帯は、一日のうちで多少お客さんが少くなる時間帯で、仕事に慣れてきたこともあってか暇を見つけては短い休憩を取れるようになった。
食材をしまい終わり調理場から出ると、壁際の席でイシが常連の一人と話し込んでいた。
俺は二人に酒を注いで持っていく。
「お、ありがとう。トーリ」
40代くらいの男性。毎日来るような常連なら、もう大体俺のことは覚えてくれている。良い意味でか悪い意味でかは別として。どうせ大した話をすることはない。
俺は自分の酒を置いて、隣の席に座る。樽に満杯のあの安酒は本当に安いらしく、勝手に飲んでもいいのだ。
聞く気はないのだが、混みあっていない限りどこにいても話し声は聞こえてしまうし、なによりこの食堂にくる人たちは概して声がでかい。必然的にいろんな世間話が耳に入ることになる。
「町の張り紙やら軍の支給品やら戦争があればあるほど製紙業は大忙しなんじゃないのか、ガハハ」
「だったら昼間からこんなところにいるわけがないでしょう、全く、ハハハ」
この人もほとんど毎日訪れる。この辺は出版屋や仕立て屋が多くあるようで、その関係の業界人の常連は多い。緑のコート(流行りらしい)に紺のパンツ、径の大きな眼鏡を胸にさげている。目元まで伸ばした明るめの茶髪を横に流しており、少し小さいタレ目で優しそうな印象を受ける。
「おかげ様で何とかやっていけてはいますがね。妻もだいぶ新居に慣れてきたようです」
「おお、そういえば引っ越したんだったな。親父さんも呼んで一緒に暮らすのかい?」
「いやぁ、親父は田舎が生きがいですからね。縄を付けたってこっちには来ませんよ」
イシが大きく笑う。
「相変わらずだなぁ、親父さん。たまに会いたいもんだけどな」
「もう歳だと思うんですけどね。家畜全部を世話するのはかなり辛いみたいです。……体を壊さなきゃいいけど」
「誰か雇えばいいじゃないか。畜産物は卸してるんだろう?」
「人を雇えるような利益とても出ちゃいないですよ。それどころか損してるんじゃないですかね。あれは親父の趣味みたいなものだから」
「そうかぁ。そりゃあ大変だなぁ」
顔をしかめてうなずくイシ。
なるほどなあ。俺はそう心の中で呟いて、酒をあおる。
やっぱ薄いな、これ。そう思いつつ、俺は隣の席の沈黙がやたら長いのに気付いた。
横目で見ると、こちらを凝視するイシと目が合ってしまった。
慌てて目をそらす。
「トーリ、おまえ……魔獣、とか、好きか?」
どんな質問だよそれ!……いやそりゃさ、魔獣が好きかって聞かれたら嫌いとは言えない……けど。
「好きではないですね」
できる限りの冷たい声音でそう答える。
「でもお前、買い出しのときいないと思ったら他人のムスカトゥールを撫でて遊んでるよな」
いや、それは一回だけだろ! ちょっと触ってみたかっただけだし! 怖いとは普通に思ってたし! でも、そりゃ見たこともなかったんだから一回くらい触ってみたいだろ、って声出てないぞ俺!
「まじで興味ないか? そういえばお前、凱旋式の時たいそう目を輝かしてスコッティのこと見てたっけなぁ」
そりゃあ……あれはかっけえだろ……でもそれを飼うってのは話が違う! このおっさん明らかに俺をその頑固じいさんのところに送ろうとしてる!
「牧場はすげえぞ? お前スライムとか見たことあるか? こいつの親父さんの牧場にはそれは仰山いるんだなぁ。ボワスライムとか」
ボワスライム?! 普通のスライムと違うのか? ってかこの世界スライムいるの?!!
「まあスライムは大人しいけどなぁ。やばいのでいったら、何がいるんだっけか?」
「うーん、一時ドラゴンがいたこともありましたけど」
ド・ド・ド・ド――。
「なあ、興味出てきただろう?」
イシが悪い笑みを浮かべている。ただその笑いには無邪気さだけではない計算が含まれていて、それがスライムの話に興奮しかけていた俺を冷めさせた。
確かにイシとしては悪くない話だ。この機会に厄介払いできるかもしれないから。俺が働いて作業はかなり担っているが、しかしある意味でイシの負担は増えている。となれば、俺としてもいつまでもここにいるわけにはいかないし。
「ハハハハ、冗談はやめてくださいよ、シュラムさん。さっき人を雇うお金なんてないって言ったじゃないですか。それに第一彼はここで働いてるんだから」
お客さんが笑いながら言う。
「いや、俺は本気だぜ、ペイエ。親父さんには借りがいくつもあるんだ。一つくらい返させてくれ。だから、こいつの給料は俺が持つ。こいつ見た目は痩せっぽっちだが大した働き者だよ。親父さんの負担も少しは軽くなる」
「いやあ、ご好意はありがたいですけれど……まあ俺も仕事が忙しくて手伝う余裕はないし。でも無理やり連れていくわけにいかないでしょう。」
「まあ、そりゃあ道理だな。どうなんだ?」
どうなんだって、いきなり聞かれてもな……。
「その、お父さんはどうなんです? 僕らだけで決めてもしょうがないでしょう。それに僕なんかが行って迷惑じゃないんですか?」
そう言われて、ペイエの顔が一瞬曇るが、彼はすぐに興奮気味の口調を取り戻して、
「そうだね……確かにトーリはよそ者だが、親父はあまりそういうことを気にするタイプじゃない。自分の村を飛び出して国中を放浪してたような人間だからね。……むしろトーリのほうが上手くやれるかもしれないね。そうか! 予定が空いたから時間をつぶしに来ただけなのに、こんな展開になるとはね! なあに、親父は絶対に喜ぶさ。ああ見えてすごく世話焼きなんだ」
おい、ちょっと待て。行くとは言ってねえぞ!
「じゃあ行ってみるか?」
イシが食い気味に聞いてくる。こうなると行かないと言っても、それはそれで問題だな……。話によればその親父さんは少なくともここの人たちよりは寛容なのかもしれない。牧場なら一人の時間も増えるだろう。イシも俺に行って欲しいらしい。気持ちは分かる。……しかし半ばやぶれかぶれだな、くそ。
「じゃあ、行ってみますよ。そのお父さんがいいと言うなら」
3日後に迎えに来るからそれまでに用意をしておいてくれと嬉しそうに言い残し、イシになんどもお礼を言いながら、ペイエは帰っていった。