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第3話 渡りに船

 俺は力を振り絞って立ち上がり、息を止めて叩きつける雨の中にもどった。途端に雨音が耳元で鳴り響く。俺は昼間見た教会のような建物を思い描いていた。都市の中心地にあり、石造りの重厚な三角屋根。その高さの半分ほどもある細長いステンドグラス状の窓が何本も入っていて、勇ましい巨大な半裸の彫像が壁に埋め込まれるように配置されていた。


 雨にたたきつけられながら、どのくらい歩いたか。灯火に照らされた正面玄関の前に立った。俺は躊躇なく扉を開けた。


「でか」


 と呟いてみたものの、ほとんど真っ暗でどこに壁があるのかも分からない。おそらくホールのような場所で、ところどころ置かれたテーブルの蝋燭が道しるべになっている。そしてずっと奥に、息の詰まる洞窟に刺す光のような一群の蝋燭が見えた。


 気づけば俺はその集まりの前に立っていた。食事をする人々。並べられたベンチや床の上に座っている。それぞれの手元がようやく見える程度の蝋燭がそこかしこに置かれ、合わさって全体を照らしている。腰の曲がった男性。子連れの母親、グループになって床に座る少年たち。50人くらいはいるんだろうか。外から教会内に弱弱しく鳴り響く土砂降りが、不幸の呪いでも浴びせたかのように、立っているのも苦しくなるような空気が彼らの表情を埋めていた。


 そしてそのさらに奥に、二つの人の影。木箱を何個か転がしただけの簡易的なテーブルに食器を並べ、立ち並ぶ人々に食事を配っている。俺は列の一番後ろについた。舌が引っ込んでいく喉元を手で抑える。


 これ配給券とかいらないですよね? さすがにこの空気で前の奴に聞く度胸ないし……。


 配膳は好調なようで、すぐに俺の順番が来た。幸いなんの確認もなく、器とスプーンを渡される。一枚着に身を包んだ女性。多分修道女だろう。木箱の上には器のほかに、外にあるのと同じ肖像が置かれていた。


 俺の隣には背の曲がった老人。暗闇の中、すべてが不気味で悪魔の取引に参加しているかのようだ。隣から液体が落ちる時の独特の音が響く。そして俺は一歩進んだ。木箱越しに立つ、ちょっと背が高い男。そして見上げる俺。彼はどんな顔をしているんだろうか。俺は空腹に耐えかねて床に置かれた大ぶりの鍋を覗き込んだ。

 自分の番がやってくる。配膳係の男がレードルを鍋に沈める。おそらく大した味付けもされていないだろうが、そんなことはお構いなしだ。早くくれ。


 モルタルのような粥を注いで貰った後、俺は何だか悪い気がして、俺は少し他の人たちからは離れた場所に座った。蝋燭の光も弱く、暗闇に一人、考えこんでいるうちに、意識が夢の中に溶けだしたかのように、深い眠りについた。


転生2日目


所持金: 0G 0S 0B


 田舎へ一度、星空を観に行ったな。その時はただ綺麗だなと思った。随分後になってそのことを思い出し、あれほど美しい景色があるのに、街灯の単調な光でそれを打ち消すなんて馬鹿げていると思った。頭上にあるのは、あの時のような星空。でももっと光り輝いて、星たちが生き生きとしているような気がする。夜のプールのように底知れない無限の深さがありながら、子供が塗りたくっただけの絵のように平板でもある。夜の青さの中で、星たちは踊りはじめ、魚の群れのように空の上を泳ぎはじめた。ある瞬間には形を成し、またある瞬間に崩れながら、ただ煌々とした集まりが、地上に降りてくるのを見た。星たちの向かう先に、何かがいる。まるで瞬間移動のように、気づけば俺はそれの目の前に立っている。涙が頬を伝うのを感じた。その顔は前に見たことがあるような気がした。でもそこには、ただ醜さしか残っていないようだった。


「行くな!」


 誰の声だ?……何かが体に食い込んでくる! 痛い、痛いよ……。解放、息の根を止める焦り、襲い掛かる恐怖、瞬く間に訪れる絶望と静けさ、そして怒り。燃え上がるような……。殺す……殺してやる――。


 青磁色の景色。川に流されるかのように、西から東へ人々が波打って流れていく。先に上る太陽が見える。そして誰かが手を差し伸べて招いている。まるで乗り遅れた者たちを救い出すように。待ってくれ。俺も連れて行って……。


「あ……」


 目を覚ました時、頭上には教会の天井画が広がっていた。青緑色に塗られた、何かを求めて集まる人々、彼らを迎え入れる光に包まれた男。夜中は覆い隠されていた美しい物語。


 ホールには誰も残っていなかった。昨日のことを少し夢のように感じながら、俺は教会を出た。まだ早朝だ。光の差しかけた町。朝霧の匂い。町の中心部は石畳で舗装されており、蹄の当たる音がパカパカと聞こえてくる。


 不思議と悲壮な感情は上ってこない。ただこのままだと本当に死ぬんじゃないかという予感が、頭の裏側で燻っている。しばらく歩くと、また比較的広い通りに出た。両側にレンガ造りの建物が並んでいる。どの家も一階は扉のないアーチ状の玄関。中には、山積みにされた布、革製品、それに鎧、大袋の小麦粉か何か……商店街かな。町ゆく人々の奇異の目をありありと感じる。肌の色は様々みたいだが、俺のようにやつれている者はいない。俺は道のわきを縮こまって歩き続けた。


 もう辺りも暗くなってきたとき、


「よう、兄ちゃん」


 建物の影からの声が、俺を呼び止めた。


「昨日の今日でその恰好かよ」


 男の声に敵意はない。


「あんたの顔は忘れようがないからな」


 筋骨隆々の腕。看板に手がかかるほどの長身。タブタブのズボンに革のエプロン。口元が髭で覆われているが、こいつ……もしかして――


「教会で会ったろ。覚えてないか?」


 配膳係の男か。


「相変わらず困ってるらしいな。まあ、無理もないが」


 彼は編みカゴを抱えて、荷車の上に載せた。


「仕事欲しくないか? 報酬は現物支給だが。ハハ」


彼はその細い路地の奥に入っていった。どう考えてもろくな目に遭いそうにない。ただ無心で彼について行くと、途端、真っ暗だった路地の奥に強い光がバッと灯る。路地はその中央で大きく幅が広がり、ちょっとした広場のようになっている。ガラスに入った炎の渦のような物が空中に浮いていて、暗闇に包まれた町の、この一角だけを昼間のように照らしていた。


 その周りに30か40人くらいの子供たちがいる。床に座っている子、壊れたブロックの上にバランスをとって立っている子、高く積まれた木箱に座っている子。


「じゃ、仕事だ。おい、兄ちゃん、パンを配ってやってくれ」


 配膳係の男は荷車に積んだカゴから筒状のパンを次々と取り出し、極厚のパンケーキサイズに輪切りにして、こちらに渡してくる。


「はやくしろよー!」


 集まって来た子供たちがぼやく。俺がパンをあげようとすると、


「肉がねえじゃん! 食えるかよ!」


「その鍋ん中だ」

 

 配膳係からの指示。カゴと隣り合って積まれている鍋。開けると、オイル漬けの薄切り肉が円状に重ねられて入っている。バラ肉だろうか、随分脂身が多い。


「一人一枚だぞー」


 投げ渡されたトングで、パンにのせて差し出すと、我先にと分捕っていく子供たち。日本で言えば超ハード系のパンで、肉も薄切りでお好み焼きならクレームがつくレベルだが、彼らは気にもせずがっついている。


 全員に渡ると、先ほどまでが異様に静かだったのに気付くほど活気が出てきた。口いっぱいに頬張りながらもふざけ合って走り回っている。ただ、高く積んだ木箱の上に座っている男の子はさっきから微動だにしていない。


「こいつ変な顔してるぞ! ぺったんこだ! ぺったんこ! がはははは」


 くりくりの坊主頭が俺を指さして笑う。失礼な……。食事がひと段落し、子供たちがまた集まって来た。


「なんでそんな顔してるんだ?」


「なんでって……」


「どっから来たんだよ? 外国か?!」


 ストレートヘアを横に流した茶髪の子が目を光らせてそう言う。


「そう、外国だよ」


 何か良い言い訳ないかな。


「外国ってどこだよ!?」


 ――直球。狼狽する俺に配膳係が助け舟を出す。


「お前ら大人を問い詰めるんじゃない!」


「まだ肉あるじゃん!」


 怒声もどこ吹く風で子供たちの視線は残った肉に集まる。


「お前も食え!」


 茶髪の子が素手でパンに一枚のせ、俺に突き出す。


「いや、俺は――」


「いいんだ。受け取れ」


 配膳係の男が笑う。


「現物支給って言っただろ?」


 そういうことならと、俺は空腹を隠すのをやめ、パンを二つに手折ってかぶりついた。肉の存在はほとんど感じないほどだが、脂が塩気をパンに染み渡らせている。思ったほどパサついてもない。……うまいな。


 子供たちが解散した後、言われるまま荷車を引き、彼について行くと、軒先で待っていた女性が心配げな声で言った。


「みんな元気だった?」



「おうよ、おうよ。元気すぎてこっちが疲れるわ」


 配膳係の男は家に入りながらそう返す。俺も荷車を停めて続く。彼は俺を壁際の長椅子に座らせた。


「ありがとうございます」


 よく見ると、中はかなり広い造りで、L字型に長テーブルが二つ置かれ、壁に沿ってさらにテーブルがいくつも置かれていた。奥はカウンターになっていて、なにかいい匂いがする。壁にはポスターや額がかかっている。


「あら、どなた?」


 女性が戸口に立ったままそう言った。薄い緑の一枚着に長い黒っぽい茶髪を後ろに流している。


「今日配るのを手伝ってくれたんだよ。偶然会ってな」


「偶然?」


 彼女は眉をひそめながらも笑う。なかなかの美人。この人――。

 

「そう。で、どこの出身なの?」


 彼女が早足で寄ってきて聞くものだから、俺は仰け反ってしまった。またこのやり取りかよ。


「えっと、よその町です。ここには来たばかりで、えっと旦那……さんには教会でも助けてもらいまして」


「あら、教会でも? よその町ね。ふーん……そう」


 俺から最後まで視線を離さずに、しかし彼女は配膳係のほうへ向き直った。


「人助けなんて偉いじゃない」


「だろ? へへへ」


 照れ笑い。


「じゃあなに、旅をしてるの? お友達とはぐれたとか? この町で何してるの?」


 スッとこちらに向き直ったと思ったら質問攻め。


「それは、つまり……なんて言ったらいいかな」


 この手の質問ばかりでもう飽き飽きなのだが、かといって回答は見つからない。


「身寄りがないの?」


 単刀直入だな。


「まあ、そうとも言えるけど……人生が違ってるというか……つまり例えれば記憶が違うというかないというか」


「記憶がない?! 兄ちゃん記憶がないんか?! おい! リフェ! この人記憶を失っとるちゅうぞ!」


 配膳係が割り込んできて大声で叫ぶ。ないわけではないんだが……しかし何も知らないという意味ではそう言うほかにない。


「何それ! 超面白いじゃない!」


 リフェと呼ばれた女性が手を叩いて、嬉々とした声で言う。人が困ってるのを面白がらないでくれ……。


「面白いってのはどうなんだ。大変だぞ、記憶が無かったら」


 そうそう、って信じるのかよ!


「本当に記憶がないの?」


 当然だよな。ただリフェの口調は快活だ。なんとかうまいこと説明できないもんだろうか。本当のことを言っても無駄なのは分かりきっているしな……。


「そうですね、えっと、俺はすごく遠い場所で生まれました。そこでの記憶はあります。でもここでの記憶がないんです。……つまり、どうやってきたかもわからないし、自分が何をしていたかも」


「そりゃあ妙な話だなぁ。生まれ故郷はなんていうところなんだい?」


「ニホンと呼ばれています」


「ニホンねぇ。聞いたことねえなあ。おっさんはな、この町のはずれにあるレコ村の出身なんだが知ってるか?」


 俺は首を振る。


 おっさんは顎に手を当てて考えている。俺だって記憶がありませんなんて言われてもそうそう信じない。


「記憶がないとして、お前さんこれからどうするつもりだい?」


 痛いところを突かれた。というかそれが唯一にして最大の問題だ。


「どうすればいいのか……見当もつかなくて」


「困ったもんだなぁ」


「しばらく家に泊めてあげればいいじゃない、イシ」


 リフェが言うと、おっさん、イシは慌ててリフェのほうを振り向いた。


「ちょ、そういうわけにはいかないよ! 見も知らぬ人間を止めるなんて」


「なんで? 一緒に子供たちのところへ行ってきたんでしょう? あなただってちょうど忙しくなってきたから働き手がほしいなーなんていってじゃないの。泊める代わりに働いてもらえばいいのよ」


 リフェの視線は「あら、できないの?」とでも言わんばりに挑発的だ。こちらに一瞬ウィンクしてきたのは気のせいだろう、絶対に気のせいだ。


「いや、しかしだなぁ別に今すぐ必要なわけじゃないし、第一こいつが誰なのかほんとに何も知らんのだぞ。記憶がないって話だってなぁ……」


 やっぱ疑ってるんかい! まあでも、自分の事じゃなけりゃ迷いもせずにイシを支持するだろう。ただ今はリフェさんに勝ってもらわないと困る。また夜中の町をさまようのは絶対にごめんだ。


 リフェは腰に両手をついて、


「あら、私は信じるよ。それにもし嘘をついてるにしたって、何か事情があるに決まってるわ」


「その事情ってのが怖いんだろー。うーーん……」


 ほとんど苦悶の表情で悩んだまま、数分経った。


「おい兄ちゃん、お前悪いことをしてきたんじゃないって約束するか?」


 俺はアメリカ人並みの身振りで、全身全霊をもって否定した。


「そんなわけないでしょう! 俺だって何が起こったのかわからないんです。悪いことなんてしてないどころか、自分がなんなのかわかんないんだから!」


 俺を凝視するイシ。そりゃあそうだよな。信頼できないのは分かる。でも泊めてくれないと俺は死んでしまうよ。


「……わかったよ。泊めてやればいい。でも宿代はしっかり働いて返してもらうからな!」


「やったー!!! ありがと、あなた」


 イシが認めるやいなや、俺より先に喜ぶリフェ。ほほに口づけされて、絵に描いたようなニンマリ顔を作るイシ。俺はただ安堵のため息を漏らすだけ。


 俺は手を差し出した。これが正しい礼儀なのか分からないが。


「まだ名乗ってませんでした。俺は洞裏と言います」


 イシは俺の手をがっしりと握って笑った。


「トーリか!俺の名前はイシ・シュラン。こっちは俺の妻でリフェ。一緒に暮らす以上は、その間は家族だ。仲良くやろうぜ!」





 とりあえずは、死なずに済んだ。


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