第2話 異世界にようこそ
転生1日目
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*G=金貨、S=銀貨、B=銅貨です。
先ほどの魔法使い(そう言っていいと思うが)は明らかにやばそうな人だったので、返事もせずに逃げてきた。
俺は立ち止まって考えた。
異世界に来た、とするとやっぱりあの時バスに轢かれて死に、転生してきたってことなのか。
古めかしいヨーロッパ風の服を着た人々。指から炎をだすローブの男。……うーん、これが異世界転生でなくてなんだろう。
いやいや、待て、だとしてなんで俺はこんなに冷静なんだ。
やっぱり異世界転生ものって絶対教育によくないよ。本当に転生した人がいたら事態の重大さを取り違えるだろう。現実の厳しさも知らず、異世界に来たんだからチートで無双できるはずだわー、なんて――。
チート。そうチート、転生者にはもれなくついてくるはずの人生の補助輪。
「俺にはあるのか?」
あるなら説明があるはずだよな。だよな、神様にチートを授かるシーンとかがあるはずだよな。でもってステータスとかで確認できたり――。
「ステータスか。この世界にもあるのか?」
やるか? すごい恥ずかしいけどやるか? どのみち知り合いが歩いてるわけないしな、この場合。
おれは右手を開いて突き出した。
「ステータス!」
…………。
「スキル!」
………………。
「まあ出るわけないよな」
通行人に若干痛い目で見られた気がするが多分自意識過剰だろう。
俺は改めて自分の体を見回した。服にすら傷一つない。ただその服が……俺が着ていた陰キャご用達〇ニクロパーカーと5年物のジーンズは失われていた。その代わりにガサガサした黄土色のシャツ、丈が若干短いこげ茶のズボン、それに革がよれてふにゃふにゃした靴。俺はシャツの裾を引っ張ってまじまじと見た。縫い目が粗くて今にもばらけそうだ。しかも舗装されていない道に寝転がっていたから全身土だらけ。
それに体も……なんだか腕の感じがいつもと違う。色は同じなのだが、たぶん俺の腕の形じゃない。まあ服が違うんだから体も違って当然か、って! それは困るんだけど。
まあ、整理すると、ステータスもスキルもないし、体もどうなってるか見当がつかない。鏡があれば確認できるのだけれど。
しかし、これは思ったより深刻なのでは? もし本当に何もないなら、俺は体一つで異世界に放り込まれたということに――。
「結構、やばいかも」
俺はとりあえずその辺を歩いてみることにした。他にできることもない。
バレリーナよろしくぐるりと回転すると、四方八方に広がる出店の列。ここはいわゆるバザールのような場所で、通りに木造の簡易的な店がならび、それぞれが色とりどりの布をかけている。そしてすごい喧騒。店前で人々が交渉したり談笑している声と、狭い通りを縫うように進んでいく馬の鳴き声、そこらじゅうで積み荷や商品を運ぶ音とともに砂ぼこりが舞っている。
人の波に押されて道のわきに行くと、食べ物屋や衣服の出店が並んでいた。
なんか昔の食い物って汚いイメージがあったけど、案外うまそうだな。異世界だからか?
いくらも進まないうちにもう少し広い通りに出た。
大通りでは絶え間なく馬車、それにさっきもいたが、すごい大きさの荷物を両側に背負った牛のような生き物が行き交い、人通りもずっと多い。
俺は商売文句が飛び交う中で、出店の天幕の影にちらつく高い建物が並んだ場所に目を凝らした。
かなり大きな都市のようだ。
俺はしばらくどうしたらいいかわからず立ち尽くしていた。
すぐ右手の店に蒸し器が置かれていて、その下のかまどで熱せられて蒸気をぼんぼんと出している。テントの日陰に座っていた色の白いばあさんが、その蓋を開く。
雲みたいな蒸気とともに、食欲をそそる香りが漂ってくる。ばあさんは膝丈くらいありそうなヘラでホカホカの饅頭を台に並べ始めた。まじでうまそう。
ハッとして服の中を探ってみたけれど、何も入っていない。そもそもポケットすらないんだな、この服。
俺はすでにかなり焦りながら、俺の存在に気付きながらも、相手にする余裕はないらしい商売人たちを見まわした。
それからどうしたか。どうしようもない。ただ、町をあっちからこっちに練り歩いた。
おかげで分かったこともある。中心のほうにはやたらでかい建物がたくさんあるとか、たぶん中心は宮殿か庁舎か何かになっているということとか。
日が沈み始めて、もう空腹が限界にきていた。それにだんだん風が冷たくなってきている。
あの市場からも随分遠くにきてしまった。これってあれだよな、ホームレス。こういう時ってどうやって食べ物を手に入れるんだ? そりゃあいくつかは思いついた。物乞いをするとか、もしくは盗むとか。
でも超温室育ち、サバイバルなにそれおいしいの的現代日本の若者に異世界転生初日からそれを要求するのはさすがにハードモードすぎるよ。
助けを求めようにも言葉が通じるか――って、通じるんだよな。あの魔法使いが言ってたことわかったし。でも何て言っていいかわからんし、そもそも話しかける勇気ないし。
立ち止まっても何していいかわからないし、ただ歩き続けるしかない。
あたりが暗くなって、どこでもいいから横になれるところをと思い始めていた時に、泣きっ面に蜂の土砂降りが始まった。これでもかってくらい降る雨が、ごわごわの服にどんどん染み込んでいく。これが強烈に体温を奪う。
俺は何とか雨宿りできる軒先を見つけて、そこで力尽きて座り込んだ。
とにかく疲れていた。
腹が減ることなんて日本でもあるけどさ、誰の助けもない、そもそも知ってる人がこの世界にだれもいないっていうのは、けっこう応える。
この辺は木造の建物が並んでいる。それもほとんどはもう暗くなっていて、街路にぽつぽつと、奥から明かりの漏れ出る店があるだけだ。なんとなく、きれいだなと思った。
もう考える力もない。ここで寝てしまおう、それだけが頭にあった。
「兄ちゃん、死にかけてんな」
暗闇で顔も見えないが、そこには先客がいた。何か言おうとするのだが、意識が若干朦朧としていて、言葉が出てこない。
「あー、あーる」
「あ?」
その男はイラついた声を上げる。
「あーるぴーじーの序盤って、なんすればいいんだっけ……」
「なんだよ、痴呆か」
そう言って彼は加えていたパイプ煙草の吸殻を捨てて、空を仰いだ。
「死にたくなきゃ教会にでも行くんだな。少なくともマンマと寝床はあって、雨の中歩かなくて済むぜ。……俺は雨の日ばかりが稼ぎ時だ」
彼はローブを捲し上げて軒下を俺に譲り、雨の中に去っていった。