第18話 アンテルとの対話
転生93日目
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俺が牧場を管理するようになってから、一月ほどが経った。今まであまりにも怒涛の勢いで物事が起きていたから、牧場で汗を流すだけの日々は、のどかな気さえする。
慣れなきゃいけないことは多いけど、何とかやっていけているのはカーシェのおかげだろう。あいつ、好きで来たわけでもないのに、ブツクサ言いながらも一生懸命働いてくれる。それにあの馬鹿力があるから、百人力とまでは言わなくても、文字通り五人力ってとこだ。なんだか俺もそれに慣れてしまって、お互いの立場も忘れて言った言わないの水掛け論で喧嘩まで起きる始末。
とはいえカーシェの助けも永遠にあるわけじゃない。あいつは元々スパイなんだから。俺が企み事とは何の関係もないと知ったら出て行くはずだ。というか、それはもうだいぶはっきりしていると思うのだけど。ティクレの件も説明したしな。
今日は、牧場をカーシェに任せてウィマルマに来ていた。最初は怖かったけど、慣れてくるとムスカトゥールの上にいるのも気持ちがいい。目的はチーズと野菜の卸し。チーズのホールが150個と畑にできていた野菜をもろもろ。熟成されていないのもあるけど、できたチーズはすべて持ってきてしまった。
チーズは一個100ドミだから、全部で1万5000ドミ。それに野菜も500ドミくらいにはなるだろう。ただ、干し草に一日15ドミくらいかかって、10頭飼っているから一月で4500ほどの経費になる。これだけなら1万ドミくらいの利益は出る計算なのだが、冬季はミルクが採れなくて、干し草の経費が垂れ流しになる。そうすると最終的に残る利益はほんのわずか。しかもそこにギルドと王国に対する税金がそれぞれ10%乗ってくるのだ。税金を満額払っていたら毎回赤字だから、ドンフィールド老人は収穫をごまかしたりして脱税して、なんとか損失がでないくらいにしている。
しかしまあ卸はある意味口実で、本当のところはアンテルに依頼していたポーションを受け取りに来たのだ。彼は律儀にも手紙で完成したことを知らせてくれた。
「こんにちは~」
店に入ると、ちょうどアンテルはお客さんの相手をしていた。俺を認めて少し口元を緩める。
「ではご依頼の治癒ポーションはこちらですので。毎度ありがとうございます」
アンテルがすっぽり背中に隠れてしまうほど背の高いその客は、何も言わずポーションを受け取り店から出て行った。俺はすれ違いざまにフードの影から見えた顔に驚きを隠せない。
「あれ、獣人?」
「ええ、珍しいお客さんもあったものですね。このあたりじゃほとんど見かけませんよ」
獣人とは言っても人間に耳だけ生えたような生易しい容貌ではなかった。ネコ科の動物が直立で歩いているような、かなりガチな動物感。赤と黄色の混ざった短毛に、目のラインに沿って黒い模様が入っていた。一瞬俺を睨んで行きやがった。相手はそんなつもりはないのかもしれないけど、ネコ科のあの真ん丸の目に睨まれると、本能的に食われる気がするよね。
「ケイゴさんのもできてますよ。裏に入ってきてください」
調合室の机の上には待ち構えたように三角形の小瓶が置かれていた。
「ジャーン! なんてね。ケイゴさんは牧場で働いていると言っていたからできるだけ外傷に強いものにしておきました。ちょっと張り切りすぎて強力になりすぎましたけど」
「強力に?」
「ちょっと実験してみたくて、頂いたボワスライムに上級のスライムを混ぜてみたんです。かなりの効き目ですよ。製品化するほどじゃないけど」
「具体的にどのくらい効くんですか?」
「そうですね、例えば魔物に襲われて全身滅多切りにされても、失血死しない限りこれで完治します」
アンテルはそう言ってから何かに気付いたように、申し訳なさそうな表情を作った。
「今のたとえは悪かったかな?」
「いや、大丈夫です。でも80ドミしか払っていないのにそんなもの貰っていいんですか?」
「いいんですよ。どの道正規の取引じゃないし、僕が勝手にやったことですから。まあ、本当に売ったら、たぶん10万ドミくらいしてしまうかもしれないけど」
「じゅうまん?!」
「いや、ばれやしないですよ! 持ち込まれた上級スライムを個人的な研究として増殖させてみたんです。それで増えたのを使ったので、記録には残ってません。どうせ高く売ったって僕の給料に反映されるわけじゃないですからね。なら知ってる人に使ってもらった方がいい」
でもそれ闇で売れば懐に10万入るんじゃ……。
「なんでそんなに高額になってしまうんですか?」
「ボワスライムは一番低級のスライムで、捕獲も増殖も容易です。でも上級のスライムだとやたら魔力を蓄えているせいで冒険者たちのほうが殺されることも多いですから。持ち込み自体少ないですが基本的に殺してからじゃないと運べません。でも殺すとすぐに魔力の流出が始まって、町に着いたときには干物になってたなんてこともざらですよ。ただ、どうやったのか知らないけど、ある冒険者のパーティーがデブスライムを生け捕りにして、たんまり報奨金を貰っていきましたよ。僕としても研究材料としてはすごく興味深いですね」
「なるほど。……10万かぁ」
確かに命がけの仕事なんだろうが、10万もあったら一撃で牧場の借金が返せてしまう。
「でも一匹捕まったわけだし、これからそれを増やしていけばいいんですよね?」
「そうですね……。理論上はそうなんですが、スライムっていうのは上級であればあるほど増殖が遅くなるんです。例えば今回のデブスライムだと、成体になれば人間と同じくらいの高さになるんです。ただそこまで育てるのには最低でも数十年かかってしまって、とてもじゃないけど量産はできませんよ。あ、その、というのも僕の学院時代の研究がスライムの増殖法だったわけですが」
「じゃあ相当難しい技術なんだ」
「手掛かりは掴んだんですよ? これでも教授からは評価されてたんです。ただ政府や軍部の人たちはそういう長い期間かかる研究にはあまり興味がないみたいで、もっぱらもっと派手で即効性のある軍用魔法とかそういう研究に資金をつぎ込むんです」
「ふーん」
日本でも聞いたことがあるような話だ。でもMMORPGでいうとポーションを持たないで戦場にでるって舐めプだよな?この世界でも同じ機能を果たすならもっと重要視されてもいいんじゃ?
「俺が王ならポーションの研究にお金つぎ込みまくるけどなー。だってポーションさえあれば負傷兵でもすぐ治療できて戦場に送り返せるわけでしょ?」
「ハハハ、ケイゴさんが王じゃなくて残念ですよ。ただ戦場でどちらが役に立つかって言ったらやっぱり攻撃魔法の方でしょうね。いくらポーションがあっても敵の兵士を焼き殺すほうが速いですから。それにカーデは正規兵をあまり出さないで保護国から徴兵する方が多くて、高価なポーションがたくさんあってもむしろ出し渋るかも。むしろポーションは冒険者の方々に需要があるんです。自分の命はお金には代えられないですからね。でも国が制定している価格があまりにも高すぎて、結局のところ闇市場で手に入れている人が多くなってしまっているのが現状です」
「なるほどなぁ。で、話を戻して申し訳ないんだけど、アンテルさんはその、学院で学んだんですか? そこで魔法使いになったの?」
アンテルは一瞬しかめっ面になって俺を見つめたが、やがて何か納得したように笑みをこぼした。
「いやぁ、僕は魔法使いじゃないですよ。確かに勉強はしましたけど、失格。劣等生です」
「え、じゃあ何なんですか?」
両腕を広げて肩をすくめるアンテル。
「見ての通り、調合師です」
……なるほど。おそらくは魔法使いは調合師より高位、というか調合師が魔法使いになれなかった人たちがつくポジションの一つなのだろう。でもアンテルは今まだ会った誰よりも物を知っている。まあ魔法使いなんだから相当レベルの高い競争の末になることができるんだろうけど。
「あっ、いけない! あまりにも長く引き留めてしまいました。すいません、話し相手があまりいないくて、同世代の人と話すとつい喋りすぎるんです」
「いや、全然そんな! 逆にすごい勉強になりますよ。っていうか、どうですかね、もしお時間があったらもう少し話しませんか? 俺、誰かに聞きたいことがたくさんあるんです」
こっちの世界に来て数か月か。質問リストの山が出来そうだ。
俺の誘いを聞いたアンテルの嬉々とした様子といったら。明るい笑みを隠しもせず、革のエプロンを放りなげるのと同時に逆の手で掛けてあったローブをつかんでいた。
「僕もちょうどそう考えていたところですよ! イシさんの食堂に行きましょう。馴染みの店でしょう?」




