第17話 逆方向の能力、そしておじいちゃんのヒ・ミ・ツ
転生55日目
所持金: 0G 8S 40B
翌朝、俺は書斎にいた。何十年か分の書類が机の上にところ狭しと置かれ、さらにはその下にも散乱している。ドンフィールド老人によると、収量の記録、税金の申告から、個人的なメモまであらゆるものがごっちゃになっていて、どこに何があるかは彼にも分からないらしい。
まあ、これは想定内。どの道俺には読めないから、とりあえず大きさごとに分けて一階に運んだ。
しかしそう考えると、税金の申告やら収量やらを記録するのって一般的だろうか。農民はそもそも字が読めないんじゃないか?
とにかく、経営を任されたはいいが、今どのくらい売り上げがあるのかも知らないし、ドンフィールド老人はトントンと言っていたけど、本当のところ財政状況がどうなっているか知りたい。
「カーシェ! ちょっと手伝ってくれないか!」
窓の外に叫ぶ。
「ああ? おま……ケイゴが釣りに行ってこいって言ったんだろー!」
「後でいいから! この書類読むの手伝ってよ!」
カーシェは釣り竿を放り投げ、如何にも不満そうにタラタラと歩いて家に入ってきた。
「え……これ全部?」
「うん」
「やだ」
「いいから」
「ハァ……こんなことなら」
「こんなことなら?」
「……チッ、分かったから! どれから読めばいいのさ?」
「うーん、俺は字が読めないからさ、どっからでもいいから読んでいってよ」
カーシェは悪態をつきながら一枚手に取った。
「えーと……3190年6月、今年の大麦の収穫は悪くなかった。ただ雨が――」
「ちょっと待って!」
俺は強烈な違和感を覚えて叫んだ。3190年? いや、そこじゃない。異世界なんだからと思って今まで気にしていなかったが、カーデ語の文面を日本語で読み上げてるのはやっぱり変だろ。瞬時に翻訳でもしているみたいだ。
「もう一回同じところを呼んでくれよ」
「ハァ? なんでさ? あーもう、3190年6月、今年の大麦の――な、なんでそんなに見つめてくるんだよ!」
「待って! 今のもう一回言ってみて!」
「は、どれさ?!」
「大麦!」
「え……お、お・お・む・ぎ」
俺は違和感をつかみつつあった。大麦と発音してるはずなのに口を二回閉じてないか?
「もっかいだけ。もっとゆっくり」
「ちょ、怖いんだけど。お・お・む――」
「待った!」
確かに日本語に聞こえるけど口の動きが違う。なんで今まで気づかなかったんだ? おそらくカーシェはカーデ語で発音してるはず。たった今それっぽいものが聞こえたんだ。
「ほんとにもう一回だけ」
「お・お・む・ぎ」
「ヂェンコウム?」
「だからそうだっ――は?」
体の力が抜けて、立っていることができなくて、俺は片膝をついた。信じられなくらいの頭痛だ。頭の中で鐘でも鳴っているみたいで、吐き気が立ち上ってくる。
「お、おい! 大丈夫か?!」
カーシェの声が二重に聞こえる。頭痛のせいじゃない。
「ちょっと、どうしたって%&$!#」
やっぱり異世界ものって教育に悪いよな。こんなことにも気づかないなんて……。世界の新たな認識に、俺の理解が追いつくと、頭痛は徐々に引いていく。そして世界が鮮明さを取り戻していった。俺は乱れた呼吸を整えようと深く息を吸った。
「収まったのか?」
カーシェの声ははっきりとカーデ語で聞こえた。初めて聞く言語って大体そうだけど、あまり耳に心地よくはない。ただ、何を言っているかは頭のなかで日本語として認識できている。
「いや、ちょっと頭痛が――」
自分の声に驚いて吐き気が舞い戻りかけた。俺もカーデ語で話してるじゃないか。日本語で言おうとしてるのに、口が良くわからん方向に動いてしまう。待てよ、でも今なら日本語でも話せるはずだ。
「これなんて言ってるか分かるか? うーんと、“お・お・む・ぎ”」
「ああ? なんだよそれ?」
特大のため息が流れ出る。俺は床に座りこんだ。
「おい! 一人で満足すんなよ!」
考えてみれば言語が理解できるってある意味チートだよな。という事は俺は今チート能力を解除する能力という全く頓珍漢なものを獲得したわけだ。
「悪い、悪い。今日はあんまり調子が良くないのかもしれない。とにかくもう一回読んでくれよ」
「あ?」
カーシェが眉をしかめる。
「いや、ごめんって! もう聞き返さないから! これで最後!」
「くっそ、なんだよ……は悪くなかった。ただ、雨がもう少し降ってくれれば過去最高になっただろうに――」
「もうそれはいいや、次に行って」
やっと発音と文字が対応してくれた。カーシェは困惑した表情をしながらも、次々と書類を読み上げてくれた。
作業は日が傾くまで続いて、俺たちは窓から差し込む茜色の光で最後の書類まで精査し終えた。
分かったことは主に二つ。一つは、ほとんどの書類は何十年も前の物で少なくとも今は参考にならないという事。そしてもう一つは、ドンフィールド老人にはかなりの――俺の感覚から言わせてもらえば、冗談みたいな額の――借金があるという事だ。
「本当に1万ドミも借金があるんですか?!」
「自分らで借用書を掘り出してきたんじゃろうが。そう書いてあるなら、そう書いてあるんじゃ」
宣言通り一日中寝椅子に寝転がったままのドンフィールド老人が、仰向けで答える。1万ドミといえば、ドミ銅貨10枚でドラクラーク銀貨1枚、ドラクラーク銀貨100枚でニッシヨ金貨1枚だから、銀貨にして1000枚、ニッシヨ金貨でも10枚だ。俺は金貨を見たこともないのに……。
「んな! 借金の額を覚えてないんですか?!」
「人間都合の悪いことは忘れるものよ」
カーシェは椅子に座ったまま俺に背中を預けて、両手で顔を覆いながら大笑いしている。どいつもこいつも……。
「こんなんじゃ利益をあげたって借金に持っていかれるだけじゃないですか!」
「なにをぉ。借金取りなんぞに1ドミもくれてやるものか。安心せい、踏み倒しにかけてはわしの右に出る者はおらん」
「そんなんじゃ――」
「ケイゴ!」
「なっ、は――」
「お前分かっとらんようじゃな」
ドンフィールド老人は目を開け、体を起こして俺を睨みつけた。
「な、なにを……」
「お前この世を生き抜くのに必要なもの、三つ言ってみい」
「えっ……食べ物と、仕事と、あとは……住むところ?」
「違う! 教会と金貸しと馬じゃ」
「は……」
「1万ドミ程度でうろたえるな。分かったら片付けて飯の用意をせい」
……なんで俺が怒られてんだよ!
俺は諦めて片づけを始めた。このじじいの性格はもう嫌というほど知っている。これ以上言っても無駄だ。
まあドンフィールド老人がこれまで問題なくやってこれたんだから、実際借金取りたちの鼻息荒いということでは、今はないようだが、利益をあげはじめたと聞きつければすぐにやってくるだろう。
「ふーーー……」
なんというか諦観の境地だ。結局今はここが俺の唯一の居場所。破天荒じいさんの言葉を信じて、少しでもうまくやってやろう、というかそれしかない。




