第16話 牧場を任される
カーシェはズルリという音をたてて、注がれたスープを一口で飲み干した。
「スープのおかわりを頂いてもよろしくて? おじいさま」
「お嬢さん、職業柄なのは分かるんじゃが、そうじゃな、もう少し砕けた話し方はできんかの? そうかしこまって話してもここには作法の一つも知らん男が二人いるだけじゃて」
「そう……ですね。では、スープのおかわりをもらっても?」
「ハハハ、そう、そっちの方がずっといい」
ドンフィールド老人は若い娘が加わって明らかに元気になった。大体声を出して笑ったことなんてあったか? こっちは命の危機だが、逆にこの人には多少寿命を延ばす効果があるかも。
「それよりケイゴ、お前乳しぼりに行く前に灰色厩舎の中を見てこい。まあぶっ壊されてるとは思うが。わしはムスカトゥールの厩舎に行っとるわ。」
昼食後俺はカーシェと共に石造りの厩舎に行き、檻の留め金がしっかり破壊されているのを確認した。
「何があったの?」
「ティクレっていう魔獣がいたんだ。あっ、それというのは傷ついて倒れていたのをおじいさんが見つけたらしいんだけどね」
「ティクレが傷ついて……それで、檻を壊して逃げてしまったの? さっきの様子だともう分かっていたみたいだけど」
「それがね、俺たちが魔物に襲われたとき、ティクレが助けてくれたんだ。そ、そう! だから、俺は何もしていないというか……偶然助かっただけなんだよ」
「ティクレが……でもそんな話――」
「りょ、領主には言わなかったんだ! だって信じてもらえなそうだし。それにティクレを飼ってたなんて、一時的とはいえ多分まずいんじゃないかと」
カーシェは急に訝し気な表情になって、ブツブツと何かつぶやきだした。
「ティクレ……それなら辻褄が……じゃあこいつは街道の件とは無関係……でもあそこにいた説明が……くっそ、いつも読みを外しやがる」
「だ、大丈夫?」
カーシェははっとして、
「え、ええ。でも不思議よね。ティクレって普段は森のずっと奥にいるはずなのに。何をしていたのかしら」
「そうなんだ」
「いいこと教えてあげよっか?」
急に俺のほうに向きなおったと思ったら、腕を後ろに組んでそう言うカーシェ。
「あんまり知りたくないけど」
「あのね、ティクレってカーデの国獣なの、知らないみたいだけど。だから……」
「だから?」
「勝手に飼ってるのが見つかったらね」
「たら?」
「シ・ケ・イ♪」
おどろおどろしいことを満面の笑みで言いやがる。俺の顔が引きつるのを見て満足したのか、カーシェは外の方へ歩き出した。
「おじいさん度胸あるよね。ケイゴも良かったね。喋ってたら今頃土の中だよ」
さっきまでの使用人口調はどうしたよ……。俺が魔物を追い払ったんじゃないと分かってもらうために話したが、こりゃ話して正解だったんだろうか……。
俺たちはムスカトゥールを厩舎から出しにいった。厩舎には10個の房があり、大人を5頭、それに子供も常に5頭飼っている。
さらに乳しぼりやら掃除やら畑仕事やらを終わらせ、すっかり暗くなった頃俺たちは家に戻った。それにしてもカーシェの馬鹿力には驚く。ミルクで一杯のバケツを積んで運びやがるし、こいつの体はどういう構造なんだろう。
ドンフィールド老人は昼食の後ずっと口数が少なくて、農作業には加わらず何か考え込みながら俺たちの様子を見守っていた。本当はベッドで休んだ方がいいと思うんだけど。
蝋燭の明かりを頼りに、俺はスープの入った椀を運ぶ。テーブルの上にはムスカトゥールのチーズ、それにいつの間にかカーシェが狩ってきた魔獣の肉……。
「これからは毎日肉が食えそうじゃのう、ガハハ」
「おじいさんは力をつけないと怪我が治りませんから。今日なんてずっと元気がなかったじゃないですか」
カーシェが言う。俺はこの後眠れるかどうかだけが心配だ。
「いやぁ、乳も絞れなくなるとは思わんかったわい。わしもついにガタがきたかのぅ」
「あなたくらい元気なおじいさんは見たことないですよ」
俺は言ってしまった後、怒られると思って身構えた。が、ドンフィールド老人は「うむぅ」と唸って沈んだ顔をしたままだ。
「……ケイゴよ」
「な、なんですか?」
「お前わしの代わりにこの牧場を回してくれんの?」
「回すって言ったって作業はもうやってますよ」
「ああ、そういうこっじゃない。その、経営も全部じゃ。わしはもう大した作業もできんわ。それに今のやり方じゃ儲けもでておらん。お前ら若いの二人が働いてるのを見とったら、なんだか現実を突きつけられたわい。わしも若いころはもっと動けたから、遠くまで行けたし厩舎も一杯じゃったが、人間ちゅうんは歳には勝てんもんじゃな、しかし」
突然の提案に、俺は飲みかけたスープをテーブルに置いた。
「経営って、俺なんの知識もありませんよ」
「知識なんぞ要らん。家畜を買ってきて育てて売るだけじゃい。わからんことは教えてやる」
「そりゃあまた……」
「今はほとんどトントンでやりくりしとるからな。お前が新しい家畜でも始めて利益が出たらその分は全部お前にくれてやる。それを報酬だと思ったらええ。それならもうイシから給料をもらう必要もあるまい」
「全部って! おじいさんの分はどうするんです?!」
「人間働いた分だけ金を貰うのが筋じゃろう。わしはもう働けんからな。金なんぞ貰っても仕方ない」
「でも……おじいさんが作った牧場ですよ」
「まあそうじゃな。代わりと言ってはなんだが、わしゃ余生の楽しみにお前らに指図しながら一日中寝かしてもらうわい。もう一生分働いたわ」
「俺たちがいなくなったらどうするんです?」
「そりゃあ……そん時は観念してペイエの家に収まるじゃろな。だが、お前がそんな心配をしてどうする。悪い話じゃないだろう? 嫌とは言わせんぞ。さあ、食ったらさっさと寝てしまえ。明日も早い」
ドンフィールド老人は夕食も半分残して、蝋燭を持って二階に上がって行ってしまった。俺はカーシェと取り残される。
「こんないい話ないじゃん。利益だけくれるなんて」
つまらなそうに聞いていたカーシェがそう言う。
「でも損したらその分払うってことだろ。まあ、やるけどさ」
「おじいさんが心配なんだ?」
挑発するように言ってくる。
「そりゃね。カーシェもだろ? 恩人なんだから」
「私はあんまり湿っぽい性質じゃないから」
「ガキみたいなこと言うなよ」
言われっぱなしじゃなんだからと思ったが、カーシェの鋭い視線が飛んできたので俺は慌てて立ち上がった。
「俺も寝るわ。また明日」
後は朝起きたら胸にナイフがぶっ刺さってないことを祈る。




