第12話 真昼の襲撃
「着くのは日暮れだのぅ」
真上に輝く太陽を手で遮りながら、ドンフィルド老人はぼそりと言った。ムスカトゥールも厩舎が気に入らなかったようで、牧場では手に入らないものをまとめ買いしたとはいえ、荷物は軽いはずなのに心なしか歩みが遅い。
ただでさえ代わり映えのない景色だというのに、これでは早朝でも眠気が誘われて無理ない。俺たちは居眠りして畑に突っ込んでしまわないように話し続けた。
「そういえば置いてきてしまった家畜たち、大丈夫なんですか?」
「滅多なことは起こらんじゃろう。あんなデカいのが入れる厩舎もないわ」
「確かにそうですね」
「それよりトーリ、お前ポーションなんぞ買っとったがな、無駄遣いはせんで金を貯めることだ。お前、家畜の世話はそれなりに筋がいいんだから、将来は自分の土地を持って家畜を何頭も飼う。男の器は持ってる野望の大きさで決まるもんじゃ。うちの息子みたいに狭い街で縮こまって働いては惰眠をむさぼっているようではいかん。男は己の汗で金を稼いでこそ一人前じゃ」
「で、でも息子さんすごく心配してるみたいですよ。それでイシに頼んでまで僕を働かせてくれたわけですし、お父さんの負担を減らそうとしてるんですよ」
「お前もそういうことを言うか。いいか、あいつは心配するならわしの後を継いで牧場をやりゃあいいんじゃ。だがあいつには軟弱すぎて務まらん。お前をよこしたのがその証拠じゃ。勘違いするなよ、あいつはよくできた夫じゃ。ただ農民の男としては一人前にはなれんと言ってるだけじゃ」
そんな話をしばらく続けた。同じような男の在り方についての講釈をなんども聞きながら。それしか退屈をしのぐ手段がない。
太陽が橙色を帯びてきて、連なる雲に顔をうずめたころ、やっとあの丘に着いた。外周をぐるりと歩いていけば、ドンフィルド牧場が見えてくるはずだ。
そのとき俺はペイエの言葉を思い出した。
「息子さんに、ここにドラゴンがいたことがあったって聞いたんですけど」
「またそんなことを。30年以上前の話じゃぞ。いきなり軍の連中が押し寄せてきての。この牧場は接収するなんて言い出して、どこからかっぱらってきたのか知らんが、ドラゴンの子どもが運び込まれてきた。まあそれはえらい騒ぎじゃったぞ。全く罪深いやつらじゃ。結局王都に運び入れることもできずに逃げられおったわ。わしは言ったんじゃぞ、必ず災いが――トーリ!!」
体をへし折られるような衝撃。その寸前で叫んだドンフィルド老人、その横顔は吹き飛び、視界が回転する。俺は頭から地面にたたきつけられた。たまたま腕で受け身を取れたが、刺されたような激痛が走る。
「あ゛ぁぁぁ!……」
俺は朦朧としながらも、本能的に立ち上がろうとして顔を上げた。ドンフィルド老人が俺の前に倒れている。微動だにしない。俺たちは街道の逆のほうに飛ばされていた。あっちでムスカトゥールが横倒しになっている。俺は明瞭な意識を取り戻しかけていた。でも、なぜ……。
その時、ムスカトゥールの影から、黒い何かが浮かび上がった。あれは、狼……にしては、大きすぎる。それはゆっくりと前脚を出し、倒れたムスカトゥールを悠々と三歩で乗り越えた。血走った両目が俺を捉えると、背中に気味の悪い寒気が伝った。一歩近づくにつれ、殺気に満ちた唸り声が俺の両足を震わせる。黒い目が俺を睨んで血走り、目線の高さにある口元が、唸り声に引きずられるかのように歪んで、その牙をさらけ出し、そしてその化け物は、壊れた機械のような不自然な動きで前脚二本を浮かせ、完全に後ろ脚だけで立ち上がった。
だめだ……食われ――あっ。
時が止まったかのように、俺に飛び掛かり、大きく口を開くその化け物と、そいつの喉の奥の闇が目に映った。そして次の瞬間――。
何かがぶつかり合う音で俺は意識を引き戻される。目の前で黒い魔獣が猫のように着地した。明らかに見覚えがあった。真横から突進を食らい、狼の魔物はバランスを崩して地面に倒れている。割り込んできた魔獣はあの魔物の体の半分の大きさもない。狼の魔物は唸り声をあげて左足を突き立てたが、しかし、黒い魔獣は大きさなど全く無関係かのように、起き上がろうとする魔物の頭を前脚で地面に押さえつけた。そして――
咆哮。
王宮にさえ届いているであろう、地震のような雄たけびが、魔物を、そして俺を突き抜けた。そして数瞬の沈黙、風すらも委縮したかのように、何もかもが動きを止めた。
最初に動き出したのは魔物。弱弱しい子犬のような声を出したかと思ったら、何とか頭を抜いてそのまま森の中に逃げ去った。
それは追わず、様子を確かめるように倒れたムスカトゥールの周りを歩く魔獣。細長い脚、背中の模様――ティクレだ。檻から出てきたのか?
「どうした! 何をやっている!?」
街道の先から聞こえる声に俺は振り向いた。見ると騎乗した兵士が数人こちらに向かってくる。
「襲われたんだ! 怪我人がいる!!」
叫び返すと、兵士たちは駈足で来た。
「どうしたっていうんだ、これは」
その場の惨状を見て、馬を降りながら剣に手を掛ける兵士。
「魔物が出たんです。茂みからいきなり現れて、でもティクレが――ティクレ?」
ティクレの姿はすでになかった。俺が気を取られている間に逃げてしまったのだろう。
「と、とにかく怪我人がいるんです。頭を強く打ったみたいで」
その兵士はドンフィルド老人の状態を確認すると、彼を抱きかかえた。
「まず彼を市内に運ぼう。君も付いてきなさい! 戻ってから詳しく事情を話してもらう。グスターブ! このムスカトゥールの状態を調べろ! バークはこいつをお前の背中に乗せてついてこい!」
バークと呼ばれた兵士が俺を乗せ、交通を止めながらウィマルマに戻った。俺は戻っている間中ただドンフィルド老人と、そして牧場に残されたままの魔獣たちが心配だった。
魔物が本当にあんなところに現れるとは思わなかった。あの大きさの魔物なら柵を壊して放牧地に入ることなど容易いだろう。牧場のムスカトゥールたちが安全だとは思えない。あそこでの生活にもやっと慣れてきたところだったのに。気分の悪さでまっすぐ座っていることもできず、俺は頭を兵士の背中に預けていた。
兵士たちは全速力でウィマルマに戻り、ドンフィルド老人はペイエの家に運び込まれた。俺はそのまま領主の邸宅に連れていかれ、事情聴取を受けた。意外にも俺の言うことはすんなり信じてもらえた。ムスカトゥールの傷は魔物の爪以外で付きようのない物だったから。ティクレの事は言わないでおくことにした。いくら異世界でも魔獣に命を助けられたなんて信じてもらえるとも思えない。
解放されるなりイシに道を聞いてペイエの家に向かった。ドアの前に立つ俺を見て、ペイエは険しい表情を隠さずもむかえ入れた。
「この国の街道とか、都市の境界線とか、そういう場所には魔法石が埋め込まれていてね、国の魔法使いが魔物が近づけないように魔法をかけているんだよ。もし君が見たのが本当に魔物なら、魔法に抜け目があったってことだ。どっちにせよ町は恐怖で大混乱になっているはずさ、今にも魔物が入ってくるかもしれないんだからね」
ペイエの言う通り、ウィマルマは錯乱し今すぐ脱出しようとする人々と、それを許さない領主の間で混沌に陥っていた。領主は人々を押さえつけながら、すぐさま近隣の都市や拠点に連絡を取り、数日で魔法使いを呼び寄せた。
直ちに調査は開始され、すぐさま街道の一部の魔法石から魔力が検知されないことが判明した。それだけではなく、都市の境界線にも数か所で魔力がなくなっていたのだ。




