第10話 卸売り、そしてギルド
転生44日目
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ここにきて1か月以上が経った。ほとんど判で押したように、変わらぬ日々が過ぎていく。ただ今日はウィマルマに農産物を売りに来た。地下室のチーズがかなり溜まってきて、そろそろ売り時なのだ。ついでだから、バターと今日とれた野菜も。
ドンフィルド老人が桶を持てというから、ムスカトゥールの乳も持っていくのかとおもいきや、彼はスライムの池に行って、スライムたちをその桶に入れ始めた。
「ほれ、お前もやらんかい。触ったときに固くなってるのが肥えたスライムじゃ」
不承不承ながら池のどこともわからない場所に手を突っ込む。クラゲのような感触。手当たり次第に持ち上げる。スライムで一杯になった桶にドンフィルド老人は水を注ぎ込む。さらに、帯状の布を桶のふち全体にかけて、そこにはめ込むように木の蓋で封をしてしまった。
あらかた積み荷がそろったら、ドンフィルド老人はムスカトゥールを一頭、棒ではたきながら連れてきた。彼はムスカトゥールの厩舎のなかに入っていく。
俺は後を追って、大きく開かれた門から中を覗く。厩舎の中央、天井にかかる2本の梁とその間に立つムスカトゥール。巨大なかごが両側に付いた鞍がすでにムスカトゥールに載せられている。
初めて見たときなぜあんな高いところに鞍を吊り下げているのだろうと疑問に思ったものだ。重すぎて鞍を乗せられないから、梁の間からムスカトゥールに背負わせるのだ。
真下に置かれたはしごを登るドンフィルド老人。左右2つずつ、合計4つの金属のリングが、天井から吊り下げられた縄に結び付けられ、さらにリングにムスカトゥールの鞍の紐が結び付けられている。ドンフィルド老人がリングから紐をほどくと、それは鞍から地面に垂れ下がった。
ウィマルマに到着したのは朝霧もすっかり晴れたころだ。まずはチーズ屋に向かった。
「冬ごもり以来じゃないか、ドンフィルド。元気にしてたのかい?」
「お前さんが死んでると思って訪ねてきたのに期待外れじゃな」
チーズ屋に着いて、久方振りの友人に対して一言目から辛辣なドンフィルド老人。でも二人の間には――長年の知り合いなのであろう――独特の打ち解けた雰囲気が流れている。
俺が出て行くとまた面倒なことになりそうだ。ムスカトゥールを座らせ、梯子に登ってかごからせっせとチーズとバターを下ろしていく。
店の裏で長いこと世間話に花を咲かせた後、やっと支払いが行われた。
円形チーズが50個、それに四角いのが30個、どれも1個100ドミでしめて8000ドミ、ドラクラーク銀貨なら800枚。
「それを持っていけばお金がもらえるんですか?」
紙切れを懐にしまうドンフィルド老人に俺は聞いた。
「手形をギルドに渡せばギルドがチーズ屋からわしの財産に移すんじゃ」
ギルド……。スライムがいて魔法使いがいるんだから、まあギルドもあっておかしくはないが、銀行のような仕事もやっているのか。ギルドがあるなら……たとえば冒険者も存在するのか?
俺の勘が正しいことはほどなく証明された。
ウィマルマの中心にそびえるのは王宮(といっても今は兵士以外誰もいないだろうが)。そして王宮を取り囲むようにして、通りに都市の中枢を担う施設が立ち並ぶ。その中でも一際背の高いその建物。剣と楯が描かれた2本の細長い旗が垂れ提げられている。
看板も何もないが、その佇まいだけでそこが何か重要な場所なのだろうということは分かり切っている。
俺はドンフィルド老人とともに、その正面玄関の広々とした石階段の上に立っていた。ムスカトゥールは隣接する厩舎に預けてきた。
「わしは手形を交換してくる。お前さんは適当に待っておれ」
扉を開きながら言うドンフィルド老人。中に入って俺は一瞬立ち止まらざるをえなかった。目の前を屈強な、それも古代ローマ人よろしく大きな鎧を着て日に焼けた男たちが歩いていたからだ。
辺りを見回すと、左側の奥には受付が見え、女性が二人たっている。彼女たちの前に列を作る人々の中にはさっきのような鎧の男たちもいれば、ごく普通の市民もいる。そして彼女たちが背負って立つ壁は、貸金庫のように上部全面が数多くの引き出しになっており、隣には別の部屋に繋がる扉もついていた。
また俺のすぐ右横にも受付があるのだが、その中にはいかにもやる気のなさそうな、薄手のコートを羽織った男がのけぞるように椅子に座っており、その男のなりとは対照的にその背後にそびえる巨大な木の板に、無数の紙が打ち付けられている。
右奥は食堂になっているようで筋肉質な男たちが席を埋め、そのさらに奥にある厨房から次々に料理が運ばれている。その壁にもさまざまな大きさの紙が貼りだされている。
中央の扉が全開になっていて、その先の部屋も人でいっぱいのようだ。左奥の螺旋階段からもひっきりなしに、忙しそうな人々が上がったり降りてきたりしている。
何処に居ていいやらわからないが、玄関に立っているわけにもいかない。俺は右側のやる気のない受付のほうに近づいていく。あの無数に貼りだされた紙がなんなのか気になるからだ。ここにいる間に面の皮が少し厚くなったらしい。俺は臆面もなく受付の男に話しかけた。
「こんにちは」
「……何か御用で」
手に持つ本から目を離さずに答える男。目の下に大きなくまができていて、肩まである髪もぼさぼさ。
「用というほどでもないんですが、ここに貼りだされている紙はなんなのかと思いましてね」
「……発注された依頼だよ」
「それはつまり……えーと、冒険者にということですか?」
「……なんでそんなこと聞くんだい」
「あっ、すいません。ウィマルマにきて日が浅いもので。……ちなみに今受注できる依頼ってなにがあるんですかね?」
「いつだって魔物退治の依頼があるさ。悪いけどあんたみたいなのは森に入った途端にくわれて死ぬぞ」
「ははっ、そりゃそうですよね。失礼しました……」
なぜこれほどまでひ弱呼ばわりされなければならないのか。農作業だって一度も弱音なんて吐いたことないんだぞ、俺。その独白もむなしく、目の前を俺の背丈の倍もありそうに見える男が通る。そして俺は自分の痩せた腕を見下ろす。……まあ、向き不向きってやつだな。
「あいつ例の異邦人じゃないか?」
「そうだ! やった、初めて見たぜ。本当に獣臭い顔してやがるな」
食堂の方から聞こえる声。この距離でもはっきり聞こえるんだから陰口ともいえない。周りの人々が俺に気付き視線が集まる。どうやら俺の存在は噂になっているらしい。
「どっから来たんだ?」
「東から連れてこられたらしいぜ」
「地の果てから来たのか?」
デマ情報まで広がってやがる……。
その時、ドンフィルド老人が硬貨の入った小袋を持って戻ってきた。
「待たせたな。今日は飯を食って寝てしまおう」
「宿でも取ってあるんですか?」
「イシのところに泊まる。あそこなら飯もタダで済むからの」
どうやらイシはドンフィルド老人になかなかの借りがあるらしい。俺たちはギルドを出て、徒歩で東門のほうに進んだ。鍋屋の角を左に曲がるとき、ドンフィルド老人が俺の目を見て言った。
「挫けるでないぞ」
「え?」
「わしも若い時分はいいだけ笑われたものよ。はみ出し者、はみ出し者言われてな。しかし旅に出るっちゅうのはそういうことじゃ。お前も記憶がないにせよ何か目的があってここに来たんじゃろう。くだらん輩には構わぬことじゃ」
目的か。
「大丈夫ですよ。別に笑われるのが初めてなわけじゃあるまいし」
ドンフィルド老人は俺の背中をパンパンと叩いた。異世界まで来て笑いものにされるんじゃ世話ないわな本当に……。
そしてまたいくつ角を曲がると、レピュテン通りにでた。しばらく進めば、イシ亭が見えてくる。
「邪魔するぞ~」
俺たちが到着したときイシ亭はまだ営業中だった。ドンフィルド老人を見た客たちの間で一瞬どよめきが起こる。いつものように客と談笑していたイシは、旧友の訪問にぱっと目を輝かせた。
「おやっさん!いつぶりだぁ顔を見るのは!おいおい突然来るなんてなぁ。手紙くらいくれりゃよかったのに」
「そんなもん出すだけ金の無駄じゃ。元気でやっとるんか心配でな」
「元気も元気! 元気が余って困るくらいだ。この通り!」
両腕に力こぶを作ってみせるイシ。
「お前のことじゃない。馬鹿が病気にかからんのは誰でも知っとる。リフェのことを言っとるんだ」
「そ、そんなぁ!」
爆笑が店内に巻き起こる。
騒がしいのに気付いてリフェが厨房から出てきた。
「ドンフィルドさん! お久しぶりじゃないですか!」
「おぉ、リフェ。こっちに来んさい。元気そうじゃな」
「おかげさまで」
リフェさんは優しい笑みを浮かべて頭を傾いだ。
「トーリも元気みたいで! 二人ともおなかが空いてるんじゃない?」
「それ以外にここを寄る理由があるかいな。ついでに宿も取らせてもらうと思っての」
「まあ! いいわ、座ってて頂戴。御馳走を用意してあげるから」
「悪いのぉ、リフェ。おい、イシ! お前も油を売っとらんで手伝わんかい!」
縋り付くようにリフェを追うイシ。しかしすぐ戻ってきて俺に小袋を投げ渡した。
「忘れるところだった。給料だぜ、トーリ!」
じゃらじゃらという音で結構な数のコインが入っているのが分かる。正直俺も忘れてた……。