001 巨人との遭遇
バスティアン王国を抜け、冬夜は一人と一匹で次の目的地を目指す。
行きがけに、冬夜は今の時代の地図と方位磁針を王城から拝借しているので、行き先に迷う事は無い。
しかし、この地図は最新版とはいえだいぶ前の代物を観測できる範囲で書き換えた代物らしく、王国から遠ざかれば遠ざかるほど昔のままの状態なのだという。もしかすれば、地形が変わっている可能性もあるそうだ。
指針にはなるけれど、鵜呑みには出来ない。
しかし、次の行き先までならば信用が出来るだろう。
冬夜の次の行き先はバスティアン王国と隣接している国、巨人の国ギガンティアである。
冬夜が次の場所にこの国を選んだのは、この場所が一番近いからという理由だけである。近い順から一つずつ潰していく。いたってシンプルな動機である。
大した荷物も持たずに、冬夜はギガンティアに向けて足を進める。その横に、黒猫が並ぶ。
結局、この黒猫の正体は分からずじまいだ。予想くらいは出来ているけれど、とやかく言う事でもない。何も言ってこないのであれば、それで良い。余計な口を出してくるようであれば、それ相応の対応をするけれど。
ともあれ、旅路は順調。もう二、三日歩けば目的地に到着するであろう。
そう、考えていた矢先である。
微かな振動を足の裏で感知する。
重い物が地面に何度も打ち付けられる。そんな振動。
ギガンティアが近付いているから巨人が警邏のために徘徊しているのかとも思ったけれど、それにしては振動が荒々しい。
周囲は手つかずの自然が広がる森の中。木々は他の森に比べると太く、高い。優に百メートルを超えているだろう。
地球にも百メートルを超える木は存在しているけれど、それが群生している訳では無かった。
しかし、この森の木々はどれも目測で百メートルほどある。そのため、という訳ではないけれど、視界が遮られるために振動のする方を確認する事が出来ない。
「まぁ、関係無いか」
冬夜は構う事無く進んで行く。
冬夜の邪魔をする者は何であれ全て殺す。アステルではないけれど、鏖殺をするのであれば行く道を選ぶ必要は無い。そこに何があっても、敵であれば殺すだけだ。
最短ルートである直線を選ぶ。まぁ、実際には木々を避けながらだけれど。
歩けば歩く程、振動が大きくなる。それと同時に、怒号が聞こえてくる。
「ふむ……」
特に何の用心も無く、冬夜は喧騒の最中に躍り出る。
そこでは、数人の武装をした巨人が一人の巨人を今まさに絶命させたところであった。
槍がその巨人の心臓を貫く。
巨人が持つ槍だ。その直径は太く、人間であれば一撃で上半身と下半身が真っ二つになってしまうだろう。
しかし、この太さであれば巨人であっても致命傷になるのは変わらない。この巨人はもう助からないだろう。
倒れ行く巨人。その目が、冬夜に向けられる。
「――、――!」
声にならない声。無念を前面に押し出した目で、冬夜を貫く。
そこで、冬夜は現場に視線を巡らせる。
数人の武装をした巨人。その中に、一人の少女を拘束する巨人が居た。
何があったのかは分からない。けれど、その少女は泣きながら倒れる男を見ていた。そして、その手を伸ばしていた。
声にならない少女の叫びが聞こえてくる。
冬夜は、一つ地面を踏み鳴らす。
そうすれば、辺り一面から赤黒い爪が聳え立つ。
禍爪。冬夜の王としての権能である。
禍爪は容赦無く武装した巨人達を貫き、その命を奪う。
戦闘とも言えない。これは最早殺戮である。
唐突に全てが終わった。崩れ落ちる巨人達の中、少女だけが何が起こったのか分からず、ただただ泣いている。
「みゃお」
足元の黒猫がからかうように一つ鳴く。
「別に、正義感に駆られた訳じゃない。殺害対象を殺しただけだ」
襲われているから助ける。そんな正義感で動いた訳では、決してない。そも、そんな正義感は冬夜の中からはすでに消え失せている。
これから行うのは殺戮だ。鏖殺だ。あるいは、虐殺になるだろう。そこに正義など無い。そこに在るのは復讐だけ。
ただの復讐者に正義漢は気取れまい。
それに、彼等の行いには呆れと同時に怒りを覚えた。
敵だけでは無く、味方であっても殺して奪っている。その光景が、酷く冬夜を苛立たせた。
「行くぞ。ギガンティアはすぐそこだ」
「みゃあ」
冬夜の言葉に、黒猫は一つ鳴く。
邪魔な屍骸をわざわざ踏みつけにしながら、冬夜は進む。
その最中、急に何かに身体を掴まれる。
「――っ」
剣の柄に手をかけたところで、慌てて止める。
冬夜を掴んだ相手に敵意は無い。さすがに、敵意の無い者を好んで殺すつもりは無い。結果的に虐殺になったとしても、故意に虐殺をしようとは思っていない。そこは、はき違えていないつもりだから。
だから、冬夜は剣の柄から手を離す。
「……何か用か?」
冬夜は自身を掴む者――巨人の少女に声をかける。
しかし、少女はただ泣きながら冬夜を掴むだけだ。
年の頃は、恐らくは十を少し過ぎた頃だろう。巨人族の成長速度は人とそう変わらない。つまり、見た目の変化も人間と変わらないのだ。
ただ、成人してからの老いが圧倒的に遅い。巨人族は人間とは違って定命ではあるけれど長命なのだ。
だから、冬夜の見立ては間違えてはいないだろう。しかし、少女とはいえ巨人は巨人だ。その身長は三メートルはある。冬夜よりも大きいので、近くにいると割と圧迫感がある。それに、泣いているのだから気まずさも一押しだ。
乱暴に振り解くことも勿論できる。けれど、確実に怪我をさせてしまう。
一つ溜息を吐いて、仕方ないと冬夜はそのままでいた。
そんな冬夜に、猫は呆れたように一つ鳴いた。
〇 〇 〇
巨人の少女はその後延々泣き続けた。結果、泣き疲れたのだろう。今は地べたに丸まって寝そべっている。
「はぁ……疲れた……」
溜息を吐きながら、冬夜は地べたに座り込む。
体力的に疲れた訳では無いけれど、精神的には疲弊した。泣いている少女のあやし方など冬夜が知るはずもない。そもそも、あやすつもりも無かったけれど。
巨人の少女がようやく泣き止んだのがつい先刻。寝ているのであれば抵抗はしまいと少女の手をそっと解いた後、適当に薪を見繕って魔術で火を起こし、これまた適当に狩ってきた獣を捌いて火にくべたのが今しがた。
すでに森には夜の帳が落ち、周囲を照らすのは冬夜の起こした炎のみとなっている。
因みに、巨人の兵士の死体は適当なところへとぶん投げた。近くにあって気分の良いものでは無いし、夜にでもなれば夜行性の肉食獣が現れないとも限らない。血の匂いに誘われて遭遇しても面倒だ。
そう考え、遠くに投げてわざと餌を与えた。色濃い血の匂いに惹かれて獣達は冬夜が投げた死体の方へと行くだろう。
獣の一匹や二匹、それが十を超えても今の冬夜には問題ない。しかし、面倒である事は確かだ。余計な手間は無い方が良い。
問題は、少女の事を護っていたであろう巨人の死体についてだ。
魂は言わずもがな回収させてもらった。巨人という種が強大だからか、巨人の魂は多く、また質が良い。巨人の兵士の魂も回収した。イサベルに渡した五億の魂分には程遠いけれど、それでも無いよりはましである。魂一つの差が趨勢を分ける事もあろう。
それはともかく、少女の事を護っていた死体についてだ。この死体を冬夜は投げてはいない。投げた方が良いのかとも思ったけれど、この巨人は少女を護っていたように見えた。
少女を護って死ぬ事を是とはしないけれど、その高潔さは認める。
死体を幾らか同じ方向に密集させて投げたので、獣はそちらに向かってくれるだろうけれど、近い方に来るものもいるだろう。
獣に食わせるのは、少しばかり忍びない。
埋めようかと考えたけれど、あまり音を立てては少女が起きてしまう。起きてまたピーピー泣かれても獣を寄せ集める原因になる。そうなれば、冬夜のかけた手間が台無しになってしまっては面白くない。
焼けた肉を食べながら、冬夜は眠る少女を見る。
別段、突出したところの無い少女だ。美少女という訳でも無ければ、身体的特徴がある訳でもない。ただの、普通の巨人の少女。
冬夜には巨人の平均値など知るよしも無いけれど、アステルの記憶を探れば少しばかりは情報が引き出せる。
アステルの記憶を探っても、やはり少女はただの巨人の少女でしかない。
多くを見ていた訳では無いけれど、少女とこの巨人は逃げていたように思う。でなければ、安全な街から出てこんな森に入るはずがない。しかも、この巨人は武装を一切していない。明らかに、この森に入る恰好ではない。そして、それは少女も同様である。
「……って、何考えてんだ俺は……どうだって良いだろ、そんな事」
少女がどんな理由で此処にいたのかを自然と考えてしまい、冬夜は思わず頭を振る。
考えたところで、どうしようもない。少女にどんな事情があろうが、冬夜は少女を助ける事は無い。そんな事をしている暇は無いのだから。
それならば最初の段階で見捨てておけば良かったのだと思わなくも無いけれど、あの光景を見て、冬夜は怒りを覚えた。
殺害対象を殺しただけというのも嘘ではない。しかし、それ以上の怒りを冬夜はあの巨人達にぶつけたのだ。
あの時の冬夜に正義は無い。あるのはただの怒りだけだ。
その怒りを、今後もただぶつけ続ければ良い。
「……」
そのはずなのに、冬夜は少女を助けた。
実情はどうあれ、少女を助けたのだ。助けるつもりなど無かった。意味の無い虐殺はしたくはない。意味の無い鏖殺はしたくはない。大義を掲げた殺害など以ての外だ。それをしてしまえば、こいつらと同じになり下がってしまう。
人殺しである事は認めよう。奪う必要の無い者の魂を、冬夜はすでに奪っている。
長い時をかけて国を護り続けた大英雄を、冬夜は殺してしまったのだ。
あれは復讐ではない。単なる殺害だ。無思慮による暴挙だ。あの行いを、冬夜は正当化しようとは思わない。
自分は人殺しだ。
しかし、それ以下に成り下がるつもりは毛頭無い。
だから禍爪を少女には当てなかった。殺す必要が無かったから。それは、冬夜も認めよう。
しかし、だからと言って、今此処に残る必要は無い。
虐殺はしない。しかし、その後は冬夜の感知するところではないはずだ。
手を離されたのであれば、この少女を置いて行けば良いはずなのだ。夜でも冬夜には関係が無い。夜だからと言って歩が緩むわけでも無し。この程度の暗闇であれば、夜目が効くようになった冬夜には何も問題は無い。
進む分には、なんら問題は無いのだ。
けれど、冬夜は此処で火を焚き、死体を遠くへ投げ飛ばし、動物を狩って食事をしている。
今の冬夜は食事はそこまで重要ではない。魂を消費すればそれだけで疲労も消費も補える。空腹感が満たされる訳では無いけれど、十全には足りる。
もちろん、決戦前には余計な枷になりそうな空腹感は無くそうと思っていた。十全ではあるけれど、空腹感があるという事がストレスになりかねない。そのため、戦う前には食事をしようとは思っていた。
けれど、それは今じゃない。今、食事は必要が無い。
それなのに、此処に居るのは……。
「……さすがに、全部捨て去る事は出来ないか……」
純然たる、当たり前の人としての心ゆえだった。少女を一人にしてはおけないという、当たり前の感情。
復讐を誓った。憎悪を抱いた。それでも、人としての善心は捨てきれるものでは無かった。
とくに、冬夜は一度失敗をしている身だ。その失敗が、冬夜の善性を僅かばかり残している。
その事に、驚きは無い。
何せ、バスティアン王国ではイサベルを殺す事はおろか、そのイサベルに五億もの魂を渡してしまった。そこに優しさなんてものはないけれど、申し訳なさはあった。だからこそ、冬夜はイサベルに五億の魂を譲渡した。
まぁ、アリスの思惑に乗っかるのが嫌だったというのも理由の一つだけれど。
それでも、申し訳無いと思う心は在ったのだ。
自分のしでかしてしまった事で、大勢の人間が死ぬ。自分には関係の無い者達だけれど、無辜の民である事は間違いない。関係が無いにしても、そんな人達が恐怖に苦しめられながら死ぬ事には申し訳なさを覚えた。
今此処に残る理由は申し訳なさからでは無いけれど、少女の事を可哀想だと憐れむ心はあった。
これから殺す巨人族。少女だって、その中の一人だ。
今生かしてどうなる。助けてどうなる。ありがとうと言われたって、これからその少女の同胞を殺すというのに。
鬱々とした気分を抱えたまま、冬夜は夜を過ごした。近くで呑気に丸くなって眠る黒猫が、心底恨めしかった。




