少女と禁忌の呪文
大魔女が落ち着いたのを見計らってから、大臣は恭しく水が入ったゴブレットを差し出した。
彼は長年この大魔女に仕えるお気に入り。主がヒステリーを起こした時の対処法を心得ている。
ひたすら喚いて鬱憤を発散しきった時に顔を出せばいいのだ。そうすれば、とばっちりを受けずに済む。
「・・・まったく信じられないわ。そう思うだろ、大臣や。」
玉座に座る大魔女がぐったりとした面持ちでゴブレットを受取った。
「あんな連中がいるんじゃこれから先が思いやられる。大魔女たる者がどれだけ偉大か、わからせてやらなくっちゃね!」
大臣は嫌な予感がした。
「な、何をなさるんですか?大魔女様。」
「一つ、『継承の儀式』を連中に見せてやろうじゃないか。
大魔女の力を継承する厳粛な瞬間をお目に掛ければ、どんなに愚かでもその神聖さがわかるだろうよ。
大臣、儀式は連中の街で行うよ! あの街にも広場があったね、その上空を儀式の場としよう。」
「恐れながら、大魔女様・・・。」
大臣は勇気を出して進言した。
「13番目の魔女様はまだお若い・・・それどころか、子供と言ってもいいご年齢です。
もう少し、ご成長あそばされてからの方が、よろしいのではないでしょうか?」
「バカをお言いでないよ、大臣!」
話にならない、と言ったように、大魔女が手を振った。
「まだ子供だからいいんじゃないか。
知恵が付くと言う事聞かなくなるからね。こっちの思い通りにやらせるには、早い内からきちんと教育しなきゃ。そうだろ?大臣や。」
「・・・」
大臣は黙っていた。しかし、頭は下げなかった。
一方、13番目の魔女が守っていた街は大変な大騒ぎである。
町長は全ての議員を召集し、街の課題はそっちのけで「女の子の名前」について連日熱のこもった議論に明け暮れた。
必死で名前を考えるあまり、パン焼き職人は大量のパンを焦し、服の仕立屋は着れない上着やはけないズボンを何枚も仕立てあげ、魚屋さんは売り物の魚を何十匹と野良猫に献上し、学校の先生は2+3を500だと生徒に教えた。
朝から晩まで、よちよちの子供からよぼよぼのご老人まで、必死で名前を考えた。
レイチェル、マリア、エミリー、ダイアナ、ジェーン、サーシャ、マチルダ、ビッキー・・・。
たくさんの名前が考えられ、みんな口々に唱えたが、誰も名前を言い当てられない。
そして、とうとう7日目の朝を迎えてしまった。
広場に集まり最後まで諦めずに「女の子の名前」を唱え続ける街の人々を、「静粛に!」と大魔女の警護に就いてきた兵士達が黙せる。
もはや打つ手が無くなった人々は悲しそうに空を見上げてた。
正装して儀式を見守る姉達に囲まれて金のローブ姿の大魔女と向かい合う13番目の魔女は、いつもより遠く小さく、頼りなげに見える。
「何も怖がる事は有りませんよ。娘や。」
大魔女は自分が掛けていた首飾りを手に取った。
「お前には私が付いていますからね。幾久しく、この母が導いてあげましょう。」
13番目の魔女は深々とかぶったフードの下で、悲しそうに母の手で輝く首飾りを見つめた。
腕飾りと同じ、色とりどりの魔石があしらわれた豪奢な首飾りがとても重そうに見える。
「魔女様ぁ!」
「いやだよぅ、魔女ちゃまぁ!」
アネッタと彼女の小さい妹の声が聞こえ、涙を一粒、頬を伝う。
そんな娘が見えていないのか、大魔女は高々と首飾りを掲げ、継承の呪文を詠唱し始めた。
この継承の儀式は大魔女が呪文を終え、首飾りを継承者に掛ける事で完了する。
その様子は魔法の水晶を通じて国中の全ての街の空に映し出されている。
13番目の魔女こそが大魔女の継承者なのだ、と、知らしめるために。
「さぁ、私の愛する国民達よ!
見届けなさい、この者こそが、お前達の未来を守る新しい『大魔女』です!!」
大魔女が頭を垂れる13番目の魔女に、首飾りを掛けようとした時だった。
パキーーーーーン!!!
何かが爆ぜる音がして、大魔女の手から首飾りがはじけ飛んだ!!
驚愕に顔を歪ませた大魔女は、血相を変えて大声で怒鳴る。
「誰だい!!? 『禁忌の呪文』を・・・13番目の魔女の名前を言ったのは!!!?」
街の人々はもちろん、国中の人達がどよめいた。
名前を言った?いったい誰が???
街中の人があんなに必死になって考えてもわからなかったのに、誰が13番目の魔女様の名前を知っていたんだ???
誰もが顔を見合わせる中、1人の少年が歩み出た。
「ソ、ソラム!?」
弦楽器職人の父親が裏返った声を上げて驚いた。
ざわめく街中の人達の中から抜け出して、ソラムは大魔女達に向き合った。
少しの間恥ずかしそうに俯きモジモジしていたが、やがてその目に決意を宿して顔を上げる。
そして、改めて唱えた。
「禁忌の呪文」。魔女の名を。
「ティオラ・ティオーレ・ティシリーア・・・」
ソラムは13番目の魔女に彼女が見たいと願っていた笑顔を投げかけると、大きく両手を広げ差し伸べた。
「・・・ティナ!!!」
シャラーーーーン!!!
細い腕から魔法の腕輪が弾けるように千切れ、キラキラ光る魔石が広場に降り注ぐ。
魔力を失った13番目の魔女は、茫然自失の母親と祝福の魔法を投げかける姉達に見守られながら、まるで羽毛のようにソラムの腕の中へと舞い降りた。
しっかりと抱き留めた途端、小さなその身体から銀のローブが溶けるように消えていく。
スミレ色の大きな瞳。柔らかく波打つ金糸の髪。
簡素なドレス姿になった「少女」が、オズオズと少年を見上げ、少年もまた間近で見る少女の可憐さに目を見張った。
しかし2人はすぐに顔を赤らめパッと離れてしまう。
喜びの抱擁をするには、2人ともまだ少し幼すぎた。
「魔女様!!」
「よかった!13番目の魔女様!!」
街中の人達が、はにかみ佇む2人を取り囲んで喜んだ。
大空に映し出されるこの光景に、国中から拍手が起こる。
継承の儀式は失敗に終わったが、この日間違いなくこの国は大きな幸せに包まれた。
まだ幼い恋人達へ送られる祝福の拍手は、いつまでもいつまでも、鳴り止む事は無かった。