セシリアとバラの花
揺り椅子に座って庭を眺めるだけの毎日。そんな日々が続くようになってもうどのくらいになるだろう。
セシリアは白いものが混じり始めた後れ毛をなでつけ、ぼんやりと考えた。
夫は庭いじりが大好きだった。お気に入りの木や花を育てては、自分の子供を慈しむようにせっせと世話していたっけ。
とても優しい人だった。でも、せっかちなところがあったわ。あの短所には苦労させられたけど、まさか死ぬのにまでせっかちだったなんてねぇ・・・。
夫を思うとまだ胸を締め付けるような哀しみが沸き起こる。
広い庭のある家に1人ぼっちで取り残された彼女は、夫のように進んで外に出て行く性格ではなかった。
陽気で人気者だった夫とは対照的に、人と話すのが苦手で引っ込み思案。
そんな彼女は夫という太陽を失って以来、ずっと庭を眺めて暮している。
誰にも会おうとせず、心の中で変らぬ笑顔を見せてくれる夫に話しかけるだけの生活を送るようになっていた。
13番目の魔女は、そんなセシリアの姿に心を痛めていた。
高い空の上を漂いながら、窓辺で暗い目をして庭を眺める彼女を見つめ、小さくため息をつく。
彼女の夫はとても明るい人だった。優しくて困った人を放っておけない、そんな素敵な人だった。
彼が今のセシリアを見たら、どんなに悲しむだろう・・・。
シャラーーーーン・・・
魔女の腕飾りが高らかに鳴った。
・・・13番目の魔女様?
夫との思い出に浸っていたセシリアは、ハッと我に返った。
庭を見回してみる。誰も居なかった。
しかし、ちょうど自分が座っている窓辺から真正面の場所に、奇妙な植物が生えているのを見つけて驚いた。さっきまで、あんなモノなかったのに!
セシリアは椅子から立ち上がり、恐る恐る庭へ出た。夫のように木や花に興味が無い彼女が庭に足を踏み入れるのは、とても珍しい事だった。
なんて奇妙な植物かしら? 木か草かの判別もつかないわ。ひょろひょろしてて、頼りないこと。もしかして、枯れかけてるのかしら???
庭の隅に転がっているジョウロを拾い、水を汲んでかけてみる。
すると、正体不明の植物はキラキラした水滴を纏って元気になったように見えた。
変な木(草?)ねぇ・・・。
セシリアは少しだけ笑った。
その日から、セシリアの毎日が少しだけ変った。
一日1回、庭に出てあの奇妙な植物に水をやるのが日課になった。
なぜこんな事をするのかは、自分でもよく分らなかった。いつものように窓辺の揺り椅子に座ると、先ず目に付くのがこの木(草?)だからかも知れない。
木(草?)は、ニョキニョキ大きくなっていった。
ある日、セシリアがいつものように庭へ出て、木(草?)に水をやろうとした時だった。
あら?木(草?)に何か付いてるわ。
何気なく顔を寄せてよく見てみた。予備知識のない彼女に心の準備が出来てるはずはなかった。
「ぎぃいぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~!!!!」
セシリアの絶叫がこだまする。
それはまさに、バケモノでも見たかのような壮絶な雄叫びだった。
「きゃーっ!?なにナニどーしたのーーー!!?」
先ずすっ飛んで来たのは、隣に住む若いおかみさんだった。
「お、奥さん!?どうしたの何があったの!?」
おかみさんは庭先にへたり込んで口をパクパクさせているセシリアを抱き起こし、彼女が凝視する方へ目を向ける。
しかしおかみさんも予備知識のない人だった。
しかもこの人、「虫」と名の付くモノのナニもかもが、死ぬほど嫌いな人でもあった。
「ぎぃいぃやあぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~!!!!」
セシリアよりも若い分、おかみさんの雄叫びは想像を絶する大音量だった。
何事か!?と驚いた人々がその辺中の家から飛び出し、セシリアの庭はあっという間に人でいっぱいになった。
「・・・バラの木に芋虫が付いてただけじゃねーか、アホらしい!」
お向かいに住んでる口の悪い爺さんがブツブツと文句を言った。
「バ、バラの、木?」
「おうよ。まだ苗木みてぇだがな。この虫葉っぱ食い荒らすぜ。とっぱらっちまいな。」
「・・・」
セシリアが躊躇っていると爺さんがひょいと虫をつまんで捨ててくれた。
「怖かったわね~奥さん。大丈夫?」
「・・・は、はぁ・・・。」
「な~にが怖かったわね~、よ。クマでも倒せそうな体格してるのに。」
「何か言ったかい!?アマンダ!!」
おかみさんが娘のアマンダをしかりつける。
親に反発するお年頃のアマンダは、バラと判明した木(草?)を面白そうに眺めセシリアに聞いた。
「ね、コレ、何色の花が咲くの?」
「・・・ご、ゴメンナサイ、わからないの・・・。」
「バラは難しいからなぁ。」と、これはおかみさんの家とは反対隣に住む大工の親父さん。
「木や花に詳しかったご主人さんならともかく・・・奥さん、大丈夫かい?」
「・・・」
俯くセシリアに、今度はお向かい爺さん家のお隣さん、酒場に勤める姐さんが優しく声を掛ける。
「あら、大丈夫よ。ねぇ奥さん、何かわからない事があったら聞いてちょうだい。アタシ、少しは詳しいから。」
「肥料がいるだろ。ウチにあるから持ってきてやるよ。」
さらにそのお隣のお婆さんがよちよち自宅へと歩き出した。
「アンタのダンナにゃ、よくしてもらったからね。気にしないでおくれ。」
「あ、ありがとう、ございます。」
「バラはともかく、他も何とかしなきゃなぁ。」
さらにさらに、お婆さんのお向かいに住む逞しい青年がグルリと辺りを見回した。
「せっかくの広い庭が、雑草だらけでぼうぼうだ。奥さん1人じゃ大変だろ?少し刈り込んでやるよ!」
「・・・まぁ。そんな、いいんですか?」
「きゃー、みんな、ちょっと来てー!!」
突然、アマンダの悲鳴が聞こえた。
庭の隅にしゃがみ込む少女が指さすその先を見て、全員が目を丸くした。
子猫が2匹、うずくまって震えている。
「・・・アマンダ、ウチじゃ飼えないよ?父ちゃん、ネコ触ったら痒くなっちまう体質だろ?」
「・・・」
アマンダが何かを訴える目でセシリアを見る。
「え?あ、あら?・・・まぁ!」
次に戸惑うセシリアに声を掛けたのは、意外にもお向かいの爺さんだった。
「任せろ奥さん。ワシゃ、若い頃は10匹以上ネコを飼っとった男じゃ。
もういつポックリ逝くかわからんから飼えんのだが、助言くらいならいつでも出来るぞ!わっはっは!!」
当分死にそうにない爺さんが、豪快に笑った。
セシリアの虚ろだった毎日が驚くほど変っていった。
お向かいの爺さんは散歩の途中に立ち寄って、バラに虫が付いていないか見てくれるようになった。
バラの手入れを指導してくれる酒場の姐さんは、仕事に行く前によく声を掛けてくれる。
大工の親父さんはこんなに広い庭に何もないのはもったいないと、素敵なテラスを作ってくれた。
そのテラスにぴったりのテーブルと椅子を用意してくれたのは、庭仕事が好きな逞しい青年。彼は家具の職人だった。
お婆さんやおかみさんはよくシチューやソーセージをお裾分けしに来てくれる。彼女達のおしゃべりにつき合う内に、この周辺の噂話にすっかり詳しくなってしまった。
アマンダは毎日のように来て子猫と遊ぶ。彼女はセシリアが作る焼菓子が大好物になっていた。
「バラも子猫も良かったね。早く花が咲かないかな~。」
たくさんの人達の優しさが、バラの木を守り支えて育てていく。
セシリアもバラを我が子のように慈しんだ。
何かに愛情を注ぐなんて、どれだけ久しい事だろう・・・?
「もちろん、あなた達もよ。いたずらっ子さん達♡」
セシリアはスカートの裾にじゃれる2匹の子猫を抱き上げた。
お向かいの爺さんのお陰でやんちゃな子猫を捕まえる事くらい、容易く出来る様になっていた。
街に春のそよ風が吹く頃、豊かに葉を茂らせたバラの木に花が咲いた。
セシリアは感動で胸が一杯になった。・・・なんて美しいのかしら!!
枝という枝に、溢れんばかりに咲いたバラは、それは鮮やかな黄色い花だった。セシリアの庭は、うっとりするほどの芳香で満たされた。
黄色いバラはあの人が一番好きだった。あぁ、あなた・・・。
バラの香りに包まれて静かに涙を流すセシリアに、すっかり大きくなった猫たちが心配して擦り寄ってくる。
「・・・どうしたの、おばさん!?」
学校帰りに立ち寄ったアマンダも驚いて声を掛ける。セシリアは慌てて涙を拭いた。
「何でも無いのよ。何でも・・・。」
シャラン・・・・。
「13番目の魔女様!」
アマンダが空を見上げて叫んだ。
嬉しそうなその声に、セシリアもゆっくりと顔を上げる。
きっとこれは貴女の魔法。このバラの木は、貴女からの贈り物。
有難うございます。魔女様・・・。
お向かいの爺さん家の屋根の上に佇む魔女を見上げたセシリアは、ハッと目を見張って固まった。
銀のローブを春風にそよがせる魔女の隣にもう1人・・・。
『まったく、お前ときたら困ったもんだ。俺がいないと何にも出来やしないんだから。
でも、もう大丈夫だろ? お前は1人じゃ無いんだからな。
バラと、ネコと、皆さんと、楽しくしっかり生きなさい。
こっちにはなるべくゆっくり来るんだよ・・・。』
そういって、ニッコリ笑うとその人はキラキラ光る光になって、暮れなずむ空へと消えていった。
セシリアの頬を涙が伝う。
しかしその顔は晴れやかに輝いていた。
いいわ、たくさん待たせてあげる。
いっぱいお土産話を持って行くから覚悟なさい!
アマンダのおかみさんみたいに、ひっきりなしに喋って困らせてあげますからね!
シャラン・・・・。
魔女の腕飾りが鳴った。
今度の魔法は、健康の魔法。
素晴らしい男性に愛された、素晴らしい淑女がいつまでも健やかでありますように。
もちろん、その足下で鳴く猫たちも。
「大丈夫よね、ねぇ、おばさん?」アマンダがかわいい笑顔で寄り添ってきた。
「バラと、ネコと、アタシが付いてるわ。そうでしょ?」
セシリアは愛情を込めて、こまっしゃくれた思春期の少女を抱きしめた。
バラの香しい香りが2人とネコを包み込み、いつまでも優しく漂っていた。
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「そうね、やっぱり13番目の魔女がいいわ。」
お城の大広間で、玉座に座った大魔女がそう告げた時、お気に入りの大臣はちょっと眉をしかめた。
「あの子は姉妹の中で一番魔力が強いし、素直でいろいろ教え甲斐がある。きっと期待通りの大魔女になってくれるだろう。」
「ですが、大魔女様・・・。」
大臣がオズオズと意見を述べる。
「その・・・2番目の魔女様は・・・。」
「アレはダメだよ!!」 大魔女の口調は厳しかった。
「お前、忘れたの? 1番目の魔女は、アレの所為で堕落したんだよ!!」
「だ、堕落、といわれましても・・・。」
「私が1番目の魔女にどれだけ期待していたか、お前知ってるだろう!? それなのに、2番目の魔女が・・・。
いいかい?2番目の魔女だけはダメだよ!!今度こそ邪魔させない、私の跡継ぎは13番目の魔女だよ!!!」
「・・・」
大臣は黙って頭を下げた。